4、ヘベレケ共和国
揚げたてのコーンチップが、熱いミルクと共に食卓に運ばれて来た。
先ほどグランピーノ公爵邸で、ピカーノが調理したものである。
「首領殿の好物だと聞いたもので持参した。
心配しなくとも、悪いものは入っておらぬぞ。 この通りだ」
王太子イリスモントは、コーンチップを一掴み口に放り込み、ぱりぱりとうまそうな音を立てて噛み砕いた。
そのあと小皿にざっと盛り、ミルクを上からかけるとそれもスプーンで口に入れ、ゆっくりと味わって見せた。
無造作に食事をしても、食べ方は上品だ。 盗賊どもがゴクリと咽喉を鳴らした。
ロンギースはしばらく黙って見ていたが、器を使わず直接チップを鷲づかみにし、口に運んだ。
「共和国ね。 誰に聞きやがったもんかね」
太い唇をほころばせて、ロンギースが呟いた。
とがめだてする口調ではない。 好色さからか、人柄自体を見てのことがわからぬが、明らかにこの首領はイリスモントを気に入っていた。
「うちの歌人に教えてもらった。
ロンギース殿の夢は、自分たちの共和国を造ることだそうだな」
大男のロンギースに肩をしっかり抱かれて、ほとんど誰の目にも見えなくなったイリスモントが答えた。
「そんな話をこの腐れ歌人にするわけがねえんだがな。
まあいい、とにかくその夢はガキの頃のたわごとだ。 今じゃ、もう俺は一国一城の主だからな」
居並ぶ盗賊どもが、そうだそうだとはやし立てた。
「お嬢ちゃん、“牙”は独立した国家だぜぇ」
「お頭が王様だ」
「俺たちゃ国民」
「稼いで税金も納めてんだ」
「貿易も外交もやってらあ」
イリスモントは静かに首を振った。
「それは共和制ではないだろう。 第一、国家ではない。 領土がないからな」
「領土などいらねえな」と、ロンギース。
「領土、国土。 百歩譲って海でも空でもよいとして、定住すべき領域を持たぬ民衆を国民とは呼ばぬだろう」
「領域たぁ何のことだ」
「支配すべき区域だ」
「あるぜ。 相手の懐の中さ!」
手下どもがドッと笑って手を叩いた。
「冗談ごとではないぞ、首領殿。
もしも私に協力してくれるのであれば、そなたの共和国の設立に、私も助力しよう。
カラリア全土を統治してもらっても一向に構わぬのだが、共和制を取るのなら、全国民の賛同を募らねばならぬから、私の一存では実現しにくかろう」
イリスモントが真顔のままで言うので、首領は手下どもを黙らせた。
「ふん。 引き受けたら何をやらせる気だ? 魔導師と戦争か?」
言い放つと、ロンギースはコーンチップを口いっぱいに頬張った。 一度食べ始めると止まらないらしく、てんこ盛りだった大ザルの中身が半分以上無くなっている。
「戦争をするかどうかは、情報の内容次第だな。
仲間を募るにも、今の状況を把握してからでないと動きにくいのだ」
イリスモントは店の主人が運んで来たグラス入りの果汁水を一口飲んでからロンギースに渡した。 間接キッスの嫌いなキャドランニが目を剥くのもお構いなしだ。
「これまで各国に流していたトップシークレットを、私に流してくれぬか?
私はその上で身の処し方を決める。 場合によっては兵を集める。 戦闘の依頼までするかどうかはその後のことになる」
「へッ、お姫さんはずい分呑気なことだ」
「お花が咲いちまうぜぇ」
盗賊の手下どもがからかって笑い出したが、イリスモントにこの種の皮肉は通じない。
「なかなか穿ったことを言う。
その通り、花は咲くまで待ってから見に行くものだ。 うまい酒と、上等の肉を揃えてな」
別段言い負かしたつもりもないらしく、王太子はコロコロと可愛らしく笑い、コーンチップのザルをフライオの呆れ顔の前に差し出した。
「どうした? 手を出して食べておかぬと、すぐに無くなってしまうぞ」
「わはははははは」
突然、野太い声でロンギースが笑い出した。
ギョッとするような、箍の外れた声だった。
「おもヒろい、はははは」
しばらく黙っていた間に、この男の顔は真赤になっていた。 異変を感じて、手下どもが騒ぎ始める。
「おもヒろい女ら、だはははは」
ロンギースは大きな掌で、イリスモントの手を潰さんばかりに握り締めた。
「共和国、造ってもりゃおうじゃねえか。
ロントの森のあそこらへん、20ケルほどの土地がいい。 あそこを自治区にしろ」
「承知した」
「オイ待て! きさまら!」
手下どもが血相を変え、こぞって立ち上がった。
「酒を入れやがったな!!」
ロンギースは明らかに酔っ払っていた。 しかもドロドロにだ。
周囲の誰もがシラフであるのに、この大男にだけ酒が回っているのは魔法を見るようだった。
「共和国ばんじゃい!!」
上機嫌で叫ぶなり、巨体がズルズルと椅子から崩れて行く。
手下の一人がグラスを取り上げ、中身を口に含んだ。
「見ろ、これは酒じゃねえか!」
フライオが横からグラスを受け取り、自分も飲んでみる。
「確かに酒だ。 だが俺たちのグラスは果汁水だったぞ。
おい亭主、あんたこいつに酒を入れたか?」
厨房から出て来た亭主は、大慌てで首を振った。
「滅相もない! お嬢様は未成年とうかがったんで、皆さんの分を全部果汁水に致しました。 ただ、乾杯用に果実酒をボトルでお出ししておりますので‥‥」
「これか!!」
ロンギースの目の前に置かれた黒いボトルを、ション・シアゴが取り上げた。
「栓が開いてるぞ」
「それを開けたのはロンギース殿本人だったぞ」
イリスモントがケロリと言った。
「コーンチップを食べると猛烈に咽喉が渇くからな。
このボトルが水でないことを私は承知していたが、山賊が酒を飲むのは当たり前だと思って止めなかった。
こんなに酒に弱いと知っていれば、教えてやるのだったな」
シレッととぼけて見せたが、無論あらかじめ仕組んであった事である。
ロンギースが、その外見のイメージに反して下戸であるということを知っていたのは、歌人フライオである。
以前彼は、山中でたまたま野営の際に“牙”と一緒になり、盗賊の群れとは気付かずに合流してヴァリネラを弾いてやったことがあった。
酒盛りになってから恐ろしい事実に気付き、相手を酔い潰して逃げようとした。 ただし、たった一口飲ませただけでそれが成功するとは夢にも思わなかったのだが。
逃げる時に、事の成り行きで女をひとり助けた。
その女とついついベッドインしてしまったのも、ベッドの上で大喧嘩して、裸で部屋から叩き出してしまったのも、まあ言うなれば若気の至りと言うものである。
「共和国!共和国! ガキのころから俺の夢なんら。
生まれながらの王族なんぞ、ひとりもいねえ世界を造るんら‥‥」
ロンギースは完全に子供返りを起こして、呂律の回らぬ口で熱心に叫びながら、腕の中のイリスモントに頬擦りをしていた。
「こりゃダメだ」
盗賊どもが立ち上がった。
「この話はご破算だ。 お頭はこうなったらてんでラリパーで、明日には何にも覚えちゃいねえ。
てめえら、残念だったな。 作戦ミスだぜ。
さあ、お開きお開き」
「静かにせよッ! 無礼な連中だな!」
イリスモントが一喝した。 父親譲りの烈気が、熱風のように空気を切り裂いた。
「何がダメだ? 何がラリパーだ?
自分たちの頭に向かってなんという口をきく!
人が夢を語るのが、そんなに異常で情けないか!!」
テーブルを掌で叩く勢いに圧されて、盗賊たちがガタガタと着席する。
イリスモントはその彼らをキッと睨みつけた。 大男の腕の中に抱き込まれていても、少しもか弱げには見えなかった。
「夢を語ることの出来る人間は、国の宝だ。
例え子供の頃に潰えてしまった夢でも、それを語る限り、次の世代の者が同じ夢を引き継ぐことが出来る。
それをみっともないと思う人間は、親であれ親友であれ、私の陣営には要らぬ。
‥‥私はロンギース殿に、共和国の設立を約束する!!」
シンと静まり返った店内。
息を飲む一同の視線を浴びながら、ロンギースはボロボロと涙を流し始めた。
(こいつは驚いた。
荒くれどもが、完全に飲まれちまってるじゃねえか‥‥)
フライオは内心で舌を巻いた。
と、その時、異変が始まった。
眩しい閃光が、一瞬で窓の外の暗がりを白く塗り替え、すぐに収まった。
魔法が発動した時に現れる光である。
通りにひとりの男が立っていた。
開いた白木の扉から、ゆっくりこちらへ歩き始めた黒ずくめの衣装。
フードつきの長いマントを着た、中年の男である。
「魔導師だ!!」
フライオとキャドランニが飛び上がった。
「逃げよう!モニー。 あんたも俺も手配されてるはずだ。
捕まったら城に幽閉されちまうんだろ」
「に、逃げると言っても」
ベロベロに酔ったロンギースは、イリスモントを抱き込んだままいびきをかき始めている。 腕の中から脱出しようともがくのだが、王太子の体はなかなかそこから出てこられないでいた。
「俺が行くよ」
ピカーノがおっとりと刀を取って立ち上がった。