2、底抜けルーラの冒険
城門前広場が近づいてくると、花車の周囲は人でごった返して来た。
「フライオ! 『滅ばざる英雄』を演ってくれ!」
「アリアを頼む! 『故郷を嘆く唄』だ」
硬貨を投げ込んで、既成の歌を頼む輩が出てくる。
金をもらったら、歌わないわけにはいかない。 しかし、人が集まりすぎて、車は立ち往生だ。
花車を引いているのは、一角牛と呼ばれる黒牛である。 臆病な動物なので、行く手に人がいると前進しないのだ。
「はいはいはい、あけてね、あけてね!」
御者台の老人が懸命に人をのけながら鞭をくれるのだが、なかなか埒があかない。
とりあえずリクエストを消化するフライオに、踊り子がわめく。
「フライオ、ちょっと散らそうよ。 とりあえず広場に行き着かなきゃ、後ろから文句が出ちまうよ!」
若い歌人は、ライトグレーの瞳をいたずらそうに輝かせた。
「せっかく集まったのに勿体無いことを言うなよ。 見てろ、このまま踊らせてやる」
フライオの右手が、ヴァリネラを勢いよく弾き下ろした。
勘のいい若い連中が、すぐに体で反応する。
ひょい、と飛び跳ねるリズム。
調子のよいストロークで、曲は2拍子に変わった。
踊りのステップが弾み、踊る民衆も歌人の意図を察して、歩調をジャンプに切り替えた。
そのつもりでなくても、曲にあわせるとどうしても飛び跳ねてしまうのだ。
おのれの滑稽さに吹き出しながら、誰も跳ねるのをやめようとしなかった。
そしてやってみたとたんに分かるのだ。 何よりそれが、全員で踊れる最良の方法だ、と。
足を踏まれるものが続出し、あちこちで悲鳴が上がる。
踏まれたものも笑っている。
「その、まま、前、進!」
フライオは音頭を取った。
「ハイ!」
「ハイ!」
踊り子の婆ちゃんたちが、打楽器でリズムをあおる。
それは異様な光景だった。 何百人という群集が、笑い崩れながら同じリズムで飛び跳ねる。
行進が始まった。
「ぎゅうぎゅう詰め対策ソングといくか」
ゆっくり進み始めた花車の上で、フライオは立ち上がった。
人々は一瞬、息をのんだ。
とてつもなく豊かな声が、聞く人の聴覚を絡め取ってしまったからだ。
しかも、単調なリズムにまとわりつく、複雑きわまりない歌詞。
人々は跳ねながら、歌詞を聴いて腹を抱えた。
歌詞の1番は、現国王オギア・クレイヴァ3世の怒声をガードする最新システムについての解説。
2番は、王太子イリスモントとその妃エウリアとの、夫婦ケンカの実況中継。
3番は、近衛隊の隊長であるゲイルズ・エルディガン大佐の、八の字ひげにまつわる怪事件の講釈。
どれもこれも面白おかしく誇張してある。 さりとて、事実無根とも思えぬ内容も織り交ぜた、巧みな構成だ。
王都につくや否や、婆ちゃんの群れになついて見せたのには、ちゃんと理由がある。
その土地の情報を得ることで、歌の内容を深めるため。
加えて、いらぬごたごたに巻き込まれないための、世渡りの術である。
沿道を埋め尽くす人々。
路上にじかに腰を下ろした若者たち。
みんな身をよじって笑い転げている。
花車の周囲で踊りはねる人の中には、笑いすぎて息が切れ、そのまま沿道の飲食店に逃げ込む者も出始めた。
フライオは花車の高台から、周囲の様子を観察する。
息もつけない早口の歌詞を、軽快に歌い上げながら、油断なく状況を観察している。
珍妙な行進が、城門前広場の入り口に近づいた時、これまで冷静だったフライオが、急にソワソワし始めた。
「まずいまずい。 おい婆ちゃん、お開きだ。 ちょっと俺だけ降ろしてくんな!」
「婆ちゃんはよしとくれ、口の悪い! なんだよいったい? せわしない子だね!!」
太ったピンクの中年女が、歌人の背中をどやしつける。
「エルディガンがいるんだ。目が合っちまった。 な? あいつがそうだろ?
あっ来る、こっち来やがる。 やばいやばい、早く降ろせ!」
大慌てで荷物を肩にかつぐ歌人を、踊り子達が呆れ顔でなだめる。
「大丈夫じゃないかね? 無礼講だよ。 いくら近衛隊が堅物だっても、いきなり捕まえたりゃしないだろうさ」
「バカ、実名で歌ってんだぞ。 不敬うんぬんの問題じゃねえんだって!
あとで広場に行くからさ。 ちょっと失礼すらあ」
言うが早いか、フライオは花車から人込みの中に滑り降りた。
そのまま群集にもみくちゃにされる。
踊りでハイになった娘達に抱きつかれる。
身動きが取れなくなった歌人の腕を、誰かが引っ張った。
「こっちです!」
ストロベリーブロンドの髪の、若い娘だった。 小間使いのお仕着せを着ている。
「あんたはさっきの、モナんとこの」
「ルーラとお呼び下さい」
彼女は歌人の腕をぐいぐい引っ張り、巧みに人込みを抜け出した。
わき道に出た。 城の四方に掘られた、水堀の外側になる。
木立に身を隠して大通りを振り返ると、パレードの賑わいに混じって、近衛隊の制服が見え隠れしているのが気になる。
「隠れましょうか。 こっちです」
堀伝いに進み、ルーラは立ち止まった。
敷石の一枚に手を掛けて外す。 その奥に腕をさし込み、中の金具を押すと、木立の後ろに、突如階段が現れた。
地下に降りる石段だ。
「こいつは驚いた! 城へ渡る通路じゃねえか! 何かあったとき、国王が堀を渡らずにこっそり逃げられるように、秘密の出入り口があるって聞いたことがあるぜ。
こういうの、やばいんじゃねえのか? 確か大工を全員切り殺して、秘密を守ったりするんだろ?」
フライオの言葉に、ルーラは吹き出した。
「あたしは小さい頃から、ここで遊んで育ってるんです。
この下に一つ小部屋があって、そこから先は塞がってますわ。 きっともう使われないので、閉ざしてしまったんだと思います」
石段を4・5段降りると、小さな踊り場があった。
そこから壁の足元についていた鎖を引っ張ると、出入り口が閉まり、中は真の闇となる。
フライオは荷袋の中から、手探りで小型のランプを探して火をつけた。
石段に二人腰をおろす。
「いや、助かったぜ、ありがとう。 モナに言われて来たの?」
「いえ。‥‥勝手に‥‥」
ルーラは赤くなった。
「仕事中だったろうに、悪かったなあ」
「いいんです。 あたしがコラボ見たかったんですから」
ふたりっきり、二人っきりだ!
わくわくして、何かとんでもないことを言い出しそうになる自分を、ルーラは必死で抑えていた。
するとフライオが突然、手を打って笑い出した。
「思い出したよ、『底抜けルーラ』だよな? モナから聞いてるよ。そうか、あんたか!」
「ええっ?そ、そんな恥ずかしいあだ名、‥‥お嬢様ったら!!」
「恥ずかしかねえだろ。 天真爛漫、裏も底も何にもねえとこが可愛いってさ」
「それって、一般の人は馬鹿って言いません?」
「言わねえって」
どんな話を聞いたものだか、フライオはまだ笑っている。
その笑いが、一瞬で凍りついた。
目の前の闇の中から、鋭い悲鳴が起こったのだ。 くぐもったような、女の短い悲鳴だった。
ふたりは思わず息を飲み、ランプの薄明りに浮かぶ互いの顔を見合わせた。
フライオは立ち上がって、声のした方向へ向かって石段を注意深く降りた。 ルーラも好奇心にかられて、そのあとをついて降りる。
石段をそろそろと降りると、目が慣れてきたのか、辺りの様子がぼんやりと見え始めた。
通路は石でできた壁によってしっかりと塞がれており、手探りで確かめると、中央に金属製の扉がある。 強烈な錆の臭いのする扉には、大きな錠前で施錠がしてあった。
フライオはルーラを手招いて、小声で確認した。
「この先の小部屋って、本当に使ってないのか?」
ルーラはうなずいた。
「部屋と言うより、通路に人や荷物を待たせるための場所ではないかと思ってましたけど」
「人がいっぱいいるぜ」
「見えるんですか?」
「気配ってか、音がするじゃねえか」
ルーラは扉に耳を付けて聞いてみたが、表通りを通る馬車の振動が伝わって来ただけだった。
「いるんだって。 俺たち歌人の耳は商売道具だ、信用しろよ」
フライオが言った時、辺りが急にまぶしい光に翻弄された。 さっき閉じた出入り口の扉が、ゆっくり開き始めたのである。
フライオはとっさにルーラの手を引き、隠れるところを探した。 が、どこにもそんな場所はないので、踊り場の曲がり角に、黒いマントを被ってふたりで張り付いた。
数人の人の気配が、開いた入口から石段を降りて来る。
フライオは咄嗟に、ランプの火を吹き消した。
「おい、早くしろ」
乱れた歩調は、大きな荷物を抱いて運んでいる気配。 いや、人を担いでいるのかもしれない。
ランプが一つ、男たちの手にあるだけで、あまり明るくないのが都合よかった。
フライオは、マントをずらして、相手の様子を観察した。
男たちが運んでいるのは、ひとりの若い女だった。
縄で縛ってがんじがらめになっているので、服装まではわからない。
男たちは、女を踊り場に下ろすと、階段を降り、下の小部屋の扉を、3人がかりで押し開いた。
その間、女は口にかまされた猿ぐつわを躍起になってどけようとしていた。
開いた扉の中に女が押し込まれるまでの数秒で、ルーラはその小部屋の中に、信じられない光景を見た。
中にはぎっしりと、人間が詰め込まれていた。
明かりが届く範囲が狭くてよくわからないが、女ばかりが10人余り、狭い空間に座っているように見えたのだ。 男たちはその中に、担いで来た女を投げ込むと、元通り扉を閉めて施錠した。
フライオとルーラは、マントにくるまったまま、目の前の光景を声もなく見守っていた。
が、ここでルーラは失策をやらかした。
フライオにしがみついたルーラの手の上を、何かが駆け抜けたのだった。
小動物の気配。 ネズミだ。
ルーラは思わず小さく声を上げ、それを振り払った。
「誰だ!」
男たちが振り返った。