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千里を歌う者  作者: 友野久遠
王族放浪記
29/96

1、奇跡の再会

 「誰かいませんかあ!!」


 歌人フライオ自慢のよく通る声が、人けのない庭園に響いて広がった。

 少し前までは極上の花園だったであろう庭園は、今や力なくしおれた草花の病床となっていた。 黄ばんだ葉が垂れ下がるアーチ型の門をくぐって、勝手に内部に踏み込む。

 庭の向こうに見える立派な屋敷の中からも、人が出て来る気配はない。 構わず枯葉を踏みしだいて、建物に向かって歩いてみる。


 「ここも誰もいないのかな」

 フライオの後ろで、“もと”王太子イリスモントが落胆した声を出した。 おずおずと手を伸ばし、ぎこちなく歌人の腕を取る様子がいかにも不安げに見える。


 当初の予定に従ってグランピーノ公爵に援助を頼むため、カラリア国領の最西部を訪れた二人だったが、事は予想通りには運ばなかった。 公爵領は広大で、敷地内に一族の屋敷が何軒も建っていたが、そのことごとくが無人になっていたのである。

 どの屋敷も荒らされた跡はなく、ただ放置されていた。 庭木が枯れ、つながれた家畜が死んで悪臭を放っている。


 「領民は変わりなく生活してるってのに、領主の家だけもぬけの殻ってのは、一体どうなってるんだろうな!」

 声をかけても返事がないので、家の中に入り込んで中を捜索した。

 室内はきれいに片付いており、人が争ったような様子はない。 人の姿だけが、掻き消えたようになくなっているのである。


 「私が悪いのだ」

 苦い物を口にしたように、重苦しくイリスモントが言った。

 「私は、自分の世になったら魔導師を一掃しようと思っていた。 その事をキャドランニたちや、話の分かる近衛の連中に語ったことがある。 味方が欲しかったし、人の意見も知りたかったのだ。

  だがそれは愚かな行為だった。 いたずらに敵を増やすだけの、軽薄なやり方だった」

 「それとコレとは別の事じゃねえか?」

 「同じだ。 そのために私に味方する者は一掃されたのだ。 王子らしく振舞っているつもりだったが、おしゃべりで能天気な、要するに愚かな女のする失敗をしてしまったのだ」

 目尻にうっすらと涙をにじませ、王太子は唇を噛む。 素性を隠すために施した娼婦風の厚化粧が不似合いな、暗い表情が痛々しい。

 

 「モニーのせいじゃねえよ。

  魔導師が事を起こしたタイミングには、もっと別の理由があると俺は思うぜ」

 根拠があるわけではなかったが、フライオが言ったのは慰めでなく本心だった。


 その時。

 コトンと小さな音がして、飾り棚の陰から何かが転がって来た。

 続いて、押し殺したように息を飲む音。

 (誰かが隠れている!)

 見ると、転がって来たのは木製の水差しである。


 フライオが音のした方へ駆け出すのと同時に、棚の陰から若い女が飛び出して来た。

 庭の方へ逃げようとするその手を、フライオは懸命につかむ。

 「待て!! おい、逃げねえでくれ!」

 振りほどこうとして女が顔をこちらへ向けた。

 「えッ‥‥? ルーラ!?」

 思わず呼びかけてしまってから、そんな馬鹿なともう一度顔をのぞきこむ。

 ルーラのはずはない。 彼女の髪はストロベリーブロンドだったのに、この女は黒髪だ。 第一、ルーラならばフライオを見て逃げるはずがないのだ。


 「ルーラじゃねえのか? おい逃げなくていい、怪しい者じゃねえ。 俺はフライオ、ただの歌人(カナルー)だ」

 「フライオなのはわかってるわ。 でもそんなはずはないもの!

  きっとまた恐ろしい夢を見てるんだわ!」

 女が叫んだ。 その声が間違いなくルーラの物であることを、歌人は商売道具の耳で確信した。


 フライオはルーラを引き寄せ、腕の中に抱き込んでその顔を覗き込んだ。

 指先から伝わる肩の感触が、たったひと月前に抱き締めた時とはまるで違うことにギョッとする。 痩せてひと回り小さくなっているのだ。

 「‥‥ホントにルーラなのか」

 「ホントにフライオなの?」

 お互いが、偶然の力を信じられないでいた。

 「なんで髪を黒くしてるんだ?」

 「そうしないと、魔導師に連れて行かれてしまうからよ」

 「なんだって?」

 ルーラはここで緊張の糸が切れたのか、唐突に激しく泣きじゃくり始めた。


 「あたし、竜の末裔なんですって! 

  そう言って魔導師たちが、カラル・クレイヴァのお屋敷に押しかけて来たのよ。 奥様も旦那さまも渡す訳にいかないとお怒りになって、私兵を動かして彼らを追い払おうとしたの。 でも多分、負けてしまって粛清されたと思うわ。 あたしは奥様の縁を頼りにお屋敷を移されたんだけど、そのたびにあいつらが追いかけて来て‥‥」

 「なんてことだ‥‥私兵ごと全滅か」

 「このお屋敷が4軒目なの。 もう旦那さまも意地になられて、絶対に渡すなと一族に号令をお掛けになって、あたしは死んだ馬の腹の中に隠されたりしたのよ。

  でも、でも、出てきたら誰もいなくなってしまっていて‥‥食料もなくて、でも怖くて外に出られずにひとりで隠れていて‥‥」

 フライオは愕然として、泣き崩れるルーラの体を抱き締めた。 後ろにいるイリスモントの存在を、一瞬忘れてしまうほど動揺していた。 祭の日に見たルーラの笑顔から、こんな姿は想像もつかなかったのだ。


 「可哀想に‥‥。 ひでえ事しやがるな。 魔法で攻撃してきたのか」

 「そうよ。 でも、最初に尋ねて来たのは近衛兵だったの。

  信じられる? エルディガンよ、あの三頭身が偉そうに、魔導師を先導してうちのドアを叩いたのよ!!」

 「あのオッサン、魔導師の手先になってんのか」

 「近衛隊はもともと国王陛下のものだから、王弟陛下が国王になられる以上、エルディガンの旗色が変わったわけじゃないわ。 でも、結局糸を引いてるのは魔導師なのよ」

 「この情勢で旗色が変わんねえ方がおかしいや。 エルディガンの神経がまともじゃねえのか、魔導師どもに洗脳されたかどっちかだと思うぜ」

 

 涙でろくに喋れなくなり、本格的に泣き出したルーラを抱き締めて、黒く染められた髪の毛を撫でながら、フライオの胸に怒りが湧いて来た。 こんなことが起こっているのはきっとこの屋敷だけではないはずだ。 放っておくと、貴族と魔導師は戦争を始めるだろう。


 そこで初めて、フライオは我に返った。

 (‥‥やべえことしちまった‥‥)

 彼の背後で、王太子イリスモントは大きく目を見張ったまま硬直していた。 彼女の存在を今まで、すっかり忘れていたのだ。

 手を出したふたりの女が鉢合わせしたという経験はこれまでにもあった。 しかし今回、王太子として育った彼女がどんな思考回路で独占欲を発揮するか、フライオにも全く予想がつかなかった。

 

 「モ、モニー。 彼女はその‥‥ルーラだ」

 紹介してどうする、と自分で内心ツッコミを入れながら、苦し紛れに笑顔を作る。 王太子は呆然とした表情で、いきなり信じられないことを口にした。

 「ルーラ・ルベラコ。‥‥底抜けルーラ(ルーラ・ド・ミラコ)?」

 歌人の腕の中で、ルーラがはっと顔を上げた。

 大きな瞳を見開いて、イリスモントの顔を見る。

 「‥‥モニー?」

 厚い化粧で変装したイリスモントの顔は、親でも娘だとわからないほどだ。

 「まさか‥‥モニー? 王太子殿下がこんなところに」

 

 「おまえら、知り合いか? もしかしてモニーが言ってた、王宮で一緒に育った娘ってのがルーラのこと‥‥うわッ!!」

 フライオはいきなりルーラに突き飛ばされ、みっともなく床にひっくり返った。

 ルーラは歌人を振り飛ばした腕をイリスモントに伸ばし、ふたりはしっかりと抱き合った。

 そのままきゃあきゃあと娘らしい声を上げて泣き笑いが始まる。

 

 「ルーラ! ルーラ! ルーラ! 生きてまた会えるとは思わなかった!

  私の秘密を守るために、てっきり殺されたとばかり思っていたのだ」

 イリスモントがすっかり女性の仕草になって、古い友人の肩を抱き締めた。 ルーラも震えながら、その背中をしっかりと抱き返す。

 「秘密を守るという約束で、王家の縁戚に引き取られたのよ。

  小さい頃だったから、まだよくわからないと言う理由で許されたのね。

  あの頃は本当にモニーが王子だなんてわからなかったけど、大きくなるにつれてわかるようになったわ。 だから王都を離れずに見守っていたかったの。‥‥ああ、ひどい顔ね!」

 すっかり化粧落ちしてひどい有様になったイリスモントの顔を見て、ルーラは笑い出した。 ハンカチを出して拭いてやる様子が、妹を世話する姉のようだ。

 

 そのままふたりは向かい合い、声をかけては抱き合うことを繰り返した。

 十年以上も経つのに、ふたりの間にある絆は弱まりもせず、一瞬で昔に戻ってしまったかのようだった。 フライオにはよくわかった。 彼とギリオンが再会した去年のクラステでも、これと同じ光景があったからだ。

 だから、彼はこのあとの展開を頭の中で思い浮かべることが出来た。


 「ああ、モニー。 本当に夢のようだわ。

  今回のことで、王太子は実は魔導師に国王陛下と一緒に暗殺されたんだとか、幽閉されたんだとかいろんな噂が飛び交っていて、ほんとに心配していたの。 まさかフライオと一緒だなんて‥‥。

  ‥‥あら? あの人どこへ行ったのかしら」

 女ふたりが顔を上げた時、歌人の姿は消え失せていた。

 探していると、庭の方から歌うような声で返事があった。

 「食料をなんとかしてくらあ」

 

 女慣れした風来坊は、このあと女同士がどのような会話をするか、しっかり予測がついたので同席を拒否して逃げ出したのだった。 どっちにどこまで手を出したのか、目の前で詮議されるのはまっぴらだ。

 (ふーん)

 ルーラはなんとなくピンと来て、イリスモントを連れて居間のソファに腰を降ろした。 これは今のうちに、ハッキリさせておかねばならない。

 「ね、モニー。 ずーっとフライオと一緒だったの?」

 王太子がうなずく。

 「彼が私を城外に連れ出してくれたのだ。 そうでなかったら、きっと幽閉されていた」

 「それからずっとふたりで行動しているの?」

 「そうだ」

 「聞くけど‥‥彼は恋人?」

 イリスモントが目をぱちくりさせて言い淀んだ。

 「それは‥‥どこからが境界線なのだ?」

 (なんですって? ライン際にいるわけ?)

 ルーラは咳払いをひとつ、妹分に優しく説明した。

 「家臣か恋人か、どっちのつもりでいるかってことよ」

 「それならはっきりしているな。 わたしはあの男を自分の家来などと思ったことは一度もないぞ」

 「‥‥彼が好き?」

 女同士の気安さに隠して探りを入れられても、世慣れていないイリスモントにはわからない。

 「好きだな」

 全く無防備に頬を染めて言い切った。

 ルーラな内心激しく動揺したが、やはり外には出さず笑顔も崩さなかった。


 「ルーラのほうは、何故彼と知り合いなのだ?」

 「あたしは祭の客だもの」

 「ああ、そうか」

 ほっとしたようなイリスモントの表情は、王子のそれではない。 自分と同じ、恋の嫉妬に突き動かされる女の表情だということを、ルーラは察知した。

 懐かしそうに昔の思い出など語り始めた妹分を見つめて、聡明な彼女は心の中だけで怒りと戸惑いをフル回転させていた。


 (フライオったら! フライオったら!

  こともあろうに王女様に手を出すなんて、あの男、噂どおりダラダラね!!)


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