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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使い誕生
27/96

5、マバトの市場にて

 セイデロス国領と国境を接するマバトは、風の町だ。

 それ自体が国境線となっている大河の影響で、この街には四六時中、強烈な風が吹いている。

 その風が起こす砂埃の中に、今、新たな人だかりが出来つつあった。


 河を渡る人のために、馬車を止める広場である。

 大きな箱型の檻を引いた馬車が2台、白糸の街道を南下して入ってきたところだった。

 その檻の中を見ようと、往来の人々が、広場に集まって来ているのである。

 歌声が響いていた。

 檻の中で、奴隷たちが合唱しているのである。

 哀愁のある古いメロディーは、ここ南部カラリアでは耳にしたことのない歌であった。

 

 囚人たちは涙を流しながら、ひたすら無心に歌い続けていた。

 中には泣き崩れて歌えなくなる者や、興奮のあまり呼吸がおかしくなり、仲間に支えられてやっと立っている者もいた。


 奴隷商人ウルムダは、髭で覆われた黒い顔をしかめて、その異様な囚人たちを見ていた。

 「なんだ、ありゃあ。 歌う宗教か?」

 広場で人待ち顔に立っていた商人たちが、首をひねってざわめいた。

 彼らはここに着く荷物や奴隷を買い取って船に乗せるために、荷が届くのを待っていたのだ。

 届いた荷物を吟味して交渉し、必要なものを買い上げて、船に乗せ越境する。

 船便の時間に合わせて開かれる交渉の場として、広場は市場の役目をするのだ。

 

 「先導者がいるな。 あの若い旅人が(あお)ってる」

 チトという名の、同業のオスラット人が、人ごみの中心部を指差した。

 「馬車の外側にくくられてる男だ。

  宣教師にも見えねえが、なんだろうな」

 人の隙間から首を出して眺めると、確かに箱型の檻の最後尾、外側に腕で吊り下げられた若者がいる。

 両腕をくくられたその若者が、歌の中心になっていることはすぐにはわからなかった。

 歌が一曲終りかけると、囚人たちが大声で泣き喚き始めた。 するとその若者が、ひときわ大きな声で次の歌を歌い始め、囚人たちは泣くのを止めて唱和を始める。

 あまりに熱心に歌い続ける声につられて、周囲で一緒に口ずさむものも現れた。


 「待たせて悪かったね」

 肩を叩かれて、ウルムダは飛び上がった。

 あっけに取られて「歌う宗教」を見物していたので、相手が近づいてきたことに気付かなかったのである。

 その相手は、馬鹿に大きな体躯に、体に合わぬ服を何枚も重ね着しているため、出来損ないの巨大な案山子(かかし)のように見えた。

 人形らしくないのはその表情で、ちょっと浮かれたような、人を食った笑いが愛嬌に溢れている。


 「何を驚いてるんだい、ウルムダ。 久しぶりだね!」

 「ルシャンダ!」

 ウルムダは伸び上がって、友好の印に肩を叩こうとしたが、その手は相手の胸までしか届かなかった。

 「しばらくだったな。 ああ、相変わらずでかい胸だぜ」

 「そっちこそ相変わらずのエロじじいだねえ。

  それよりどうだい、あの男は。 今じっと見てたようだけど、興味がわいたかい?」

 ウルムダの手を胸から叩き落としながら、山賊の女大将が尋ねた。

 「なんと、あの旅芸人は、ルシャンダが連れて来たのかい?」

 「そうさ。 大変だったんだ、この手を見ておくれよ」

 女大将は腕を上げ、手首に派手に撒かれた包帯を見せた。

 

 「あいつのせいで、兵士(さんぴん)どもが暴動を起こして、夜中に大戦争をやらかしたんだ。 女の子を人質に取って楽器を取り上げて両腕を縛って、それでやっと収まったんだよ」

 「楽器? 暴動とはなんだ?

  あの旅装束野郎は戦士なのか」

 ウルムダの反応に、ルシャンダは焦れたように平手で尻をどやしつけた。

 「何を呑気なこと言ってんだい! とんちんかんな男だね。

  あんたが探してた、竜使いじゃないか。

  わざわざ見つけて連れて来てやったのに、他人事みたいに言ってちゃ困るよ」

 「あれが?」

 ウルムダは目をむいた。

 「あれが伝説の歌人だと?」


 女大将はため息をついて腕組みをした。

 「あたしも半信半疑だったんだけどね。

  オーチャイス出身の歌人がいるって話を聞いて、だまくらかして馬車に乗せたんだ。

  そしたら、歌を歌うや一晩で囚人どもを手懐けて、反乱を起こさせやがったのさ。

  とんだ食わせものだった、なんとかしておくれよ」

 「い、いや、しかし‥‥。

  歌が特に下手とは言わんが、普通の歌じゃねえか」

 「歌はね。 問題はこっちさ」

 ルシャンダは荷袋の中から、古ぼけた楽器を取り出して見せた。


 ヴァリネラと呼ばれる、首の長い弦楽器は、大陸全般に普及しているものだ。

 軽くて持ち運びやすい上、遠くまで響く哀愁のある音色を出すので、昔から旅の楽師や芸人に愛用者が多い。

 しかし、今目の前に出て来たヴァリネラは、見慣れたありきたりのものとは違っていた。

 それに張られているのは、目の覚めるような真赤な弦だったのである。


 「なんだよ、この気色悪い糸は」

 「竜弦だよ。 竜のたてがみで作ったんだってさ。

  もっとも、あたしの前ではそらっトボけて、商売用の演出に染めてあるんだと抜かしやがったがね。 夕べ、囚人どもの前で弾いた時には、竜と契約してたてがみを譲り受けたと言ったそうだ」

 「竜と契約しただと?」

 「囚人どもの噂だよ。

  とにかくそのあと、このヴァリネラを弾き始めたら、囚人どもの目の色が変わっちまってね。 ちょっと目を離した隙に檻を破って外へ溢れ出すわ、素手で殴りかかってくるわ、もう偉い騒ぎさ」

 「竜弦で人を操ったと言うのか」

 「どういうわけでそんなことになったのかは、知りゃしないよ。

  とにかくヴァリネラを取り上げたら、奴隷が大人しくなったんだ。

  でもそれからずっと、ああしてみんなであの男に歌わせようと、ねだり続けて困るのさ。

  歌をやめさせるのに、殴ってひとり殺しちまったが、誰もやめようとしないんだ」


 (本当だろうか?)

 ウルムダは、縮れたあごひげを指でこすりながら、うなった。

 竜使いは金になる。

 だが、偽者をつかまされたら、セイデロス国王からどんな処罰を受けるかわからない。

 

 「おい、そのヴァリネラに触るな。

  それは私のものだ。 こっちへ寄越せ」

 旅装束の若者が、こちらに向かって叫んだ。

 「渡すんじゃないよ!」

 ルシャンダは怯えた表情になり、大急ぎで楽器を荷袋に片付けてしまった。

 

 ウルムダはゆっくりと若者に近づいて見た。

 近くで見ると、意外な美貌が商人の目を釘付けにした。

 肌は日焼けして、埃にまみれているが、キッとこちらを見据える瞳が、奥まで引き込まれそうな深く澄んだ青だ。


 「これは、兄さんずい分いい男だな。

  名前はなんて言うんだい」

 「ファディーロ」

 そっけない声で、若者が答えた。

 「歌人(カナルー)の名前があるだろう?」

 「エデリコの息子(エデリコロッシ)

 「声がずいぶん()れてるな。 風邪かね?」

 さっき歌を聞いた時に、歌人にしてはさえない声だと思ったものだが、喋らせてみて、それが彼の生来の声ではないことに気付いたのだ。


 若者は人を小ばかにしたような表情を浮かべた。

 「あんたね。 この炎天下に水も飲まずに、2日ふた晩歌い続けてみなって。

  だれだってこうなるからさ」

 「なるほどね」

 ウルムダはうなずくと、本格的に腰をすえて、若者の顔をのぞきこんだ。


 「ときに、兄さんはオーチャイスの生まれだって?」

 「そうだよ。 ガキんときに飛び出しちまったがね」

 「歌人エデリコの名前は俺も知ってるぜ。 彼もオーチャイスの人間だったな。

  ただ、息子がいたって話は聞かんがね」

 「おっさん、どうかしてんな。

  エデリコが生きてたら、いくつになると思ってるんだい?

  芸名なんてただの縁起担ぎだろ。 ホントに息子なわけあるか」

 

 取り付く島もない態度に、ウルムダも鼻白んだ。

 「客商売にむいてねえな、兄さん」

 「余計なお世話だ。 

  さっさとヴァリネラを返せと言うんだ!」

 かすれた声で怒鳴りつけられた。


 これでははっきりしたことが何もわからない。

 ヤラセにしては不自然さがない気もするが、ここで即決は冒険が過ぎる。

 (いちかばちか、やらせてみるか)

 

 ウルムダは決心して、女大将に言いつけた。

 「おいルシャンダ。 その楽器を貸しな。

  嘘かホントか、()らせて見ようじゃないか」

 「ばッ、馬鹿言うんじゃないよ!

  大変なことになるって言ってるじゃないか。 ダメだよ!」

 抵抗する大女から、楽器を袋ごと奪い取る。

 「売る気があるなら、黙って吟味させろって。

  それとも、確かめられたら困るのかね?」

 女がぐっと言葉に詰まる。


 「おい、やつの縄をほどくから、逃げねえようにみんなで囲んでくれ」

 ウルムダが周囲に叫ぶと、面白そうに見ていた商人仲間が周囲を取り囲んだ。

 ルシャンダも、しぶしぶながら手下どもを動かして、馬車のまわりを囲ませた。


 若い芸人は、いましめをほどかれて、檻から担ぎ下ろされた。

 「ほらよ」

 ウルムダは、竜弦のヴァリネラを若者に差し出した。

 歌人が、戸惑ったように商人を見上げる。

 「どうした? 望みどおり返してやろう。

  なんでそんな顔をする? さっさと弾いて見せろよ、兄さん!」



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