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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使い誕生
26/96

4、地獄の行軍

 夜も明け切らぬ時間に、旅立ちの準備は始まった。

 「起きろ起きろ、クズども。 ぐずぐずするんじゃねえ!」

 朝霧の立ち込めた馬小屋の周囲で、盗賊たちの怒鳴り声が飛び交っていた。

 ギリオン・エルヴァは、頭痛に顔をしかめて目を開けた。

 蜂の毒のためか、全身が重く不快で動きづらい。

 馬たちが、次々に小屋の外に引き出されていくのをぼんやり見ていると、いきなり尻をどやしつけられて、馬屋から引きずり出された。


 夕べあんなに遅くまで騒いでいたのだから、出発は昼になろうと思い込んでいたのだが、どうやら勘違いをしていたらしい。 

 ロンギース率いる盗賊グループと、ルシャンダの統率する「販売グループ」とは、完全に別の行動を取っているのだ。

 騒いでいたのは盗賊たちだけで、商品担当者たちは早朝の出発に備えて睡眠をとっていたということなのだろう。


 野盗たちのテントから少し離れた空き地に、旅の支度は整いつつあった。

 売られる囚人は、エルヴァ隊24名の他にも、40人近い人間がいた。

 さらってきた子供や若い娘の他にも、自分から身売りして来たらしい女の姿もある。 中には身なりのよい若者や老人もいた。

 彼らは一部の娼婦候補者を除いて、一様に鎖でつながれ、2台の檻に詰め込まれて行った。

 檻は丸太を組んで作った、要するにただの四角い箱で、尻を落として座ったら10人と入らないだろう狭さだった。

 そこに30人近くを収容するのだから、当然ぎゅう詰めで、立っているのがやっとの状態だ。 狭いので外側の人間は、全員両腕を外に出すよう命令された。


 エルヴァ隊の部下たちは、蜂の刺し傷で腫れあがった顔で、馬小屋から引き出されて来た若い上官を、上目遣いに見守った。

 情けなさそうな視線に、ギリオンも正面から目を合わせることが出来なかった。


 「隊長殿は大事な金づるだからな。

  特別待遇で、座席を用意してやったぜ」

 そう言って盗賊どもは、ギリオンの両腕を檻の後部外側にくくりつけた。

 「座って旅ができるなんて運がいいぜ。

  滑り落ちたら引きずっちまうけどな」

 座ると言っても尻が乗っているのは、檻の外枠に当たる、ほんの指4本ほどの幅の角柱である。 足で踏ん張って体を後ろに押し付けていないと、すぐにずり落ちてしまう。

 「国境まで2日かかる。

  着く頃には腹の筋肉が割れて、男ぶりに磨きがかかってるだろうよ。

  楽しみなこった」

 髭面の山賊が、下卑た笑いを浮かべて、ギリオンの下腹をわざといやらしい手つきで撫で回した。 檻に詰め込まれた部下達が、一斉に罵倒の言葉を吐き散らして抗議する。


 しかし上を見上げたギリオンは、さらにひどい光景を目にして愕然とした。

 夕べ会った、虫使いの少女が吊るされていた。

 彼女はあろうことか、足首を檻の外枠にくくられ、頭を下にしてぶら下げられていたのだ。

 「あれはどういうことだ。

  おい、大将! ルシャンダ!」

 ギリオンは、忙しく立ち働く盗賊どもの中に、ロンギースの妹ルシャンダの巨体を認めるや、大声で呼びつけた。

 「子供になんてことをするんだ、降ろしてやれ!

  2日もああしていたら死んでしまうぞ」

 女大将は、大きな胸を揺すって首を振った。

 「アレは人外だから死にはしないよ」

 「人外?」

 「半分妖魔なんだ。 しょうがないんだよ。

  ああしとかないと、すぐに逃げちまうんだ。

  夕べだって、両手をくくってあったのに、気がついたら外をふらふらしてやがって、油断も隙もないよ」


 「くくる必要はない。

  あれは逃げない、いや、逃げられないんだ‥‥」

 笛が鳴るまで逃げられないと少女は言った。

 その笛はギリオンが持っている。 腕が自由にならないので直すことが出来ない。

 そのことを盗賊に言うわけにはいかず、満足な説明は出来なかった。

 

 ルシャンダは鼻先で笑った。

 「あの娘、もう少し使い物になるかと思ったら、言葉がああだからね。

  命令がうまく伝わらなくて、戦には不向きだったよ。

  あの肌色じゃ、愛玩用には気色悪いし、うんと偉い連中に暗殺用に売りつけるか、でなきゃ、見世物小屋がいいとこかもしれないねえ」

 「それにしても、せめて檻の中に入れてやれないのか」

 「聞けないねえ。

  あんたは自分の心配だけしてた方がいいんじゃないのかい」

 女大将は、冷たい目で言い放つと口の端で笑った。


 

 出発の準備が整ったのを見て、ギリオンはうなった。

 囚人の数はおよそ60人。

 運搬には檻を積んだ、6頭引きの車が2台。

 あとは物資らしい物が、荷馬車1台分。

 その全てを運搬するのに、盗賊の同行者はたった5名しかいないのだ。

 

 囚人たちは、人ではなく、30名を一からげに「箱」として扱われていた。

 この場で縛ったものは縛ったまま、立たせた者は立たせたまま、特別な世話をする気がないらしい。

 「弱った方が扱いやすいからな」

 朝飯くらい食わせろ、と抗議した兵士達は、そう言って笑い飛ばされた。


 甘かった、とギリオンは歯噛みした。

 もしも隙あらば、全員で暴動を起こして逃亡の計画も、頭の隅で育てていたのだが、とんでもないことだった。

 蜂の毒が抜け切らぬ部下たちは、この扱いでは逃げられぬ。

 それどころか、盗賊ではなく死神と戦わなくてはならない者も必ず出てくるだろう。


 「ロンギースひとりに24名も投入した我々なぞは、お前たちから見ると、さぞ間抜けに見えるのだろうな」

 吐き捨てた台詞を、ルシャンダが笑い飛ばした。

 「()ン坊ンは、やっと夢からお目覚めかい」


 ギリオン・エルヴァの全身を、すさまじい怒りが貫いた。

 「エルヴァ隊!! 全員静聴(フラッチャー)!」

 天まで駆け上がるような、鋭い声で号令を発する。

 背後の檻の中を、一瞬で緊張が駆け巡った。

 踵を打ち鳴らして姿勢を正す音が、足元の地面まで震わせた。

 縛られ座り込んだ上官の背中に、部下全員の視線が集中する。


 「諸君、屈辱的な扱いを受けて心外のことと思う。

  今回の敗戦は諸君の責任ではない。 全ては私の技量不足である。 心から謝罪する。

  諸君は優秀な兵士である。

  このような扱いを受けて妥当な者は、ひとりもおらぬことを断言する。

  何があってもその誇りだけは失うな」

 兵士達の顔に、驚きの表情が広がった。 戦場でのことを指揮官が部下に謝罪すること自体、前代未聞である。


 「国境に着いた後のことを、これから指示しておく。

  諸君はそこで解放され、自由に帰路を辿ることになろう。

  しかし任務が終了したわけではない。

  そこから全員で警備本部まで戻り、事の次第を報告して上部の指示を仰ぐように。

  決して私情に駆られて、救出等の行動に出てはいけない」

 部下達が息を飲む気配が、ギリオンの背中を寒々と打った。

 「し、しかし」

 反論の言葉を、互いにけん制し合う様子が伝わって来る。


 ギリオンは言葉を続けた。

 「私の命令はこれが最後になる。 これ以後は、副官ヴィスカンタを隊長代行として、任務終了まで遂行せよ。

  兵士諸君、我々を評価するのは、人買いではなく、カラリア軍本部、ひいては国王陛下である。 最後の報告に至るまで、カラリア軍人として恥じない規律と誇りを保って帰路を確保せよ。 以上!」

 「了解(セイ・ヤー)!」

 弾けるように、兵士達が答えた。

 そしてその後に、こらえ切れぬ啜り泣きの声が続いた。

 

 

 柄にもない演説をしてしまった。

 唇を引き結んで無念さに耐えながら、ギリオンは内心で苦笑した。

 自分にありもしない誇りとやらを、部下たちに要求するとは。

 そうか、誇りとはつまり、こういった空元気(からげんき)のことなのか。

 

 軍人がひとたび戦場に出れば、勝利と栄光か、死と屈辱か、二通りの運命しか選べない。

 敗者のすがるべき杖など、戦場のどこにも転がってはいないのだ。

 体の中から搾り出した苦渋のプライドは、敗者をこそ包むものなのだ。


 

 朝もやを突いて、地獄の行進が始まった。

 囚人馬車の乗り心地は最悪だった。

 車が左右に傾ぐたび、木枠に乗せた尻がずり落ち、腕と腹筋の力で引き上げなければならない。 すぐに、ギリオンの全身ががくがくと震え始めた。


 「た、隊長‥‥」

 檻の中から部下達が手を貸そうとするが、立っているだけがやっとの狭い場所からは、思うように力を込めることが出来ない。

 それでも誰かがギリオンの腰帯を捕まえ、そこにターバンを通して柱にくくってくれたので、坂道で馬車に引きずられる危険だけはなくなった。


 昼を過ぎると、太陽は容赦なく、頭上から刃のような光を浴びせかけた。

 食事も水も与えられない囚人たちは、たちまちぐったりして立つこともままならなくなる。

 山賊たちは、河から汲んだ水を手桶で囚人たちに浴びせかけるだけで、陽射しを遮る工夫をする気はないようだった。

 熱気に当てられ、泡を吹いて倒れた者は、道路の脇に無造作に捨てて行かれた。

 

 エルヴァ隊の兵士達は、拷問に等しい仕打ちによく耐え、立ったまま歯を食いしばってひとりの脱落者も出さなかった。

 文句を言う者もいなかった。 弱音を吐こうにも、彼らの上官は体の力を抜くことも許されぬ姿勢に耐えており、更に上を見上げると、虫使いの少女が逆さ吊りの状態で失神している。

 彼らに出来ることは、祈ることだけだったのだろう。


 歌い始めたのは、ギリオンではなかった。

 誰とは知れないが、歌声は囚人の檻の中から沸き起こった。

 カラリアの古い民謡だった。

 幼い頃から耳に親しんだ素朴な旋律は、ひとたび沸き起こると留まることがなかった。

 唸るようなかすかな声が、やがて囚人全体の合唱となり、静かな谷間を渡って沿道の街まで広がった。

 盗賊どもが、何度「静かにしろ」とわめいても、一度も止まる事はなかった。


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