3、幼き者たち
その晩遅くまで、屋外での宴は賑やかに続いた。
副官のヴィスカンタが元気な姿を見せたのは、夜半を過ぎてからだった。
後ろ手に縛られ、顔中が蜂の刺し傷で腫れていたが、動くのに支障はないようだった。
ユナイは外傷もなく顔色もよかったが、始終泣き顔のままだった。
「隊長ひとりを犠牲にして、我々部下が自由になることはできません。
どうか私だけでもお連れ下さい」
ヴィスカンタは必死で言い募った。
「そうしたいのは山々だが、盗賊はともかく人買いが承知しないのだ。
それより全員の身の安全を確認する者が必要だ、よろしく頼む」
「准将!」
「それから作戦を確実に他の者達に伝えてくれ。
私が奇跡の歌人に見えるように、みんなで協力するように。
失敗したら私はモンテロスでいびり殺され、他の者は奴隷として金山行きだ、いい事はひとつもない」
「隊長お願いです。
僕を連れて行って下さい‥‥」
ユナイ少年が、涙で咽喉を詰まらせながら懇願した。
「こらこら、ユナイ。 今ヴィスカンタに言った言葉を聞いたばかりだろう?
何度も同じ手間を取らせるんじゃない。
お前をここに呼んだのは、お前だけはまだ保護者が必要な年齢だからだ。
ヴィスカンタ、解放された後、ユナイが家に戻れるまで世話をしてやってくれるな?」
「はい」
しぶしぶながら納得した副官の横で、ユナイは首を横に振り続けた。
その姿を見ながら、ギリオンは何故か、別れの晩に見たフライオの涙顔を思い出していた。
いつの世も、戦いの犠牲になるのは無力な者達。
中でも痛ましいのは、罪のない子供たちだ。
その者たちが、数十年後の次代を担って、老人となった自分達を支えてくれるのだということを、統治者たちには理解できているのだろうか。
取りとめのない思いに心を揺らしながらも、幼い頃から慣れ親しんだ馬小屋の空気は、ギリオンの頭に眠気を運んで来た。
馬たちの静かな息遣いを聴きながら、浅いながらも安らいだ眠りに落ちる。
その時だ。
ふと、馬たちの息遣いの中に、別の物音が混じったのに気付いて、まぶたをこじ開けた。
闇の中で、生白いものがうごめいている。
泣き声のような呼吸の音が混じるが、殺気はない。
「‥‥子供か?」
小声で静けさを破ると、息を飲む気配があった。
馬小屋の隅で立ちすくんでいるのは、異様に肌の白い、小さな人影だった。
ちょうど窓から月明かりが差し込んで、銀色の頭髪が、水の中の貝の様に光っている。
戦いの時に見た、虫使いの少女だった。
「何か探し物か?」
切羽詰った少女の様子に、思わず優しい声が出る。
「‥‥笛」
低い声で、少女が答えた。 抑揚のない、喋り慣れぬ声だった。
「笛を失くしたのか」
「‥‥取られた。 帰れない」
片言だった。 言葉が不自由なのは、外国人だからなのか、それだけの知能がないのか。
「馬に取られたのか?」
「人が取った。 馬に着けた。
一番こわい、暴れる馬」
半泣きの声で少女が答える。 馬を恐れて涙ぐんでいるらしい。
ギリオンは、馬房をひと渡り見回した。
この数時間観察していたので、馬たちの気性は大体察しがつく。
「この中で一番気の荒い馬は、多分その奥にいる、黒毛の若駒だろう。
ただ手入れの邪魔になるから、首に何か掛けていてもここでは外してあるんじゃないかな。 それぞれの房に、飾り帯をかける金具が付いているから、そこを探してごらん」
少女はおずおずと小屋の置くまで進み、黒鹿毛の若い馬の前で止まった。
「ある。 あった!」
掛け金に引っ掛けてあるものを取ろうとするが、すぐに悲鳴を上げて跳び下がる。
「いや! 馬、怒る!」
別に黒馬は怒っているわけではなかったが、好奇心旺盛な性格らしく、馬房から鼻面を出して少女を見ようとしたのだ。それだけで、もう少女は飛びのいてしまう。
ギリオンは口笛を吹いた。
馬の反応する音色を探して、注意をこちらに向けてやる。
馬がよそ見をしている間に、少女はなんとか笛を外した。
そして驚いたことに、そのまま笛を咥えて吹き鳴らそうとした。
音は出なかった。
空気が通り抜ける、乾いた気配がしただけだ。
少女は愕然として笛を調べ、何度も吹いてみる。
「壊れているのか? 大事なものらしいな」
悲壮な顔で笛をいじっている少女を、ついほっとけなくなってしまった。
少女はうなずき、激しくしゃくり上げた。
「何か詰まったのかもしれない。
そこの蝋燭に火を点けて、ここに持っておいで」
少女は言われたとおり明かりを点け、笛をギリオンの目の前にかざした。
「ひびが入っているな。 そこから空気が漏れて鳴らないんだ。
私の手が自由になれば、直してやれるんだが」
すると、少女はすぐにギリオンの両手の縄をほどこうとした。
「お止し、お前が叱られるよ。
盗賊のおじさんたちは、直してくれないのか?」
ぎゅっと唇を噛んで、少女は首を振る。
「逃げる、だめ、言った‥‥」
「その笛がないから逃げられないのか?
お前も囚われて、やつらに使われているのか」
少女はうなずいた。 悔しさで口元が歪んでいる。
虫使いというのは、魔道に関する技術を使って育てられる、という話を何処かで聞いたことがある。
生まれながらに奴隷のような存在であるのかもしれない。
「そういうことなら、その笛はお前が持っていないほうがいい。
何かにくるんで外からそれとわからなくしてから、私の首にかけてくれ。
はは、そう嫌そうな顔をするな、明日にも直すことが出来たら届けてあげるよ。
わからないか?
お前が持っていたって直らないし、そのうち見つかったら、また取り上げられてしまうじゃないか」
説明に少し手間取ったが、最後に少女も納得した。
自分の服から、帯飾りの一部を千切って、案外器用に笛に巻きつけると、それをギリオンの首に掛けた。
「それでいい。 きっと直して届けてやる。
もうお戻り、ここに来た事を人に言うなよ」
かつて「見事なり、神の御業」と詩人達に称えられた白皙の美貌に、親しみのある笑みが浮かんだ。
その笑顔を、少女が当惑して見つめる。
「どうした? 早くお行き」
「痛かった。 悪いこと。 虫を、蜂を‥‥」
もどかしげに少女は何かを言おうとした。
「蜂いっぱい、いっぱい。 仲間の人、痛い痛い、私がした。
悪いこと、だけど、いま、お前あなた、優しい」
言葉の羅列で、この少女がギリオンに謝ろうとしていることは読み取れた。
「気にしなくていい。
私だって、戦場ではたくさん人を殺した。
戦いの時は他の事が選べない。 お前のせいじゃない」
そう、全ては大人のせいなのだ。
戦いは戦闘員同士でのみ行われるべきだ。 子供や一般市民を巻き込んで、より大きな痛手を与えたのだ、と誇らしげに言う統治者は、自分の手足を食う蛸でしかない。
国王は臣下に、上司は部下に、親はわが子に、果たすべき責任がある。 軍人は一般人に対して、負うべき大きな責任がある。
それらを全うしない社会を、国家とは呼びたくない。
「つまり、私がラヤの代わりに軍歌を歌って参戦するというのは、あながち的外れな事でもないと言うわけだ」
誰にともなく口にしたギリオンの言葉を、少女は理解できず首をかしげた。
この晩の約束を、ギリオン・エルヴァは後に深く後悔することとなる。
彼はこの少女に笛を返すどころか、直すことさえ出来なかった。
奴隷としての生活を、彼は甘く見ていたのである。