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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使い誕生
23/96

1、靴先に接吻

 ♪負け犬よ 英雄の足に接吻(キス)をしろ

  勇者の杯に酒を満たせ

  

  鋼の意志と 肉を持ち

  黄金の誇り 剣にかざす

  我こそは 夜空の大帝

  湧きたる大地の君主なり


 

 懐かしい「大帝の歌」が、どこからか聞こえてきた。

 澄み切った幼い従兄弟の歌声が思い出された。

 そう、ラヤはこの古い歌が好きだった。

 そそり立つ山々の壁に跳ね返る旋律の、雄々しい響きがたまらないと言っていた。

 

 しかし、目下この歌を歌っているのは、とんでもなく野太いダミ声の男で、加えて言うと、ほとんど旋律がつかめないほどの音痴だった。

 伴奏する方の腕前もひどいものだ。 ラヤなら迷わず「足で弾いた方がまし」とこきおろしたに違いない。

 

 ギリオン・エルヴァはゆっくりと目を開けた。

 視界の焦点を合わせるまでに、長い時間が必要だった。

 全身がゆるく痺れており、口を開け閉めすることすら難しい有様だった。

 口元に何か当たっている。

 茶色いなめし皮で出来た、土まみれで尖った物だ。


 「キスしてくれよ、負け犬の英雄どの」

 頭の上で、しわがれた太い声がした。

 頬骨をぐりぐりと、皮の突起部分で小突かれた。 よく見ると、それは靴の先端だった。

 「起きろ、腐れ英雄」

 実も蓋もない呼びかけで、今度こそはっきりと目を開く。

 

 ランプがひとつ、天井から吊るしてある。

 丸太作りの小屋の中にいるようだ。 匂いから察するに、馬小屋だろう。

 引き上げた両手を、馬をつなぐための金具に片方ずつくくられている。

 床に尻をつけて座りこんでいるのだが、両足首にも枷がはめられ、太い鎖が付いていた。

 歌声は、小屋の外から響いて来ていた。

 盗賊どもが酒を飲んで騒いでいるのであろう。


 「どこへ連れて来たんだ?」

 重い唇を動かして、視線を上げようと努力する。 

 目の前に車輪つきの椅子があり、そこにとんでもなく大きな体を沈めて座っている男が見えた。

 「ロンギースか‥‥」

 車椅子に座った“牙”の首領は、薄闇の中で不敵な笑いを浮かべていた。

 後ろにさっきの女大将が立って、やはり薄笑いを浮かべてこちらを見ている。 よく見るとその顔は、椅子の上のロンギースにそっくりだった。

 「そうか、ロンギースの妹だったのか。 道理で、何処かで見た、顔だと‥‥」

 長い台詞を吐くうち息が切れ、ギリオンは再び頭を垂れて脱力した。

 その顎を、椅子に座ったロンギースが足先で押し上げる。


 「水をくれ、首領‥‥」

 「ほざけ。 立場は逆転したんだぜ、隊長さんよ」

 ニヤニヤ笑いながら、ロンギースはぐいぐいと足に力を入れる。 ギリオンの頭が、丸太の壁に押し付けられた。

 「‥‥ひどいな。 私はお前に、水と食料と、医者と薬を与えたのに」

 「へ。 そうだったな。 ついでにハクのつく向こう傷もな」

 ロンギースは鼻先で笑った。


 「野育ちの軍人さんはたいしたもんだ、あの場で顔や頭を、よく蜂から守ったな。

  お上品な部下どもは、頭ばかりボコボコにやられて、まだ意識が戻らねえっていうのによ!」

 「指示してやる間がなかったのだ‥‥」

 咄嗟に頭を守るよう言ってやれなかった。

 この先はますます守ってやれそうにないことがわかって、ギリオンは口惜しかった。

 

 「部下達はどうなるのだ?」

 「国境まで連れて行って、人買いに売り渡すのさ。

  ほとんど十把一絡げ、いいとこ熱帯マルアの金山あたりで死ぬまで重労働だな」

 「奴隷にするというのか? 辺境部隊と言っても、カラリアの正規軍の精鋭だぞ。

  もう少し使いようがありそうなものだ!」

 

 ロンギースの後ろで、女が突然笑い出した。

 「残念ながらねえ、その軍人ってぇのが一番つぶしがきかないんだよ。

  忠誠だの誇りだの振りかざして運命を受け入れないもんだからさ。

  剣を振るうしか能がないくせに、そんなのに剣なんか危なくって持たせられないじゃないか」

 女は椅子の前に出て来て、ギリオンの顔を親しげに覗き込んだ。


 「そこ行くとあんたは、顔に似合わず武人根性がなくっていいよねえ。

  あんたならどこに売っ飛ばしたって安心できる。 あたしが保障する」

 そんなことで誉められても、嬉しくもなんともない。

 ギリオンは体の力を抜き、壁にすがってロンギースの顔を真っ直ぐに見つめた。


 「首領、私はこの場で殺されてもいい。

  部下たちを解放してやってもらえないか」

 今度はロンギースが笑い出した。

 「そんな金にならん取り引きがあるかよ。

  てめえが一番高く売れるんだ。 殺す気なんかないぜ」

 「私をどこへ売る?」

 「てめえは有名人だから、何人か候補が挙がってるがね。

  今のところ、一番高値をつけてるのが、あるモンテロス軍の未亡人だな」

 「‥‥なんだそれは。 愛人か? 稚児遊びか?」

 「へ、甘ぇ甘ぇ。 そんな色っぽい話じゃねえよ。

  てめえを欲しがってんのは、マヌーチャス大将閣下のご遺族さまだ」

 

 「マヌーチャス‥‥」

 ギリオンの背すじに冷気が吹き込んだ。

 「聞き覚えがあるらしいな。

  そうとも、例のオーチャイス事件の侵攻部隊の司令官さ」

 「私が目打ち針を投げて、谷に落としたあの男か」

 「そういうことだ。 遺族には屈辱的な話だったらしいぜ。

  名誉ある侵攻軍指令に抜擢されて、武勲を祈って送り出して見りゃ、敵軍と一戦も交えずに犬死にだ。 しかも殺したのが軍人でなく、ただの農民のガキだってんだから」


 「逆恨みもいいところだ。 もともと向こうが先に民間人に手を出したんだぞ。

  しかも開戦前に、年端も行かぬ少女を寄ってたかって強姦だ。

  どのみちろくな軍隊じゃないし、ろくな司令官でもありえん」

 ギリオンが語気を強めて言い放った。

 雪の上に放り出されていた、姉の死に顔が浮かんで来る。

 家族を殺された恨みは、強く根深いものだ。

 しかし生きているものに対しては、また別の責任がある。


 「よしわかった、ロンギース。 そのろくでなし軍人の遺族とやらに、私を売り渡すがいい。

  おとなしく八つ裂きにされてやるから、部下たちは助けてやってくれ」

 ロンギースはまず目を丸くし、そのあとくくっと笑うと、ギリオンの顎を思い切り蹴り上げた。


 「まーだわかってねえな、てめえはよ!

  売るのは俺で、俺が勝ったんだからこいつは当然ってモンだ。

  売られてやるとかやらんとか、てめえに恩着せられてたまるかよ!

  部下も売る、てめえも売る。 指図もお願いもなしだ!!」

 言い放つと巨漢の首領は、妹に椅子を押させて小屋を出ようとした。

 「ロンギース」

 ギリオン・エルヴァが呼び止めた。

 「なんでえ、まだ世迷い言があるのか」

 「小便がしたい」

 「あああ?」

 呆れ顔で振り返った兄と妹の顔が、そっくり同じ表情だ。

 

 「小便をさせてくれ、蜂の毒が一緒に排泄される。

  きちんと出さないと後を引く」

 ロンギースは大声で笑った。

 「はははは、そりゃあ大変だなあ。

  ‥‥そこらで勝手にしやがれっ!!」

 小屋の扉が勢いよく閉められた。

 ランプを持って行かれてしまったので、あたりは暗闇になった。

 ギリオンは壁にもたれて目を閉じ、小さい頃から慣れ親しんだ馬小屋の空気を、肺いっぱいに吸い込んだ。

 吐き下ろした時、それは苦いため息となった。


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