5、国家規模の色仕掛け
王城のバルコニーは、広い中庭を見下ろす位置にある。
戴冠式直後や、結婚式の後など、代々の国王が国民に挨拶する時に、この中庭を解放し、このバルコニーに立って顔見世をする慣わしだった。
その豪奢なバルコニーの真下で、中庭に詰め掛けた民衆が城の衛兵たちと揉み合っていた。
「国王陛下に会わせてくれ。
うちの娘の行方をハッキリさせてもらわんと」
「国民の血肉の上に、国王が、永らえているという話は本当か」
「釈明を」
「ご説明を」
「国王陛下」
人々の騒ぎを大声であおっているのは、20名ほどの魔導師たちである。
バルコニーの扉が開かれると、わあっと中庭の喧騒が王太子イリスモントの胸元を叩いた。
さすがの彼もバルコニーに出るのを一瞬躊躇した。
その頃になってようやく、王妃が夫の死を知らされ駆けつけたが、泣き崩れるばかりでとても釈明に出られる状態ではなく、部屋で医師を呼んで座り込んでいたのだった。
「殿下、危のうございます。そ、外にお出にならない方が」
「投石などあるやもしれませんぞ!」
小姓や親衛隊が口々に制止にかかった。
王太子の表情に幾分の迷いは見られたが、決して恐怖のそれではなかった。
「‥‥フライオ」
「え‥‥、はいッ」
「そこにいてくれ」
「は?」
「私の後ろで控えておれ。 ここだ」
自分のすぐ後ろの空間を、王太子の白い手が指し示した。
「そこに立っていてくれ。
この騒ぎでは、誰も何も聞き取ることが出来ぬ。 お前の耳ならば、いざと言う時に私の声が聞きとれよう。 頼む、私に、竜神の愛した耳の力を貸してくれ」
そうまで言われると、よもや否とも言えず、歌人はバルコニーの出口に控えて、王太子の背中を見守った。 中庭に詰め掛けた民衆が視野に飛び込んでくると、国王の肩に群がっていた死人蛍の群れを連想させ、足のすくむ思いがした。
王太子の姿を認めた民衆が、近衛兵を押し戻してバルコニーの下に殺到した。
ドンと殴りつけるほどの音の衝撃があった。
人々が口々に、王太子に何かを言いつのったので、その音量が耳を叩く衝撃だった。
「静まれ! 静まれ!」
衛兵たちがバルコニーを走り回って笛を吹き鳴らしたが、かえって火に油を注いだだけだった。
手すりから半身を乗り出して笛を吹く軍服姿は、官憲のいやらしさを相当に感じさせたらしく、これが市民の投石の引き金になってしまった。
バルコニーに小石の雨が降り注いだ。
「殿下ッ」
何を思ってか王太子はわが身を庇う動作を見せなかった。 駆け寄る親衛隊の面々は、頭を庇って体をすくめる。
「馬鹿、危ねえッ」
フライオは思わず走り寄って、王太子の前に立つと自分の体を盾にした。
「ダメだ歌人、私が説明をする。
そこを退け、私を前に出せ!」
王太子が叫ぶ。 その声も喧騒に呑まれて聞き取りにくい。
衛兵を下がらせても、一向に騒ぎも投石も止まず、説明どころか立っていることも困難になりつつある。
フライオはとうとうカッとなり、中庭に向かって大声を出した。
「やかましい! てめえらは馬鹿か?
説明をしろとかいったのは大嘘かよ?
喋ってるのは自分たちばっかりじゃねえか、ふざけんな!!」
一瞬、時が止まったかのような静寂が、頭上から落ちて来た。
水を打ったように突然静まり返った中庭から、人々は呆然とバルコニーを見上げた。
彼らが見ている光景は、たった今耳にした下品な叫び声と同じ位、王宮に不似合いなものだった。
豪奢な彫刻つきのバルコニー。
正装した王太子。
その横に、祭男として馴染み深い、流れ者の歌人。
普通ならばありえないミスマッチに、誰もが口を開けてぼんやりした顔になった。
親衛隊長キャドランニが、ヒュウと口笛を吹いた。
「こいつは驚きだ。
本当に魔法の声だな、あんたの声は」
王太子は、歌人の瞳をまじまじと見直した。
「不思議な男だな。 何のかんのと言っても、きちんと庇ってくれるではないか。
かくなる上は、もう最後まで協力するしかないという気にならぬか?」
「なるかよ。
‥‥あ。おい、ちょっと押すな!」
「いいから横に来い。 お前の声で、下の者たちに伝えてくれ。
私の言葉を、その場で歌でも詩でもいいから、伝えるのだ」
「か、勘弁してくれよ!」
フライオは後退りをした。
「俺は王室付きの仕事なんかしねえって言ってるだろ!」
「わかっておる、この場限りでよい。
報酬は今回、耳飾なんかよりももっと実のあるものを出すから」
「し、洒落にならん。 やめろって」
「頼む、この通りだ!」
ワッとどよめきが起こった。
歌人の前で、王族であるイリスモント王子が、僅かながらもその頭を下げたのが、民衆の目に奇異な衝撃を与えたらしい。
(こ、こりゃ断れねえ‥‥)
ズルズルと深みにはまっていくのを感じながら、歌人はしぶしぶうなずいた。
腹をくくったら、気持ちの切り替えは早い。
「ああ、いらねえよ、椅子なんかいいって」
バルコニーにスツールを持ち出そうとする小間使いたちを、軽く手を振って留めた。
美しい彫刻が施された手すりをまたいで、無遠慮に尻を落とす。
「おおッ、歌人よ危ないぞ!
止せ、石が飛んで来たらどうなると思う!」
キャドランニがおろおろと後ろから裾を引く。
「俺に石なんか放るヤツいねえって。 後ろから引っ張る方がよっぽど危ねえよ。
こら放せ、うるせえなあんたは。 田舎の母ちゃんじゃあるまいし、細かいこといちいち気にすんな! 歌が湿っちまうだろうが!」
ほこりを払うようにキャドランニの手を叩き落とすフライオの仕草を見て、王太子の表情が和んだ。
「国民諸君、たった今契約が成立した。
この男は私の拡声器だ。
説明をさせるから、彼の歌を聞いてくれ!」
祭の気分を髣髴とさせる明るい声で、王太子が国民に語りかけた。
その声にヴァリネラの爪弾きが折り重なり、王太子の言葉を翻訳した、歌人の豊かな歌声が追いかけて中庭に響き渡った。
こうしてカラリア王国は、国王崩御の衝撃ニュースを、あろうことか歌にして国民に告知した、世界で最初かつ唯一の国家となったのである。
「今度こそヤベぇ、今度こそヤベぇ。
さっさとトンズラ、さっさとトンズラ‥‥」
王城の西側にある離宮の中。
口の中でぶつぶつと呪文めいた文句を唱えながら、フライオは着るものを改め、脚半を履き直して旅の支度を整えた。
王様というものは自分ひとりが偉ければ良いのかと、それまでフライオは思っていたのだがそういうものでもなさそうだ。 周囲で奉っていくれる人がいないと、少しも動きが取れないものらしい。
王太子と王妃は、ひとまず暴動が治まると、大臣や主だった貴族を集めて話し合いを始めた。
書類があるのだからあっさり魔導師が政権を握るかと言うと、それでは周りが承知しないということなのだそうだ。 だったら何のために書類などを作るものだか、フライオにはさっぱりわからない。
いっそこのまま逃げてしまおうと王宮を退出しかけたら、親衛隊が寄って来て、世間話などして引き止めようとする。
そうこうするうちに、王太子付きの小間使いと称する少女が現れて、今夜は城内にお留まり下さいと、歌人を半ば強引に、この離宮へ連れ込んだのである。
もしその少女がもう少し不器量な娘であったら、歌人ももっと早くに逃げ出していただろうが、これがなかなか愛らしい娘だったので、ついお茶を入れてくれるのを断れず、飲みながら雑談までしてしまったのだった。
このままズルズルと王太子の一味に取り込まれたらえらいことになる。
忙しく荷物を整理して荷袋に突っ込みながら、体がやけにだるいのに気がついた。
なにかとろんとして暖かく、寝台に腰掛けた尻から地面に埋まっていく感覚。
「や、しまった。 さっきの茶に何か入れられたか‥‥」
立ち上がろうとしても体に力が入らない。
そのまま寝台に倒れこんで、歌人は意識を失った。
目が覚めた時には、室内はすっかり闇に包まれていた。
良質の薬を使ってくれたらしく、体に不快感は残っていなかった。
フライオを驚かせたのは、別のことだった。
寝台の隣に、体を密着させてひとりの女が寝ていた。
金髪の小柄な女だ。
(しまった、さっきの小間使いだ。
この上色仕掛けってワケか、汚ねえやり方しやがって!)
腹立ちがフライオの脳天を貫いた。
体を起こしざま、女から掛け布を奪い取って肩をつかんだ。
「起きろこの売女、スレッカラシめ。
よくも人をたばかって入り込みやがったな。
お前がなんと言おうと、俺はなんにもしちゃいねえぞ‥‥」
声が尻すぼみになったのは、その女が小間使いではないとわかったからだ。
「何と言ったかわからぬ」
顔を上げた女を見て、フライオはもう少しで悲鳴など上げてしまうところだった。
「もう少しわかりやすい言葉で喋ってくれぬか、愛しい歌人よ。
私はやり方を知らぬと、さっきも言ったではないか」
「王太子殿下ッ!」
青い瞳が笑いを含んで、フライオの顔をのぞきこんだ。
これは悪夢だ、ダフラムの見せた夢だ。
フライオの頭は、ついに現実逃避を始めたようだった。
フライオ君はもてているのか?それとも女難しているのか?
そもそもモテと女難の間に一線を画すことが可能なのか?
「女にとっ捕まる運命なのに、女を追っかけていると思い込んでいる愚か者、それが男というものだ」BYローランド。