1、豊穣祭の朝
カラリアの首都クレイヴレスタの上空に、抜けるような青空が広がっていた。
祭り日和だ。
クラステと呼ばれるこの祭典も、今日で2日めである。
夕べのドンチャン騒ぎの残り香を、頭一つ振って追い出す。
さあ、仕事だ、ベッドを整えよう!
「ルーラ!ルーラ! 着替えを手伝ってちょうだい!」
バスルームから、奥様の声がする。
小間使いのルーラは、ベッドシーツを放り出してダッシュする。
「はいっ、奥様!」
「ああ、体は自分で拭くから、香油をお願い。 それとそこの服を取ってちょうだい」
奥様は豊満な体の水分を、小さすぎる浴布でふき取ろうと苦労をしている。
「お背中はあたしが致しますわ。 それより、本当にあのお洋服でお出かけになるんですの?」
壁際に掛かった露出の多い服を、ルーラは恐る恐る見た。
なんて恐ろしい! 奥様の体重でこんな服を着たら、砂袋にひもを3本掛けたようにしか見えないに違いない。
「うふふ、粗末にすぎるかしらね。 公爵家の夫人ともあろう者が、こんな下賎ななりをするなんて、って言いたいのね? でも、それは野暮と言うものよ。
クラステの間は無礼講。 身分性別、年齢、何の垣根もないのが土地っ子の自慢なの。
お前もよぉく心得ていてちょうだい。 道で会っても、奥様なんて呼んではダメよ。 そういう野暮が、一番のルール違反なんですからね」
いやいや、そういう次元の話じゃないんです。 きっと恐ろしい恰好になると思います。
そう言いたいのを、ぐっとこらえてルーラは奥様の体に香油を擦り込んだ。
(全く、なにが無礼講よねえ。 言いたいこと言ってるのは、結局偉い人ばかり)
「ちょっと肌が出すぎかしらねえ」
奥様は鏡を見ながら考え込んだ。
(うーん。肌面積が広いからなあ)
要するに、服と肌の割合の問題なのだ。
「デラモナの支度はもういいのかしら?」
諦めたらしく、奥様はお嬢様の心配を始める。
「お嬢様は、まだお目覚めでいらっしゃいません」
ルーラが答えた。
「まあ。 まさか去年みたいに、ペリエ様とご一緒ってことないでしょうねえ?
お前、ちょっと見て来て。 まだ寝てたら、起こしておいてちょうだいよ」
「はい、奥様」
ルーラは一礼して部屋を出た。
去年、お嬢様は婚約者のペリエ公を部屋に泊め、朝まで淫行に及んだのが発覚して、大騒ぎになったのだ。
別段いいのに、とルーラはため息をつく。
「お祭りの夜に盛り上がっただけじゃない? 決まった相手と、自宅でシッポリやって何が悪いんだか。
あたしたち下々のものは、草むらで見知らぬ相手とアバンチュールも珍しくないんだし」
それにしても、昨夜はろくな男に出会わなかった。
今夜はなんとしてでも、ピンと来る相手と一年分の充電をしなければ気が済まない。
ルーラはお嬢様の部屋のドアをノックした。
「お嬢様。 そろそろお目覚めになってくださいね。
奥様がお出かけ前にお顔が見たいとおっしゃっておいでですわ!」
「は、入らないで! そこで待ってて!」
中から聞こえたお嬢様の声はずいぶん慌てていた。
ドタドタと駆け回る音が、しばらく続いた後で、そっとドアの隙間から、お嬢様が顔を出した。 浴布を羽織っただけの裸である。
「よ、浴室へ行くとこだったの。 着替えたら、お母様にあいさつに行くから。
いい? それまで、部屋には絶対入らないでちょうだいね?」
(‥‥あやしい)
ルーラは、極上の笑顔でお嬢様に片目をつぶって見せた。
「大丈夫ですわ。 奥様にはナイショに致しますから。
あたしがここで立ったまま待ってたら、奥様に怪しまれてしまいます。
ご入浴をお手伝いするふりを致しますから、中に入れてくださいませ」
「ホント? ルーラ、告げ口しない?」
「そんなのも、野暮っていうんじゃないんですか?
そのかわり、あたしが今夜、国王陛下と腕を組んで歩いていても、誰にも言わないで下さいませね!」
「まあ、ルーラったら!」
お嬢様はすぐに納得して、ルーラを部屋に入れた。
「うそ。 ‥‥このひと」
ベッドの上で寝込んでいる若者を見て、ルーラは息を飲んだ。
「あたし、ほんとに水を浴びて来るから。 出来ればその人、起こしておいてね!」
お嬢様は屈託なく言いつけて、浴室へ行ってしまった。
長身で細身の若者だった。
(ペリエ公なんかじゃない!)
もっと若くて精悍で、しなやかな野生の生き物だった。
日焼けした肌は、どこの国の人間かもわからないくらい。 つやの落ちた金色の髪は、お日様の匂いがする。
おまけに旅装束ではないか。
(待って待って! 服を着たまま事に及んだのかしら! それとも何事もなくベッドだけ借りてるのかしら?
いえいえそんなの、ありえない。 ‥‥けどそうだったらいいな)
ルーラは、そおっと若者の頬を、指先でつついてみた。
「‥‥うン‥‥」
若者は邪魔くさそうに顔をそむけ、それからはっとしたように目を開けた。
ばね仕掛けの人形のように飛び起きる。
「きゃっ!」
ルーラは驚いて飛び下がった。
「やべえ! 寝過した!」
ベッドから飛び降りると、若者は編み上げのサンダルを履いた。 脚半の布がついているのを、めんどくさそうにすっ飛ばして靴だけにする。
「俺のヴァリネラはどこだ?」
荷物の袋を肩に掛けながら、せわしなくあちこちさがす。
若者の姿は、貴族の坊ちゃんばかり目にし慣れたルーラには、ひどく新鮮で魅力的に見えた。
「あれ。 君は、ゆうべの子と違うな。
もしかして、ベッドメイクに来てくれたのかな。 モナはどこ?」
若者がようやくルーラに気付いた。
「お嬢様はご入浴中です。 あの、カナルーのかた? もしかして、ゆうべバルコニーで歌ってらした」
「そうなんだ。 歌いながら寝ちゃってねえ。 モナが部屋に入るよう言ってくれたんだ。 助かったよ。 入国が遅れたんで、部屋が取れなくて今回は野宿ばかりなんだ」
「初めて会った方の部屋に、いつもそうやってお泊りになるんですか?」
「いけないかな」
「いえ。 あの‥‥どなたでも?」
「向こうが選ぶけどね」
ルーラは赤くなり、会話を中断した。
もう少しで、今夜はあたしのとこへ、と言いそうになったのだ。
(あたしったら、なにを血迷ってるの? お嬢様のお相手なのに!)
「今朝はもう花車が通ったかい?」
窓を開いて、バルコニーから身を乗り出し、若者が尋ねた。
「はい。 2台くらいは」
「まあそれじゃ大丈夫かな。 ここの下を通るのを待っていよう」
「花車が何かあるんですか?」
「いや、夕べ通りで飲んでるうちに、花車の踊り子さんの集団と意気投合しちまって。 で、今日は一つコラボで演ってみようって約束したんだよ。
ピンクのスケスケを着た、めちゃめちゃ目立つ婆さんたちなんだけど知らねえか? あの歳であの衣装だから、一度見た人は絶対忘れないと思うんだけどね」
こわい衣装を着るおばちゃんなら、このお屋敷にもいますと言いたかったルーラだが、さすがにやめて置いた。
豊穣祭のメイン会場は、王城カラル・クレイヴァの正面の広場である。
城門前広場、と呼ばれている。
そこに至るメインストリートは、祭りの間、この上なく活気に溢れた賑わいを見せる。
花車のパレードが通る。 沿道に賑やかに出店が並ぶ。 芸人や見世物のテントも出る。 王城からのご下賜品の飲み物屋台も多く並ぶ。
そして、沿道で曲を奏でるカナルーたちは、花車に便乗したり、広場の一角に陣取って客を集める。
しかし、夜遅くなると、だれも彼もが酔っ払って稼ぎにならなくなるので、バルコニーに這い上がってダラダラと歌っているうちに、中の住人に引っ張り込まれて売春に及ぶ輩も出てくるのだった。
「ルーラ、着替えを持ってきてちょうだい。 それから、彼は起きた?」
お嬢様が脱衣場から呼んでいる。
「はいっ。 お目覚めでいらっしゃいます」
ルーラは走って行って、小声で報告した。
「どう? ちょっといいでしょう、彼」
お嬢様は得意げに片目をつぶって見せる。
ルーラは一瞬、軽い嫉妬にかられたが、持ち前の笑顔で切り抜けた。
「来た来た、あの花車だ! 見ろよあれ! ひと目でわかるぞ、ねえ、モナ!」
着替えを済ませて部屋に戻ったお嬢様を、若者はバルコニーから手招いた。
お嬢様は瞳を輝かせ、いそいそと歌人の隣へ立つ。
「やっだあ、何あれ! ピンクのお婆ちゃんがあんなにいっぱい!」
「な? 面白えだろ?」
遠くからやって来る花車を指差して、二人で笑っている。
「ここからあの車に飛び降りるから、シーツを貸してくれ」
歌人がルーラを振り返って声を掛けた。
「はいっ」
なんにせよ、振り向いて貰ったのが嬉しく、ルーラはベッドのシーツをはがして歌人に渡した。
歌人はそれをバルコニーの手すりに縛りつけ、下に垂らして長さを計る。
「あらいやよ、フライオもう出て行っちゃうの?
ずるい、結局なんにもしてくれなかったじゃないの!」
お嬢様が抗議した。
「あはは、そうだっけ? でも君も確か一銭も払ってねえよな?
ってことで、今回はこれでチャラにして!」
言うが早いか、歌人はお嬢様の唇に音を立ててキスをした。
目を白黒させている女二人を尻目に、彼はバルコニーの手すりから体を躍らせた。
ルーラはあわてて駆け寄り、下を覗き込む。
真下を進む花車の中で、黄色い歓声が上がったところだった。
「きゃああ! フライオ!」
「バカだね! 危ないじゃないか!」
「どっから降ってくるんだい、まったく!」
花車に乗ったピンクの薄物を着た婆ちゃんたちが、大声を上げて歌人を小突き回している。
花にいったんうずもれてしまった若者を、みんなで助け起す。
歌人も踊り子も花だらけになって、一緒に大笑いしている。
(いいな、楽しそう!)
ルーラはいても立ってもいられなくなり、部屋を飛び出した。
「ちょっとルーラ、どこ行くの?」
お嬢様が後ろから呼び止める。
「コラボを見るんです!」
「まだ仕事を頼みたいのに」
「すぐ帰ります!」
ルーラは、もう我慢ができなかった。
(だって、今日は無礼講なんだもの!)
通りに駆け出して、花車を追いかけ、人込みを掻き分ける。
「じゃあ、始めるとするか。 用意はいい?」
フライオが聞くと、
「ワオーン!」
四つんばいになったお婆ちゃん達が、奇妙な遠吠えをした。
それだけで、沿道の観衆が大笑いを始める。
歌人はヴァリネラで、単調なストロークを始めた。
「♪オレは、犬
(ワンワン!ワンワン!)
ただの野良犬
(ワンワン!ワンワン!)
路地裏を
(ワンワン!ワンワン!)
今日もうろつく
(ワンワン!ワンワン!)‥‥」
お婆ちゃんの集団は、ノリまくって犬の鳴きまねをする。 なるほど、若い踊り子には頼めないコラボだ。
そのうち、花車を追いかけて、子供たちが犬の真似を始めた。
間奏が入ると全員で遠吠え。
「ワァオーン!」
大笑いを響かせながら、花車が去っていく。
ルーラは必死で追いかけた。
「逃がさないわよ。 あたしの今夜の相手は、絶対彼なんだから!」