3、陰謀ありき
王宮の迷路のような回廊を、王太子イリスモントは声のする方へと走った。
続いて親衛隊が主君の後を追う。 歌人フライオは、一瞬の躊躇の末に、彼らの後を追った。
知らぬ顔を決め込むには、好奇心が勝ちすぎたのだった。
問題の部屋は、国王の私室のひとつで、執務室と呼ばれている事務作業用の小部屋であった。
すでに各部屋から集まって来た小間使いや衛兵によって、部屋の入り口は人だかりで塞がれていた。
王太子の姿を見た衛兵たちが、大急ぎで人々を整理して道を空けさせ、全員をその場に跪かせた。
国王オギア3世は、大ぶりのデスクに座って執務中であったらしかった。
現在、その体は、デスクに上半身を突っ伏した格好で昏倒している。
その首の後ろに、小さな穴が開いている。
そこから、親指の爪くらいの大きさの黒い虫が、血まみれで這い出してくる。
一匹、二匹、三匹。
「うわああ!ダフラムだ!」
人々が叫んで飛び下がる。
王太子が駆け寄って、傷口を確認した。
「父上!父上!国王陛下!」
すでに意識はないようである。
その間にも、虫はどんどん体内から出てくる。
国王の肩の辺りは、虫で覆い隠されている。
医者が呼ばれるが、あきらかに怯えた様子である。
「さっさと診察しろ!」
「し、しかし」
「虫は羽化したばかりで、産卵期ではない、安全だ」
「で、ですが」
「主治医たる者の責任を放棄するとあれば、ここで切って捨てるがよいか!」
王太子が一喝した。
ダフラム。悪魔の虫。
またの名を、シビトボタルという。
幼虫期は、沼地に住んでいる。
沼に落ちて死んだ鳥や獣の死体に産卵する。
死体内で孵化し、死体を養分として成長する。
10日ばかりで羽化し、樹上に移行する。
このシビトボタルを、人体で生活できるように改良する技術がある。
魔道の、呪法に属するものだ。
改良したシビトボタルは、人の体内に寄生して養分を取る。
呪法の作用で、宿主は、虫が動き回っても痛みを感じない。
体内を食い荒らされても、平気で生きている。
そして、シビトボタルが羽化して宿主を捨てると。
呪法が解けて、初めて宿主は死に至るのである。
主治医によって、国王の死亡が報告された。
「虫使いによる国王暗殺である!」
王大使は宣告した。
「虫を使う者は特殊な人間に限られている。
虫を仕掛けた者はすでにこの地には残っておるまいが、指令を出した者は突き止めねばならない。
ストーツを呼べ」
魔道省大臣ジャンニ・ストーツは、異形と言うべき風貌の男だった。
蟹の様に四角く平たい顔に、片方だけ異様に肥大した眼球が、アンバランスに納まっている。
首がほとんど肩にめり込んでおり、黒いマントの中の体は、妙に横広い印象だった。
そして、手。
彼が歩いて来ると、周囲の視線はその両手に集中した。
大きな顔と同じくらい巨大な、熊のような手。
彼が、真っ黒な爪の生えた両手を振って歩く様は、鉄の団扇を持って歩くからくり人形のように見えた。
早朝の急な呼び出しにも関わらず、慌てた様子もなく王宮に現れたストーツ大臣は、足音も立てずに滑るように室内に入って来た。
この奇怪な男がやってくる前に、国王の遺体は可動式の寝台に移されていた。 無論、不吉な害虫は撤去されている。
大臣は、国王の様子を見てから主治医と話しをし、それからおもむろに王太子の前に足を運んだ。
「誠に残念ながら、国王陛下は崩御あそばしました」
すでにわかりきっていることを、殊更におごそかに言った。
王太子は不快感に眉根を寄せたが、口にしたのは現実的な事だった。
「明らかに魔道を使用した暗殺だ。 それについての大臣の意見を聞きたい」
「意見とは?」
「魔導師としての見解を聞いておる!!」
不遜な返答に、王太子の声が荒くなった。
「こういった害虫を仕掛けるのにかかる期間! 費用! 手引きの方法!
犯人につながる道筋を開く手伝いをせよと言うのだ!
王宮へ出入りできる魔導師は限られておる。
そういう意味では大臣、そなたに容疑がかかることもありうるのだぞ!」
「犯人逮捕はもちろん必ずいたしますでしょう。
しかしそれは、わたしのすることであって、殿下のお仕事ではございませんな」
「なに?」
大臣は口の端でにやりと笑った。
「国王陛下はお亡くなりあそばす前に、私に次期国王の資格を与え給うたのです」
「なッ」
衝撃に言葉を失う王太子の目の前に、1枚の書類が広げられた。
「つい昨日の日付でございますよ。
国王陛下は、ご自身のお体の変調にお気づきで、昨日私にご相談あそばしたのです」
親衛隊と歌人が、王太子に駆け寄って書類を覗き込む。
確かに正式の書式に則って、国王の世継ぎをジャンニ・ストーツに決定する旨を書き綴った書類であり、国璽である飛竜印が押されている。
「こ、これは、まさしく国王陛下のお筆‥‥」
キャドランニがうめくように言った。
「認められんな、このような書類は」
王太子が吐き捨てた。
「私が生後3ヶ月の頃、すでに正式な書類が作られて、国民に発表までされておる。
それを取り消す手続きがなされていない以上、筆頭王位継承者は私だ、その書類は無効であろう」
「その正式な書類とは、このことですかな」
大臣は、もう1枚の書類を両手に掲げて広げて見せた。
「第一王子イリスモントを継承者に決定する、確かに書いてございますな。
しかしこれこそが、無効の書類に他ならないのです」
「なんだと?」
「どこが無効だ」
親衛隊が気色ばむ。
ストーツ大臣は彼らを無視して、なおも王太子の方へ語りかけた。
「この書類で王位を継げるのは、第一王子イリスモント殿下です。
あなた様はイリスモント殿下におわしますが、残念ながら第一王子には該当なさいませんな」
あっ、とフライオは叫んだ。
王太子の顔を見ると、蒼白になっている。
室内の空気が凍結し、ドアの外の野次馬たちにも広がって行った。
「ほおう、お付きの皆様はご存知なワケですな。 さよう、殿下は第一王女であらせられる。
国民や諸外国への詐称を不問にするにしても、この書類を通すわけにはまいりません。
国王陛下はそのことを大変に気に病んでいらっしゃり、ご自身がすでに死地に赴くと思し召された時に、私にご相談あそばしたのです」
ざわめきが、徐々に王宮の回廊を侵食しつつあった。
王太子、性別詐称。
衝撃が城内を席巻する。
今週は多忙を極めておりまして、あまりはかどらなかったです!
年末にかけてパソコンがいじれるかどうか不安です、スミマセン。