1、お助け親衛隊
一口に歌人と言っても、その仕事の仕方によって格差がある。
例えば、宮廷に仕える専属の楽師。
彼らは王宮のステイタスを体現する者なので、いわばスター芸人である。 大抵は王族のスポンサーが付いて、衣食住の世話をしている。
そのため、生活の保障がしっかりしている反面、服装や生活態度から、果ては歌の内容に至るまで、事細かにスポンサーのご意向を優先せねばならない。
不自由な芸術をいかに自由に表現できるかという、矛盾した才能が必要なのである。
貴族のお抱え楽師も同様の生活だが、彼らの生活はもう少し自由、言いかえれば不安定である。
市街に自宅を構えるものがほとんどで、住宅費は稼ぎの中から彼ら自身が支払っている。
収入の苦しい者は、3人から4人くらいの貴族をスポンサーにする、いわゆる「かけもち」で忙しく働いている。
「揚げ豆」と呼ばれる、酒場専門の芸人もいる。
主に王都周辺の、賑やかな地域の酒場や宿屋の店主と提携しており、毎晩各店を回って、客の要望の多い歌を披露する。 客待ちの心配がない分、収入を得易く、流しの中では中流ランクと言える。
フライオのように、旅をしながら行き当たりばったり客を集める放浪歌人は、ランク的に言えば、一番底辺の下級芸人である。
安定収入はなく、客を見つけることが出来なければ何日も日干しになる。
移動に金がかかり、旅の途中で追いはぎ・強盗の類にも狙われやすい。 フライオも幼い頃は、身ぐるみ剥がれて命さえ脅かされたことが何度もあるのだ。
「さあて、そこのところが謎じゃのう。
そなたがウンと言うてくりょうなら、わが邸内に住まいを構えさせてやろうものを。
何故にそうも「お抱え」を嫌うておるのかのう?」
小ぶりだが豪華なサロンの、大振りな椅子に腰掛けて、グラチア伯爵夫人は扇に隠した顔の眉間にしわを寄せた。
椅子からはみ出しそうに膨れ上がった肉体には、豪華な宝石のついたドレスをまとっている。
肩の肉に半分めり込んだ首にかけた、きらびやかな首飾りをしきりに指でいじっている。
あきらかに焦れている。
それが分かっていて、フライオは殊更に調弦に時間をかける。
(女は焦らした方がよく感じるんだ)
正面を避けて、夫人の斜め隣に置かれた小さな椅子に尻を預けて、膝の上でヴァリネラの調整をしながら、歌人はおっとりと答えた。
「私は欲張りでございましてね。
美しいもの素晴らしいもの、そういうものに出会うと、なんでも歌にしてしまいたいのです。
夕日を見ると夕日の美しさを、雪に染まった山を見るとその素晴らしさを歌う。 そこまではよろしいのですが」
「何がよくないのじゃ?」
「ここのサロンの内装の美しいこと、先ほどから見とれて止みません。 これを歌うとなるとどうでしょう? 奥方様には満足していただけるでしょうが、お客様方の中には、我が家のサロンの方が数倍美しいとお思いの方もおられましょう。 このあたりの調整が、実に難しゅうございます」
食事を口に運びながら、なんとなく聞き耳を立てていた若い貴婦人達が、くすくすと笑い声を立てた。
「いえ、サロンなら、お抱えのお屋敷のこと以外は歌わないようにすればよろしゅうございますな。
しかしご婦人方はいかがでしょう。
貴族のお嬢様方は、大変お美しいのですが、この中からうっかりおひとりを歌に歌わせていただきますとたいへんなことになりまする。
おひとりのことを歌えば、他の方から『私のことも歌って』と言われ、お客様のご要望とあればお断りも出来ません。 結局サロン中の方のアリアを歌うことにあいなります」
「歌えばよいではないか、出来ぬのか」
伯爵夫人がイラついた声を出す。
「もちろん出来ますが、しかし歌の出来は天の采配と言いましょうか、満点の物ももちろん作れましょうが、数多く作るうちには少々聞き劣りする物も出来て参ります。
そうなると流行る歌もあれば、そうでない歌もある、その結果でお叱りを受けることもしょっちゅうでございましょう?
そうこうするうちに、歌心が磨り減って、何を歌えば良いのか分からなくなってしまうのです。
私は生来、浮気者でございますゆえ、アリアのモデルがひとりのご婦人のみに絞られるのはまことに不自由でして、歌心のしぼんだ歌人など、酢漬けにしても食えぬ夏場のトイポカの実のようなものでございますから」
華やいだ笑い声を立てるサロンの婦人たちを、フライオはゆっくりと見回した。
「このサロンにも、お美しいお嬢様方がたくさんおいでになります。
調弦が終りましたので、ぜひそのお歌を作らせていただきたいが、そんな理由で、誰さまのお歌と名前をつけることははばからせていただきます。
そこでともかく、金髪の方用、黒髪の方用、その他のご婦人用と3番まであるアリアを歌わせていただこうかと‥‥」
会場にいる娘たちが吹き出した。
恋の歌なのに、相手がコロコロ代わるアリアなど、前代未聞である。
「これで全員と恋仲でございますな」
「‥‥さても、変わった歌人よの」
あきれた口調と同時に、グラチア伯爵夫人が苦笑を漏らした。
「いや、まずまずの実入りだったな」
金砂で膨らんだ皮袋を懐に入れたフライオは、上機嫌でグラチア邸をあとにした。
とうに夜半を回っており、通りは既に真っ暗で、人の往来もない。
屋敷の裏手には、仕立てのよい馬車が一台、止まっていた。
「ええと、タラント男爵家のお方ですかな」
中年の御者に声を掛けると、相手は無言でうなずいて扉を開けた。
次のサロンで、今夜最後の客になる。
馬車に乗り込もうとステップに足をかけたフライオは、突然あっと叫んで後ろ向きに飛び降りた。
「これは、大変失礼致しました!」
馬車の中に、何人もの先客がいたのだ。 慌てて深々と頭を下げる。
いくらお迎えのための馬車でも、そして例え扉を開けて貰ったとしても、貴族が乗り合わせた馬車の、同じ席に尻を押し込むわけにはいかない。 先に乗っている人がいたなら、ドアの外側に張り付いた恰好で立ったまま乗って行くのが、下級芸人のマナーとされている。
「いいから、遠慮せず入るがいい」
頭を下げたフライオの両腕を、左右からぐいとつかんで引き上げた男たちがいる。
全身黒尽くめ、長いマントに身を包んだ者たちだ。
「魔導師か」
呪術、占いの類を専門に、貴族社会で要人扱いされ、幅をきかせている連中である。
国内行事の儀式的な部分を任されて、重さで言うと、最高では大臣の直下くらいの役職に就くことができる筈だ。
「あんたらが、男爵家の依頼人? まさかだろ」
質問する暇もあらばこそ、あっという間に馬車の中に押し込まれる。
そしてそこで、2度目の叫び声を上げ、フライオは硬直した。
先に座っていた、3人の男。
それは黒尽くめの剣士だった。 そしてその顔には、見覚えのある祭りのお面が被られていたのである。
(王太子の刺客かと思ったら、こっちかよ!)
どのみちこうなってしまっては、逃げることは不可能だった。
「明日はクラステの最終日だというのになあ。
アリアを封印しなかった罰かねえ」
ため息をついた歌人の脳裏を、年上の従兄弟の面影がよぎった。
飲み込んだ嘆きを代弁するかのように、馬車の走り出す音が夜道に響き渡った。
6人乗りの馬車の中に、異様に重苦しい沈黙が落ちていた。
両腕を押さえられた状態で座席に納まったフライオは、先のお面集団と向かい合わせになっている。
「‥‥で? なんなんだよ、あんたらは。
人攫いの目的はなんだ? 毎月ひとりずつ女を拉致してるってことは、その攫って来た女に何もせずにあそこに溜めてるってことだ。
年末に、年間誘拐美女コンテストでも開くつもりか」
表情のないお面に向かって話しかけていると、自分が馬鹿になったように感じる。 返事がなければ尚更だ。
「どうなんだよ、魔導師どの。 あんたらが絡んでるってことは、あれは何かの呪術か儀式の準備なんだろう? イケニエか?」
「‥‥竜の娘たちだ」
「でえっ! なんて声出すんだよ、あんたは!」
右脇に座った魔導師が、地底から響くような不気味な低音で答えたので、フライオは仰天した。
「いきなり尻の穴から声出すんじゃねえ!
こちとら、耳が繊細に出来てんだぞ。 ああビックリした」
人の声を思い切り失礼な表現で罵倒しておいて、どうだと相手の顔を見たが、魔導師が無表情のままなので、またしても空振りになった。
(ふん、伝説は馬鹿にならんな)
この国の魔道は、非竜神論から誕生したものだと、昔話に聴いたことがある。
昔から伝承される竜の神の恩恵に与ろうとして報われなかった者たちが、竜神を否定する手段として、魔道を開発した。 竜神の好む音節や歌、祝詞の類を否定し、自然物の礼賛を拒むことから始まり、彼らはやがて地に潜り、暗がりを根城として無言で活動するようになった。
今でも魔導師たちは、お互いが会話するのを好まず、独特の通信文字で意思の疎通を図り、外部に対する時以外は声を発さない。
(母親に構ってもらえなかったガキの反抗じゃあるまいに)
竜神に敵対する、と謳った時点で、その宗教は竜神礼拝の亜流でしかない、と思う。
しかし、占いや呪術の分野が世間に認められている以上、実際の効力もあるわけだ。
「あんたらの押し頂いてる神様だか悪魔だかは、俺にはさっぱり理解できんね。
歌も自然も称えるなと言う。 それじゃ人間を大事にしろと言うかと思えば、竜の娘ならあんな目にあわせていいと言う。
俺は歌も自然も大好きなんだ。 おまけに女の子はもっと好きなんでねえ!」
言うが早いか、フライオはいきなり両腕を広げ、両脇の魔導師を馬車の外壁に押し付けた。 思わず押さえ込もうと相手が腕に力を込めた瞬間、逆に両腕をぐいと引いて、胸の前まで手繰り寄せる。
寄ってきた二人の頭部に向かって、
「イヤーッホー!!」
耳元で大声を出し、同時に尻を抜いて前方へでんぐり返りを打った。
正面の3人の膝元へ転がり込む。
「わがががっ」
「こいつ何をっ」
狭い車内で剣を抜くことが出来ず、剣士たちは上から素手でつかみかかってくる。
走り続ける馬車の中で、フライオは床に這うようにして、ドアを蹴破った。 この際、恰好の悪さは気にする余裕がない。 剣士たちも、髪や服を引っ張ったりして歌人を床から出そうとするが、殺到すると動きがとれず、足で蹴るなどどうにも幼稚な攻撃をせざるを得ない。
その時、凄まじい勢いで車体を揺るがし、馬車は急停車した。
全員、前方につんのめって折り重なる。
開きっぱなしの扉から転げ出そうとした歌人の腕が、外にいた誰かの手でグイと引かれた。
「お助け申す」
「お助け申す」
口々に言いながら、フライオを車外に担ぎ出したのは、淡い紫色のターバンに頭を包んだ5人の男たちだった。
すぐに、中のひとりが歌人を自分の馬の前に座らせて保護した。
「お助け申す」
「親衛隊にお任せあれ」
鮮やかなチームプレーが始まった。
馬車から出て追いすがる剣士の体を剣で切りつける者。
後続の魔導師の鼻面に、閉まる扉を叩きつける者。
御者を追い散らし、馬の綱を切って追い払う者。
最後に、ひときわ体の大きな男が、幼児の体ほどもある大槌を持って、馬上でそれを振り上げ、
「ぬをををををん!!」
力任せに振り下ろして、馬車の車輪を壊してしまった。
夜道を遠ざかっていく、馬の蹄の音が最後まで耳朶に残った。
「よーし、撤収!」
フライオと相乗りをしている男が音頭を取り、王城の方向へ馬首を向けた。