8、英雄の転落
国王オギア3世の考えでは、オーチャイス出身の武神をいち早く近衛隊のマスコットボーイとして正規兵にしたかったということらしい。
しかし現実にはそう簡単にはいかなかった。
11歳という歳は、兵卒としても若すぎる。
周囲から反対の声が起こり、ギリオンはとりあえず先輩士官の従者として見習い扱いとなった。
従者の仕事は、士官の武具を手入れして戦場まで運搬し、衣食住の世話をすることだ。
これは田舎から出て来たばかりで都会に不案内な少年には、なかなか厄介な仕事だった。
もたもたしながら士官にくっついて走り回るギリオンは、いかにも幼げで放っておけなかったのだろう。 たちまち隊の話題をさらった。
先輩兵士たちは面白がって、この田舎者の弟分にいろいろなことを教えてやった。
食料の仕込み方、武具の修理工の住所、クスリの調合。
そして、昼休みには腕慣らしに剣を振り回す先輩士官たちが、からかい半分に少年を呼んだ。
その剣先をかいくぐって遊ぶうち、この少年はさらに腕を上げ、ついには隊内の誰にも負けない腕前になってしまったのである。
「もう待てぬ。せめて兵卒に取り立てよ」
国王は命じた。
「ことは近衛隊の威信に関わる。
たかが侍従に叩きのめされる兵士では、恰好がつかぬではないか!」
そんなわけで、ギリオンの入隊は鳴り物入りだった。
市民は幼い兵士を近衛隊のアイドルとして歓迎した。
先輩兵士達は、弟分として可愛がった。
入隊して2年後。
僧院の私兵隊が、領主を人質にクーデター騒ぎを起こした。
近衛隊が鎮圧に出向き、これが事実上、ギリオンの初陣となった。
戦績は見事なものだった。
近衛隊は、主犯格の3人のうち、2人までの首を上げて圧勝。
その一つを取ったのが、ギリオン・エルヴァだった。
功績をたたえて、国王より金貨と勲章が与えられた。
授与式は宮廷の戦勝パーティーの場で、貴族や政治上のお偉方の前で行われた。
従って、この日がギリオン・エルヴァの社交界デビューということになった。
そして、大騒ぎになった。
うかつなことに、この日まで誰も注目していなかったのだ。
彼は、剣技以外にも優れた資質を有していた。
「美貌」という資質を。
勲章を授かるため、少年は軍装のターバンを解いた。
それを肩にかけ、国王の玉座へと歩み寄った。
一同は息を飲んだ。
少年の姿は、絵画から切り貼りしたかのように神秘的だった。
くすみのない金髪。
彫りの深い、それでいて優美な顔立ち。
幾人かの婦人が、その場で扇を取り落とした。
グラスをぶつける音が一瞬響き渡ったあと、ざわめきが、寄せ返る波のように会場に広がった。
宮廷詩人エレイン・パッツォは予見した。
「今後あまたの姫君が、彼の愛を欲して狂うだろう」
それは不吉な予言だった。
その言葉通り、ギリオンの周囲で女性達が、上品もしくは下劣な恋の鞘当てを繰り広げた。
ギリオン自身は、色恋に興味を持つには幼すぎる年齢だった。
剣の道が面白くなってきたところで、時間的にもそれどころではなかった。
しかしこういうことは、必ずしも本人が参加する必要はないものらしい。
浮いた噂は一つではなかった。
決定的な事件は、事実というより疑惑に属するものだった。
大きすぎる地雷は、実際に踏んだかどうかに関わらず、目前で爆発しただけで命取りだ。
ギリオン・エルヴァ17歳。
醜聞の相手は、王太子イリスモントの妃、エウリア。
当時18歳。 隣国モンテロスの第6皇女だった姫である。
カラリアとモンテロスは、隣り合って密着した国同士にありがちな国際交流を行っている。
すなわち、隙あらば相手の領土領民を手に入れようと剣を交える期間と、にっこり笑ってラブレターを送り合うだまし合いの期間とを、10年周期で繰り返しているのだ。
戦いを始めたくなると、過去の恨みつらみを思い出す。
戦いが不利になり、そろそろやめたくなると、隣同士仲良く人道に基づいて、とテキストめいたことを口にする。
離婚したくても出来ない熟年夫婦のような国交であった。
疑惑の真相は不鮮明のまま、ウワサだけが広まった。
実はエウリア妃には、以前から一つの悪癖があった。
夜中に寝室からどこかへ出て行ってしまうのである。
王宮のどこかで発見されているうちは問題なかったが、そのうち、朝まで探し続けても見つからないという事態が何日も続くようになった。
困り果てた侍女が交代で寝ずの番をした。
エウリア妃はベッドを抜け出すと、なんと秘密の通路を通って城の外へ出て行った。
町外れの民家に入るのを見届け、翌朝調査したところ、借主としてギリオン・エルヴァの名前が挙がったのである。
もっとも、彼は未成年であった為、実際に契約したのは彼の使用人であったが。
浮気の詮議に対し、エウリア妃もギリオンも否定らしい事はしなかった。
ただし、問題の晩、ギリオン自身は当直で城内に残っており、証人もいた。
真実は霧の中だった。
いまだに、それは変わっていない。
噂は広がり始めると際限がなかった。
もともと若すぎる英雄に、生意気との印象を抱いていた人々が、そら見た事かとはやし立てた。
貴婦人達は肖像画を破って泣き叫んだ。
呪いの人形が飛ぶように売れた。
ただ、王宮の反応は意外に冷静だった。
世間を騒がせた者に責任は取らさねばならない、といった対応であった。
ギリオン・エルヴァは近衛隊を除名になった。
そのあと謹慎期間をおいて、辺境警備隊への入隊が言い渡された。
白糸の街道を警備する、地方部隊である。
除名の命令は、王太子イリスモントから出た。
警備隊入隊の辞令は、国王オギア3世の名で発された。
形としては、妻の浮気に王子が腹を立て、父である国王がとりなした、ということになる。
義父の反応も冷静だった。
「私はお前を信じる。
だがそれとこれとは別の次元のものだからな」
そう言って彼は、辞任の届けを出して近衛隊を退役してしまった。
しかし、その後もひとことの文句や抗議をギリオンに聞かせるでもなく、王都を出る朝も笑顔で迎り出してくれた。
ギリオンは都を離れて、警備隊の任についた。
驚いた事に、ここでの仕事は楽しかった。
近衛隊の、儀礼を多く含む市中警備と違い、辺境の仕事は真剣勝負だった。
山賊や密猟者、亡命者たちとの真剣なやりとりがあった。
それは真に有能な者が、実力を発揮できる舞台だった。
加えて、生まれ育った山での経験を生かせる機会にも恵まれていた。
左遷されて来た若造に、先輩兵士の対応は必ずしも暖かくはなかった。
しかし、実力ある者を無視して仕事が出来るほど、甘い部署ではない。
兵卒で入った部隊で、ギリオンは認められ、小さな分隊をまとめる役を仰せつかるようになって行った。