表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千里を歌う者  作者: 友野久遠
街道の英雄
14/96

7、武人の誉

 女は馬の目隠しを外し、ギリオンへの猛攻を開始した。

 咄嗟に振り払った剣が、力で押される。 すさまじい腕力だ。

 続けて2合、3合と剣先が落ちて来る。

 両手で握った(つか)が押されて、尻が鞍からずれる。 (つば)を鳴らして押し合うと、ギリオンの全身が震えた。


 力では分が悪いと見て、ギリオンは戦法を変えた。

 馬を巧みに操って駆け回り、小技を繰り出して相手の大技を封じる。

 剽悍な動きに翻弄されて、女大将の攻撃が止まった所で、下から斜めに敵の馬の咽喉を傷つけた。


 女大将は目を見張った。

 「馬を! きさま、それでも武人か!」

 「武人も付け焼刃なもので、あいにくだな」

 主人に似て丈夫そうな竜頭馬だったが、咽喉元に深手を負うと、戦意を喪失して後ずさった。 主の叱咤にも反応せず、足踏みを繰り返す。

 立ち往生の敵騎に素早く駆け寄り、ギリオンは相手の長剣を叩き落した。


 「ふん、近衛隊(みやこ)にいるより辺境(こっち)の方が肌に合っていそうだな!」

 悔しがっているのか面白がっているのかわからぬ口調で、女は叫び、馬首をめぐらせて指笛を吹いた。

 「引き上げだ!」

 手下どもに命じる。


 この段階で、戦況は圧倒的にエルヴァ隊の優勢だった。

 盗賊どもは剣を引き、傷ついた仲間を庇いながら、それでも大半の重傷者を残して逃走に移る。 思わず追いすがろうとする部下達を、ギリオンは制した。

 「追うな、 我々の任務は護送である!

  囚人の様子を報告しろ!」

 「異常ありません!」

 ユナイ少年兵の元気な声が、馬車の後ろから響いた。


 ギリオンは総員を集合させ、被害の報告をさせた。

 死者3名、重傷者が2名ほどいたが、残された盗賊の死体の数に比べると、わずかな犠牲というべきだろう。

 虫使いの少女は、結局取り逃がしたとの事だった。

 それからしばらく暗闇の中での無口な作業が続いた。 怪我人の治療や死体の処理をするのに無駄口は不似合いだったからだ。

 

 その最中(さなか)、突然ギリオンは戦慄した。

 全身のうぶ毛が逆立つ。

 脳の内部が急冷する。

 その原因を思いつく暇はなかった。

 羽音。

 全身を風圧が叩いた。

 空から大量の虫が降って来る。

 部下達が、わけもわからず叫び声を上げる。


 「ネムリバチだ!」

 とっさにターバンで顔と首を庇った。

 黒い雨のように降りかかって来たのは、黒い体に黒い羽根の蜂だった。

 その姿は宵闇に溶け、月光に透けながら、夜空一面を覆ってゆく。


 南国に生息するネムリバチは夜行性である。

 カラリア国内ではほとんど目にすることはないが、箱に入れて温度を下げると簡単に冬眠状態になり大量に運搬することが出来るため、かく乱などの目的で使用した例がある。

 その針から出る液体は鎮静作用のある薬物であり、何箇所も刺されると脱力状態になり、意識不明になる場合もある。

 

 敵を撃退したばかりで油断していたエルヴァ隊は、この虫の攻撃に成すすべもなかった。

 しばらくは悲鳴と馬の蹄の響き、駆け回る兵士の狂乱が山の斜面にこだましたが、そのうちそれも途絶えてしまった。

 兵士達は、ひとりまたひとりと地面に倒れ、あるいは馬の背に伏したまま、意識を失って沈黙した。

 

 「た、隊長! エルヴァ准将!

  じ、次官どの、ウィスカンタどの!

  しっかりしてください、誰か、誰かご無事な方はおられませんか!?」

 悲痛な声を上げて、蜂の群れが去った後の広場を駆け回っているのは、看護兵のユナイだった。 彼は盗賊が馬車に吹き付けて行った液体のために、蜂の急襲から逃れたのである。

 もちろん、盗賊がそれをしたのは、ユナイ少年のためではなく、首領ロンギースを蜂から守るためであった。


 少年は必死で仲間を揺り起こそうとしたが、無駄なことだった。

 ほとんどの者は意識が無く、あっても体を動かすことは出来なかった。

 そうするうちに夜の山道を、数十騎の騎馬が登ってくる気配が近づいて来た。

 ユナイは唇を噛み、剣を引き抜いて広場の入り口まで駆け出した。

 

 震える足を踏ん張って、仲間と敵との間に仁王立ちになる。

 腰を沈めて山道の暗闇を見つめる少年の目に、迷いは見られなかった。


 「見よ、これこそが武人の誉れと言うものだ」

 薄れ行くギリオン・エルヴァの意識の中で、誰かが穏やかにそう言っていた。

 目の前のユナイ少年の背中はあまりにも小さく、その幼さは痛々しかった。

 自分の指令の失敗を、こんないたいけな少年の命に代えてしまうには忍びないと思った。

 そのギリオンの思いを、穏やかな声は断ち切ろうとしていた。


 「ギリオン、お前が剣士になるのはたやすいことだ。

  お前はすでにその資質を持っており、一部は早くも開花しておる。

  軍人となるのも、そう難しいことではないだろう。

  しかし武人となるには、それにふさわしい誇りを身に着けねばならん」

 養父クォーレン・エルヴァの声だった。


 近衛隊の大佐であった養父は、厳格だが温かみのある武人であった。

 ギリオンは初めて屋敷に足を踏み入れた日に、その言葉で迎えられたのである。


 「では、どうやったら武人の誇りが身に着くか、わかるかね?」

 見当もつかず、ギリオンは首を振った。

 もしかしたら、このテストに答えられなかったら村へ帰されるのではないかと思うと、怖くなってますます何も考えられなくなった。

 「簡単なことだ。

  身分と言うのは特権なのだ。 それによっていい思いをしたときに、それに対する執着と誇りが生まれる。 

  嫌な言い方だが、それが事実だ」

 ギリオンはいぶかって顔を上げ、養父の表情から本心を読み取ろうとした。

 養父はにっといたずらっぽく笑って見せた。

 「辛い思いや、遠慮からは誇りなど生まれてこないものだよ。

  まずはこの家で、たくさん幸せになりなさい」


 ああ、父上。 私はあの家で幸せでした。

 でもやはり、命の重みに比べたら、ああいう行為は単なる虚勢に見えてしまうのです。

 わたしは死ぬわけには行かない、たとえ誇りを捨ててでも国を売ってでも、生きてラヤに会いたいのです。

 誇りが生まれぬわたしの心は、まだ幸せに程遠いと言うことなのでしょうか?



 そう、エルヴァ家は安定した家庭だった。

 裕福というわけではないが、不自由ない生活があり、夫妻の仲もよかった。

 「わたくしは子供を育てたことがありません。 だからきっと、あなたが何を望んでいるのか、どんなことをしてあげるのがいいのか、さっぱりわからないわ、ギリオン。

  それはつまりとても幸運なことよ。

  だってひとことあなたが言ってくれれば、なんでもああそうかと思うんですもの」

 中年も後半をすぎた歳の養母チニアは、幼子のように無邪気な考えの持ち主だった。

 おかげでギリオンは、養子としての気兼ねをこの母に感じたことはほとんどなかった。


 エルヴァ家の嫡男としての手続きが済むと、ギリオンは正式に剣術を習った。

 それは小鬼を武神へと変身させる修行だった。

 ギリオン・エルヴァが数々の御前試合に優勝して、国王陛下のお声掛かりで近衛隊へ出入りを許されるまで、わずか2年を要したのみだった。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ