6、深夜の戦闘
♪さわると肌が崩れて痛い
秋桃の実みたいな王子さま
なににもぶつかることのないよう
パンでお城を建てさせた♪
「ラヤ、その歌はご禁制だろう。
歌詞を付けたらまずいんじゃないのか‥‥」
口の中でつぶやきながら、ギリオン・エルヴァは目を開けた。
彼がいるのは、テントの狭い暗がりの中だった。
護送部隊を率いての野営の最中であった。
風が木々を揺する音が聞こえて来る。
深夜の山の気は静まり返っている。
彼は飛び起きた。
剣をつかむと、テントの外に走り出す。
「ヴィスカンタ!」
小声で副官を呼ぶと、すぐに駆け寄って来た。
「はっ、ここにおります」
「静か過ぎる。 鳥も虫もどうした」
「は? な、鳴いておりますが」
「半分になった」
副官にはわからないらしく、黒い瞳で辺りを見回して首をかしげた。
「歩哨はどうしている」
「あと半時で交代するところですが、異常の報告はありません」
「総員を起床させろ! 敵襲に備える!」
ギリオン・エルヴァは大きめの声で命令した。
「て、敵でありますか? し、しかし」
ヴィスカンタは恐る恐る反論しようとしたが、
「山の気配が違う。 急げ、手遅れになる」
山育ちの上官に断言されて、青くなって駆け出した。
「起床! 総員起床! 配備につけ!」
伝令が飛ぶ。
テントから慌てた様子の兵士が次々と出て来た。
それでも臨戦態勢を取っていただけあり、混乱はなかった。
ほどなく騎馬が揃い、総員が集合した。
「敵を発見しました!」
哨戒に出た歩兵が戻って来て、報告する。
「山のこのすぐ上に、40騎ほどの騎馬がいます。
服装はまちまちで、山賊の残党と思われます」
「この上? 遠すぎる。
もっと近くに何かいるはずだ」
ギリオン・エルヴァの勘は、更に身近に迫る敵を感知していた。
「い、移動した方がよろしいでしょうか」
副官の進言にギリオンは首を横に振る。
「狭い山道で襲われたら対処しかねる。
護送車を囲んで陣を組め。
外側に松明を配れ、まだ火は点けるな」
「隊長、月が!」
一瞬で辺りが暗くなった。
木々の隙間から見えていた丸い月が、真っ黒い雲に覆われている。
いや、雲ではない。 動きすぎる。
そして、この音は。
ヴァン、と耳を打つ羽鳴りの音。
ギリオンは、馬の食み布を手に持って、頭上で振り回した。
布に絡んで来たのは、数十匹の小さな羽虫だった。
「粉油虫だ」
飼料小屋の穀粉や、灯油樽に湧く害虫である。
人体に害はないが、群れる習性があるので、大量に湧くと厄介だ。
「総員、私が命じるまで絶対に剣を抜くな。
この虫はサビ止めの剣油にびっしり付いて切れ味を落とす。
ヴィスカンタ、虫を操る者を探させろ。
敵は頃合いを計って襲ってくるぞ。
山肌を利用して、侵入経路を一本化しろ。
そちら側に松明を立てて点火の用意。 まだ火は点けるなよ。
その後ろから弓矢を準備させろ。
それから、装備班8名!
火の点いてない松明に、油を含ませて振り回せ!」
矢継ぎ早に発された指令を、兵士は機械的に実行した。
しかし、大半の者が何をやらされているかわかっていなかった。
兵士の多くが武人であり、農牧の経験がない。
牧童上がりのギリオンは、この虫を日常的に駆除していた経験から動いているのだ。
群れる虫の取り扱いは、一瞬の遅れを許さない。
「ヒイイイッ」
松明を振り回す兵士が、恐慌の声を上げた。
布を巻きつけ、油を含ませた松明の枝に、見る見る大量の虫が貼り付いて、球状に盛り上がったのだ。
「おおッ、重い!」
「取り替えてもう一度振れ!」
「敵ッ! 正面に現れました!」
外側の兵士が叫んだ。
「まだ剣は抜くな、弓矢で対応しろ。
敵も抜かないから心配いらん!」と、ギリオン。
敵兵が正面の木陰から姿を現した。
松明をひとつだけ点して現れた集団は、赤、黄、黒と色とりどりバラバラのターバンを被っていた。
それぞれが騎馬だが、中には大鹿に乗っている者もいる。
先頭の人影は、ロンギースと同じくらいの巨体の持ち主で、血の様な赤のターバンで顔面まで覆っていた。
その隣の騎馬兵は、細身の若い男だった。
男の腕の中にもうひとり、か弱げな少女が抱かれていた。
夜目にも神秘的なくらいに白い肌が、少し不気味に見える少女だ。
「つがえ! 撃て!」
ギリオンの合図と共に、弓矢の第一撃が発射された。
ほぼ同時に敵が放ったのは、数十本の火矢だった。
「騎馬隊下がれ!」
寸前でギリオンが叫ばなかったら、馬たちは恐慌を起こしていただろう。
火矢は上空に群がっていた虫たちに一瞬で火をつけ、火の粉を雨のように降らせた。
「ターバンで防げ、これしきで火は点かん。
それより馬を怯えさせるな。
落ち着かせてから前へ出て来い!
歩兵隊、すぐに第2矢!」
歩兵が続けて矢を放つ。
ギリオンは虫でダンゴ状になった松明に火を点け、敵の先頭に投げ込んだ。
「ようし、剣を抜け!」と、ギリオン。
「か、かかれ!」
敵将らしい巨漢も、慌てたように叫んだ。
歩兵達は司令官に倣って、「虫松明」を敵陣に投げ込んで剣を抜いた。
敵の騎馬が怯え、突進してくるタイミングが崩れる。
馬上の山賊は、馬を操るだけで精一杯になっていた。
エルヴァ軍は、その敵を狙って切りつける。
思いがけず有利な戦闘になった。
乱戦状態の中でも、馬上から落とされるのは圧倒的に敵兵が多い。
「ヴィスカンタ! あの娘を捕えろ」
「む、娘ですか」
「あれが虫使いだ。 2騎連れて行け」
「はい!」
3騎が隊列を離れ、元からいた草むらに立ったままの少女の騎馬に向かって行った。
その間、ギリオンは敵将の姿を探した。
巨漢の赤布は、思いがけぬ速さでエルヴァ隊の内部まで突っ込んで来ていた。
馬の頭に布が一枚かけてある。
火を見て怯え、暴れるのを防ぐために目隠しをしたまま操っているのである。
巨漢は馬上で大剣を振るい、右の騎兵を一撃で馬から落とし、返す剣で左の兵を昏倒させた。 力技だが、相当の使い手だ。
ギリオンは馬を寄せ、巨漢に声をかけた。
「おい大将、私の相手をしろ。
うちの部下では物足りぬだろう」
巨漢は振り向きざま、ニッと笑った。
「やあ、あんたがギリオン・エルヴァかい?
噂どおりのいい男じゃないか!」
「女‥‥か!」
声を聞いて愕然とするギリオンの頭上に、女大将の一撃が落ちて来た。