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千里を歌う者  作者: 友野久遠
街道の英雄
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5、旅立ちの夜

 フライオはやぐらの上で気を失っていた。

 彼が生き残った村人たちに発見された時には、すっかり事は終っていた。

 ほんの数人を残してほとんどが死傷者となってしまった村のために、憲兵隊が町から葬儀の手伝いを手配してくれた。

 

 ギリオンの両親はこの戦闘でふたりとも命を落とし、彼は孤児となってしまった。

 フライオの母親は、足を怪我しながらも死者の名簿に名を連ねることを免れた。

 村人たちは黙々と後始末をし、誰ひとり泣き言を言わなかった。

 「わしらは、天命に従っただけだ。

  天の声の命じるままに戦っただけなのだ。

  死んだ者も、生き残った者も、運命と言うものだ」

 村長は合同で行われた葬儀の席で、そう皆に言い切った。


 その日から一週間後。

 別れの時は、夜だった。

 その晩の月の色を、ギリオンは今でも鮮明に覚えている。

 雪明りに金色の輝きを振り蒔く、満月に近い大きな月だった。

 ギリオンは牛小屋で眠っていた。

 両親がいなくなった家で、たったひとりで眠っていると夜中に怖くて目が覚めるので、家畜の傍で眠るのが日課になっていたのである。


 裏庭の木戸を開ける音が微かに聞こえたので、起き上がって窓辺に寄った。

 小さな人影が、庭から出て行こうとするところだった。

 旅支度をしたフライオの荷袋から、手製の弦楽器が窮屈そうにはみ出していた。


 「ラヤ!」

 雪の上を裸足で走って後を追った。

 この小さな従兄弟が思い詰めていることは、薄々わかっていたのだ。

 この一週間、それまで1日たりとも欠かさず歌って来た歌を、フライオは一節も歌わなかった。 羊が1頭死んだだけでも、1日中葬送の歌を歌ったあの声が、山肌に響いて来ない日が続いていた。

 彼は気付いてしまったのだ。

 自分の歌には、魔力があるということを。


 祠に封じ込められた“何か”が、彼に人外の力を与え、あの呪歌が生まれた。

 思うさま、ありったけの怒りを歌に込めてぶつけてしまった後、幼い歌人はどんなに後悔しただろう。

 村中で死者が出た。

 ギリオンの両親、フライオが大好きだった伯父さん叔母さんも死んでしまった。

 「どこへ行く気だ」

 裏庭の木戸にすがって息を弾ませながら、道の行く手に回り込んだギリオンが尋ねた。

 小さな歌人は息を飲み、何かを言いかけてから一度黙った。

 涙がせり上がってくるのをこらえるためだ。


 「どこだっていい。 もうここにはいられない」

 口に出した言葉は、少しすねた響きを持っていた。

 その言葉に自身で傷ついて、フライオはうつむいた。

 「ギル、ごめん‥‥。

  俺、自分のことを知らなかった。

  俺は歌ってはいけない人間だった。

  俺の歌には魔物が憑いている。 汚らしい呪いの歌だ。

  ここを出て、呪われた声と楽器を捨ててあいつと縁を切る。

  そのあとは、二度と歌なんか歌わずに生きて行くよ」

 月の光に、頬を伝う涙が反射してきらめいた。

 

 「そうじゃない。 ラヤは歌わなくちゃいけない」

 静かに、ギリオンは言った。

 厳しい声にならないように抑えた分、ぶっきらぼうな響きになった。

 「お前の声には、確かに力がある。 魔性の声だ。

  その特別な声の力を、みんなに分けてやらなくちゃいけないんだ」

 「だって‥‥ダメだよ、俺の歌は人殺しの歌だ」

 「違う。 大切なものを守る歌だった」

 「え?」

 フライオは顔を上げて、涙で濡れた瞳で年上の従兄弟を見返した。

 

 「ラヤの歌を聴いた途端、全身に力がみなぎった。

  なんでもできる、そんな気がした。

  モンテロス兵の大だんびらをみても、少しも怖いと思わなかった。

  自分が信じられた。 自分が大好きだった」

 「自分が好き‥‥?」

 「そうさ。 世の中に、自分ほど頼れるやつはいないって思っちゃったよ。

  だから持った事のない剣を持っても、負ける気がしなかった。

  あんなに自分を気に入ったこと、今までなかったな。

  フライオは歌を続けなきゃだめだ。

  世界中の他の誰かに、あんなに元気の出る歌が歌えるかい?」

 小さな軍神にそう言われて、フライオは複雑な表情をした。


 ギリオンは凍えた足を地面から離すために、羊用の囲い柵に腰掛けた。

 月明かりに映える村の斜面は、斜めに傾きながら目下に広がっている。

 「俺さ、明日ここを出るんだよ。 カラル・クレイヴァに行くんだ。

  そこに住んでる軍人さんの養子になることに決まったんだ」

 「ギル、武人になるの?」

 「そうらしい。 今回の戦闘のことを聞いて、ぜひ自分の息子にしたいと言ってくれた人がいたんだ。 近衛隊の中佐だってさ」

 「偉い人?」

 「たぶんね。 よく知らない」

 「ギルは強くなれるよ。 きっと有名な戦士になる」

 「お前だって有名になるんだ、ラヤ」

 ギリオンが弟分の頭を軽くつついた。

 「絶対、歌はやめるなよ。

  お前が歌い続けていたら、どこにいても居場所がわかるんだから」

 「歌えないよ!」

 「どうして」

 「‥‥こわいもん」

 フライオは唇を噛んでうつむいた。


 ギリオンはもう一度、今度は乱暴にフライオの頭をはたいた。

 「ばか。 お前がお前の歌をこわがってどうすんだ。

  歌えるさ、あの竜、あのきれいな赤い竜を飼い慣らせばいいんだ」

 フライオは凍りついた。

 「あれを見たの!?」

 「見たさ。 イケてる怪物じゃないか。

  もともとお前になついてるんだろ、手懐けろよ!」

 「む、無理だよ。

  あれは神様なんだ、こっちがお仕えする立場なんだぞ」

 「出来るようになれ!」

 ついに威圧的な口調になった。

 「約束しろ、絶対あいつを飼い慣らせ。

  でないと、この道は通さない」

 相手よりほんの少し大きな体で、ギリオンは門を塞いだ。


 「出来るって言え。

  言わないと、大声を出して伯母さんを起こしてやる。 村長さんや村の大人に、あの怪物はお前んだって言いつけてやる」

 「ギルがいじめる‥‥。 いじめっ子だ」

 そんなことをする従兄弟ではないとわかっているので、半分笑いながらフライオが言った。

 そうして涙をぬぐうと、まだ迷いのある顔を一振りした。

 「わかった。 わかったよ、やってみる。

  俺は歌を続ける。 あいつを飼い慣らす」

 「よし」

 ギリオンはうなずいて、右手を差し出した。

 「10年経ったら、会わないか?

  10年後の豊穣祭(クラステ)、城門前広場で」

 「それはどこのこと?」

 「俺も行ったことがないんだ。 でもそこしか知らないし、有名な場所らしいからわかるだろうと思ってさ」

 「うん、10年後に城門前広場だね」

 「歌ってろよ。 俺が探して行くから」

 「うん。 ギルは誰に聞いても知ってる武人になっていてね」

 フライオは差し出された手を握った。


 月の光が弱まる夜明け近くに、幼い歌人は山を降りて行った。

 もう冷たさで感覚がなくなってしまった足を引きずりながら、ギリオンはいつまでもそれを見送った。

 尾根の中腹を下る従兄弟の口から、澄んだ歌声が一節だけ流れ出るのを、微かに聞いた気がした。

 パンのお城に住む、王子の歌。

 


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