どんな恋物語よりも(ジ)
私の名はシェンティス。
私の目の前では今、我が主たるジークヴァルト様が何やら難しい顔をして本を読んでおられます。それ自体は特に珍しいことではないのですが、問題はその本の内容です。私が側仕えとしてお仕えしてから30年以上経ちますが、これまでジークヴァルト様が学術書の類以外の本を読んでいるのを見たことはないのですが、何故か今ジークヴァルト様が読まれているのは恋物語です。最近市井で流行っている敵対する者同士の恋物語です。
「シェンティス、世間一般の女性はこのような言葉で口説かれたいものなのか?」
そう言ってジークヴァルト様に渡された本のページをパラパラと流し読むと、“君に名を呼ばれる度に、君に触れる度に、まるで心臓に瑠璃色の小鳥でも飼っているかのように胸が騒ぐのだ・・・”“叶わぬ想いだとわかっていても、それでも君を愛している、愛している!心が千切れそうだ・・・!”思わず頭痛を覚えそうな言葉が書かれています。恋愛初期のお互いしか見えていない時期ならば、まあ、ありでしょうか?ただし、後々我に返って羞恥に死にたくなる可能性も否定できませんけれど。
「時と場合によるとしか申し上げられませんが、少なくともセイラン・リゼル様はジークヴァルト様がいきなり心臓の瑠璃色の小鳥が、などと言われたら、体調の心配をなさると思いますが」
心臓に瑠璃色の小鳥を飼っているとは言わなくても、似たようなことは毎日のように素面で言っているような気もしますけれどね。ジークヴァルト様がセイラン・リゼル様を熱愛しているのは周知の事実ですし、なんせお2人共見た目が物凄くよろしいですから、ジークヴァルト様が多少おかしな愛の言葉を口走っても周囲は聞き流していますけど。お2人を題材にした恋物語も数多く書かれているようですし。
1番冷静なのはセイラン・リゼル様でしょう、時折頭痛を堪えるようなお顔をなさっていますし。
「セイラン・リゼルがこの本を読んで笑っていたから、面白いのかと訊いたら、割と王道の恋愛ものだと言って貸してくれたのだが、これが世間一般における王道の恋愛なのか?」
・・・セイラン・リゼル様が読まれていたのですか。
そうでなければジークヴァルト様がこのような世俗の恋物語を読むはずがありませんものね。おそらく彼女は、恋愛ものというよりも、娯楽として読まれていたのではないかと思うのですが。特に先ほどの瑠璃色の小鳥の件では笑っていそうです。セイラン・リゼル様はジークヴァルト様と違ってなんでも読まれますからね。
「物語としての王道と現実は違いますでしょう。困難を乗り越えて結ばれる2人、という展開が物語として王道だとセイラン・リゼル様は評したのだと思われます」
何も知らぬ者から見ればジークヴァルト様とセイラン・リゼル様は、正に困難に打ち勝って神々の祝福を得て結ばれた2人なのでしょうけれど、私は些かお2人の現実を知りすぎておりますしね。
「そういうものか・・・だが、私はこの本を読んで気付いたのだ。私はセイラン・リゼルにきちんと求愛も求婚もしていないということに。これではいけないだろう?」
「・・・は?」
後ろではガシャガシャと何やら金属を取り落としたような音が聞こえます。護衛騎士達が唖然として武器でも取り落としたに違いありません、ですがその無作法を咎めようにも、私も不覚にも手にしていた本を取り落としそうになってしまいました。
「ジ、ジークヴァルト様、君の理想に近づきたいだの、君という存在の全てに心惹かれているだの、君の望みは全て叶えたいそれが私の1番の願いだだの、砂を吐きそうな愛の言葉をセイラン・リゼル様に言っておられたではありませんか?!」
ローラントが取り乱して過去に言ったであろうジークヴァルト様の言葉をなぞり、それを聞いた他の護衛騎士達が唖然と口を開いており、年若い側仕えの女性達は頬を赤らめ感嘆の吐息を漏らしています。
ジークヴァルト様、やはり素のままで恋物語と大差ない御言葉を言われているではありませんか。
「それは私の心情を吐露しただけであって、求愛でも、ましてや求婚でもないではないか。愛する女性にはもっと積極的に想いを伝えなければならないと気付いたのだ」
いえ、もう今のままで十分だと思われます。
セイラン・リゼル様は世間一般の夢見がちな若い女性のように、甘い言葉を欲しがる御方ではないでしょうし。現実だけでもうお腹いっぱい、とか真顔で言われそうです。
「しかし、既に神々の命でご結婚されているのですから、今更ではありませんか?」
まだ年若い護衛騎士の言葉に、私の後ろにいた側仕え達が首を振る気配がします。
セイラン・リゼル様はともかくとして、世間一般の女性にとっては、このデリカシーのない若い護衛騎士よりも、ジークヴァルト様の方が遥かに素晴らしい男に見えているに違いありません。夫とするならジークヴァルト様のような男が良いと思っているのでしょう。
ずきずきと頭痛のするこめかみを揉みます。
セイラン・リゼル様は感情制限をされている6つ名持ちとして、世間一般の女性とは些か感性が異なっておられます。そしてそれはジークヴァルト様も同様です。感性のずれたお2人が何の因果かご結婚され、仲良くされているのは喜ばしいですが、周囲の者がそのずれを正しく認識していないと、相手は6つ名同士の規格外夫婦、おかしな歪みが生じたら目も当てられません。
「ジークヴァルト様、ベリータルトが出来ましたからお茶にいたしませんか?・・・どうかされましたか?」
微妙な雰囲気を察したのでしょう、ベリータルトとお茶のセットを乗せたワゴンを押した人間族の側仕えを連れて、ジークヴァルト様をお茶に誘いに来られたセイラン・リゼル様が首を傾げられます。いつもながら素晴らしく美しく美味しそうなお菓子です。
「いや、何でもない。私の妻になってくれてありがとう、愛している、セイラン・リゼル」
ジークヴァルト様が微笑んでさらりと言われます、そうですね、そのように飾らず直球の言葉の方が良いと思われますよ。慣れている私とローラント以外は赤面していますが。
「はい?どういたしまして?そんなにこのベリータルトがお気に召されましたか?今日のは見た目にも良い出来ですよね」
「いや、確かにそのお菓子はとても美しいが、そういうつもりで言ったのではないのだが」
ジークヴァルト様が苦笑しています。
「ジークヴァルト様が温度調節を細かく設定できるオーブンを作ってくださったおかげで、タルト生地がとても焼きやすくなりましたわ、ありがとう存じます。私もジークヴァルト様を愛しておりますよ」
にこにこと微笑んで言われるセイラン・リゼル様に、ジークヴァルト様は顔を赤らめておられます。さらりと聞き流したセイラン・リゼル様と違って、完全に負けています。セイラン・リゼル様が望むものを作成できるだけの頭脳があって良かったですね、と私は内心でジークヴァルト様に言います。
セイラン・リゼル様が地位や権力に興味を持たない6つ名で本当に良かったと思います。セイラン・リゼル様が望めば、どんなものでもジークヴァルト様は手に入れて差し出すでしょうから。セイラン・リゼル様はもう500歳を超えたジークヴァルト様を、いつも本当に上手に転がしておられます。
障害を乗り越える恋愛は物語だけで十分です。容姿も頭脳も平凡な方が身の丈に合った幸せを手に入れられると思いますよ。
私はジークヴァルト様とセイラン・リゼル様を見て顔を赤らめている、このロスメルディアができてからリシェルラルドから派遣されてきた年若いエルフ族の側仕え達を眺め、内心でそう呟きました。