夫婦喧嘩ノススメ(ル)
俺の名はオスカー、料理人だ。
ずっとお仕えしているお嬢様が狐獣人族と結婚してヴァッハフォイアに嫁入りすることになったので、一緒に付いてきた。
お嬢様の家で庭師をしてた爺さんは俺が20歳の時に死んだし、両親はもっと前に流行病で死んでるから、まだ結婚もしてない俺はどこに行くにしても身軽なもんだ。
それにしたって、まさか大陸の端から端に移動することになるとは思ってなかったけどな、人生て何があるかわからんぜ。
セレスティスにいた頃はずっとお嬢様と一緒にルナールさん、て呼んでて、お嬢様がいない時は厨房で普通に賄いとか出して一緒に食べてた冒険者が、まさか大国ヴァッハフォイアの次期宰相様だったなんて、シルヴァーク公爵家の他の料理人たちに話したら皆げっそりしてたけどな、1番げっそりしたのは俺だよ。
お嬢様が、自分が不在の時は好きなように厨房でご飯を食べていい、なんて許可して、俺に適当に何か作ってあげて、なんて言って紹介するから!
俺は死んだ親父が冒険者だったこともあって、冒険者なんてよっぽど大成しない限りはロクなもんじゃない、と思ってたし。
いや、お嬢様が専属契約してたエリシエルさんとルナールさんは、2人とも会った時から金カードだったから、大成はしてたけどさ。
俺はお嬢様がルナールさんの求婚を受けたと聞いた時、シルヴァーク公爵家を捨てて駆け落ちでもするのかと思っちまった。俺はお袋が冒険者の親父と駆け落ちして貧乏暮らしで苦労してたのを見てたから、いくら白金カードで金には困ってなくても公爵家のお姫様と冒険者じゃ身分違いだし、一緒に暮らすなんて絶対無理だ、とそれこそ身分違いだけどお嬢様には苦労してほしくなかったから本気で止めようと思ったんだが、次のお嬢様の言葉で止めようとした言葉が引っ込んだ。
「彼はヴァッハフォイアの次期宰相だそうですから、生活水準はシルヴァーク公爵家にいた頃と変わらないと思うのですよ。オスカーももしよければ一緒にヴァッハフォイアに行きませんか?」
なんで、大国の次期宰相様が冒険者なんてやってるんだよ・・・
人間族なら絶対に皆俺と同じことを思うだろうよ。
俺はエルフ族のエリシエルさんに、国に帰ったら大貴族の令嬢だったりしませんか?と確認しちまった。
「あっははは!ルナールのことよね、大丈夫、大丈夫、私は先祖代々一般庶民だから!獣人族くらいでしょ、若いうちは身分を問わずに冒険者になって大陸中を廻るのなんて」
エリシエルさんは大笑いして否定してくれたのでほっとしたけど。
でも言われてみると、ルナールさんてものすごく食べ方綺麗だったんだよな。厨房で賄い出して、一緒に食べたりしてたからわかるけどさ。
生まれ育った時から身に付いてる作法はなかなか抜けないもんだ。
死んだ親父がお嬢様と同じテーブルで食事なんてしたら、一瞬で育ちがバレるだろうが、ルナールさんはお嬢様と一緒に食事をしてても全く違和感がなかった。
大国の次期宰相で、白金カードになるほど強くて、当然金もあって、男の俺から見ても惚れ惚れするくらい色気のあるいい男で、て嫌な男だなあ、魔獣よりモテない男に刺されそうだ。それも余裕で返り討ちにするくらい強いんだろうけど。
俺はお嬢様が幸せになるなら誰でもいいけど、酒場とか娼館とか行ったら女が商売抜きで寄ってきそうな色男だよな、大丈夫か?
お嬢様は絶世の美女だけど、色気だけはまるでないからなあ。
いや、お嬢様は旦那に愛人が何人いても気にしないような人だけどさ。
なんて思ってたけど、全く色気のなかったお嬢様が結婚してからほんのちょっとだけだが色気が出てきた。元を知らなかったらわからなかったかもしれないけど、元々が人形か彫刻が動いているような人だったから、そのほんのちょっとが劇的に違って見える。
時々ルナールさんを見て凄く嬉しそうに笑うんだ、惚れた女に他の相手には絶対に見せないような顔見せられておきながら他の女にも手を出すような男だったら、それはどうしようもないろくでなしだ。
「シュトースツァーン家の男は浮気なんてしないよ!結婚するまでは皆さん結構遊ぶけどね、結婚したら妻一筋てのがこの家の家訓だからね」
アンナという赤毛の狐獣人の料理長が笑う。
代々この家の料理人として仕えている家系らしい。
お嬢様の指示でこの離宮の厨房が整ってから、毎日本邸の料理人が修行にやってくるんだよな。ルナールさんからシュトースツァーン家の料理人に料理を教えるのに給料3倍もらってるから別にいいけど、獣人族はあんまり凝った料理をしないとは聞いてたけど、たしかにアルトディシアの平民の酒場と大差ないんだよなあ、宰相家の料理人なのに。
「これまでは大概一族の中から相手を選んでいたんですけどね、従姉妹様とかが多かったはずです、シュトースツァーン家のしきたりにも詳しいですし。まさか本家の坊ちゃん方が2人も他種族の女性を連れてくるとは前代未聞らしいですけど」
アンナの娘のリリアという茶髪の狐獣人が、大根を飾り切りしながら教えてくれる。
この飾り切りもなあ、教えるのに苦労してるんだよな。
そして側仕えのイリス様が言ってたが、狐獣人は男も女も美人が多い。エルフ族とはまた違った感じだけど、種族全体が美形が揃ってる感じだ。その最たるもんがルナールさんの母親らしいけど、確かに物凄い美女だった、お嬢様と違ってぞくぞくするような色気もあったし。あの母親を見て育ったから、逆にお嬢様みたいな清純で奥ゆかしい感じのに惹かれたのかね?お嬢様の場合は、奥ゆかしいというよりは枯れてるんだけど。
「しっかし、人間族の料理ってのは手順が多いね、実際その手順に見合った美味しさだけどさ。順番に修行に行けと言われた時はムカッときたけど、これだけ手順が多くて味が違えば仕方ないね」
「違う。これだけ複雑な手順で料理を作り上げるのはアルトディシアでもシルヴァーク公爵家だけだ。いくら城から引き抜きをかけても頑として首を振る者がいなかったが、これほどまでに違うとは思っていなかった」
王女殿下が城から連れてきた料理人のパンテルが、小麦粉を3回目に篩いながらため息を吐く。
「お嬢様が細かいんですよ。小さい頃から厨房にやってきては色々指示を出して作らされましたからね。シルヴァーク公爵家の料理人の中では、お嬢様は美食の女神と呼ばれていました。セレスティスでは自分で厨房で料理もしてましたし。ルナール様はお嬢様が料理をしている姿を見て、人間族の貴族令嬢への認識が変わったと言っていましたよ」
「あの奥様ねえ、あんなに近寄りにくいくらいお綺麗なのに、話すと気さくな方だよねえ。ルナール坊ちゃんが気に入って連れてくるくらいだから、気は強いんだろうけど」
「お嬢様は気が強いというよりは、意志が強いんですよ。絶対に曲がらない筋が1本通ってる感じです。基本的には常に淡々としていて温和な方ですよ」
お嬢様が怒るところなんて想像もできないしな。
このシュトースツァーン家の男ってのは、皆もれなく気の強い女が好きらしいけど、夫婦喧嘩とかしたら大変そうだよなあ、お嬢様とルナールさんが夫婦喧嘩するのは想像できないけど。
「オスカー、新しい包丁が出来上がりましたよ。流石はこの国1番の鍛冶師の作です、注文した通り波紋がくっきり!」
お嬢様がにこにこと微笑みながら厨房にやってきた。手には包丁らしき包みを抱えている。
「奥様、シュトースツァーン家の武器を扱う鍛冶師に包丁を打たせたんですか?」
アンナが呆れたように笑う。
「あら、料理は良い道具を使わなくては。美しい柳刃包丁に薄刃包丁です。これで野菜の飾り切りも魚をおろすのも楽ですよ。注文通りに仕上げてくれました、ルナールが買ってくれましたし」
「奥様、シュトースツァーン家の男は妻にはそれはもう甘いんです。包丁よりももっと高いものをいくらでもおねだりしたらよろしいでしょうに」
お嬢様が首を傾げる。
「でもこの包丁は、2本で小金貨2枚でしたよ。かなり細かく注文を出したので、打つのに苦労したそうです。先に打ってもらった私の剣と同じ技術で打ったので大変だったと言っていました」
1本小金貨1枚の包丁。
どんな高級な包丁だよ。
俺達が内心でげっそりしているのを尻目に、お嬢様は凄く嬉しそうだ。魔術具で調理道具をたくさん作ってもらってる俺としては、何も言う気はないけれども。
「奥様、包丁の値段としてはとんでもない高級品ですが、シュトースツァーン家の男にとってははした金ですよ。ご当主様の奥様なんて、昔から夫婦喧嘩の度に中金貨じゃきかないような素晴らしい装飾品を買ってもらってますよ」
夫婦喧嘩の度に大金貨が飛ぶような宝石買わされるのか、大変だな。ルナールさんと同じ顔したご当主様の顔を思い浮かべる。
「そうは言いましても、この国に来てすぐに王都中の商会が集められて好きなものを好きなだけ注文するようにと言われましたし、そもそも私は装飾品はあまり好みませんので、公式の場でしか身に付けないのですよね。それに夫婦喧嘩というのもまだしたことがありませんし」
そうなんだよな、お嬢様は物凄い絶世の美女なんだからいくらでも着飾ればいいのに、普段着は飾り気ないし、宝石の類も一切付けないんだよな、護身用の魔術具はあちこちに付けてるらしいけど。
「欲がありませんねえ、奥様」
アンナとリリアが苦笑する。そんなんでこの家の奥方が務まるのか?と心配しているのがわかるが、お嬢様はそういう人じゃないんだよ。
「そんなことはありませんよ、この国は文化的に遅れている部分が目立ちますから、周辺諸国との貿易を拡大するようお願いしましたし、私の馴染みの商会には便宜を図っていただいていますし、ルナールにもお義父様にも、お金も権力もたくさん使っていただいています」
アンナとリリアの苦笑が引き攣った。
アルトディシアの次期王妃として教育されてきたお嬢様のおねだりは規模が違うんだよ。
「・・・お嬢様、ルナール様と夫婦喧嘩しないんですか?」
俺はちょっと気になったのでこそっと聞いてみる。
誰に対しても淡々と穏やかなお嬢様だが、夫婦ともなれば違う顔も見せるかと思ったんだが。実際ちょっとだけとはいえ、色気も出てきたわけだし。
「今のところしておりませんよ。ルナールは元々大らかで優しい方ですし。あ、でも、他の方の尻尾に触るのは禁止、ときつく言われました」
は?尻尾?
「なんですか、尻尾って」
「獣人族の方々は皆さん素敵な尻尾をお持ちでしょう?どうしても撫でまわしたい衝動に駆られるのですけど、尻尾を褒めたり触ったりするのは求愛と取られることがあるので禁止なのです。ルナールの尻尾は思う存分触らせていただいていますけど」
そんなに残念そうに言わなくても。
俺はアンナとリリアの後ろで揺れる赤と茶の尻尾に思わず目を向ける。
確かに手触りは良さそうだけど、そんなに触りたいか?あれ。
確かに結婚すると違う面も見えるみたいだ、なんか想像してたのと違うけど。
俺はベッドにちょこんと座って、ルナールさんに他の獣人の尻尾にはお触り禁止!と怒られてるお嬢様を想像してみる。
うん、なんだか可愛いぞ。
お嬢様がルナールさんのどこに惹かれたのかと思ってたけど、顔とか強さとか、そんなありきたりなことはお嬢様に限ってはないだろうとは思ってたけど、まさか尻尾とは。
お嬢様とは結構長い付き合いだけど、性癖ってわからんもんだなあ。