魅惑のフルーツサンド(共)
本日コミックアーススターでコミカライズ更新です。
今話は本編では個別視点のなかったリュミエール視点です。
私の名はリュミエール・パルメート。
フォイスティカイトに本店を置くパルメート商会の娘です。
パルメート商会は実力主義なので、直系だからといって無能では跡を継ぐことはおろか、商会に勤めることも許されません。実の子だというだけで優遇し、その他の優秀な者を排斥して没落した家は数知れずありますから、パルメートの名を名乗るのならばそれに相応しくあれと教育されるのです。
私は商売が好きですし、パルメート商会に誇りを持っていますから、将来的にパルメート商会を大きくするための勉強としてセレスティスに留学することを選びました。兄弟姉妹も私と同じようにセレスティスに留学したり、商会の下働きから始めてみたり、他家と縁を繋いだり、とそれぞれの道を自分で選択しています。
セレスティスに留学することの最大の利点は、他国や他種族との縁を結べることです。
セレスティスには国籍、種族、年齢、一切を問わずに留学生が集まりますから、私のように商業、経済を専攻する者にとっては最高の学びの場です。
もっとも悪縁を繋いでしまっては元も子もありませんから、見極めは重要ですけれど。
留学生には貴族が多いですが、学院では基本的に身分差はないことになっていますし、セレスティスに留学してくるような方は高位貴族であっても嫡子ではありませんし、学ぶことが好きな方がほとんどです。基本的な礼節が保たれていれば特に咎められるようなことはありません。
それにセレスティスは大陸中から留学生が集まる中立の学術都市なので、大陸中の品が集まっているのも魅力です。将来的に交易をしたり、他国へ支店を出す参考になりますから。
フォイスティカイトとアルトディシアは人間族の国で国交も盛んなので、それぞれ支店のある商会も数多くあります。留学してくる際に母や姉、従姉妹たちから可能なら情報を得てくるようにと言われたのが、アルトディシアでここ10年ほどで台頭してきたアストリット商会です。フォイスティカイトでの支店はまだありませんが、できるのも時間の問題だと言われています。だって、扱っているものが、女性のための高品質な化粧品や美味しいお菓子なんですもの。アルトディシアの貴族女性全てが顧客とまでいわれている商会ですが、なんせ品質が確かで大量生産ができないために、アルトディシア王都の店舗のみで国内にもまだ支店がないのです。それがセレスティスに支店ができるというのですから、母たちが色めき立つのもわかります。
「申し訳ございません。ロシアケーキの予約は半年後まで埋まっておりまして・・・」
以前から販売しているというクッキーやパウンドケーキは買うことができましたが、このセレスティスの限定品だというロシアケーキは予約すらできません。クッキーもパウンドケーキもとても美味しくて、これまでお菓子とは見た目が美しくてとても甘いものだと思っていたのが目が覚める思いでしたから、是非食べてみたいのですが。
化粧水に乳液、リップクリーム、ハンドクリームといった品も、どれも素晴らしい品質で香りもいくつかの中から好きなものを選べるとあって、常に品薄です。
衣装や靴も素敵なデザインの品が展示されていて、一般的なサイズの品はオーダーしなくても買えるようになっています。裕福な高位貴族ならば衣装も靴も全て誂えるでしょうけど、あまり財政の豊かではない貴族や平民には助かりますね。母の若い頃は衣装というのは誂えか古着かしかなかったそうですが、同じデザインの平均的なサイズの衣装を何着も売るというのはここ20年ほどで定着してきた売り方です。我がフォイスティカイトが誇る天才針子であるシャナル・ボヌールが足踏みミシンを開発したからできたことです。
私もシャナル・ボナールのように名を残せる商人になりたいものです。
私は去年から留学していますが、今年の留学生に一際目立つ方がいます。
誰もが振り返り、見惚れ、気付けば目で追ってしまう、絶世の美女です。
おそらく高位貴族なのでしょうが、身分の詮索は禁止されていますし、世の中知らない方が良いことも多いですからね。高位貴族の女性が商業流通の講義を受講するのはとても珍しいため、おそらく商家出身者がほとんどを占めている教室では明らかに浮いていますが、本人は特に気にした様子もありません。その泰然とした様子も高位貴族であることを窺わせます。休憩時間におそらくアストリット商会のものと思われるパウンドケーキを食べていた姿には、なんとなく親近感が湧きました。ただ、勉強の合間に食べるには随分と高級品ですけれども。
今日もバッグから包を出して広げているのが見えます。勉強するとお腹が空きますからね、休憩時間に飲食をする者は他にもいます。
え?あれはもしかして、アストリット商会のロシアケーキでは?!
それは、こんな授業の合間に食べるような品ではないです!
「あの、それはもしかしてアストリット商会のロシアケーキですか?」
思わず声をかけてしまって背筋を冷汗が伝うのを感じます。いきなり見ず知らずの下位の者から話しかけられて不快だと憤るような方でないと良いのですが!このセレスティスに留学するような貴族にそのような方はいないと信じていますけれど!
「ええ、そうですよ。それが何か?」
にこりと微笑んで肯定してくださり、私は内心でほっとします。もしかして、これはチャンスですよね?アストリット商会に伝手のある貴族と縁ができたということですもの!
その後、セイラン・リゼルと名乗られましたが、私の記憶にアルトディシアにリゼルという貴族家はありません。これはもしかして、明らかに家名を隠さないとまずいほどの高位な方かもしれません。セイラン様が声をかけられたドワーフ族のドヴェルグ商会のフリージア様と共に食事に招待されましたが、護衛騎士と貴族の侍女が留学に同行されている時点で、間違いなく伯爵家以上の出であることは確実でしょう。
「セイラン様ですか?やんごとなき身分の方である、とだけ申し上げておきます。ご本人は基本的に穏和な方ですし、理不尽な命令をされるような方ではありませんから、誠実なお付き合いをされている分には全く問題ありませんよ」
あっさりとアストリット商会の商会長夫妻を紹介してくれたセイラン様には感謝しかないけれど、今後のお付き合いのことを考えてアストリット商会長夫妻にセイラン様の本国でのご身分を確認すると、意味深な笑顔で釘を刺されました。
「セイラン様ご自身が身分を隠しての留学を楽しまれていますから、私共はそれに従うのみでございます」
うちの商品の果物や香辛料を、あんなに美味しい料理やお菓子にしてくれる人との縁を逃すつもりはありません。明らかに高位貴族でも、本人は厨房に行って平民の料理人と普通に会話するような気さくな人ですし。それに私は幼い頃から勘が良いのです。セイラン様は仲良くなれば絶対に私にとっても良いことがある人です。パルメート家には時々私のように勘の良い者が生まれるため、その直感は大事にするようにと言われています。現にアストリット商会とドヴェルグ商会との縁も繋いでいただきましたし。
「フリージア様は何を持ってこられたのですか?」
「パンを切るための包丁です。セイラン様から、パンをつぶさず断面も滑らかに切れるように、と注文されまして、職人が張り切っていました。パンを切るためだけの包丁というのはこれまでなかったので、商機です!」
腕の良い鍛冶師を多く抱えるドヴェルグ商会に、セイラン様は様々な調理器具の作製依頼を出されたそうです。セイラン様の邸にお邪魔する際に出来上がった品から持ってきているようです。
「私は届いたばかりの果物です。先日ご馳走になったマンゴープリンが本当に美味しくて、お願いしてレシピを買わせていただいたのですけれど、フォイスティカイトでは物凄い売れ行きのようで、家の方からセイラン様にお礼にと届きましたの」
アストリット商会がお菓子のレシピをひとつ中金貨1枚で買っているとのことだったので、そのまま中金貨1枚で買い取らせていただいたところ、ずいぶんと高い買い物をしたのではないか、と家には言われましたが、いざ売り始めると大評判になり、母たち女性陣が中金貨1枚なんて安いくらいだ!と息巻いてくれたおかげで、この先もレシピを買い取りやすくなりました。
「あら、もうパン切り包丁ができたのですね、ありがとう存じます。それに美味しそうな果物もたくさん・・・そうですね、リュミエール様、新しいレシピを買われる気はありますか?」
セイラン様がにこりと微笑んで提案してくださるのに迷うことなく頷きます。
「勿論ですわ!どのようなレシピでしょう?」
「フルーツサンドです。パンも柔らかい白パンが良いですから、パンのレシピもあった方が良いですわね」
セイラン様の邸でいただくお食事はどれもとても美味しいのですけれど、パンの柔らかさには驚きました。硬くてどっしりしたパンの方が好きだという方も多いでしょうけど、ふんわりと柔らかくてほんのり甘いパンは他では食べたことのないものです。あのパンのレシピも譲っていただけるのですか!
「では一緒に厨房へ参りましょう。パン切り包丁の試し切りもしたいですしね」
セイラン様に驚いたのは、厨房でご自分で料理をされることです。我が家は食品を主に扱う商会ですから、自分が取り扱う商品のことを知るために男も女も全員がそれなりに料理もできますが、貴族のお嬢様が自ら厨房で包丁を持つことなどフォイスティカイトではありえないのではないでしょうか。
「オスカー、まだ切っていない食パンはありますか?新しいパン切り包丁をフリージア様が持ってきてくださいましたよ」
何度かお邪魔したことのある厨房に行くと、料理人のオスカーさんが迎えてくれます。物腰の柔らかい丁寧な方で、アルトディシアの高位貴族家の料理人ともなると平民でも礼儀作法もしっかりしているのだと感心しました。
「パンを切るための包丁ですか?なんか細長くてギザギザですね?」
「ギザギザなのはパンの表面に引っ掛かりやすいのでパンをつぶさずにスムーズに切れるからですよ。断面がきれいに切れます。やってみてください」
オスカーさんが四角い箱から四角いパンを取り出しまな板の上に載せると、初めて見る包丁で試し切りをします。
「おお!きれいに切れますね!全然ぼそぼそにならないです!」
私としては、その四角いパンの柔らかさと白さの方が驚きです。
「良い感じですね、フリージア様ありがとう存じます。では一緒にフルーツサンドを作りましょうか。オスカー生クリームに砂糖を入れて泡立ててください」
「ああ、そのホイッパーという道具はそうやって使うのですね、注文された通りの形状で作りましたけど、職人が何のためのものかわからない、と首を傾げていたのですよ」
生クリームを泡立て始めたオスカーさんの手元を見てフリージア様が頷きます。私も初めて見ましたけど、とても便利そうです。
「パルメート商会は果物をたくさん扱っておられますから、フルーツサンドもバリエーションがたくさんできて楽しそうですね。イチゴは先端をギザギザにカットします。キウイは縦にカットしてオレンジは皮を剥きます。パンは耳を落として生クリームを塗って中心ライン上にイチゴ、キウイ、生クリーム、キウイ、生クリーム、キウイと順に重ねます。余白部分には余った果物を入れて生クリームで覆います。生クリームを薄く塗ったパンを重ねます。同じようにイチゴをオレンジに替えたものも作ります。乾燥しないようにクローシュを被せて冷蔵箱で冷やします。生クリームにクリームチーズやマスカルポーネを混ぜても良いですし、ヨーグルトに替えても良いですよ」
「セイラン様、フルーツの置き方に何か意味があるのですか?」
あとできちんと紙に書いてくださるでしょうけれど、フルーツの切り方と置き方がとても複雑です。きちんと手順を見て覚えておかなければ、後でレシピだけを見ても理解できないかもしれません。それにパンに肉や野菜を挟むのはよくありますが、フルーツを挟むのは初めて見ます。
「それはこれから切ってみればわかりますよ」
冷蔵箱から出した四角いパンが三角になるようにセイラン様が包丁を入れました。
「まあ!なんてかわいらしいのでしょう!」
「パンの断面がこんなにきれいな模様になるなんて!」
切られたパンの断面にはイチゴとオレンジがそれぞれ花のように咲いており、重ねたキウイは茎と葉になっていました。
「切る方向を間違えないように何か目印をつけておくと良いですよ。他のフルーツでも色々試してみてください。冷蔵箱で冷やすのは、ある程度硬い方がきれいに切れるからです」
ブルーベリーやラズベリーで花を作ってもかわいらしいでしょう。セイラン様のおっしゃるようにクリームを替えても良いですし、この見た目の美しさは貴族にも受け入れられるに違いありません。それに本当にパンが柔らかくて甘いのです。一切れずつ頂いたフルーツサンドは至福の味でした。見た目も味も素晴らしく、フルーツをたくさん使ったデザートです。本国で魅惑のデザートとして売れるに違いありません。
「フリージア様、私からもパン切り包丁とホイッパーを注文させていただきますわ。とりあえずは10本ずつお願いいたします」
帰り道でドヴェルグ商会へ注文を出します。道具の注文先が明確だと便利ですわね。
「ありがとうございます。アストリット商会と合同での食事処の話も進んでいますし、セイラン様の注文される調理器具は量産できるようにしておいた方が良さそうですね」
そう、フォイスティカイトとアルトディシアの合同ならばともかく、そこにヴィンターヴェルトまで加わった3商会合同での食事処開設の話が持ち上がっているのです。セイラン様との縁がなければまず実現しなかったお話でしょう。
私の勘はやはり正しかったのですわ!
萌え断というやつですね。フルーツサンドは日本のものですし。
リュミエールは俗にいう直感スキルの持ち主です。
リュミエールがちょっと説明していましたが、この世界の服飾業界はプレタポルテが出てきたところです。セイランは服も靴も全てオーダーメイドなので、今世では靴擦れの経験はありませんが、靴擦れをしないのと疲労軽減目的の靴の中敷きは別の話ですからね。




