女神の料理人(ジ)
本日アーススタールナより「婚約解消のち、お引越し。セイラン・リゼルの気ままで優雅な生活。②」発売です。よろしくお願いします。
俺の名はハンス。
アルトディシアの城で副料理長をしている。
俺が副料理長になったのは、城の料理人の中で1番お菓子作りが得意だったからだ。俺の作る美しいお菓子を王妃様たちや王女様たちが気に入ってくれたからさ。
だが俺には長年ずっと悩みがあった。
それはこの国の次期王妃様になる予定のシルヴァーク公爵家のお姫様が、何故か俺の作るお菓子をあんまり食べてくれなかったことだ。
城の副料理長といっても平民の俺は王妃様たちや王女様たちとお会いする機会なんざ滅多になかったが、それでも新作のお菓子をお出ししてそれが気に入られた時には、特別にお褒めの言葉を頂いたことが何度もある。
それなのに、シルヴァーク公爵家のお姫様は、俺が丹精込めて作ったお菓子を毎回申し訳程度に1個摘むだけで、残りは一切手を付けないらしいんだ。
俺が副料理長なのはお菓子作りの腕を認められてるからだ。だが、次の王妃様が俺のお菓子を食べなかったら、俺の副料理長としての立場はどうなる?!
甘いものが苦手なのかとも思ったが、普通の料理もほとんど手を付けずに戻ってくるし、そもそも食べることにあまり興味がないのか?王族の皆様はなんだかんだとよく食べる方が多いんだが。まさかお貴族様のくせに味音痴とかじゃないだろうな?
花や鳥を模ったり、時には宝石みたいにキラキラしたお菓子を作ったりと俺なりに色々工夫してみたんだが、結局褒めてくれるのは他の王族の方々だけで、シルヴァーク公爵家のお姫様からは1度もお褒めの言葉を頂かなかったし、当然拝謁も許されなかった。
そしていつの間にか第2王子殿下との婚約が解消されて、シルヴァーク公爵家のお姫様はセレスティスという学術都市に留学しちまったらしい。
そのままもうアルトディシアの城に来ることがないなら、俺ももういいやと思えたんだが、どうやらシルヴァーク公爵家のお姫様は第2王子殿下よりも偉いらしくて、婚約を解消した第2王子殿下は王族から公爵様になったけど、シルヴァーク公爵家のお姫様は残った第1王子殿下か第3王子殿下と婚約し直して、この国の次期王妃様になる予定らしい。
せめてどんなもんならまともに食べてくれるのかわかればいいんだが、シルヴァーク公爵家の料理人はいくら城が引き抜きをかけても絶対に首を縦に振らないらしい。王様がシルヴァーク公爵様に直接頼んでも断られたらしいからな。王様の頼みを断れるなんてシルヴァーク公爵様はどんだけ偉いんだ。
この国で1番料理が美味いと言われているのは、残念ながら城でなくてシルヴァーク公爵家だ。なんでこの国で1番偉い王様の飯を作ってる俺達が1番でないんだよ、と思うが、シルヴァーク公爵様には今の王様の妹が嫁いでるから王族と変わらんらしいし、次期王妃様もいるからな。美味い料理を作れる料理人とレシピは重要だから、どこの家でも囲い込まれるもんだし。
どうしたもんかと思っていたら、第2王妃様から呼び出しがかかった。
「シルヴァーク公爵邸のお茶会で手土産にとお菓子を頂いたのです。とても美味しくて、可愛らしくて、似たようなお菓子を城でも作れませんか?」
そう言って見本として下賜されたのは、色とりどりの見たこともないマカロンというお菓子だった。見た目だけなら俺の作るお菓子だって負けてないはずだ。
厨房に持ち帰り、主にお菓子作りを担当する料理人たちと一緒に食べてみることにする。
第2王妃様から下賜されたのはピンクと黄色と茶色の3個。小さなお菓子だが、包丁で更に4等分にする。
外側はサックリとしていて、内側はねっとりとした食感の濃厚な甘み。口に含むと崩れた生地がとろけて中に挟まったクリームと一緒になり、より濃厚な味わいと風味が広がる。ピンクは木苺か?甘酸っぱいな。黄色はレモンだな、すっきりとキレのある酸味が癖になる。茶色のこのほろ苦さと甘さは何だろうか。
俺達は項垂れた。
シルヴァーク公爵家のお姫様が城のお菓子をほとんど食べなかったのも当然だ。俺はお菓子というものは、ただひたすら甘くて美しければ良いと思っていた。
だが、このマカロンというお菓子は、見た目だけなら色とりどりで可愛らしいだけで、俺ならもっと複雑な美しいお菓子を作れるだろうと思えたが、食べてみるとただ甘いだけではなく、食感や風味もそれぞれ異なり、いくつでも食べられそうだった。俺が今まで作っていたのは見た目が美しいだけでただ甘いだけだ。シルヴァーク公爵家のお姫様が食べてくれなかったのもわかる。わかってしまった。
だが、これは一体どうやって作っているんだ?!
材料も作り方も全く想像がつかない。
第2王妃様は似たようなお菓子を作れと仰せだが、とてもじゃないが真似できない。
「どうするハンス?これ、作り方わかるか?」
「全くわからん」
「だよな・・・」
俺達は頭を抱えた。どうにかしてレシピを手に入れないことには、これはシルヴァーク公爵家の料理人にしか作れない。
俺達が何度も試行錯誤して結局出来上がったのは、ホロホロと崩れる食感のほろ苦いアーモンドの焼き菓子だった。第2王妃様には、これはこれで今までのお菓子とはまるで違っていくつでも食べられて美味しいとお褒めの言葉を頂いたが、シルヴァーク公爵家のマカロンとはまるで違う。完全に敗北した気分だ。
「おい、お前達、シルヴァーク公爵家の厨房に順番に修行に行くぞ。城の夜会でシルヴァーク公爵家の料理が一挙にお披露目されることになったそうだ。作るのに城の料理人も総動員でないとならんから、手伝いの報酬にいくつかレシピを譲ってくれるそうだ」
王様に直々に呼び出されていた料理長が帰ってきて、予想もつかなかったことを言われる。
「料理のレシピってのは門外不出のもんだろう?なんで急にそんなことになったんだ?」
「なんかよくわからんが、シルヴァーク公爵家のお姫様がハイエルフの王族と結婚して、料理の神ロスメルディアの命令で料理の街を造ることになったんだとさ。国を挙げて手伝うらしい」
なんのこっちゃ。
俺達はさっぱりわからんかったが、これまで謎に包まれていたシルヴァーク公爵家の料理のレシピが手に入るとなったら行かないわけにはいかない。
流石は公爵家、城の厨房と規模は変わらんな。だが、見たことのない調理器具がいくつもある。あれはどうやって使うものなんだろうか。
シルヴァーク公爵家の厨房に行くと、料理人たちに紹介される。王城を差し置いてこの国1番の料理を出すと言われているんだ、どんだけ偉そうな連中かと思っていたが、皆温厚でなんだか腰も低くて、しかもお貴族様みたいに物腰が丁寧だった。
「そりゃあ、この厨房にはうちのお嬢様が小さい頃からしょっちゅう出入りしてるからな。嫌でもある程度の礼儀作法は身につくさ」
「お嬢様が小さい頃から、料理に指示出しながら読み書きとか計算とか礼儀作法とか教えてくれたからな。見苦しくないようにしないとならんだろ?」
「うおおお!俺達の美食の女神がぽっと出のハイエルフと結婚して他所に行っちまう!」
「うちで1番の料理上手は俺達料理人でなくお嬢様だからなあ。俺達が偉そうにしたって恥ずかしいだけだろ?」
なんかよくわからんが、シルヴァーク公爵家のお姫様は、子供の頃からこの厨房に出入りして料理人たちと仲良くしてたらしい。それに1番の料理上手?公爵家のお姫様が?なんでだ?
「あー、とりあえずお嬢様が城の料理人のお菓子作りの腕前を確認したいと言ってるんで、何か作ってみてくれませんかね?見た目が綺麗で甘いだけのお菓子はこれまでに城でたくさん召し上がったそうなので、それ以外を作れるならそれでお願いします」
赤髪のまだ若い副料理長だという男に言われて、俺達はアーモンドの焼き菓子を作る。このシルヴァーク公爵家のマカロンを参考にしたとは思えないような出来だろうが、ただ甘いだけでない、いくつでも食べられるようなお菓子というのはまだこれしか作れない。
「あ、お嬢様、城の料理人が来ているので、今は厨房に顔を出すのはちょっと不味いんでないかと・・・」
「そうですか?でもせっかく手伝いに来てくださっているのですから、一言挨拶くらいは・・・」
副料理長が厨房の入り口で困ったように話している。まさか本当に公爵家のお姫様が直接厨房にやってきたのか?!
そこには光が立っていた。
本能でそこにいるのは女神様だ、と悟った。
心臓が縮みあがるような感覚でぞわぞわして立っていられない。思わず跪いて祈りを捧げる。
「ああ、楽にしてくださっていいのですよ。わざわざ城から順番に来てくださっているのでしょう?ご足労をかけてごめんなさいね、そしてありがとう存じます」
女神さまが直接俺達なんかに声をかけてくださっている!
「お嬢様、だから言ったのに・・・」
「うーん、やっぱりうちの者しか耐性がないのねえ」
なんでこのシルヴァーク公爵家の料理人たちは女神様と普通に会話できているんだ?!
「お嬢様、これ城の料理人が作ったアーモンドの焼き菓子です」
あ、てめえ、そんな拙いお菓子を女神様にお出しするんじゃない!
「・・・あら、ビスコッティ・アマレッティじゃないですか。私が城に行っていた頃には1度も出てきませんでしたね。これなら美味しいから何個も食べられますのに。城には子供の頃から何度も行っていたのに、毎回綺麗で甘いだけの砂糖菓子ではなくこれを出して欲しかったですね」
「そういう名前のお菓子なんですか?」
「あ、城ではなんと呼ばれているのかは知りませんよ?これは元々はマカロンの原型となったお菓子なのです」
マカロンの原型となったお菓子。
知らず涙が零れた。
1度食べたマカロンを再現しようと、全く想像もつかない中試行錯誤して作ったお菓子は、マカロンの原型となったお菓子だったらしい。
俺達の努力は無駄ではなかったんだ。
「あ、あら?何故号泣しているのかしら?!」
「城の料理人がいる時にお嬢様がいると仕事になりません!ジークヴァルト様と一緒に城の夜会で出すメニューでも考えていてください!」
「オスカー、お前もお嬢様と一緒にメニューの相談に行ってろ。お嬢様1人ならともかく、あのジークヴァルト様も一緒だと俺達は目がちかちかして敵わん。お前は平気なんだろ」
なんだかバタバタと副料理長を連れて女神が出て行ってしまった。息をするのもやっとだった圧迫感がなくなる。
「あー、すまんかったな。うちのお嬢様は昔からふらっと厨房にやってくるんだが、今はロスメルディアを降ろした後遺症だかで光ってるからちょっとやりにくいんだよな」
「お嬢様の連れてきたハイエルフの旦那も一緒だと、一層光り輝いてて目がちかちかするしな」
「お嬢様、何を思ってあんなお堅そうなの連れてきたんだろうなあ。ああいう男が好みだったのか?」
あんな女神を前にして、このシルヴァーク公爵家の料理人たちは皆平気な顔をしている。
「ああ、どうやらうちの料理人たちはお嬢様に護られてるらしくて、お嬢様の神気?てやつも気にならないらしいんだ。まさか本物の料理の神様を降ろしちまうとは思ってなかったけど、お嬢様は昔からうちの美食の女神だからな、今更だ」
シルヴァーク公爵家の料理長が呆れたように説明してくれるが、つまりはこの家の料理人たちは女神に認められた料理人ということじゃないか。
なんという栄誉。
俺は残りの料理人人生全てをかけて、女神に認められる料理人となるべく精進することを心に誓った。
セイランにもジークヴァルトにも動じないオスカーは、実はかなり稀有な人間です。