6つ名の君(ル)
私の名はアイーシャ。
フィンスターニスの神殿騎士だ。
私はずっとフィンスターニスで6つ名の君にお仕えしてきた。
3年前、6つ名の君に闇の神フィンスターニスが降臨し、その後6つ名の君が目覚めることなく崩御されるまでは。
6つ名の君のお身体に神が降臨されることがあるというのは、フィンスターニスの神殿では知られていたことだった、そしてその後目覚めることがないということも。
だが、6つ名の君にお仕えするということは、私にとっての全てだったのだ。
6つ名の君がそこにおわすだけでフィンスターニスの地は富み栄え、常に神殿の奥深くで神に祈りを捧げ、何を望むこともなく静かに佇む静謐で清廉なお姿は正に神の化身であった。
だから6つ名の君が崩御された時、私だけではなく多くの神殿騎士が身も世もなく嘆いた。それが6つ名の君の御役目だったのだとわかってはいても、何故自分もお供することが叶わなかったのかと慟哭した。
そして私はまだ早いと言われながらも、フィンスターニス神殿騎士の最高位である天騎士に上がるための試練を受けることにした。
仕えるべき主を失い、死に場所を求めていたのかもしれない。
私に与えられた試練はヒュドラの討伐だった。
どこに生息しているのかもわからない災害級の魔獣を探し求めて、私は国を出て冒険者として技量を磨きながら大陸を流離った。
今の私にはまだヒュドラと単独で対峙できるような力はないだろう、ヒュドラは災害級の魔獣の中でも上位にあたる。私が死ぬのは構わないが、討伐し損ねたとなると周辺に迷惑がかかるし、何よりもフィンスターニス神殿騎士の名誉が地に落ちる。信頼できるだけの技量を持った仲間を見繕わなくてはならない。
神殿には大陸中で出没したことのある災害級の魔獣の資料があったから、それを頼りに最後にヒュドラが出没し討伐された記録のあるヴィンターヴェルトへ向かった。
大陸中を流離っていても同族と出会うことは滅多になく、いかにフィンスターニスが閉鎖的であったのかがよくわかったが、さすがに言葉が通じにくいのには閉口させられた。大陸共通語は普通に話せるつもりだったが、ところどころわからない言葉があり、わからない言葉ほど重要なことだったりしたからだ。
ダークエルフが珍しいこともあり、冒険者ギルドや酒場ではよく絡まれたし。
旅をする中でわかったのは、他者に絡んでくるのは自分が強いつもりになっている哀れな者だけだ、ということだ。特に冒険者ギルドではそういう勘違いをした者が多い。酒場ではまあ、酒が入っているから、という情状酌量の余地もあるのだが。
ヴィンターヴェルトの王都で夕食を取るために繁盛していそうな酒場にいくと、案の定ほぼ満席でどうしようかと思ったが、人間族とドワーフ族と獣人族の男3人が食べているテーブルが眼に入った。獣人族にはよく絡まれるので正直あまり良い印象はないのだが、あの狐獣人はまだ少年のようだし、人間族もドワーフ族も嫌な感じはしない。何より3人共、他者に向けて自分の力を誇示したがるような青い時期はとうに過ぎているであろう力量を感じる。
「すまないが、相席させてもらっても構わないだろうか」
意を決して声をかけると、3人とも鷹揚に頷いてくれた。
他種族の年齢はよくわからないが、人間は30代前後、ドワーフは100歳前後、狐獣人は20歳未満といったところであろうか、この中で1番強いのは・・・狐獣人の少年だな、人間とドワーフは私と大差はない感じがするが、この狐獣人の少年はおそらく私よりも強い。
3人は私がよく絡まれると話すと同情してくれた。どうやらこのレナートという狐獣人の少年もしょっちゅう絡まれているらしい。確かに見た目はやや小柄で白髪に金の瞳の女性と見紛うばかりの綺麗な顔をしているが、他者の力量がわからない輩というのは命知らずなものだ。
おそらくは高位の冒険者である3人にヒュドラのことを聞いてみることにする。フィンスターニスの言葉でしかヒュドラがわからないのがもどかしい。
「ヒュドラは災害級の魔獣だから、出没したら大騒ぎになるだろうが、最後の討伐情報は20年ほど前のはずだ」
・・・驚いた。
この中で1番年若いであろうレナート殿が、あっさりと私の言葉を聞きとってくれた。他国の言語に精通しているということは、相当に高位な家の出身なのであろうか。
思わず少年の両手を握りしめてしまう。
私の1/10ほどしか生きていないであろうに素晴らしい!
うむ、私の胸からそっと視線を逸らすところも育ちの良さが窺えるではないか!
この3人ならば、技量的にもヒュドラの討伐に付き合ってくれるに違いない。腕に覚えのある冒険者なら、白金に上がる機会は逃したくないだろうからな!
翌日冒険者ギルドに行くと、レナート殿が情けない顔をして耳を下げており、それをジリオン殿とゴルトベル殿が笑っている。何事かあったのだろうか?
「いやあ、レナートに指名依頼が入ったんだが、その内容がな・・・」
ジリオン殿が苦笑しながら渡してくれた指名依頼の封筒の差出人の名を見た瞬間、私は呼吸が止まるかと思った。
アルトディシアの6つ名の君!
6つ名の君は須らく神殿騎士が敬いお仕えする存在だ。それは他国の6つ名の君であろうとも変わらない。
神はまた私に6つ名の君にお仕えする機会を与えてくださったのだろうか。
レナート殿に出会うことができたのは、まさに神のお導きだったということだ。
涙が零れぬよう、声が震えぬよう、6つ名の君の依頼であればどのような魔獣でも出没するであろうということを説明する。
レナート殿の長兄殿もおそらくそれを知っているということだ。
何故、6つ名の君がアンフィスバエナの尾とヒュドラの毒袋と肝臓などを望まれたのかはわからぬが、6つ名の君のお望みとあらば、神殿騎士として全力を尽くすのみ!
そしてこの3人は私が見込んだ通り、とても腕の立つ冒険者だった。1番腕が立つであろうレナート殿がまだ銀だったというのには驚いたが、魔獣の討伐にしろ、素材の採集にしろ、それに出会えなければ始まらないからな。
ああ、6つ名の君にお会いしたい。
依頼の品を帰国する際に私が直接お届けするとでも言ってみようか、だがフィンスターニスに帰国するのにアルトディシアを通る必要はないからな、おそらく大陸の地図にも精通しているであろうレナート殿には訝しがられるだろう。
ああ、依頼品を送る手配をしにレナート殿が受付に行ってしまう。
「はあ?!」
レナート殿が受付でおかしな声を上げている、何かあったのだろうか。
「どうした?レナート」
「・・・長兄の嫁からの依頼だから、ヴァッハフォイアに送ることになっていると言われた」
「・・・なあ、レナート。お前が結構いい家の出なのはわかってたが、アルトディシアの筆頭公爵家の令嬢を娶れるほどの家だったのか?」
フィンスターニスでは、6つ名の君は一生独身で神殿の奥深くで暮らされるが、他国では権力者に娶せられることも多いとは聞いている。ほとんど何の感情も欲ももたない6つ名の君にとって、それはあまり幸せではないことも・・・
まさかレナート殿の長兄殿は、アルトディシアの6つ名の君を無理やりヴァッハフォイアに攫って行ったのではあるまいな?6つ名の君はそこにおわすだけでその地が安定する至高の存在、国が手放すとは考えられぬ。
もしそうだとしたら、私は6つ名の君をお救いせねばならぬ。
それに無理やり攫ったとなれば、アルトディシアだけでなく、ヴァッハフォイアの地も荒れるであろう。
神殿騎士として見過ごすわけにはいかぬ。
私はフィンスターニスへの帰国をとりやめ、レナート殿についてヴァッハフォイアに行くことにした。
ヴァッハフォイアへの道中、6つ名の君の友人であるというドワーフ族の商会を護衛することになったが、そこで聞かされた6つ名の君の話は不思議なものばかりであった。
他国へ留学・・・はまだ良い、6つ名の君というのは総じて物静かで書を好む御方が多いはずだから、大陸一の蔵書量を誇るセレスティスの大図書館ならば、欲の薄い6つ名の君であっても心惹かれるのはわかる気がする。なにより6つ名の君が望んだのであれば、国は容認せざるを得ないであろうし。実際セレスティスには、ハイエルフの6つ名の君がお1人隠棲されているはずだし。
6つ名の君は総じて頭脳明晰であられるし、分野を問わずにありとあらゆる本を読まれるが、あえて商業や経済の講義を好んで受けられるであろうか?それは他者と関わることの多い分野だ。
それにいくら護衛騎士をつけているとはいえ、自ら下町を歩き回り、買い物をされるか?挙句の果てにご自分で厨房に行き手ずから料理をなさっていたという。
6つ名の君でなくても、人間族の王族に連なるような身分の大貴族の令嬢はそのようなことはしないのではないだろうか。
種族や身分による差別意識は持たれぬはずだから、他種族と親しくお声を交わしていたというのはおかしくはないが、6つ名の君は特定の相手と親しくなるということ自体が滅多にないはずなのだが。
ましてや、気さくで面白い、などと評される6つ名の君を、フィンスターニス神殿の長い歴史の中で聞いたことがない。
おそらくヴァッハフォイアの相当高位の権力者の家の生まれであろうレナート殿も首を傾げている。神殿とはまた違うが、どこの国でも権力者は6つ名の君を欲するから、6つ名の君の特性をある程度は知っているのだろう。
ヴァッハフォイアの王都に着くと、懐かしい、6つ名の君の気配を感じた。
フィンスターニスでは、6つ名の君はフィンスターニスを守護するよう教えられ、神に祈って過ごされるから、6つ名の君の御力を常に感じることができた。6つ名の君がいない時代も当然あるが、私は生まれた時から6つ名の君が存在しておられたから、それ故に喪失感も強かった。
ああ、この地には6つ名の君がおられる。
そして国土が荒れることもなく、気候も安定しているようだ。
この時点で、6つ名の君が無理やりアルトディシアから攫ってこられたのではないことがわかった。
レナート殿の長兄殿がどのような御仁かはわからぬが、6つ名の君を大切にしておられるのであろう。
それはレナート殿の邸に着くと確信に変わった。
ああ、まるでフィンスターニス神殿で6つ名の君が住まわれていた奥宮のようではないか。
花も木も風も、6つ名の君の御心そのもののように、静かに美しく穏やかにそこに在る。
常に手入れの行き届いた邸で過ごしていたのであろうレナート殿は気付いておられないようだが、おそらく庭師にでも聞けばすぐにわかるはずだ。
それにしても広大な邸だ。
この国の宰相を代々排出している家柄とのことだが、これだけの規模の邸を管理、維持しているということは、相当な財力を有しているのであろう。6つ名の君は贅沢を好まれるわけではないが、何不自由なく大切に扱われなければならない存在だ。どのような経緯でアルトディシアからヴァッハフォイアへ移られたのかはわからぬが、6つ名の君ご自身が心穏やかに過ごされているのなら問題なかろう。邸の者達にも慕われているようだし。
レナート殿はあっさりと6つ名の君も同席される会食に誘ってくださったが、6つ名の君に対面するには心の準備がいる。何か失態があっては取り返しがつかないし、おそらく私が決闘を申し込まなければならないような事態ではなさそうなので、おとなしくジリオン殿とゴルトベル殿と待つことにする。
それに、6つ名の君が考案されたというお菓子や料理を堪能させていただきたいし・・・
6つ名の君が考案されたというだけで、どのようなものであっても食するのに否やはないが、甘いものをさほど好まない私でも出されたエッグタルトというお菓子は美味であったし、酒のつまみにと出された料理の数々はどれも素晴らしく美味であった。
正直、6つ名の君が料理をされるというのも、料理を考案されているというのも眉唾物だと思っていたのだが、私は200年以上生きてきてこのようなお菓子も料理も食したことがない。もしかしたらこの邸におられる6つ名の君は、神々と直接語ることができる御方なのかもしれぬ。セレスティスに隠棲しておられるハイエルフの6つ名の君は、神々と語られるというし。
ご家族との会食から戻られたレナート殿に6つ名の君のことを伺う。
大切にされているであろうことはこの邸の状態を見るだけで窺われたが、しかし、溺愛・・・?
6つ名の君を大切にするのはわかる、権力者にとっては繁栄が約束されるようなものだからだ。
だが、6つ名の君は皆様一様に感情が乏しいから、種族性別を問わず美形ではあるが人形のようだと称されることが多い。その美しさを愛でることはあっても、愛し愛されるというのは難しいのだと聞いていたのだが。
だが、レナート殿の様子を見ると、身内として辟易するほどに長兄殿は6つ名の君を溺愛されているご様子。長兄殿は相当な面食いか?
決闘を申し込まなくて済みそうだと言うと、明らかに私が負けるのを確信したような眼で見られたから、長兄殿は相当に腕の立つ御仁なのであろう。いや、6つ名の君をお守りするのに、地位や権力だけではなく、強いにこしたことはないのだが。
しばらくはヴァッハフォイアで6つ名の君の望まれる品を手に入れるために冒険者として活動を続けるということで、私もこのまま継続してパーティに加えてもらうことにする。6つ名の君のお役に立てるのなら、帰国などいつになっても構わない。こちらにおわす6つ名の君は人間族だから、なんなら寿命を迎えられるまでお仕えさせていただいても良いくらいだ。いっそ護衛騎士としてお仕えさせていただけないだろうか。この邸は手練れの気配が多いから、私程度では力不足であろうか。
ジリオン殿とゴルトベル殿は宿屋を探すようだが、私はこのまま6つ名の君のお傍に侍りたい。
「ジリオンとゴルトベルは街の宿屋でいいだろうけど、アイーシャはこのままうちに滞在した方がいいんじゃないか?」
6つ名の君のお傍にいたくてたまらない私の心を読んだかのようなレナート殿の言葉にドキリとする。
「このまま滞在させていただけるのならありがたいが、何故だ?」
「いや、この国は獣人族が多いからさ、考えなしの馬鹿が多いんだよ。他の国でも散々絡まれてきたんだろ?鬱陶しい男どもに纏わりつかれるのは嫌だろ?こう言っちゃ悪いが、この国はアイーシャよりも強い獣人族が街中にたくさんいるし」
相変わらずなんと気遣いのできる少年であろうか。
確かにヴァッハフォイアは、大陸最強の武力を誇る国だ。王が10年毎に戦いで決められるくらいなのだし。私程度の腕では見知らぬ獣人族に手籠めにされてもおかしくないということか。
6つ名の君のお傍に侍りたい、と浮ついていた気分を引き締める。今のままでは6つ名の君のお傍に護衛騎士として侍るのも憚られる腕ということだ。
「お気遣い痛みいる。滞在させていただいて図々しいのだが、この邸には鍛錬場などもあるのだろうか?手練れが揃っている様子だから、是非ともご指南いただきたいのだが」
「ああ、構わないぞ。うちは一通りの武器の扱いを叩き込まれるからな、それぞれの武器の遣い手が揃ってるから後で紹介してやる」
「なあ、レナート、アイーシャは誇り高い神殿騎士だし、そんな女じゃないのはわかってるつもりだが、もし泥棒とか暗殺者だったらどうするんだ?あっさり邸に入れて、長期の滞在許可を出して、挙句の果てに鍛錬の許可まで出して」
ジリオン殿が苦笑するが、言われてみれば全くその通りだ、6つ名の君のおわす邸に無造作に不審者が招かれるかもしれないということだからな。
「神殿騎士というのは、自分の全ての名にかけて神と6つ名に命と忠誠を誓うもんだろう?その誓いに反するようなことをしたら文字通り神罰が下るぞ。それ以前に、うちの邸に泥棒や暗殺者が入り込んで無事に出られるわけがない。どれだけ厳戒な警備体制を敷いてると思っているんだ?」
「あー・・・もしかして、邸の門を潜ったり、邸に入った時点でなんらかの魔術具で選別とかしてるのか?」
「当然だろう。もしそれを掻い潜って入り込めたとしても、うちの連中がどれだけ手練れだと思ってるんだ。時々あえて入り込ませて捕えることもあるけどな」
そうだよな、15歳で家から放り出して白金になるまで帰ってくるなとかいうような家だもんな、とジリオン殿がブツブツ言っている。
「わかったら長兄の嫁のところに行くぞ、これから依頼を受けるなら挨拶しておいた方がいいだろう?俺も依頼の品を持って行くし」
6つ名の君との対面!
高鳴る胸を押さえ、レナート殿について長兄殿の離宮に向かう。
どうしても浮き立つ心を抑えることができない。
6つ名の君のおわす離宮に到着すると、そこはまるで神の庭園だった。
ここまで回廊を通ってくる途中で見た庭園も美しかったが、まさに別世界だった。
一体どれほど6つ名の君が幸せを感じていれば、これほどの空間ができあがるのであろうか。
レナート殿は依頼品の報酬を金が良いか、代替品が良いかと聞かれて目を白黒させている。
そういえば、魔術具も作成されるようだと言っていたな。6つ名の君であれば、魔術具作成の技術さえ身に付けておられたら、大神の魔法陣を刻むことも何の苦も無くやってのけられるであろう。もしかしたら、私もこの先6つ名の君が手ずから作成された魔術具を賜ることができるかもしれないということだろうか。
「お初にお目にかかります、6つ名の君。私はフィンスターニス神殿騎士アイーシャ・カナン・アデミール・ファリス・セザーランと申します」
まさかまた6つ名の君にご挨拶できる日がくるとは思っていなかった。
美しい美しい神の化身。
「シレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークですわ。フィンスターニスの神殿騎士が他国にいるということは、試練絡みでしょうか?」
・・・驚いた。
他国の神殿のしきたりにも精通されているとは。
アルトディシアの神殿長から聞いたことがあるとのことだが、そこでレナート殿の長兄殿から不穏な発言があった。
「アルトディシアの神殿長ね、お前がヴァッハフォイアに嫁ぐと聞いて、泣いて行かないでくれとお前に縋りついてきたじいさんね・・・」
6つ名の君が他国に嫁がれるなど、泣くならまだ穏当だろう。フィンスターニスの神殿なら6つ名の君を奪っていこうとする相手を殺しかねないぞ。
「あら、貴方が神託を受けてからは、くれぐれも私のことをよろしく頼むと泣いていたではありませんか」
神託だと?!
一体何をしたらそんなものが下るというのだ?!
「結婚式でな、こいつを一生愛し守り抜くと自身の名にかけて誓うというのなら、その覚悟を見せてみよ、と神々に言われてこいつの守護者に任命されたんだよ」
神々に覚悟を問われ、守護者に任命される、だと?!
おざなりな儀礼ではなく、本心で自身の名にかけて6つ名の君を生涯愛し守り抜くと神々に誓ったということだ、この男は。
権力者ならば6つ名の君の感情の薄さをわかっていただろう。自分が傾けただけの想いを返してくれないと知りながらも、それでも唯一人と想い定めたということだ。
「・・・それは、知らぬこととはいえ、私はとんでもなく貴殿を誤解していたようだ、お詫び申し上げる」
権力者ならば6つ名の君を大切にするだろう、等と考えていた自分の浅ましさが恥ずかしい。私の6つ名の君への一方的な忠誠心とは違う。恋愛感情とは、愛したのならば、同じだけ愛されたいと願うものであろうに、この男は一生愛するだけでいいと決めたのだ。なんと見事な覚悟であろうか。
私が呆然としている間に、レナート殿は長兄殿に私が決闘を申し込んだかもしれない、と暴露している。やめてくれ、恥ずかしい。騎士としての技量も遠く及ばないことが、こうして対峙しているだけでひしひしと感じられるというのに、神殿騎士としての6つ名の君への忠誠心すら薄っぺらいものになってしまった気分だ。
そこで6つ名の君が堪えきれないといったように笑い出される。
6つ名の君がこのように笑われることがあるのだな、私の知る6つ名の君はいつも静かな微笑を湛えている御方であったが、このように楽しそうに笑われることはなかった。
だが、そこから繰り広げられた6つ名の君とご夫君の会話は、私の度肝を抜いた。
え?生かしたまま無力化するのは難しいが、殺すなら簡単?
殺さずに攫おうと思ったら、完全に退路を塞いで全身にありったけの状態異常の耐性のある魔術具を身に付けて白金の冒険者を20人は雇う?それでも半数以上は戦闘不能にされる?
6つ名の君は、この、明らかに私よりも強いことはわかるけれども、どれほどの技量差があるのか掴めないほどに強いご夫君を、殺すだけなら簡単だと仰る?
「あの、6つ名の君はそれほどお強いのですか・・・?」
6つ名の君とは命をかけてお守りするべき存在だ。
ご夫君がとんでもなく強いのは感じられるが、6つ名の君は見た目通りというか、多少の護身術程度は身に付けておられるのかもしれないが、美しく嫋やかな姫君なのだが。
「体力や腕力は見た目通りだと思いますけれど。でも頭は使いようなのですよ」
にこりと微笑まれるが、確かに6つ名の君というのは皆様頭脳明晰であらせられるけれども!
「いやー、長兄が6つ名の人間族を嫁に連れてきたっていうからうちでやっていけるのか心配してたけど、あれなら大丈夫だな。無茶苦茶いい女じゃないか、あれは長兄でなくても惚れるわ」
「聞いてるだけで無茶苦茶怖い女だったじゃねえか!いくら綺麗でもあんなおっかない女嫌だよ!」
「良かったな、ジリオン、好みの女じゃなくて。もし長兄の嫁に色目使ったりしたら、その場で長兄に殺されるぞ?」
「シルヴァーク公爵家と言ったら、王女殿下が降嫁しているような家なんだぞ?!どうしてそこのお姫様があんな物騒な性格してるんだよ!」
「あのくらいでないとうちの男は惚れない。美人で頭が良くて容赦なくて悪辣だなんて、うちの男の好みを凝縮したような女だ。長兄がべた惚れで溺愛するのも頷ける」
うんうんと納得しているレナート殿にジリオン殿が食って掛かり、ゴルトベル殿は呆れたように酒を飲んでいる。
「獣人族の女の好みは両極端なんだよ。気の強い女か、庇護欲をそそられるようなか弱い女か」
「じゃあ、お前の3兄は庇護欲をそそられるようなのが好きなのか?この家の男の好みとは反するんじゃないか?」
そこでレナート殿はジリオン殿に呆れたような眼を向ける。
「シュトースツァーン家の男がそんなのを気に入るはずがないだろう。ステファーニア様は、あれは見た目は華奢で可愛らしい感じだが、中身がそんなんで大国の王女が務まるか。夕食の時にちょっと話しただけだが、あれは体力や腕力はないだろうけど、利益は取れるところからしっかり取り、政敵は容赦なく蹴落とすような女だと思うぞ。ジリオン、お前、出会いがないというよりは、女を見る目がないんじゃないか?」
レナート殿の言葉にジリオン殿ががっくりと肩を落とす。
「・・・私の知る6つ名の君はもっと感情が乏しくて、あのように生き生きとした御方ではなかった」
ぽつりと呟くと、レナート殿が首を傾げる。
「6つ名らしく感情は乏しいだろ。ほとんど感情の匂いがしないし。まあ、乏しいなりに長兄のことはちゃんと好きみたいだから良かったけど」
そうだ、あの6つ名の君は、きちんとご夫君へ思慕の情を向けておられた。もちろん、ご夫君が向ける溢れるほどの愛情から比べたらほんの僅かなものだが、個別の相手に対して特別な感情を抱くことはないと言われる6つ名の君としてはあり得ないほどだ。
あの6つ名の君ならば、もしかしたら、その身に神を降ろした後でも何事もなかったかのように目覚めることができるのかもしれないな、いや、あのご夫君が自分の元に力ずくで引き摺り戻すのかもしれない。
あのような6つ名の君も存在するのだな。
6つ名という存在に対して大陸中で1番研究が進んでいて、理解が深いのがフィンスターニスの神殿です。