ヴァッハフォイアという国 後(ル)
昨日コロナワクチン3回目接種をしたので、副反応が出たら更新遅くなるだろうなあと思っていたのですが、打ったところが痛いだけで副反応出ませんでした。そういや1回目と2回目も打ったところが痛くなっただけでした。
ヴァッハフォイアの先王ディゲル視点です。
俺の名はディゲル。
ヴァッハフォイアの王なんて面倒な地位に就いていたこともあったが、今はただの冒険者だ。
いやあ、やっぱり気楽な立場はいいよな、適当な服着て、マナーなんて気にせず好きなもん食べて、好きな時に娼館行って女と遊んでさ。わざわざ好き好んで毎日堅苦しい恰好して、政治やら外交やら書類仕事に埋もれて、結婚したら妻一筋で浮気は厳禁なんてシュトースツァーン家の男共は、何が楽しくて毎日生きてるのかと思うぜ。しかもその妻も大概おっかない女ばっかりだし。
でもまあ、ルナールはちょっとだけ羨ましい。
姫さんはシュトースツァーン家の女と違って普段は穏やかで優しいからな。政治や外交では物凄く頼りになるらしいが、王でない俺には関係ないし。姫さんが欲しい素材があれば、いくらでも珍しい魔獣が出てくるし、飯は最高に美味いし、とんでもない魔術具も作ってくれるし、おまけに絶世の美女だ。
姫さんのことを知らない連中はまず姫さんの見た目に目が行くが、知れば知るほどルナールは姫さんの見た目なんてどうでも良かったんだな、てのをしみじみ実感するぜ。普段穏和なのに、ここぞという時に物凄くおっかなくて最高に頼りになる、てのがシュトースツァーン家の男の好みど真ん中らしいからな。
「ディゲル様、私はもうすぐルナールと一緒にアルトディシアに外交に出るのですが、よろしければ護衛として一緒に行かれますか?」
姫さんに依頼されたコカトリスの素材を届けに行くと、お茶に誘われて、にこやかに切り出される。コカトリスは石化攻撃が厄介だが、それさえどうにかできればさほど怖い魔獣じゃない。報酬は先払いで石化無効の指輪をくれた。状態異常の耐性を上げたり無効化する魔術具の中でも、石化に対応した魔術具は滅多にないから正直もらいすぎなんだが、姫さんの依頼の報酬は基本的に魔術具で、3回分の依頼報酬を1個の魔術具で支払うってことで話がついてる。毎回楽しい狩りをさせてもらってるから、報酬なんざいらんと言いたいところなんだが、冒険者への依頼だからな、どんな形であれ報酬は必要だ。
「外交はいつもロテールとその嫁さんの仕事でなかったか?宰相がわざわざヴァッハフォイアを離れるのは滅多にないはずだが」
姫さんはいつも通りにこりと笑う。
「今回はアルトディシアの新王即位の祝賀なのですよ。いつもでしたらロテール様とステファーニア様が赴かれるのですが、現在ステファーニア様が2人目を懐妊中ですので、今回は私達が行くことになったのです。大国の新王即位の儀ですから、各国の使節が集まりますので、外交上できるだけ高位の者が望ましいですし。アルトディシアと縁のある者が向かった方が良いですしね」
新王即位か。
他国はヴァッハフォイアと違って戦って決めるわけじゃないからな。きっと水面下で王位継承争いがドロドロと繰り広げられた結果なんだろう、俺はそういう政治的な争いってのはさっぱりわからんが、そういうのがわかる奴じゃないと他国とは渡り合えない、てのを王をやってる時に知った。
「ふうん。俺は姫さんの専属だから、護衛として一緒に行くのは構わんが、正式な祝賀使節なんだから、いくらでも見栄えのいい護衛引き連れていくだろう?ヴァッハフォイアの使節団を襲うような命知らずは大陸中探してもどこにもいないと思うぜ?」
そこで姫さんはにこりと、いつも浮かべてる人形みたいな笑顔でなく、シュトースツァーン家の男どもが揃って前屈みになりそうな、ぞくぞくするような笑顔を浮かべた。
「今回は海路を使うのですけれど、せっかくですから、水棲の魔獣の素材を手に入れたいと思いまして。あまり水棲の魔獣の素材は持っておりませんので、できるだけたくさんの種類を集めたいと思っておりますのよ」
くうーっ!
やっぱ最高にいい女だぜ!
急いで鍛冶師のところに行って、武器に錆止めの魔法陣を付けてもらわんとな!
ヴァッハフォイアの海軍は人魚族とか魚人族が大半を占めるが、連中は船に乗らんでも海を泳げるから、船に乗るのは専ら陸の獣人族だ。ヴァッハフォイアの軍は、基本的に普段は冒険者をやってる連中が登録してるのが大半で、他国みたいに本職の騎士団みたいなのはない。街の警邏とか、王府や宰相府の警護はまた別だが。王と宰相が一声かければ、戦いたい連中がいくらでも集まるしな。大きな戦いがあるような時は、いくつかの隊分けをして、それぞれに指揮官としてシュトースツァーン家の男がつく仕組みだ。好き勝手やりたがる獣人族をまとめあげて動かすのは、シュトースツァーン家の男にしかできんからな。王は1番最初に先頭きって突っ走ってくから、指揮なんぞできんしやりたくない。今回は、道中に水棲魔獣の素材を集めると触れこみを出したせいで、陸の魔獣には飽きてきた戦闘狂どもがわんさか集まったらしい。金や白金まで上がると、報酬よりもいかに楽しめるかが重要だからな。
せっかくだからアルトディシアの両親に孫の顔を見せる、とルナールと姫さんは長男のアルジェントも連れて来ている。甲板を息子と一緒に散歩してる姫さんに見惚れる奴が続出してるが、隣にルナールがいるからちょっかい出す馬鹿もいないだろう。
「さて、姫さん、どんな魔獣の素材がお望みだ?なんでも出てきさえすれば狩ってやるぜ?」
姫さんがルナールに嫁いできて10年経つから、姫さんのことは上位冒険者にはある程度知れ渡ってる。曰く、ポーションの味を改善してくれた救世主だ、玉類や罠類、フリーズドライの魔術具を作ってくれた天才魔術具師だ、そして依頼を出しさえすればどんな魔獣でも出てくる幸運の女神の化身だ。
その姫さんが、今回の航海で水棲魔獣の素材をたくさん集めたいと言った、という話はあっという間に広まって、同行する護衛枠の競争率が恐ろしく高かったらしい。
ただ、今回同行する条件が、ある程度礼儀作法を身に付けていること、だったせいで、涙を飲んだ粗野な冒険者が山ほどいたらしいが。他国への祝賀使節の護衛として同行するのに、礼儀作法なってなかったらヴァッハフォイアが恥をかく、ということらしい。
良かった、俺。20年も王やってて。
そもそもルナールが冒険者時代に姫さんと知り合ったのも、礼節を弁えていること、という条件に当てはまったかららしいしな。姫さんあの顔だから、礼節を弁えた腕の良い冒険者、て条件で冒険者ギルドに紹介を頼んだらしいし。良かったなあ、ルナール、シュトースツァーン家に生まれて。
「そうですわねえ、とりあえずは腕馴らしにシーサーペントとかいかがでしょう?鱗とヒレが欲しいです」
「うおおおお!!!!」
腕馴らしに準災害級魔獣とは、流石は姫さん!
周囲から歓喜の雄叫びが上がる。
なんせ今回は狩りをしまくる予定で来ているからな、全員が準備万端だ。船から落ちても、周辺を泳いでる人魚族や魚人族に拾ってもらえるし。
「父上、母上、私もやってみたいです!」
アルジェントがうずうずと両親に強請っている。いくら上品でもやっぱりヴァッハフォイアの男だよな、特にシュトースツァーン家の男は強いのは当然のこととして育てられるし。
「まあ、シーサーペントくらいなら大丈夫か。ただし、近接攻撃は禁止だ。海に落ちたら危ないからな」
あっさりとルナールが許可を出す。シュトースツァーン家の男は15歳で家を出るまでにあらゆる武器の扱いと、白金クラスの戦闘力を身に付けるからな、まだ8歳のアルジェントも既にそれなりの戦闘力は身に付けているということだろう。
「出たぞ!」
青銀の鱗をきらめかせた細長い身体がいくつも海面から踊り出てくる。
こういう滅多に出ない強力な魔獣は、普通は発見した者が命からがら逃げだして冒険者ギルドに報告をして、そこから討伐依頼が出されて万全の準備を整えてから討伐に向かう、てのが本来なんだがなあ。
「うおおおお!1番槍はもらったあ!」
大柄な熊獣人が気合の入った大槍を投擲する。
それを合図に、次々とシーサーペントに矢が降り注ぐ。
「おや、ディゲル様は参加されないのですか?」
「この先まだまだ出てくるだろうからな。今回は見物しとくさ」
俺はルナールと一緒に姫さんの護衛に回る。流れ矢でも飛んで来たら事だし、水棲の魔獣は遠距離攻撃の手段が多いからな。
アルジェントが足元で一所懸命に弓を引いているのも微笑ましい。ただ、矢には何か特殊効果が付与されているようで、当たる度にシーサーペントに相当なダメージが入っているのが伺える。
「あー、姫さん?アルジェントの弓矢には何か特殊効果を付与したのか?」
「水棲の生き物には雷が有効でしょう?ですから、雷属性を付与しております」
有効でしょう?て言われてもな。
火水土風光闇の属性は鍛冶屋に行けば簡易のを付与してもらえるが、雷みたいな複合属性やいくつかの属性を同時に付けるのは、最初からその属性の武器をどっかの遺跡で手に入れるとかしないと無理なんだが。ヴァッハフォイアは火の属性の魔獣が多いから、火に強い水属性を付与してる奴も多いが、時々他の属性の魔獣が出てくるとやりにくいから、俺は基本的に属性の付与はせずに無属性のままにしている。
「しかも、弓に属性を付与しておけば普通の矢がその属性になるというおかしな性能なんですよ。うちの息子たちに一般の冒険者の常識と母親の常識は違う、というのを理解させるのが実は1番苦労しているんです」
ルナールが苦笑するが、そうだよなあ、姫さんみたいなのが身近にいたら常識がおかしくなるよなあ。
「矢1本ずつに属性付与するのなんて面倒で大変ではないですか」
「その面倒で大変なことを世間一般の鍛冶師と冒険者はしてるんだよ。エリシエルは弓を6つ準備して、それぞれに6大神の属性を刻んでもらって泣いてたじゃないか。あれで5年分の報酬にしたんだろ?そんな報酬提示したら、一生全ての依頼を無料で受ける!て冒険者が続出するぞ?」
「私にとってはさほど難しくないですからねえ。むしろ矢1本ずつに属性付与する方が単調作業で飽きると思います」
弓使いにとっては垂涎の機能だな。矢1本ずつに属性付与するとなると金も時間もかかるし、基本的に矢は消耗品だしな。今回は水棲魔獣の討伐が続くから、遠距離攻撃手段がないとやりにくいから、全員が弓矢か投擲用の槍を準備してきているが。槍は上手くいけば、討伐後に回収できるけどな。
航海は毎日実に楽しく過ぎて行った。姫さんがいる限り嵐に遭遇することはないし、姫さんがちょっと甲板で2・3曲弾くだけで風もいい感じに吹きまくる。
姫さんが大イカの吸盤が欲しい、と言ってテンタクルスが出た時は、全員が感動の雄叫びを上げた。水棲魔獣の災害級は陸の獣人にとっては本当に滅多にお目にかかれないからな。簡単な魔術具作成のための道具も持ってきているようで、毎回討伐の功績上位3人には姫さんが望みの魔術具を作ってくれることになって、毎回争奪戦だ。人魚族や魚人族も滅多に手に入らない雷属性を武器に付与してくれるとなって、目の色が変わっている。水棲魔獣には攻撃力が倍になるらしいからな。
「姫さん、何やってんだ?」
「あ、ディゲル様も一緒に召し上がられます?」
何故か姫さんが赤髪の人間族の料理人と一緒に甲板で何かの魔術具の上に金網を乗せて、その上で貝やら何やら焼いていた。この人間族の料理人は、姫さんが子供の頃からずっと姫さんに仕えてるらしいが、今回も里帰りがてら一緒についてきたらしい。狐獣人の女と結婚して今ではシュトースツァーン家の総料理長だ。
「船で火を使うのは危ないですし、燃料もかかりますから、火を使わずに調理ができる魔術具を作成したのです。野営をするのにも便利かと思いまして、冒険者ギルドに登録しましたので、もうすぐ売りに出されますよ」
「いちいち火熾さなくてすむのは確かに便利だな、なんて魔術具なんだ?」
「アイエイチです」
「変わった名前だな?」
まあ、名前なんてどうでもいいが。
「せっかく海なのですから、単純に焼くだけの料理もいいかと思いまして」
アルジェントが嬉しそうに網の上を見つめていて、ルナールは笑っている。
人魚族や魚人族が魚や貝をいくらでも食料として船に届けてくれるから、航海中の食事は魚や貝がメインだ。
「冒険者ギルドでの販売より先に、今回海軍の艦船全てに導入しましたよ。火災の危険もないし、燃料を積み込むのがなくなりますからね、関係者が泣いて喜んでました」
「焼けましたよ。アワビと帆立はバターとミルですね。牡蠣はレモンを絞って、カニの甲羅は焼きゼルでどうぞ。エビはしっかり焼けば殻ごと行けますよ。ハマグリはそのままで。イカはマヨネーズと唐辛子が合うと思います」
姫さんは時々こういうただ焼くだけ、みたいな冒険者の野営と変わらん飯も出すんだよなあ、何故かそれが物凄く美味いんだが。野営で狩ったばかりの肉やら魚やら塩振って焼いて食ったことは何度もあるのに、全然味が違うんだ。
「母上、これ美味しいです!」
焼いた貝殻をそのまま皿にしてバターとミルをかけた帆立を食べているアルジェントが、銀色の尻尾を振って満面の笑顔だ。
「やっぱり魚介類は新鮮なものが1番ですね。肉は熟成させた方が美味しいものも多いのですが。あ、ディゲル様、飲まれるのでしたら、こちらをどうぞ」
流石は姫さん、酒の準備も万端らしい。カニの甲羅で中身がぐつぐついってるのにゼルを混ぜたのと、透明な辛口の酒を一緒に飲むと最高に美味い。
「調味料でこれだけ変わるんだよなあ、あー、冒険者時代の自分にただ塩振って焼くだけでも、肉でも魚でもきちんと塩の量を計ってから焼け、と教えてやりたい」
ルナールがしみじみと呟きながらマヨネーズと唐辛子を付けたイカを食べている。こいつは最近息子たちと一緒に姫さんとこの料理人に料理を習ってるらしいからな。なんでも、将来冒険者になった時に、不味い携帯食料を食べるよりも自分で美味いものを作れるようになっておけ、という教育方針らしいが。シュトースツァーン家の教育方針におかしなものが加わったもんだ、と思った。
ランドテゴスの甲羅とか、古代魚のヒレとか、姫さんの欲しがる素材を次々と討伐し、あと3日程でアルトディシアというところで、姫さんがとんでもないことを言い出した。
「アルトディシアに着いたら、最後に大物を討伐していただきたいのですよ。ここまででかなり素材も集まりましたし、帰りは素材を積み込む余裕もなくなるでしょうから、何もせずに帰りたいですし」
「なんでわざわざアルトディシアに着いてからなんだ?この辺で狩っておいた方が手っ取り早いだろう?」
ルナールが訝しげな顔をする。
そりゃそうだよな、アルトディシアに着いてからだと、アルトディシア海軍との兼ね合いもあるだろうし、他国の港周辺で大々的に魔獣討伐なんてしたら、宣戦布告と取られかねないし。
「せっかくですから、外交的に優位に立っておこうと思いまして」
姫さんがにこりと微笑む。
「私ね、リヴァイアサンの髭が欲しいのです」
リヴァイアサン。
神話に登場する怪物の名に、周囲が騒めく。
「お前が望めば、リヴァイアサンであろうとなんだろうと出てくるだろうが、それと外交がどう関係する?」
「アルトディシア海軍にリヴァイアサンと対峙できるだけの力はないと思うのですよ。ですから、ヴァッハフォイアが討伐することで恩を着せます。勿論、私達は素材以外のものは必要ありませんので、アルトディシアを守るためにヴァッハフォイアが無償で全面的に協力したという事実ができあがります。私は欲しい素材が手に入って、皆様は楽しい狩りができて、外交的にも優位に立てる、どこにも無駄のない計画ですよね」
にこり、とそれこそいつものシュトースツァーン家の男共が前屈みになるような笑顔を浮かべる。ルナールはもう今すぐに押し倒したい、という陶然とした顔をしている。
姫さんに慣れてない連中は唖然とした顔をしているが、姫さんはこういう女だよな、だからこそシュトースツァーン家の当主が惚れ込んで溺愛してるんだし。そして姫さんのことだから、リヴァイアサン討伐のための下準備もしっかりしてくれてるんだろう。
アルトディシア港に着くと特に礼儀作法のしっかりしている連中を選りすぐって下船し、残った連中にはいつでも出航できるよう準備しておくよう言い置く。即位の儀や祝賀会にはまだ日があるから、姫さんは先に実家に顔を出すらしい。
俺は冒険者時代にアルトディシアにも来たことがあるが、姫さんの実家は実にでかかった。こうして見るとアルトディシアの筆頭公爵家のお姫様なんだなあ、と実感する。ロテールの嫁はこの国の王女らしいが、あっちはいかにも王女様だからな。政治や外交には相当強いらしいが、姫さんみたいに獣人族を笑顔ひとつで心服させるような迫力は流石にない。
「まあまあ!まさか生きてもう1度シレンディアに会えるとは思っていませんでしたわ!」
姫さんの母親だという金髪碧眼の美女が、姫さんを抱きしめる。大陸の端と端だからな、そりゃあ、今生の別れを覚悟して嫁に出したんだろうな。
それにしても、姫さんの両親だから美形だろうとは思ってたが、両親共に本っ当に美形だな、姫さんはこの両親の更に良いとこ取りした感じだ。アルジェントと次男のカーティスは完全にルナール似だが、3男のセファイドは姫さんの方に似たんだな、姫さんの父親と兄貴にそっくりだ。
アルジェントが初めて会う祖母に満面の笑顔で撫で回されてたじたじとしているが、姫さんもルナールも、姫さんの父親や兄貴夫婦や弟夫婦も止めようとしない、生贄に差し出された感じだ、まあ、身内なんだから問題ないだろう。結局アルジェントは、シルヴァーク公爵家の従弟妹に紹介すると連れて行かれた。アルジェントはこのまま帰国までシルヴァーク公爵家で過ごすことが決定したらしい。まあ、城での祝賀会やら外交やらにアルジェントが参加するわけじゃないから、人間族の従弟妹たちと他種族との社交の練習をしておけ、ということだろう、次のシュトースツァーン家当主候補筆頭だしな。
久々に正装すると肩が凝るが、ルナールみたいに長ったらしい挨拶をしたり、他国の使者と腹の探りあいをするわけじゃないからな、護衛として黙ってるだけなら問題ない。それに姫さんの正装姿は最高に綺麗だし。本当によくこの国は姫さんを嫁に出したもんだよ、こんだけ綺麗で政治にも外交にも強い6つ名持ちなんて、絶対外に出したくなかっただろうに。姫さんもロテールの嫁も、ヴァッハフォイアは派閥や社交の面倒がないのでとても楽だ、と笑ってたが、正にこのアルトディシアはそういう世界だ。腹の探り合いで冷たい戦争、と姫さんが前に言ってたが、感情の動きが読みにくくて何考えてるのかさっぱりわからん連中と笑顔で外交しなけりゃならないルナールと姫さんは大変だ。姫さんは女同士の社交に行って、そっちには女の護衛が同行するから今日の俺はルナールの護衛だ。まあ、ルナールに護衛なんざ必要ないんだが。こいつ、間違いなく俺やウルファンより強いしな。
そこに伝令がやってきて、アルトディシアの王に耳打ちすると、アルトディシアの王の顔色が変わる。
やっと出たか。
俺は必死に顔がにやけそうになるのを抑える。
「アルトディシア沖に災害級の魔獣が確認された。海軍が討伐に出るので、これより内陸の離宮に移動していただきたい」
女達と合流したところで、蒼褪めた王から説明が入るが、そんな濁してないで、はっきり言おうぜ、神話の怪物リヴァイアサンが出たってな!
周囲は騒然となるが、俺達にとっては予定通りだ。
姫さんにとっては母国だろうに、本当にいい性格してるぜ。まあ、一切被害は及ぼさない予定だから問題ないよな。
そこでルナールが軽く微笑んで声を上げる。
「もしご迷惑でなければ、私はヴァッハフォイアの海軍を護衛として連れてきておりますので、討伐に参加させていただきたいのですが。皆様ご存知の通り、ヴァッハフォイアは陸軍海軍共に大陸最強と自負しております」
しかもリヴァイアサン討伐のための準備もできてて、それを今か今かと待ちわびて目をギラギラさせた連中が船で待機してますよ、てな。
客室に戻り、戦闘用の服に着替える。
人間族の騎士みたいに金属製の鎧を選ぶ獣人族は滅多にいない。身軽さを重視するから、大概は布か革だ。そこに魔法陣を刻んだり、魔術具を装着したりする。
「おいおい、ルナール、なんだよ、その衣裳は」
ルナールは黒に金の刺繍の詰襟の長衣に、同じように黒に金の刺繍のマントを付けている。マントは見たことあるが、その長衣は初めて見るぞ。こいつは見た目がいいから、女共がきゃあきゃあ騒ぎそうな恰好だ。
「セイランの趣味ですよ。どうせなら目に楽しい恰好をしてくれ、と言われまして」
ルナールは笑ってるが、全部姫さんが刺繍してくれた、てことだろ?どれだけの効果がついてるんだよ?
「周囲に知られて問題のない効果としては、マントには防火、防水、温度調節、衝撃吸収、長衣には攻撃力上昇、防御力上昇、素早さ上昇、といったところですね」
「お前さあ、全状態異常無効の魔術具も姫さんからもらってただろ?周囲に知られて問題ない効果、てことは、他にもいくつか効果付けてくれてるんだろ?無敵じゃねえか」
こいつは間違いなくヴァッハフォイア最強の男のはずなんだが、姫さん信用してないのかね?
「これだけばふ?を掛けておけば早々死なないだろう、と言われたんですがね、ばふ、というのが何かよくわかりませんが、あいつは常に下準備をしっかりしないと気が済まないせいか、心配性なんですよ。早々死なない程度には強いつもりなんですがね」
笑いながらルナールと客室を出る。他の護衛の連中も、ルナールの完全武装に笑いを堪えている。ルナールの見た目でこれだけ恰好つけた服装だと、別の意味でも完全武装だ。娼館とか行ったら女共が嬌声を上げて寄ってくるぞ。
「行ってくる」
「はい、お気をつけて」
無駄に格好つけてマントを翻して姫さんを抱きしめて口付けてるルナールに、俺達は笑いを堪えるのに必死だ。だが、ここはきちんとそういう場面にしておかないと、雰囲気が出ないらしいからな。後のことは姫さんがどうとでもしてくれるだろうし。
「行くぞ!」
「おう!!!!!」
さあ、楽しい楽しい狩りの始まりだ!
港では艦隊がいつでも出航できる状態で待機している。あとは俺達が乗船するだけだ。
アルトディシア海軍が出てくる前に終わらせたい。
「ルナール様なんですか、その無駄に格好つけた服!」
「やかましいわ、俺の最愛の妻が刺繍してくれた衣裳に何か文句があるのか?」
周囲の獣人達に笑われながら、ルナールは涼しい顔だ。実際、あれだけの効果がつけられてるんだからな、知ったら連中目の色変えるだろうが。魔法陣の効果ってのは有名なの以外なかなか知られてない上に、姫さんはそれが魔法陣だとわかりにくいようにいくつも飾りの刺繍を入れてるからなあ。効果を知られると対処されるからな。
「でかいな・・・」
誰かがごくりと唾を呑み込む音がする。
目の前に現れた巨大な青いリヴァイアサンに、たじろぐ者も当然いる。災害級と神話や伝説にしか出てこない魔獣では明らかに圧が違うからな。
ぞくり、と血が湧きたつような感覚を覚える。
ああ、姫さんがヴァッハフォイアに来てくれて本当に良かったぜ、俺は今最高に幸せだ。
「全艦リヴァイアサンに接近せよ!距離を取るな、遠距離攻撃が来るぞ!」
ルナールの号令に我に返ったかのように周囲が動き出す。各艦には指揮官としてシュトースツァーン家の男が1人は乗ってるからな。
「近づくまで攻撃の隙を与えるな!矢を射続けよ!リヴァイアサンは全体攻撃が多い!各艦に範囲回復ができる魔術具を設置してある!全体攻撃がきたら下手に動かず回復に専念せよ!」
いつの間にそんな魔術具仕込んでたんだか。
リヴァイアサンに近づいたところで、俺は船からリヴァイアサンに飛び移る。
「こいつは俺の獲物だ!」
このために姫さんに雷属性を付与してもらっておいた愛用の大斧で思いっきり切りつける。効いたのだろう、俺を振り落とそうと暴れ出すリヴァイアサンに、次々と他の連中も飛び移ってくる。こういう時、鳥獣人の連中は自前の羽根があるから羨ましいぜ。海中では人魚族や魚人族が攻撃しているのだろう。
「3番艦、少し距離を取って攻撃を誘え!よし、そこでまた接近せよ!」
ルナールの命令で少し距離を取った艦めがけてリヴァイアサンが水を噴き出すが、それが当たる前に接近して攻撃するのを繰り返す。まったく、相変わらず姫さんはどこでリヴァイアサンの攻撃手段なんて知ったんだか。なかなか攻撃が当たらないのに焦れた様子のリヴァイアサンがこれまでと違った動きをする。
「全員リヴァイアサンの上から降りろ!全艦距離を取るぞ!リヴァイアサンが浮遊するはずだ!」
俺は迷わずリヴァイアサンから飛び降りる。
海に落ちたところで、魚人族に拾われ、近くの艦まで運ばれる。
「ルナール様はどこで伝説のリヴァイアサンの攻撃手段を知ったのでしょうか?」
「ルナールでなく、ルナールの嫁が知ってたのさ。まあ、それを教えられて艦隊を動かしてるルナールも十分凄いんだがな」
魚人族や人魚族は姫さんのことをあまり知らんからな。こいつらはヴァッハフォイアに属してはいるが、基本的に海から出ないからな。
「リヴァイアサンが落ちるまで遠距離攻撃を続けろ!水の竜巻に吸い込まれるなよ、吹き飛ばされるぞ!」
ルナールの言う通り浮遊しているリヴァイアサンに矢を射かけ続けていると、リヴァイアサンが海に落ち、何やら溜めのような動作を始めた。
「津波が来るぞ!威力は抑えるが完全には防げん!全員防御して回復の準備!全艦障壁を起動せよ!」
ルナールが羽根の付いた扇のようなものを振り、それがきらきらと白く輝く軌跡を残して波間に消え、その後リヴァイアサンを中心に全方向へ高波が押し寄せてきた!
「いやー、相変わらず姫さんすげえな!津波を抑える魔術具なんてどうやって作るんだよ!」
波を被ってびしょ濡れになったのを頭を振って水を振り落とす。本来ならこの攻撃で全艦押し流されたり、沈没したりしてるんだろうな。
ルナールはマントに防水機能がついてると言ってた通り、一人綺麗な格好のままで涼しい顔だ。
「アルトディシアに来るまでに手に入れた素材で作成したみたいですよ。もしこれが作成できなかったら、リヴァイアサンの素材を手に入れるのは諦めるつもりだったそうです」
最初からそのつもりだった、てわけか。まったく、なんであんな女がヴァッハフォイアでなくアルトディシアに生まれたかね。
各艦の障壁と範囲回復の魔術具も問題なく作動したようで、それでも足りない分はそれぞれポーションを飲んでいる。
「さて、そろそろとどめだ。全艦リヴァイアサンに近接!」
「あとはひたすら攻撃するだけか?お前も出るのか?」
艦隊指揮してるが、本来1番攻撃力あるのはルナールだしな、せっかくだし一撃食らわせるくらいはしたいだろう。
「もたもたしているようなら、とどめはもらいますよ」
「抜かせ!」
リヴァイアサンに接近したところで、ルナールが甲板を蹴って飛び上がり、リヴァイアサンに飛び移り、そのままリヴァイアサンの背を駆け上がる!
ちっ!あの野郎、靴にも何か魔法陣か魔術具か仕込んでやがったな?!
俺も後を追って飛び移るが、ルナールのように高い位置には届かない。
「これで終わりだ!」
リヴァイアサンの頭近くまで一気に駆け上がったルナールがスラリと大剣を抜き、大きく振り被った!
ルナールが一回転して大剣を振り被ったのから一瞬遅れて、リヴァイアサンの頭部がゆっくりとずり落ちて海に落ちていった。
「うおおおおお!!!!」
「すげえ!ルナール様かっくいいー!!!」
あの野郎、リヴァイアサンの首を切り落としやがった!
周囲はやんやの大喝采だ。
そこにやっと追いついたアルトディシア海軍がやってきた。無事、ヴァッハフォイアだけでリヴァイアサンの討伐を完了させられて、計画通りだ。あとはルナールと姫さんの仕事だな。
「私もリヴァイアサン見てみたかったです!」
帰りの船でアルジェントは絶賛不機嫌だ。祖母と従弟妹たちの相手をして疲れたらしい。
「お前にリヴァイアサンはまだ早い。将来白金に上がって帰国したら、セイランに頼むといい」
「母上!父上があんなこと言います!」
「そうですねえ、下準備さえしておけば勝てない魔獣などいませんから、下準備の仕方を覚えないとなりませんね」
「え・・・そっちの方が難しそうです、単純に強くなる方が簡単・・・」
がっくりと項垂れるアルジェントの銀色の頭をわしわしと撫でてやる。
ああ、帰りの航海は平和で暇だ。
アルジェントは初めて会う母方の祖母にかなり驚きました。そしてそのままアルトディシア滞在中は生贄にされたという不憫な子です。せっかく初めての海外旅行だったのに(笑)祖父と伯父の顔を見て、下の弟そっくり・・・とも思いましたけど。