孫の教育方針(ル)
私の名はラティーナ・シュトースツァーン。
シュトースツァーン家当主夫人として過ごしていた間は、色々と忙しく、馬鹿な真似をする他種族を締め上げたりとなかなか気の休まる暇もなかったものですが、長男のルナールが当主の座を引き継いでからは、夫のレーヴェ様と共に孫たちの相手をしながら日々穏やかに過ごしています。
シュトースツァーン家の男たちは、王を始めとした本当に強くて戦うことしか考えていない馬鹿者どもを抑えなければならないので、必然的に女がその他の有象無象を締め上げなければならないのです。
長男と三男が人間族の嫁を連れてきた時はどうしたものかと思いましたが、シュトースツァーン家の男が惚れ込んで連れてきただけあって、2人共力づくで締め上げるということはできなくても、頭で周囲を動かすことができる娘たちでした。
ただ長男がアルトディシアの6つ名持ちの姫を嫁に連れてくると聞いた時は、私もレーヴェ様も複雑な心境になったものです。
私とレーヴェ様は従兄妹同士ですから、同じ6つ名の曾祖母を持っています。幼い頃に何度かお会いしただけですが、まるで感情を映さない瞳に空恐ろしくなったのを覚えています。私の容姿はその曾祖母の若い頃にそっくりだそうで、曾祖母に普通に感情があればこのように育ったのだろう、と一族の特に男たちに憧憬を込めて言われ続けたせいで、私は一族の女たちからあまり好かれませんでした。おかげでレーヴェ様と結婚した後も、伯母との嫁姑争いがなかなか苛烈なものになりました。
「ルナールは一体何を考えているのでしょうか?6つ名持ちに恋焦がれるほどあの子は面食いではなかったはずですけれど」
むしろ三男の方が納得できます、あの子は根っからの唯美主義でしたから。獣人族は基本的に他種族のように政略結婚はしません。それはこのシュトースツァーン家も同様です。1人しか妻を娶らないのですから、自分の好きな相手を選ぶのです。まあ、独身の冒険者時代に散々遊ぶのもシュトースツァーン家の男の常ですけれど。レーヴェ様だって、冒険者として家を出る時に、私に待っているようにと言い置いておきながら、散々遊び回っていたのです。
「何か惚れ込むだけの要素があったのだろうよ。ルナールに人形や彫刻を愛でる趣味はないはずだしな」
6つ名持ちというのは正に人形か彫刻です。傾けた思いを返してくれない相手です。6つ名持ちの曾祖母を娶った曽祖父は筋金入りの唯美主義者だったそうで、曾祖母を飾り立てて鑑賞するのを楽しんでいたそうですが。
ルナールの連れてきた嫁は、正に6つ名持ちといった人形か彫刻のように完璧な造形の感情の動きがわからない娘でした。ただルナールは溺愛しているようで、いつ見てもルナールの匂いしかしません。人間族にはわからないのでしょうけれど、獣人族には一目瞭然です。
ライラが一緒に市場に行ってその時の報告をしてくれましたけれど、どこか曾祖母とは違う感じがします。なんせ自分に無礼を働いた虎獣人を切り刻もうとしたらしいですし、その理由がルナール以外の男に触られたのが不愉快だというものだったらしいですし。そんなことをルナールが聞いたら、抱き潰されて翌日起き上がれなくなるでしょうに。シュトースツァーン家の男は情が深いのですから。
6つ名持ちというのは何かに執着するということがない印象でしたが、彼女は非常に味に拘るようで、時折招待してくれる食事やお茶会で出てくる料理やお菓子の味は素晴らしいものでした。何よりも驚いたのが、毎日ルナールの好物を何か一品は出すようにしているらしいではありませんか。ルナールの好物ということは、大概は私達狐獣人族が好むものが多いですから、その料理のレシピが我が家の料理人たちに流れるのは非常に喜ばしいことですが、6つ名持ちというのはそのように他者に心を砕くものでしょうか。
「私は恋愛感情というものはよくわからないのですが、毎日ルナールに好物を食べさせてあげたいと思う程度にはルナールのことが好きなのですよ」
淡々と、照れるでもはにかむでもなくさらりと言った言葉に、思わず目を瞬きます。セイランが準備してくれるお菓子は常に甘さ控えめなのですが、先ほどまで爽やかな酸味のお菓子だと思っていて食べていたレモンヨーグルトムースが、急に物凄く甘く感じられました。獣人族は大概が感情的ですから、甘い言葉というのは恋人同士では何の衒いもなく言うものですが、普段そのようなことを言わない者が言うとかなりの破壊力です。
「なんだ?あの嫁がそんなことを言ったのか?6つ名らしからぬ娘だとは思っていたが、ちゃんと個別の相手を認識しているのか。随分とうちの男の好む条件を兼ね備えた娘だとは思っていたが、それはルナールも墜ちるだろうな」
レーヴェ様がくつくつと笑います。
本当にあの嫁は、知れば知るほどにシュトースツァーン家の男の好みを凝縮したような娘なのです。特に、あと一手進めればどこにも逃げ場がなくなる、という状態でそれを相手には悟られずにその状態を維持するのが政治でも外交でも定石ですね、とさらりと言った時には、男でなくてもシュトースツァーン家の者は皆陶然としていました。決して敵に回してはいけない、敵に対して容赦なく頭の切れる者というのが、シュトースツァーン家の者は好きで堪らないのです。実際、そうやってエルヴィエールも沈めてしまいましたし。
そしてもっと意外だったのが、家庭的というか、庶民的だったことです。
人間族の大国アルトディシアの筆頭公爵家の姫で次期王妃として育てられてきたはずですが、不思議なほどに庶民的です。
ルナールに黒地に金でびっしりと複雑な魔法陣を刺繍したマントを贈った時は、流石としか言いようのない素晴らしい腕で、見た者が皆感嘆の溜息を漏らしていましたが、子供たちにお揃いのマフラーを編んで巻いているのを見た時は、とても複雑な模様を編みこんではいましたが、なんとも不思議な気分になりました。
ルナールと同じ顔をした孫たちがべったりと懐いているのにも不思議な気分になりますけど。祖父は曾祖母は気安く懐けるような方ではなかったと言っていましたし。
そして最近は何故か子供たちに料理を教えているようです。
「うちの男は皆家を出て冒険者になるんですから、可食物でありさえすればなんでも食べられないと困るでしょう?だから、アルジェントに冒険者が駆け出しの頃持ち歩く非常食を食べさせてみたんですが、何とも言えない顔をしてお茶で飲み下していましてね、いや、その顔が昔セイランが非常食を食べた時と全く同じ顔で、俺と同じ顔だけどやっぱりセイランの子なんだなあ、と妙に感心しましたよ」
ルナールはケラケラと笑っていますが、レーヴェ様は渋い顔です。
「お前、あのセイランに非常食なんぞ食べさせたのか?」
「いや、フリーズドライの魔術具を作ってもらう時に、今ある非常食はどんなもんかと訊かれたので出したんですがね、本当に何とも言えない顔でお茶で無理やり飲み込んでましたよ。それでフリーズドライなんて素晴らしい魔術具を作ってくれたんですから良かったじゃないですか。でもまあ、フリーズドライはどうしても割高だから、冒険者に成りたての頃は買いにくいと思うんですよね。そうしたらセイランが、どうせ肉の捌き方や食べられる薬草やなんかの教育もするんだから、ついでに料理も教えてしまった方が手っ取り早いんじゃないか、と言い出しまして、アルジェントも冒険者になってこんな不味いものを普段から食べるくらいなら自分で作る!と乗り気になって、カーティスも一緒にやる!と手を挙げて料理を教えることになったわけです。セファイドももうちょっと大きくなったら一緒にやるんじゃないですか?」
確かに魔獣の捌き方や薬草の選別についての教育はされますが、料理の教育を受けるシュトースツァーン家の男は初めてではないでしょうか。
「確かに、山奥で仕留めた獲物の血抜きして塩振って焼いて食べるくらいはしますがね、きちんと教育を受けると違いますよ。なんせ肉の重さに対して塩がどれだけ、とか細かく教え込んでますからね、だからただの塩焼きでも味がまるで違うのか!と目から鱗でした」
「お前も一緒に教えてもらってるのか?」
やや呆れたようなレーヴェ様に、ルナールは笑います。
「結構面白いですよ。子供たちの好きな料理からやっているので、最近はオムライスの作り方を教えてもらいました。ナイフを軽く入れるだけで中身が溢れ出してくるあのふわふわのオムレツを、どうやって作っているのかわかってすっきりです」
オムライスはふわふわとドレスドのどちらにしますか?と言うセイランの声が聞こえた気がします。確かにあのナイフを入れただけで溢れ出してくるオムレツには感動しました。くるりと襞の寄ったドレスドオムライスというのもとても美しかったです。あれを自分で作るのですか。
そうしていつの間にか他の子の孫たちも全員が料理を習得し、成人して冒険者として家を出て数年後、他の冒険者から食事処の息子か料理自慢の宿屋の息子かと間違われたというシュトースツァーン家の男が続出し、レーヴェ様はげんなりし、ルナールは笑い転げていました。
6つ名持ちというのは影響力の強い存在ですが、まさかこのように斜め上の影響力を及ぼすとは思っていませんでした。
ルナールルートの子供は4人生まれます。男3人女1人です。