居住環境リニューアル 後(ル)
後編はルナール視点です。
前編でセイランが言っていますが、ルナールは軽薄そうな態度や口調とは裏腹に、内面はかなり真面目で責任感の強い男なのです。
俺の最愛の妻は時々不思議なことを言い出す。
生まれる前のこことは違う世界の記憶を持っているかららしいのだが、以前それを何気なく寝物語に聞いた時には、6つ名持ちで異なる世界の記憶持ちなんて、よくそんなとんでもない存在がいたもんだと心底驚いた。6つ名持ちというだけでも国の至宝なのに、もしアルトディシアがそのことを知っていたら、絶対に国から出すことはなかっただろう。
本人に言わせると、実家はともかく、アルトディシア王家にそこまで献身的に尽くそうという気がなかったので、あまり自分の価値を高く見せたくなかったらしい。前の婚約者の男は、人畜無害そうな穏やかそうな男だったのだが、平凡な女と真実の愛を築いたらしいしな。
だがまあ、もし俺が最初からセイランが6つ名だと知っていたら、求婚しようとは思わなかっただろうし、そもそも恋愛対象として見ることはなかっただろうから、6つ名だということを隠して留学してくれていて幸いだった。6つ名持ちは本来国や神殿に紐付けられているものだからな。
俺の曾々祖母が6つ名持ちだったらしいが、冷淡でまるで感情のない人形のような女性だったらしい。シュトースツァーン家に伝わる6つ名持ちについての伝承も皆似たようなものだから、いくら隠していたとはいえ、セイランが6つ名持ちだと気付かなかったのは前世の記憶持ちというのが大きいのだろう。喜怒哀楽の感情は薄いが、用意周到に敵を陥れる時のあいつの悪辣な笑顔は最高に綺麗でぞくぞくする。
居住空間を快適にすることに本来6つ名にはないはずの情熱を傾けているあいつの作る魔術具はどれも画期的で、俺の離宮が快適すぎてどこにも行きたくない。
設計書はあっても素材や魔力の関係で量産が難しかった魔術具がどれも簡単に作成してもらえる、と冒険者ギルドの総本部長である叔父が嬉々としていくつかの設計図を持ち込んで来て、特に王都にしかなかった通信の魔術具をいくつか点在させることができるようになり、有事の際の情報伝達が圧倒的に早く出来るようになった。ヴァッハフォイアは広大だから、端の方で何かあっても伝令が来た時には既に遅かった、ということもあるからな、非常に助かる。
この国には王やうちの者達を始めとして、白金の中でも最上位に位置する冒険者がごろごろいるから、あいつの欲しがる稀少素材を手に入れるのも簡単だ。伝説の類とされているような魔獣の素材も多数手に入れて、セイランが俺に当主就任の祝いだと言って贈ってくれたのは、全ての大神の魔法陣が刻まれた全ての状態異常を無効化する魔術具だった。
ヴァッハフォイアの魔法陣が刻まれた魔術具を、白金への昇格祝いだと軽く作成して友人に贈れる女だが、まさかこんなとんでもないものを作成するとは思っていなかった。
焦ってシュトースツァーン家当主専用の術をかけてもらったが、白金への昇格祝いでもらったヴァッハフォイアの魔術具なら、俺が死んだ後そのまま墓に持って入ってもまだ許されるだろうが、これは流石にまずい。この魔術具を巡って大陸全土を巻き込んで戦争が起こる。6つ名持ちが自主的に何かを学んで身に付けるということの危険性を否応なく理解した。大神ヴァッハフォイアに、何ものからも守り抜け、と命じられて守護者に任命されるわけだ。
本人はあっけらかんとしたもので、毎日嬉しそうに息子の銀色の耳と尻尾を撫で回している。レナートの白い尻尾をずっと触りたくて堪らなかったようで、銀もいいですねえ、とうっとりとしているが、俺達狐獣人族をそういう基準で見るのはセイランくらいだろう。俺はこれまでかなり女にもてる自信があったのだが、セイランが好きなのは俺の尻尾だしな、なんだか凹む。他の女にいくらもてたところで、惚れた唯1人の女にもてなければ何の意味もない。いや、6つ名持ちが個人へ向ける感情としては、破格に好かれてはいるのはわかっているのだけれども。一般的な女と比べて相当に鈍いことは確かだが、不感症というわけではなかったから、毎晩少しずつ俺好みに慣らしていくのも楽しいし。あと2・3人は産んでほしいし。
夕食の席で、外に風呂を作って、風呂に入りながら眺めるために庭を整備したいと言い出す。
セイランが不思議なことを言い出すのは今に始まったことではないのだが、今回はまたおかしなことを言い出したな、と思う。
アルトディシアにはこの国のように温泉はないから、風呂は絶対に室内のはずだし、どこの国にもわざわざ外に風呂を作る習慣はなかったはずなんだが、また前の世界の記憶だろうか。セイランが満足するのなら、いくらでも好きなようにすればいいし、金なんていくらかかっても構わない。
「綺麗なお庭を眺めながらのんびり温泉に浸かりたいのです。雪見酒とかもしたいですし。ありがとう存じます」
俺としては、わざわざ寒い中外で風呂に浸かって雪を見ながら酒を飲まんでも、結婚してから毎日1品は出してくれるフェコラを使った料理が食べれればそれで十分満足なんだがな、と思いながら、夕食のおかずの揚げた飛龍頭をさくりと食べる。セイランは本当に料理上手だ。シュトースツァーン家の料理人はフェコラを油で揚げた料理を出せと言ったら、作れるのは精々4・5品だろう。いくら美味くても毎日いなり寿司を食べたいとは思わないし。
「兄上の離宮は最近何の改装をしてるんだ?」
「なんかセイランが外に風呂を作りたいと言い出したんでな、風呂と庭の改装だ」
「外に風呂?なんで?」
「知らん。できたらセイランが説明してくれるだろう。俺は基本的にあいつがやりたいということを反対する気はないからな」
「義姉上が楽しいなら、改装くらい些細なことだよね。完成して面白そうなら見せてくれよ」
基本的にシュトースツァーン家の男は、妻が望むのなら金で解決するような些細なことなら何でも叶えてやるようにと言われて育つ。風呂と庭の改装くらい些細なことだ。
しばらくして、セイランが風呂と庭の改装が終わったとうきうきと報告してきた。
他の者にはわからないらしいが、結婚して3年経つせいか、俺はセイランの機嫌がなんとなくわかる。にこにこしているのはいつもだが、こうも機嫌良くうきうきしているのは珍しいので、とても可愛い。風呂や食事よりもこのまま寝室に行きたいところだ。
「なので、一緒に入りませんか?」
・・・・・・。
訊き間違いだろうか。
恋愛感情をまるで解さず、色事にも一切興味のない最愛の妻が、一緒に風呂に入ろうと言ってきた。今は秋の半ばだが、明日は大雪が降るかもしれん、6つ名なら季節外れの大雪を降らすことくらいやるだろう。
「あ、お嫌でしたか?なら・・・」
嫌なはずがないだろう!
だが、この女のことだ、色気も何も一切関係ない誘いの可能性の方が遥かに高いからな、おかしな期待はしてはいけない。結婚して3年、1度も妻から誘われたことがない身としては、期待したいのは山々だが、この女はそんな女じゃない!
やっぱりな。
俺は自分の予想の正しさに安堵と落胆を覚えながら、広い浴槽に足を伸ばし、妻の細い身体を抱き寄せて膝に乗せる。色気はないが、安心しきって身を委ねてくれるのは可愛いし、湯に浮かぶ大きな胸の触り心地は最高だ。誘われたことはなくても、拒否されたこともないから別にいいんだ。
改めてセイランが指示して作らせた庭を眺めると、まるで1枚の絵画のようだった。真っ赤な紅葉を計算され尽した位置に配置された灯が照らしだし、湯船の半分を覆う屋根を支える柱がまるで額縁のようだ。湯に映る揺れる紅葉も美しい。空を見上げると、満月から少し欠けた月がくっきりと浮かんでいる。妻の美意識は確かだ。
「どうぞ」
湯船に浮かんだ木の桶に準備された不思議な形をしたガラスの酒器から、セイランがガラスの酒杯に透明な酒を注いでくれる。確かに風呂で酒を飲むなら外だな、中だとすぐにのぼせて酔いが回るだろう。
「旨いな。それに、わざわざ外に風呂を作る意味がわからんと思っていたが、こうして見ると綺麗なもんだなあ」
風呂に浮かんでいたのに、酒はよく冷えていて、身体に染み渡って実に旨かった。
風呂で酒を飲むのはあくまで楽しむ程度であって、量を飲むのは身体によくないのだ、と木桶に準備されていた以上を飲むのは止められたが、確かにこれは色気はなくてもわざわざ改装してまでやりたいというのもわかる。今度父上と弟たちを呼んでやろう。もうひとつの風呂もどうなっているのか楽しみだ。
「すごいなあ、この庭。白い石と砂で山やら川やらを描いてるわけだ。一見地味なのに、物凄く奥が深いよね。義姉上の美意識って卓越してるよなあ」
「カレサンスイとか言ってたぞ。冬になったらこの庭を眺めながら雪見酒をしたいらしい。春には1本だけ塀の向こうにある木が見えるだろう?あれがピンクの花を咲かせて、こちら側に花枝が流れてくるそうだ」
「・・・それは素晴らしく美しいだろうな、春になったら見に来てもいいか?」
「ラティーナは一面に紅葉のまるで絵画のような庭を眺めながら、風呂で酒の風味のアイスクリームを食べたと言っていたが?」
「それはもうひとつの風呂ですよ。額縁庭園とか言っていましたね。そっちに最初にセイランと一緒に入って酒を飲みました」
セイランと2人で風呂に入った時は色気はなくてもとても楽しかったが、男ばかりの親子5人で風呂に入ると湯船は広くても花がなくてつまらん。親兄弟のごつごつした身体なんぞ見ても何も楽しくないしな。
「・・・義姉上と一緒に風呂入ってるの?」
レナートが驚愕に目を見開く。
「風呂と庭ができたから一緒に入ろうと誘ってくれたから喜んで一緒に入ったが、よく考えるとあいつの感覚っていつも不思議だよなあ」
どこの国でも、ある程度以上の身分の女の風呂はマッサージやらなんやらで側仕えを何人も連れて入って全身磨き立てるもので、いくら夫婦でも男と一緒に2人きりで入るって感覚はないよな、そういえば。あれもあいつの前世の感覚なのかね?
「ラティーナなら、一緒に風呂に入ろうなんて言おうものなら、回し蹴りが飛んできそうだがな」
「ステファーニアなら、冷たい笑顔で、謹んでお断りいたします、て言われて、しばらく一緒に寝てくれなさそうだけどなあ」
父上とロテールに苦笑される。
「いいよなあ、美人で頭良くて性格最高で料理上手で夫には優しい女、どこかにいないかな」
「義姉上を基準にしていたら一生結婚できないぞ?」
「そもそも夫に優しい女がシュトースツァーン家の一族にいるかね?」
全員が無言になった。
夫に寛大で優しい女、まずいないな。
「くそう!ずるいよ、ルナール兄上!あんな非の打ちどころのない絶世の美女連れて来てさ!俺もシュトースツァーン家の男のなけなしの運全て使い果たしてもいいから、義姉上みたいな嫁が欲しい!」
「あんな女他には絶対いないから諦めろ。あまりおかしなこと言うと、この離宮に出禁にするぞ?」
「あ、それは勘弁。義姉上のご飯が食べれなくなるのは困る」
「まったく、しょっちゅう飯食いに出入りしやがって。自分の離宮で食えよ」
「うちでやっていけそうな嫁なら他種族でもいいから、リーレンもレナートもそろそろ決めんか」
そもそもうちでやっていけそうな嫁というのが他種族にはそうそういないんだが。セイランとステファーニアのように大国の王族としてきっちり教育を受けてきたような女は、普通とっくに婚約者がいるものだし。
「酒と酒肴が不味くなるような話題はやめましょう」
いつのまにか手酌で酒を飲んでいたリーレンが酒肴の乗った木桶を押しやってくる。
セイランと2人だとひとつだった小さな木桶が、俺達5人用に大きな木桶が酒と酒肴に分かれて2つぷかぷかと浮いていると、風情の欠片もない。
「あ、これ美味しいね、初めて食べる」
「それは生麩の田楽だな。風呂で食べやすいようにと、どれも一口大で串に刺さったものばかり準備してくれた」
「次代は皆この家出るの嫌がりそうだよねえ、俺達は他国行ったらどこもヴァッハフォイアより美味しいものが多いなあ、と思ったけど、アルジェントなんて物心つく前から義姉上の料理ばっかり食べてるわけだし」
レナートの何気ない一言に、俺は息子に不味いものでも可食物でありさえすれば食べられるように訓練を施さなければならない可能性に思い当たった。
生活環境が改善されすぎるのも、将来的に必ず冒険者になることを考えると考えものである。
そしてセイランから本邸の大浴場も改装してよいかと言われ、深く考えずに許可した1年後、本邸の大浴場が洞窟風呂とジャングル風呂なるものに改装され、完成時俺は2度見し、一族会議で分家の者達が集まるとその者達は3度見していた。
別に構わないのだが、俺の最愛の妻がやることはいつも予想の遥か上をいく。
シュトースツァーン家の男は基本的に皆チートなのですが、そこはかとなく不憫臭が漂うのが特徴です。
運の悪さを時々言っていますが、なんせ他が出来過ぎているので、運が悪いくらいでちょうど良いのです。わかりやすくいうと、セイランやジークヴァルトは宝くじを買うとそれが1枚だけであっても1等が当たります。シュトースツァーン家の男は1万枚買っても300円と3000円しか当たりません。なのでシュトースツァーン家の男はギャンブルもしません、絶対に勝てないことをきちんと自覚しているからです。