居住環境リニューアル 前(ル)
前編は主人公視点、後編はルナール視点の予定です。
ヴァッハフォイアに嫁いできて早3年、長男も産まれ、和食調味料の産地が隣国の友好国で、自宅には温泉の源泉もあり、という素晴らしい環境に最初は感動しきりだったのだが、いかんせん、人は慣れてしまう生き物なのだ。
せっかく温泉があるのだから、私は露天風呂に入りたい。
露天風呂で雪とか月とか花を眺めながら、浮かべた桶に冷酒を乗せて飲みたいのだ。
湯船に丸い桶を浮かべて、良く冷えた冷酒をそこに乗せてちびちびと飲みながら、ゆったりと寛ぎたい。
酒の神ヴァンガルドを信奉する都市国家も近くにあるから、酒の輸入も増やしてもらったし、前世の日本酒のような酒も何種類か入ってきている。
本当に、なんでこんな恵まれた食環境にありながら、この国は料理が発達していなかったのか不思議でならない。まあ、料理に情熱を向けるよりも、戦いに向ける方が圧倒的に多い脳筋の国だから仕方がないのだけれども。
「外に風呂?それに庭の改装?お前がやりたいなら好きにして構わないが、なんでまたわざわざ外に風呂を作るんだ?」
ルナールに言うと怪訝な顔をされてしまった。
この国はあちこちに温泉が湧いているので、外で自然に湧いている温泉に入るのは、山奥に住む少数種族や、あまり裕福でない者という認識らしい。王都には街中にいくつも公衆浴場があるしね。
ただねえ、これだけ温泉が身近にあるおかげでこの国の獣人族は皆風呂好きで身綺麗なのだが、この脳筋の国の住人だけあって入れればいいという感覚なのだ。せっかくの温泉なのに、普通のお風呂しかない!街中の公衆浴場もただ広い入るだけのお風呂らしいし。
世界一の風呂好き潔癖症民族の元日本人としては、せっかくの温泉なんだから、湯巡りとかしたいじゃないか!
シュトースツァーン家は前世の下手な温泉宿よりも遥かに広大なんだから、使っていない離宮のお風呂も改装して時々気分転換に入りに行ったりしたいのだ。まあ、それは後々の楽しみにおいておくとして、まずは自分の住んでいる離宮のお風呂の改装だ。額縁庭園ぽくしようかな、枯山水でもいいな、私の入る女湯だけでなく男湯も好きにしていいと言われたので、秋は紅葉、春は新緑の美しい、お湯に映る姿も美しい庭鏡の額縁庭園と、雪見酒を楽しむための枯山水の庭を作ろう、桜のような木を1本だけ植えてもいいよね、前世の竜安寺の庭に1本だけの枝垂桜がはらはらと舞い散る姿は幽玄で美しかった。枯山水の庭としては、私は銀閣寺の方が好みだったけど。雪の銀閣寺もとても美しかったし。
庭師にはルナール以上に怪訝な顔をされてしまったが、どうやら公共インフラの6つ名の私がいることで大概の植物は失敗なく生えてくれるそうなので、遠慮なく注文を出した。残念ながらガーデニングの趣味はなかったので、剪定とかはわからないのだが、その辺は世界は違えどもプロにお任せすれば良いだろう。
「セイラン、離宮の改装をしているようですけれど、嫁いできてすぐならばともかく、今更何の改装をしているのです?」
お茶会でお義母様にも不思議そうな顔をされる。
外にもお風呂を作っていると言うと、やはり怪訝な顔をされてしまった。
お義母様は、前世の三国志とか水滸伝とかの中華系SLGゲームに出てきそうな、妖艶な黒髪金目の美女である。最初にこのお義母様を見た時思ったね、ルナールごめん!色気皆無で!て。ルナールに言わせると、実の母親の色気なんぞわからんしどうでもいい、とのことだが。
シュトースツァーン家の離宮は多少の作りの違いはあれど、どれも本家の者が一家族と何人もの使用人達が住むことを想定して作られているので、それなりの広さがある。本邸と繋がるそんな離宮がいくつも点在しているシュトースツァーン家の敷地がどれだけ広大かが知れるというものだろう。
まだ1歳のうちの長男アルジェントも、7歳になって洗礼式を終えたら空いている離宮の一つを与えられる仕組みらしい。この家のしきたりは色々と独特だ。次期当主候補としての教育は当主を引退したお義父様がするそうで、ルナールの次のこの家の当主はルナール達兄弟の息子達の誰かになるらしい。15歳で家を出て、最初に白金になって帰国した男が次期当主という決まりだそうだ。
ようは先代当主の孫息子達に平等に権利が与えられるらしいが、大体は当主の長男か次男が年齢的に最初に白金になって帰国して当主になるのが通例のようだ。ただ、ルナール達兄弟は私のせいで全員ほぼ同時期に白金になって帰国したから、次期当主争いは似たような年齢の男が揃うのではないかと言われている。
次男のリーレンと4男のレナートはまだ独身なんだけどね、なんせルナールとロテールが人間族の嫁を連れて来てしまったせいで、嫁候補として教育されてきた一族の女達から追いかけ回されているらしい、なんか申し訳ない気分だ。
ただまあ、この国最強の王がおかしなことを始めようとしたら、殴り倒して止めなければならないシュトースツァーン家の当主というのはなかなかに大変なので、あまりなりたいものでもないらしく、候補の兄弟や従兄弟同士で足を引っ張りあうようなことは滅多にないそうだ。
先代当主の長男であるルナールはそれこそ生まれた時から、シュトースツァーン家の次期当主としてヴァッハフォイアと家のために生きろと祖父から骨の髄まで叩き込まれてきたようで、よっぽど運悪く白金に上がれなかった場合を除いて、自分がこの国と家を背負って立つのだと思って生きてきたらしい。意外と、と言うと失礼かもしれないが、かなり真面目で責任感の強い男だった。
しかも下に4人も弟妹のいる長男らしく子供の相手も慣れていて、子育てなんて前世でも甥姪の相手を時々するだけだった私などよりもよほど赤ん坊の世話も慣れていた。いや、この家は金も人材も有り余っているので、いくら自分の子といえども、母親の私が全て自分でやる必要もないし、義両親も早々と選定されていた乳母や側仕え達も嬉々として面倒をみてくれるので、楽といえば楽なのだが、なんだかいろいろ負けた気分だ。息子の銀の子狐さんはとっても可愛いのに。幼い子供の常として、母親の私が1番好きなようなのでまだ良いのだが、ちょっと悔しい。前世で保育所が空かない、夫が非協力的だ、自分の時間がない、と嘆いていた母親の皆様には聞かせられない贅沢な悩みだが。
「私も同席してもいいだろうか?」
アルジェントの相手をしてくれていたお義父様が、にこやかにアルジェントを連れてやってくる。
狐獣人は人間族とは成長の進度が当然といえば当然だが違うようで、1歳になったばかりの我が息子は既にスタスタと歩いている。銀髪のお義父様と一緒にいると下手したら親子に見えるくらいそっくりだ。
「まー!」
流石に言葉はまだで、よくわからない声をわしゃわしゃと発しながらにこにこと走り寄ってきた息子を抱き上げて隣の椅子に座らせてやる。うん、銀色のもふもふ尻尾をぶんぶん振ってめちゃくちゃ可愛い。歯もしっかり生えているし、もう何でも食べている。種族が違うと成長速度も違うし、他種族との結婚は私のように環境に恵まれていないと大変だろうなと思う。
前世で和菓子でよくあった、葡萄を一粒ずつ求肥で包んだお菓子を息子の口に入れてやると、嬉しそうにシャリシャリと食べている。
「これは葡萄に砂糖を塗しているのか?」
「いえ、粉に砂糖と水飴を混ぜて練り上げた求肥というもので包んでいるのですよ」
前世では店によって名称の違うお菓子だったが、さて、なんと命名しようかと思案中である。
「其方は料理だけでなく、お菓子もいつも違うものを出してくるから、同じものを食べた覚えがない」
「お気に召したものを言ってくだされば、またお出ししますわ」
この義両親も、いきなり後継ぎの長男が他種族の嫁を連れて帰ってきて驚いただろうに、私が6つ名持ちなばっかりに気に入らなくても追い出したり、嫁いびりするわけにもいかないだろうから、ちょっと申し訳ないなと思う。6つ名持ちを虐げたりしたら国が傾くだろうしね。それなりに気に入ってくれているような感じはするけれども。
「先日食べたアゲダシドウフという料理はとても美味しかったな」
やはり狐さん達は油揚げ系の料理が大好きなようだ。いや、前世での正確な話では、ネズミを油で揚げたものをお稲荷さんにお供えしたのがそもそもの発端らしいので、違うのだが。
「薬味を変えればまた違う味わいになりますしね、餡掛けにしても美味しいですし。お義父様達の離宮の料理人にレシピを教えておきますわ。狐獣人の皆様はルナールと食の好みが同じですから、ルナールが気に入っている他のレシピもいくつか教えておきましょう」
ルナールにも毎日のように手を変え品を変え油揚げの料理を出しているが、飽きることなく喜んで食べているし。
「まったく、其方はいつもルナールに甘すぎですよ。心配しなくてもあの子は其方にべた惚れですし、心身ともに頑丈ですから多少邪険に扱っても問題ありません。結婚前は散々遊び回っていたのですから、たまには跪いて愛を乞わせるくらいでちょうど良いのです」
お義父様は苦笑しているが、このシュトースツァーン家の嫁というのは夫に厳しすぎないだろうか。代々物凄く気の強い女ばかり選んできたそうだし、お義母様を見れば基準がなんとなくわかるけれども、私は気が弱いわけではないがそういうキャラではないつもりなのだが。
「私は邪険にする代わりに色々と我儘を言っておりますから」
好きにしていいと言われたのをいいことに、本来のこの国の常識から外れた人工的な露天風呂を作るために離宮の改装なんてしているしね。しかもお金を出すのはルナールだ。
「其方の我儘など、結局はルナールを喜ばせるだけですよ」
ルナールが露天風呂を喜ぶことになるかどうかはわからないが、完成したら一緒に入って桶酒を楽しもうとは思っている。
秋も半ばに差し掛かったところで、ようやく露天風呂と庭が完成した。
露天風呂はどちらも檜だが、この先他のお風呂も改装できる機会があれば、洞窟風呂とかも作ってみたい。
そして庭は、私の注文通り、真っ赤な紅葉と何本かの柱で額縁庭園のようではないか、夜にライトアップして紅葉と月を眺めながら、浮かべた桶にガラスの冷酒器を置いてきゅっとやれば最高だ。枯山水の方も綺麗にできている、雪が降った時や春が楽しみだ。
お風呂に入るのは、まずは離宮の主である私達が入った後に側仕えやら護衛やら使用人達が入ることになるので、私とルナールは毎日夕食前の割と早めにお風呂に入る。
これまでは男湯と女湯は別々だったけど、露天風呂は日替わりにしようか。
「ルナール、お帰りなさいませ」
「ただいま。どうした?なんだか機嫌が良いじゃないか」
ルナールが笑って私を抱き締めて口付けてくる。毎日一緒にいると、感情の極端に薄い私の微妙な機嫌もわかるようになったらしい。
「露天風呂とお庭が完成したのです」
「ああ、外に作っていた風呂か。随分と時間がかかったな?」
「お風呂から眺めるお庭の景観が大切ですからね、色々と調整していたのですよ」
実際露天風呂の方はともかく、庭は庭師達が鬼気迫る勢いで毎日作業してくれていたしね、ごめんね、細かい注文つけて、て感じだったけど、私も妥協する気はなかったからなあ。
「なので、一緒に入りませんか?」
「・・・は?」
ルナールが一瞬呆けたような顔をする。
側仕え達に毎日磨き立てられている私とは違って、冒険者生活も長かったルナールはいつも一人で入っているのだから、たまに私と2人で入ってもいいと思うのだが。
「あ、お嫌でしたか?なら・・・」
「嫌じゃない!なんだ?俺と一緒に風呂に入るために改装したのか?それならそうと早く言ってくれれば・・・」
なんだか満面の笑顔で抱き寄せてくるが、別にわざわざ一緒に入りたくてというわけではない。紅葉を眺めながら露天風呂に入って桶酒するのだから、1人よりも夫婦での方が楽しそうだと思っただけだ。
「・・・お前があんな色気のある誘いをしてくれるとは何事かと思ったが、やっぱりそういうつもりではなかったか」
湯船に浸かって後ろから私を抱き締めてため息を吐くルナールに首を傾げる。
「何か誤解を招いたのでしたら申し訳ございません。お酒は一緒に飲む方が楽しいかと思ったのですが」
前世から私は1人での家飲みはしない。キッチンドリンカーやアル中になるだけだしね。お酒は誰かと一緒に飲むから楽しいのだ。
カラン、とガラスの冷酒器の中心の氷が音を立てる。
前世でよくあった、ガラスの徳利のような形の真ん中に氷を入れる穴が開いているような冷酒器を説明して作ってもらったのだ。この冷酒器の権利はヴァンガルドが喜んで買ってくれた。
トクトクと桶の中に置かれた酒杯に辛口の冷酒を注ぐ。
「どうぞ」
紅葉と月を眺めながら、露天風呂で桶酒、最高じゃないか。
同じ浮かべるのでもフローティングブレックファーストに憧れたことはないが、露天風呂で桶酒はやりたかった、ものすごく。できる宿が少なかったんだよねえ。
フローティングブレックファーストは、あれは、インスタ映えという点では抜群だろうが、朝からプールに浸かって朝食を食べるのは腹が冷えるだろう、とか、衛生的にどうなんだ、とか思って東南アジアのリゾ-トに行ってもやったことはなかったが。
「旨いな。それに、わざわざ外に風呂を作る意味がわからんと思っていたが、こうして見ると綺麗なもんだなあ」
ルナールが湯船に落ちてきた紅葉を掬いあげて笑う。
「男湯の方の露天風呂のお庭はまた違った風情ですので、日替わりで男女を入れ替えて入れるようにしようと思っているのですが、構いませんか?」
「これとは違うのか?それは楽しみだな。今度父上と弟たちも呼んで入っても構わないか?」
「勿論ですわ。殿方同士で入るのでしたら、お酒だけではなく軽い酒肴も用意しても良いでしょうね。私もお義母様と一緒に入って、アイスクリームでも食べたら楽しそうです」
ステファーニア様は今妊婦だしね。義妹のライラちゃんは白金になって帰国した従兄と結婚して、同じシュトースツァーン家の敷地内には住んでいるけど、こちらも妊婦だし。
十六夜の月と紅葉を眺めながらの露天風呂と桶酒はとても楽しかった。
お風呂で見るルナールの身体は、筋肉に興味のない私でも惚れ惚れする肩や腕で、腹筋もバッキバキに割れてるし。うん、筋肉の綺麗についた肩や腕は好きだな。
「セイラン、このお風呂にルナールと一緒に入って、一緒にこのようにお酒を飲んだのですか?やはり其方はルナールを甘やかしすぎです」
どうせなら、と清酒でアイスクリームを作って、冷酒器に入れた冷酒と共に桶に入れて浮かべてお義母様と楽しむことにしたのだが、大きなため息を吐かれてしまった。
「そう、でしょうか?」
それにしてもお義母様、ナイスバディです、5人も子供産んでもう50歳過ぎとは思えません。やっぱり私も普段から鍛えておかなければ。無駄にでかくて重いこの胸が垂れないように。ルナールは巨乳好きだし。
「ルナールが喜ぶだけでしょう」
「色気のある誘いでなかった、とがっかりしていましたが」
「わざわざ其方から誘ってやることなどしなくても、どうせ毎晩がっついているのでしょう」
まあ否定はしない。結婚して3年経つのに毎晩とても元気な男だと思う。
「基本的にこの家の男たちは女好きが多いのですよ。レーヴェ様だって家訓がなければ外に妾の一人や二人や三人や四人、囲っていたに違いないのです」
お義父様、過去に一体何をやらかして、こんなにお義母様の信用をなくしているんですか?
「・・・まあ、ルナールは家訓がなくても、其方以外の女には見向きもしなさそうですけれどね」
私はきちんと申告さえしてくれるなら、外に妾を囲ってくれても構わないとは思っていたが、この鈍い私でもわかるほどに溺愛されていると、いざ妾囲います、と言われたらちょっと寂しいくらいは思うような気がする。
「この庭は整えるのが大変なのですか?私の離宮にも同じような感じで作らせたいものですが」
「どうでしょう?私がいることで、この離宮の庭は他よりも花も木も育ちやすいようではありますけれど。どうせなら、同じではなく違う風情のお庭にした方が素敵だと思いますが」
竹林とかね、うちの露天風呂は2つとも檜にしたけど、岩露天にしても素敵だろうし。
「セイラン、どうせなら本邸の大浴場を改装しておしまいなさいな。今の当主はルナールですから、ルナールがいいと言えば何の問題もありませんし、レーヴェ様と他の子達も誘って今度男同士で入る予定なのでしょう?むしろもっと作れと言われるでしょうよ。別にこの家の資産はお風呂をいくつ改装したところで痛くもかゆくもありませんから」
おや、ならば本邸の大浴場を洞窟風呂にしてしまっても良いだろうか、ルナールがお義父様たちを呼んでお風呂に入った後に相談してみよう、やった!自宅で湯巡りができるようになるかもしれない!
ヴァッハフォイアに来て良かった!
セイランは相変わらず淡々としていますが、普通の6つ名だと伴侶と子供に関心を持つことがまずありません。ルナールのことが割と好きそうに見えて、息子のことも割と可愛がっているように見えるセイランは、前にヴァッハフォイアにいた6つ名を知っているシュトースツァーン家の長老たちからするとすごく不思議な存在です。