兄弟の宴(ル)
私の名はリーレン・シュトースツァーン。
兄嫁からの依頼でフレンスヴェルグを討伐し、白金に昇格できたのでヴァッハフォイアに帰国することにした。
災害級の魔獣に遭遇できるのは運要素が強いため、代々あまり運の良くないシュトースツァーン家の男は皆今まで散々苦労してきたはずなのだが、たった1枚の指名依頼の紙で災害級のフレンスヴェルグが湧いて出てしまった。代々の王には、それ以外が出来過ぎているのだから、運が悪いくらいでちょうどいいじゃないか、等と言われて本気で切り刻もうとした当主が実に多いらしい。大体うちの当主が代々苦労しているのは、王が戦うことしか考えていない連中ばかりだからというのに。
シュトースツァーン家の男にとって、成人してから白金に昇格するまでの時間は、人生における唯一の自由時間だ。ヴァッハフォイアとシュトースツァーン家のために一生を捧げなければならないのだから、社会勉強のためと称して大陸中を自由に巡ることができるのは、何の柵もなく自由に生きられる限られた時間だ。
実際、そのまま国に戻ることなくシュトースツァーン家の名を捨てる者も少ないが存在する。そしてシュトースツァーン家もそれを咎めはしない。シュトースツァーン家の名を名乗るに値なし、と切り捨てられるだけだ。
私はシュトースツァーン家の名を捨てようとまでは思ったことはないが、当主になりたいとは思えなかったので、順当に兄が最初に白金に昇格してくれて正直助かった。帰国する年齢制限が30歳だから、25歳を過ぎるとそろそろ白金に昇格しないと分家の扱いに落とされるし、災害級の魔獣にはなかなか遭遇できないしで焦りが出てくるのだ。私は兄弟の中では恐らく1番文官仕事に適性があるが、兄を当主としてその下に付くのに否やはないが、これがもし従弟の誰かが最初に白金に上がっていたりしたら、複雑な心境だっただろう。
獣人族は陽気で元気で激情家というのが常で、兄はそんな獣人族らしく、それでいてシュトースツァーン家の男らしく冷酷で冷徹な面も持ち合わせていたから、当主となるのに何の問題もないだろうと思っていたが、アルトディシアから6つ名の人間族の嫁を連れ帰ったと聞いて一瞬耳を疑った。
冒険者ギルドから入る情報は雑多で精査されていないから、実際に自分の目で確認しないと何とも言えんが、6つ名持ちというのは種族を問わず優秀で美形ではあるが、感情の乏しい人形のような存在だ。気候は安定するだろうからヴァッハフォイアという国のためにはなるだろうが、シュトースツァーン家当主の妻としては大変ではないだろうか。
一体何を考えてわざわざ他国の他種族のそんな面倒な相手を選んだのか。よくアルトディシアとの間に戦端が開かれなかったものだ。
狐獣人族でなくても、獣人族だというのなら6つ名持ちを守り確保するためにシュトースツァーン家の次期当主が娶るのはまだわかるのだが。実際うちの先祖にも何人か6つ名持ちがいたはずだし。
しかも弟のロテールも一緒にアルトディシアの王女を妻に迎えたというし。
フィンスターニスからヴァッハフォイアは遠い。
他者と付き合うのが些か苦手な私には、他種族にあまり関心を持たない排他的なダークエルフの国は過ごしやすかったのだが、いざヴァッハフォイアに帰国するとなると時間がかかった。
フォイスティカイトを抜けてヴァッハフォイアに入ったところで、うちの紋をつけた馬車の一行に遭遇した。
「あれ?リーレン兄上?入れ違いになるかと思ってたけど、帰りが一緒になったか」
「ロテール?」
馬車を護衛するように横で馬に乗る金髪の狐獣人は弟のロテールだった。周囲の護衛達もうちの者が多い。人間族の騎士と思しき者も何人かいるが。
「フォイスティカイトに外交に行ってきた帰りなんだよ。馬車に妻が乗ってるから、宿に着いたら紹介する。兄上も家に帰るところだろう?レナートはヴィンターヴェルトにいたからすぐ帰ってきたんだけどな、まだ20歳だしもう少し冒険者を続けるってさ」
ぽくぽくと馬を並べて進めながら久しぶりに会う弟と話す。
「フォイスティカイトにわざわざ外交に行っていたのか?これまでと政策を変えるのか?」
ヴァッハフォイアはドワーフ族のヴィンターヴェルトとは仲が良いが、人間族のフォイスティカイトとは昔から緊張状態を続けてきたはずなんだが。大きな戦争こそないが、小競り合い程度なら割と頻繁に起こっていた。
「義姉上、ルナール兄上の奥方がフォイスティカイトの香辛料と果物を定期的に平和的に欲しい、と言ってね、俺の奥さんも母親が元フォイスティカイトの王女でフォイスティカイトには伝手があるから、これからは商業的、経済的に仲良くやっていきましょう、ということになったんだ。いくつかの商会がヴァッハフォイアの王都に支店を出してくれることになったよ」
「仲良くやれるならそれに越したことはないが。兄上とお前が人間族のアルトディシアの王侯貴族の嫁を連れてきたとは聞いていたが、本当だったんだな」
「俺は兄上のついでみたいなもんだけどね。仲良くやってるよ」
目を細めて馬車を見遣るロテールはとても嬉しそうな顔をしているから、仲良くやっているのは本当のことなのだろう。どういう経緯でアルトディシアの王侯貴族の姫と知り合ったのかは、家に着いてから聞かせてもらうことにするが。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。ステファーニア・アルトヴィンデスですわ」
宿に着いて馬車からロテールのエスコートの手を取って降りてきた小柄な人間族の少女が優雅に礼をする。
正に人間族の高貴なお姫様だ。
そして実にロテールの好きそうな甘い綺麗な顔立ちをしている。
うちの兄弟で唯一の面食いがロテールだからな。兄上は胸の大きさには拘りがあるが顔の美醜には拘りはないはずだし、私と末弟のレナートは外見には一切興味がない。
「初めまして、リーレン・シュトースツァーンです」
「レナート様とライラ様もですけれど、リーレン様もお義母様似ですのね」
「よく言われます」
にこにこと微笑む弟嫁の顔にも匂いにも全く感情の変化は見られない、それだけでも好感度が上がった。母親似のこの顔にうっとり見惚れる女も男も多いからな、うんざりだ。酒場や娼館で情報を集めたい時にはこの顔が役立つこともあるが。
「ステファーニア、長時間馬車に乗っていて疲れただろう、すぐ部屋で休むか?食事はどうする?」
「お気遣いありがとう存じます。先にお風呂をいただいてから、食事はお部屋で何か持ってきたものをいただきますわ」
ロテールが甲斐甲斐しく妻を労っている。たしかにひ弱な人間族の女性に長時間の馬車旅はきついだろう。持ってきたものを、ということは、疲労で食欲も落ちているのか。
「食事を取らないのか?そんなに食欲がないのか?大丈夫か、お前の妻は?」
側仕え達を連れて風呂に行った小柄な後ろ姿を見送り、いくら外交とはいえ、ひ弱な人間族の女性を隣国へ馬車旅をさせた弟に非難の目を向ける。
「ああ、違う、違う。フリーズドライの携帯食をたくさん持ってきているから、それを食べるんだよ。正直、宿の微妙な食事を取るよりずっと美味しいからさ、お湯だけもらえばいいし」
「フリーズドライ?ああ、冒険者ギルドで最近売り出された携帯食か。確かセレスティスで発明された魔術具で作られているんだろう?だが、あれは売っている冒険者ギルドの食事処の料理だから、外で携帯食として食べるなら抜群に美味いが、きちんと宿に泊まっているなら宿の食事か、町中の食事処に食べに行った方がいいだろう?」
「いや、あのフリーズドライて魔術具を開発したのが、ルナール兄上の奥方なんだよ。だから魔術具自体が冒険者ギルドに行かなくてもシュトースツァーン家にあってね、家から料理をたくさんフリーズドライにして持ってきてるんだ、義姉上が来てからうちの料理も格段に味が良くなったし。あ、ポーション類の味を改良してくれたのも義姉上だから、会ったらお礼を言うといい。帰ったら初対面の兄上のために本邸の夕食できっとイナリズシを出してくれるよ、狐獣人族であの料理が嫌いなのはいないから楽しみだな」
なんと、兄嫁は獣人族の恩人だったらしい。
シュトースツァーン家当主の妻としての覇気があるかどうかは知らんが、全ての獣人族が涙を流して感謝するだけの偉業を成しているのなら、感情の乏しい人形のような女性であってもうちの当主夫人として認められるか。
「大体何を考えているかは想像できるけど、義姉上には実際に会って話してみてからでないとわからないことが多いぞ?なんせあのルナール兄上がべた惚れで溺愛してるし。知識として知っていた普通の6つ名持ちとはちょっと違う感じだしなあ」
ロテールが肩を竦めるが、あの兄がべた惚れ?1人の女に?
「あの兄上が1人の女性にべた惚れという時点で信憑性がない」
「そうなんだけどさ、義姉上はうちの男の理想を凝縮したような人だから。6つ名持ちらしく淡々としてるんだけど、さらっと悪辣で容赦ない人なんだよなあ。普段は静かに本を読んでいることが多いから、リーレン兄上とは気が合うんじゃないか?」
ロテールが何を言っているのかはよくわからなかったが、わけてもらったフリーズドライのクリームシチューという料理は今まで食べたことのないほどに美味だった。兄嫁は非常に美食家らしく、アルトディシアの実家から腕の良い料理人を連れて嫁入りしており、本人も趣味で料理をするらしい。人間族の高位貴族が趣味で料理をするというのは非常に珍しいが、別に周囲に害があるわけでもなく実際に美味ならなんの問題もないだろう。静かに本を読んでいることが多い、というのは6つ名持ちらしいな、獣人族の中では浮くだろうが。
「リーレン様、おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
10年ぶりに生まれ育った邸に帰り、見知った者達の顔を見るとほっとする。
「じゃあ兄上、また夕食の席で」
「ああ」
弟夫婦と別れ自分の離宮に入る。今夜は家族と久しぶりに顔を合わせて、今後のことを確認しなければならない。正装するのも久しぶりだ。
「リーレン様はルナール様とロテール様のように、他種族の花嫁をお連れにならなかったのですね」
久しぶりに会う乳母にからかわれるように言われるが、冒険者をしながらシュトースツァーン家の嫁に相応しい女に出会うことの方が難しいだろう。
「むしろ私は兄上とロテールが人間族の嫁を連れてきたことの方が驚いたがね。ステファーニア様とはヴァッハフォイアに入ってから一緒に来たから少し話したが、確かに政治や外交に関しては相当切れる女性のようだな、ロテールもずいぶんと気に入っているようだし」
あれは母上のように馬鹿をやる獣人族を力ずくで締めあげるのは難しいだろうが、庇護欲をそそる外見だから、守りたいと思う獣人族は多いだろうし、宰相府や外交では辣腕を揮えるだろう。人間族の大国の王女という肩書は伊達ではないようだ。
「ステファーニア様には他国との外交を主にしていただいて、ヴァッハフォイア内の獣人族をまとめるのはリーレン様とレナート様の奥方になると思いますよ。セイラン様、ルナール様の奥方はその気になれば獣人族を締めることもできるでしょうが、ルナール様の隣で政務を執る方が効率が良いでしょうし。まあ、ポーション類の味を改良してくださった方ですからね、セイラン様がお願いすれば大概の獣人族は言うことを聞くでしょうけど」
「ルナール兄上の嫁は6つ名持ちなんだろう?獣人族を締められるような覇気があるのか?」
むしろステファーニア様なら、このヴァッハフォイアにはない脈々と続く高貴な血筋による誇り高さというやつに気圧されて、跪くような獣人族も一定数いそうだが。
「淡々とした方ですけどね、ルナール様が惚れこんで連れてこられるだけあって、実に老獪で容赦のない方ですよ」
「ロテールも似たようなことを言っていたな、淡々としていてさらっと悪辣で容赦ない、とか」
しかし老獪ときたか、ライラと同い年だと聞いたのだが、それに老獪という表現はどうなのだろうか。
「リーレンよく戻ったな、これほど早く息子達が全員帰国できるとは思っていなかった、セイランには礼を言わなくてはな」
「本当に。あの子が嫁に来てから運気が上がるのか、家の資産もどんどん増えますしね。毎日の食事も美味しいですし、本当に良い嫁を連れてきました。ステファーニアも上手く外交を纏めてきてくれたようですし、他種族の嫁も良いものですわね」
本邸の広間に行くと、両親は既に席についていた。
「リーレンお兄様、おかえりなさいませ」
「リーレン兄上、久しぶり」
ライラとレナートは髪色が違うだけで、私と同じ顔、つまり母上似だ。ライラが一族一の美女と名高い母上似なのは問題ないが、私とレナートは苦労する、特にレナートは小柄だから苦労しているのではないか。
そこに兄夫婦と弟夫婦がやってくる。弟夫婦とは既に面識があるから問題ないが、初対面の兄嫁の顔は、なんというか凄まじかった。兄上は顔の美醜には頓着しない男だと思っていたのだが、実は面食いだったのだろうか。
「リーレン、戻ったか。これで兄弟全員揃ったな。セイラン、すぐ下の弟のリーレンだ。リーレン、妻のセイランだ。アルトディシアのシルヴァーク公爵家から嫁いできてくれた」
「お初にお目にかかります、セイランと申します」
「初めまして、リーレンです」
にこりと微笑む兄嫁は、6つ名持ちらしくほとんど感情の匂いがしないが、ロテールから聞いていた通り兄は溺愛しているらしい。彫刻として飾っていたら鑑賞には最高だろうなと思う。
「外交の成果は食事をしながら聞かせてもらおうか。セイラン、始めてくれるか?」
父上がにこやかに兄嫁に声をかけ、兄嫁が頷く。
「はい。前菜は揚げ茄子のゼリー寄せですわ」
黒くて四角いものの中に切った茄子がゴロゴロと入っているような前菜が運ばれてくる。上には白い細く切られた野菜が乗っている。これは一体何なのだろうか、色味的にあまり美味しそうには見えないのだが。
「よく冷えていますこと。私はこれとても好きな味ですわ」
母上が匙で掬って一口食べて顔を綻ばせる。
「お前茄子好きだよな、前に食べたデンガクてのも美味かった」
「あら、デンガクという料理はまだ食べたことありませんわ。ルナール、いい加減セイランを独り占めしていないで、何もない日も夕食くらい共にしましょう」
「嫌です。俺はなるべく長くセイランと2人きりで過ごしたいんです。そもそも母上は昼間にセイランのお菓子を食べているでしょう」
「お菓子と料理は別でしょう、あまり独占欲が強い男は鬱陶しいですよ」
似たような会話がよく繰り広げられているのだろう、皆気にせず食べ始めているので私も匙を手に取る。
口に入れた途端に崩れて、冷たい茄子と汁のうまみが口に広がる。上に乗っていた白い野菜はネギだったのか。少しぴりっとした風味がよく合っている。これは確かに母上の言うように非常に美味だ。気付くとさほど大きくなかった四角い塊はなくなっていた。
「スープは魚素麺の吸い物です」
透明な汁に細い麺が入った冷たいスープが運ばれてくる。キノコや柑橘も浮かんでいる。
食べると柑橘の爽やかな風味と何かわからないがぴりっとした風味を感じる。麺は冷たく喉越しが良く、汁はなんともいえず上品な味わいだ。
「お姉様、私はこのスープがとても好きですわ。フォイスティカイトで毎日会食でしたので香辛料をたくさん使われたお料理が多かったのですけれど、このくらい控えめに使われている方が私は好きです」
ステファーニア様が零れるような笑顔だ。他国に外交に行くと、毎日会食だっただろうから、それは胃も疲れるよな。
「お疲れ様でした、今回ステファーニア様には色々とお願いしてしまいましたから、何かご希望があれば仰ってくださいませね?」
「あら、でしたらピーチメルバを頂きたいですわ、昔シルヴァーク公爵邸で頂いた記憶がありますの。夏ですし、冷たいお菓子が美味しいですわよね」
「では明日の午後のお茶に招待いたします、お義母様とライラ様もご一緒にいかがですか?」
「もちろん伺いますわ」
「はい、お姉様!」
この2人は元々仲の良い従姉妹同士だと聞いていたが、どうやら母上とライラとも仲良くやっているらしい。母上とおばあ様の嫁姑戦争はなかなか苛烈だったと記憶しているが。
「車海老の変わり衣揚げ5種と枝豆と新生姜のかき揚げです」
何か海老を油で揚げたらしき料理が出てきた。カワリコロモアゲ?
「義姉上、このなんかねっとりした感じのが1番美味しいです!」
レナートが顔を輝かせている。
たしかに美味い。だが私の好みとしては、この細かいサクサクしたものがたくさん付いているものの方が良い。
「それはうにごろもですね。うにに卵黄、冷水、小麦粉、片栗粉を混ぜたものですよ」
「ウニ?前に頼まれた素材持って行った時に出してくれた、ウニドンというやつですか?あれもすごく美味しかったです!」
この末弟がなんの警戒心もなく女性に懐くとは珍しい、白い尻尾をぶんぶんと振っている。
「レナートお前、俺が宰相府で仕事してる間にセイランに飯食わせてもらってるのか?」
兄上がじとっとした目で末弟を睨み、末弟は慌てて首を振る。
「たまにですよ、たまに!アイーシャも一緒だし!アイーシャ、義姉上のこと大好きだから会いたがるし!」
「神殿騎士は皆6つ名持ちが好きだよな」
兄上が深々とため息を吐く。アイーシャというのは神殿騎士なのか?
というか、兄上、ロテールから聞いてはいたが本当に溺愛してるんだな、母上じゃないが、あまり独占欲の強いのもどうかと思うぞ。
「牛フィレ肉のもろゼル焼きです」
柔らかい牛肉にしっかりと甘辛い味が染みついていて、いくらでも食べられそうだ。ヴィンターヴェルトで似たような味の料理を食べた気がするが、これほど洗練されてはいなかった。
「皆様お待ちかねのいなり寿司5種です」
これがロテールの言っていた、狐獣人族が皆好むという料理か。見た目には、茶色の皮に包まれた小振りな塊にしか見えないのだが、確かに人間族2人以外の家族は皆金色の目を輝かせている。対照的に人間族の嫁2人はそれを見て微笑ましそうな顔をしているが。
美味い・・・
なんなんだ、この料理は。
甘辛い皮からじゅわりと汁が中の米に染み出し、酸味のある味付けをされた米と一体になって得も言われぬ美味となっている。これは、狐獣人族が皆好きだというのも頷ける、むしろ人間族の嫁2人はこれが最高の美味だとは思っていないのか?
「デザートは青梅饅頭です」
酒の風味のする何かの実を透明の衣で包んでいる小さな菓子だ。爽やかでつるりと食べてしまった。
兄嫁がとんでもない美食家だというのは本当だったようだ。我が家の料理が劇的に改善されているということだろう、帰国した甲斐があったというものだ。
「さて、フォイスティカイトとの首尾はどうであった?」
食事が終わったところで、父上が弟夫婦に話しを振る。
「これからは友好を結んで隣国として活発な交流を、ということで纏めてきましたよ。予定していたパルメート商会は義姉上の友人が既に動いてくれていたようで、すんなりと支店を出すことに了承してくれましたし、それ以外にもステファーニアがいくつか声をかけていたよな?」
「はい。お姉様から言われていたキラシャール公爵家とセゼールリーマ公爵家とリーエンスール侯爵家、できれば声をかけてほしいと頼まれていた商会のリストがありましたので、全て動いてくれることになりました。お姉様からお預かりしていた手札を全て使い切ってしまいましたけれど・・・」
「構いませんわ、それだけ動いてくれるのでしたら手駒が揃いました」
兄嫁がにこりと微笑む。
「お前、うちの影もかなり使って色々調べさせてただろ?何をするつもりだ?」
兄上が面白そうな顔をしてるが、うちの影を嫁いできて1年も経っていない嫁にもう自由に使わせているのか。
「エルヴィエールを少しばかり叩いておこうと思いまして」
「・・・何?」
父上が一瞬言葉を失う。
エルヴィエールは謀の女神を信奉する犯罪都市国家だ。
暗殺者ギルドや盗賊ギルドといった裏社会のギルドの本部がある、このヴァッハフォイアからほど近い砂漠のオアシス都市で、ヴァッハフォイアは騙されやすい単純な者が多いこともあり、長年煮え湯を飲まされてきた。裏社会のギルドというのは必要悪でもあるので、攻め滅ぼしてしまうわけにもいかないのが辛いところだ。
「あの国にはどこもそれなりに煮え湯を飲まされているでしょうけれど、この国は近いこともあって特に被害が大きい様子ですから、1度経済的に沈んでもらいましょう。勿論、完膚なきまでに叩き潰すと後が厄介ですので、そうですね、立て直しに10年くらいはかかる程度が良いでしょうか」
「お前がそう言うということは、勝算はあるんだな?」
兄上がにやりと笑うのに、兄嫁は美しい青紫の瞳を少し細めて紅い唇の端をゆっくりと上げた。
「勿論、存分に、踊っていただきましょう?」
背筋にぞくぞくとした快感が走る。
家族も室内に控えていた側仕え達も皆恍惚とした顔で兄嫁を見つめている。
「お前、本当にいい女だな。何度惚れ直させたら気が済むんだ?俺は既にお前のことが好きで堪らないのに」
兄上が顔を赤らめて色気の滲む目で嫁を見つめているが、確かにこれはべた惚れで溺愛するのもわかる、6つ名持ちというのは感情の乏しい人形のはずじゃなかったのか?
「いやあ、流石は義姉上、ステファーニアが個人的に頼まれごとをした、と言ってフォイスティカイトで外交や商談纏めまくってたけど、まさかエルヴィエールを沈めるための算段だったとはね。俺じゃあ、あんなに簡単に外交や商談纏められなかっただろうから、ステファーニアに頼んで正解だけど、いつから計画してたんだろう?ステファーニアも、流石お姉様・・・!て言って目をキラキラさせてたけど」
「ライラが、お姉様なんて素敵・・・!て呟いてうっとりしてたけど、本当に頼もしいよな、アルトディシア馬鹿だなあ、あんなの手放すなんて」
せっかく兄弟揃ったのだから、と飲みなおすことになって何故か私の離宮に兄弟で集まっている。いや、それぞれ妻のいる兄上とロテールの離宮よりも、私かレナートの離宮が集まりやすかったのだが。
「何でも必要だと思ったら好きなように動いていい、とは最初から言ってはいたんだがな、まさかエルヴィエールを潰す算段をしているとは思わなかった。実にいい女だ、改めて惚れ直した」
兄上が自分の離宮から持ってきた酒のつまみをテーブルに並べながら惚気る。
「ルナール兄上が義姉上にべた惚れなのは見ればわかるけど、義姉上はいつも淡々としてるよな、6つ名だからあんなもんなのかもしれないけど、あんまり溺愛しすぎて鬱陶しがられないようにしろよ、兄上。あ、これ美味い、これ何?」
「カラスミ、てセイランは言ってたぞ、この酒に合うから一緒に飲んでみろ」
「この酒初めて見た。ヴァンガルドからの酒の輸入も増やしてるんだろ?義姉上、本当に美食家だよな」
「美味しいは正義だと初めて会った時から言っていたからな、至言だと思う」
そういえば、どういう出会いをしたのか訊こうと思っていたんだった。普通は6つ名持ちは国か神殿に囲い込まれているから、一介の冒険者が会うなんてまずできないはずなんだが。
「どうやって他国の6つ名持ちと出会って、あまつさえ嫁にできたんだ?普通は大事に囲い込まれてるだろう?」
「身分を隠してセレスティスに留学してたんだよ。人間族の高位貴族は感情を隠すのが上手いのが多いし、まさか6つ名持ちが他国に留学しているなんて思わないだろう?この女しかいないと惚れ込んで、白金に上がってすぐ求婚したら、6つ名持ちだから他国には嫁入りできない、と言われて初めて6つ名だと知った。言われてみると納得できることが多かったがな」
兄上が牡蠣のオリーブオイル漬けを食べながら、思い出すように目を細める。
「6つ名本人がその気になってさえくれれば、アルトディシアが何を言ったところで無駄だろう?だから必死で口説いた。恋愛感情を持たれていないのはわかっていたから、何か興味を引けないかと思ってな」
「そういや、婚約してからも全然落ちてくれない、て言ってたよな。義姉上は知識として知ってた6つ名とはちょっと違う感じだけど、感情乏しいのは6つ名の特性みたいなもんだし仕方ないよなあ」
「・・・感情が乏しいんじゃない。6つ名持ちは、神々によって感情を制限されているんだ」
兄上がため息を吐いてとんでもないことを言い出した。
「は?何それ?」
「神々から直接言われたから間違いない。俺はあいつの全てが欲しかった。あいつは感情は乏しいが、やること成すこと面白いし親愛感情は持ってくれていたから、そのうち恋愛感情も持ってくれるだろうと思っていたんだ。だが結婚式で6柱の大神にあいつ唯一人を生涯愛し守り抜くと誓ったら、6つ名を与えた者は神々が感情を制限しているから、どれほど愛情を傾けても同じ想いを返すことはないと言われた。神々の都合によるものだから、今ならその誓いを無効にしてやる、とな。あいつは恋愛感情はわからないが、俺のことはかなり好きだと言ってくれていたから、それならもうそれでいいと思ったんだ。恋愛感情を理解できないのは神々のせいであって、あいつのせいじゃない、その分俺が愛すればいいだけのことだ。だから誓いを覆す気はないと言ったら、ヴァッハフォイアが“よく言った、それでこそ我が民!”と笑ってあいつの守護者に任命された」
「・・・あの時の神託でそんなこと言われてたのか」
ロテールが唖然とした顔をしている。
「ただまあ、あいつは6つ名持ちとしてはかなり変わり種だと思うぞ?他国に留学しようとする時点でおかしいし。セレスティスであいつの師だというハイエルフに会ったが、あとで知ったがそのハイエルフは神々と語り合うと言われているセレスティスに隠遁している6つ名持ちのハイエルフだった。2人共なんだか似たような浮世離れした雰囲気だとは思っていたが、2人共普通の6つ名持ちより感情があるんじゃないかと思う」
「・・・アイーシャも似たようなこと言ってたな。フィンスターニスの神殿で仕えていた6つ名の君は感情を動かすことがなかった、て。義姉上は6つ名持ちとしてはあり得ないくらいに感情豊かだ、て」
それにしても、神々にわざわざそんなことを言われるとは、兄上はどれだけ惚れ込んだんだ。
「それにしても、感情を制限されていながら、あんな綺麗な笑顔で、あんなこと言うか?”勿論、存分に、踊っていただきましょう?“て!あの瞬間、背筋がぞくぞくしたんだけど!」
「あれがあいつの素の性格なんだよ、いい女だろ?」
「さらっと容赦なく悪辣なこと言う人だよね。淡々として感情も動いてないから、それが当然だと思ってるんだろうな、いい性格してるよなあ」
ロテールが笑う。他種族にとってはあまり誉め言葉ではないだろうが、シュトースツァーン家の者にとっては間違いなく誉め言葉だ。
「シュトースツァーン家のしきたりも何も知らずに他国から嫁いできた他種族の嫁だから、セイランもステファーニアも母上に教えを乞う形で立ててくれてるから今のところ嫁姑戦争も勃発していないが、リーレンとレナートの嫁になる女は苦労するぞ、多分一族の中から選ぶだろ?人間族の嫁2人が出来た性格だから今のところ穏やかに過ごしているが、元々母上とおばあ様も嫁姑戦争が苛烈だったじゃないか、基本的に皆気の強い女ばかり選ぶから代々大変らしいし。頑張れよ」
他人事のように言う兄上に、レナートと2人げんなりと顔を見合わせる。
「ルナール兄上は義姉上と出会ったことで、シュトースツァーン家の男のなけなしの運を使い果たした感じだよね」
レナートが負け惜しみを言うが兄上はふふん、と鼻で笑う。
「俺の運が使い果たされても、最高の女を手に入れられたんだから圧倒的な勝利だろ、6つ名として最強の強運の持ち主が隣にいるんだから、俺の運が悪くても問題ないさ。羨ましいだろう?」
「くそう、見た目は平凡でいいから、むしろ平凡がいいから、頭が良くて気が強くて姑や義姉たちと上手くやれる女をみつけないとならないのか・・・!」
「気が強くて、という時点でかなり難しいと思うがな、少なくとも一族の女にあの2人みたいに楚々として姑を立てられそうなのはいないだろう、せめて最初から母上が気に入っているのを選ぶんだな」
「あー、俺はあの時アルトディシアにいて良かった!ステファーニアが嫁にきてくれて本当に良かった!」
「私はもうこの際一生独身でいい・・・」
久しぶりに会う兄弟の酒盛りは夜更けまで続いた・・・
シュトースツァーン家の4兄弟の中で1番の美形が次男のリーレンです。獣人族には珍しい物静かで思慮深い参謀タイプ、多分兄弟の中で性格的に1番セイランと合うのは次男です。