長兄の嫁(ル)
ルナールルートの番外編です。ルナールの末弟視点の話です。
俺の名はレナート・シュトースツァーン。
ヴィンターヴェルトで冒険者をしている。
俺の家はヴァッハフォイアでは少しばかり特殊で、男は皆よほど身体が弱いとかでない限り、15歳になったら支度金として小金貨1枚渡されて家から放り出される。
使い慣れた武器や防具を持ち出すことも許されず、着の身着のままで文字通り放り出される。
成人して家を出る際に小金貨1枚与えられるのは、一般庶民からすると破格の待遇らしいが、それなりの家でそれなりに贅沢に慣れて育った身としては小金貨1枚というのははした金だ。家を出て自分の力で金銭感覚や他種族との関わり方を学び、力が全てと考える獣人達を抑えられるだけの力を身に付けてから帰ってこい、という教育方針らしい。
力は幼少時から戦闘訓練を受けているから、家を出る時点でそれなりに身に付いてはいるが、実際に魔獣と対峙するのも経験だし、良い武器や防具、魔術具を手に入れられるのも才覚のうちということで、自分で大陸を巡って手に入れなければならない。
獣人族なら強いだけでどうにかなるが、他種族との付き合いはそうはいかないというのを実地で学べということだ。冒険者としてソロで活動するのでも構わないが、あえて他種族とパーティを組んだりすることも推奨されている。
俺がヴァッハフォイアを出て最初に行ったのはフォイスティカイトで、そこで人間族の金カードの冒険者ジリオンにパーティに誘われた。ジリオンは、俺のことを最初は女だと思っておかしな連中に絡まれてるのを助けてやろうと思ったが、酒場で下卑た笑いを浮かべながら俺に詰め寄ってきた男どもを俺が殴り倒しているのを見て、急遽男どもが殺されないように止めに入ってきた面倒見の良い男だ。
当時俺はまだ成人したばかりの15歳、見かけより強くて男だとわかっても世間知らずすぎて放っておけなくなったらしい。
まあ、世間知らずなのは自覚している、そのために冒険者になって大陸を廻らされているんだし。女顔なのは一族一の美女と言われる母親似なんだから仕方がないだろう。
ジリオンは同じく金カードのドワーフ族のゴルトベルとパーティを組んでいて、2人は国を出てきたばかりの俺に色々なことを教えてくれた。ゴルトベルが国に10年くらい帰っていないから、1度帰りたい、と言ったので一緒にヴィンターヴェルトに来た。
「しっかし、世間勉強して白金になるまで帰ってくるなと言われて、支度金に小金貨1枚渡されて放り出される、てなかなかに鬼畜な家だよな」
「うちは代々そうしているし、俺は4男だからまだ気楽な身分さ。将来家を継ぐことになる予定の長兄と次兄はもっと厳しく教育されていた」
最初に白金になって帰国した本家の男が次期当主だから、長兄か次兄にほぼ決定なので3兄と俺の教育はまだ緩かったと思う。実際に俺達兄弟は全員次期当主としての教育は受けてきたが、比重は長兄と次兄が当主教育、3兄と俺は当主補佐としての教育に重きを置かれていた。
「4人も男兄弟で家を継ぐのは最初に白金になった男なら、家督争いが大変じゃないか?末っ子だからもう諦めてるのか?」
「いや、うちの当主とか面倒すぎてやりたくない。大変なのがわかってるから、当主になった男を一族で支えるようにと教育されている。あと妹が1人いる」
「人間族なら、1番強いやつが家を継げるとなったら殺し合いになる家がたくさんあるぜ?やっぱり種族によって違うよなあ」
「ドワーフ族なら1番鍛冶の上手い奴だな」
ジリオンとゴルトベルは俺が白金に上がるまで付き合ってやる、と言って笑っているが、正直、白金に上がれるだけの魔獣に遭遇するのが難しいんだよな。倒すだけならそんなに難しくないと思うんだが。成人までに低位の災害級の魔獣を単独討伐できる程度の力は身に付けさせられているし。それは兄達も同様だろう。シュトースツァーン家の男は強いのは当然だから、むしろどうやって白金に上がるかの過程が重要なんだ。
「珍しいな、ダークエルフだ」
ジリオンが酒場の入り口に視線を向ける。
そこには褐色の肌に白い髪、赤い目のダークエルフの女が入ってきたところだった。
ダークエルフはエルフ以上に排他的だから、ほとんどフィンスターニスから出てこないはずなんだが。
「すまないが、相席させてもらっても構わないだろうか」
周囲の好奇の視線を気にもせず、そのダークエルフは俺たちのテーブルにやってきた。
「ああ、構わんよ、ゴルトベルもレナートも構わんだろう?」
「ああ、勿論だ」
「構わんが、何故この席に?」
ダークエルフが肩を竦める。
「カウンターが空いていたらそこに座るつもりだったんだが、あいにく満席でな。私は見ての通りダークエルフだから、下手な輩に絡まれることもあるんだが、貴殿らは3人共別種族で仲良く食べているし、それなりに強いだろう?強い奴はわざわざ他者に絡んだりしない」
ジリオンが俺を見てぷっと噴き出す。
俺がこの顔のせいで、しょっちゅう酔った男どもに絡まれるのを思い出したんだろう。まったく、背も伸びたし、もう女には見えないと思うんだが。
「なるほどな。確かにあんたくらい綺麗だと酔った男にも絡まれやすいだろうし、ダークエルフは珍しいからな。俺はジリオン。この狐獣人はレナートでドワーフはゴルトベルだ」
「私はアイーシャという」
アイーシャと名乗ったダークエルフは、確かに一人で酒場にいると絡んでくる男がいくらでも湧いてきそうな美女だった。エルフ族と違ってダークエルフは凹凸がしっかりあるから、ドワーフ族が大半のヴィンターヴェルトはともかく、ヴァッハフォイアに行ったら馬鹿な獣人族達に絡まれて大変そうだ。
「貴殿らは冒険者だろう?$&%@#がどこかに出没したという話を聞かないか?」
「あ?なんだって?」
ジリオンとゴルトベルが聞き返すので、通訳してやることにする。
「ヒュドラは災害級の魔獣だから、出没したら大騒ぎになるだろうが、最後の討伐情報は多分20年ほど前のはずだ」
ディゲル様が冒険者時代にヴィンターヴェルトでヒュドラを単独で討伐して白金に上がったと言っていたから、多分それが最後だろう。災害級の魔獣がそう簡単に湧いて出ることはない。そう簡単に湧いて出てくれたら、俺を含めシュトースツァーン家の男が白金に上がるのに苦労することもないんだが。
「貴殿はフィンスターニス語がわかるのか?その20年前の情報を頼りに、ヴィンターヴェルトに来たのだが、この辺にヒュドラが生息する地がないだろうか?」
「フィンスターニス語というか、古語だろう、それ。誰に聞いても伝わらなかったんじゃないか?」
「そうなんだ!だが、大陸共通語でなんというのかわからなくて!そうか、ヒュドラというのだな!礼を言う、レナート殿!」
満面の笑顔で俺の両手を握ってぶんぶん振ってくれるが、そうすると目の前の胸も揺れて正直目のやり場に困る。
「レナートお前、いいとこの坊ちゃんなんだろうとは思ってたけど、フィンスターニスの古語まで使えるのか?」
ジリオンに呆れたように言われるが、語学は幼い頃から習得させられている。
「6大国で使われている言語は必須教育だ。古語は特にその国の者同士が密談をする際などに使いやすいからな」
「ここでフィンスターニスの古語を解する者に出会えたのも、闇の神フィンスターニスのお導きであろう。貴殿らは高位の冒険者パーティとお見受けする。私をパーティに加えていただけないだろうか?これでも一応金カードだ、足手まといにはならないと思う」
俺達は顔を見合わせる。
俺達は、ジリオンとゴルトベルが金、俺が銀だ。俺も早く金に上がりたいんだが、なかなかそれだけの魔獣に遭遇できない。こればっかりは運も関係するから焦るな、と2人には言われている。
「まずは理由を聞かせてもらおうじゃねえか。ヒュドラを探すなんて穏やかじゃないしな、話をきいてからだ」
そこからの彼女の話を要約すると、彼女はフィンスターニスの神殿騎士で、神殿騎士は階級を上げるために試練を受けなければならないらしく、その試練というのが彼女の場合はヒュドラの討伐だった、ということらしい。ところどころフィンスターニス語やらフィンスターニスの古語やらが入り混じったので、俺が通訳するハメになった。
「白金にならないと家に帰れなかったり、ヒュドラを討伐しないと昇格できなかったり、種族によっていろんな事情があるもんだな・・・」
ジリオンに呆れたように言われてしまったが、フィンスターニスの神殿事情なんて俺も初めて聞いたぞ。
「もっと簡単な試練に当たる者もいるのだが、私が引いた札はヒュドラの討伐だったため、まずはヒュドラを探すために大陸中を廻っていたのだ」
しかもくじ引きかよ。運が悪いんだな、この女。
翌日冒険者ギルドに行くと、受付嬢から手招きされた。
「レナート・シュトースツァーンさんですね?指名依頼が来ております」
「指名依頼?俺に?」
わざわざ指名依頼なんてされるのは金カード以上になってからかと思っていたんだが。いや、まてよ?この顔目当ての女とかじゃないだろうな?女ならまだしも、男だった日には目も当てられない。母親似のこの顔のせいで冒険者になってから結構ロクな目に合ってないぞ?俺は。長兄や3兄みたいに父親似ならまだマシだったのに。次兄も俺と同じような目に遭ってるんだろうか。
シレンディア・シルヴァーク?
誰だ、それ?封筒に書かれた依頼主の名前に首を傾げる。
シルヴァークというと、アルトディシアの公爵家だったか?
なんでそんなところから俺に指名依頼がくるんだ?俺はまだアルトディシアにも行ったことないぞ?
「その指名依頼と一緒にルナール・シュトースツァーン様より伝言が届いております」
「長兄から伝言?」
長兄の関係者か?このシレンディア・シルヴァークてのは。
まずシレンディア・シルヴァークなる人物からの指名依頼を開けてみる。
「ぶっ?!」
「おい、レナート、どうした?おかしな依頼か?」
ジリオンが俺の持っている依頼書を覗き込む。
「はあ?!」
そこには、アンフィスバエナの尾とヒュドラの毒袋と肝臓と書かれていた。
「なんじゃ、なんじゃ」
一緒に覗き込んできたゴルトベルに胡乱な目を向けられる。
「アンフィスバエナにヒュドラとは、どれだけ珍しい魔獣かわかっとるんかいの?この依頼人は」
「知らねえよ、会ったこともないのに!」
「なんで会ったこともない相手が指名依頼出してくるんだ?シルヴァークってアルトディシアの公爵家だろ?俺はアルトディシアの貧乏男爵家の3男だから、公爵家なんて雲の上の人だけどよ」
「そうだ、長兄からの伝言!多分長兄の知り合いなんだ!」
長兄からの伝言を見た俺は、その紙を破り捨てたくなった。
“必ず出るから、準備万端にして行け”
なんだよ、必ず出るからって!その根拠はどこにあるんだよ!
「どうかされたか?」
そこにアイーシャがやってきた。とりあえずは冒険者ギルドで待ち合わせをしてたんだよな。
「いやあ、レナートに指名依頼が入ったんだが、その内容がな・・・」
ジリオンが苦笑しながら依頼書をアイーシャに渡す。
「・・・ほう、これはやはり私が貴殿と遭遇したのは主神フィンスターニスのお導きであろう。私はヒュドラの討伐をしたいのであって素材には興味はないゆえな、討伐の証明のために鱗1枚でももらえれば十分だ、是非同行させていただきたい」
「いや、討伐するのはいいんだが、どこにいるかもわからないんだが?」
そこでアイーシャは力強く頷いた。
「問題ない。シレンディア・シルヴァーク様のご依頼であれば必ず遭遇できるであろう。アルトディシアの6つ名の君と御縁がおありとは、やはり主神フィンスターニスは私をお導きくださっている」
「は?アルトディシアの6つ名の君?」
「私は神殿騎士ゆえ、大陸中の6つ名の君の名は存じ上げておる。シレンディア・シルヴァーク様は、アルトディシアの6つ名の姫君であらせられる。6つ名の君が望まれたのなら、どんな魔獣でも現れよう」
「・・・そういうもんなのか?」
名前が多いほど稀少素材が手に入りやすいのは知ってたが、6つ名なんて滅多にいないし普通は国の中枢に囲い込まれてるからな、なんで長兄はそんな相手と知り合ったんだ?
「よくわからんが、アンフィスバエナもヒュドラも出るということか?」
「ならまずはアンフィスバエナじゃな、とりあえず廃坑道にでも行ってみるかの?」
ジリオンもゴルトベルも半信半疑だが、とりあえずはヒュドラよりは狩りやすいであろうアンフィスバエナを探してみることになった。長兄も伝言寄越すなら、もっとわかりやすく説明してほしい。
・・・本当に出た。
俺もジリオンもゴルトベルも、目の前で唸り声を上げているアンフィスバエナ(名前と特徴は知ってたが遭遇したのは初めてだ)を見上げて、半眼になった。
「・・・こんな居住区に近い坑道にこんな危険な魔獣が住み着いてて大丈夫なのか?ヴィンターヴェルト・・・」
「おらんかったはずじゃ、昨日までは・・・」
「6つ名の君が望まれたのだから出現するのは当然のこと!さあ、御三方!さっさと討伐してヒュドラの元に向かおうぞ!」
張り切って長剣を構えるアイーシャと俺達は目の前のアンフィスバエナを討伐した。
いや、討伐自体は問題ないんだ、金カード3人に相応の魔獣にさえ遭遇できればいつでも金に上がれる銀カードの俺の4人じゃ過剰戦力だ。
そしてヒュドラも、災害級に指定されてる魔獣の中ではかなり強い方だが、単独討伐というならともかく、俺達4人がかりなら問題ないだろう。
「いやあ、これまでずっと金で燻ってた俺達の苦労ってなんだったんだろうな・・・」
「良かったの、レナート。一気に白金まで上がったぞい。これで大手を振って家に帰れるじゃろ?」
「そうなんだけど、そうなんだけど!なんで災害級の魔獣があんな依頼書1枚で出現するんだよ?!」
「6つ名の君は皆様欲が薄いので特に何かを望まれることはないが、望まれるものがあった時はそれがどのようなものであっても手に入るものだ。そうフィンスターニスの神殿では教えられている」
6つ名の感情が乏しいってのは俺も家で習ったが、望んだものが何でも手に入るようになってるってのは初耳だ。つうか、アンフィスバエナの尾にヒュドラの毒袋と肝臓を欲しがる6つ名てなんだよ、それ?!長兄もわかってて俺が白金に上がれるように依頼してくれたんだろうけど、どう考えても国の中枢に大事に囲い込まれてる6つ名が欲しがるようなもんじゃないだろう?!
「・・・とりあえず、アルトディシアに送る手配をすればいいのかな」
俺は依頼品を送るべく冒険者ギルドの受付に行くことにする。いつまでも持ってても仕方ないしな。
「送り先はヴァッハフォイアで伺っております。ルナール・シュトースツァーン様の奥様からの依頼品ですので」
「はあ?!」
ちょっと待て。
長兄の奥様、てどういうことだ?!
シュトースツァーン家当主の妻なんて、よっぽど我慢強くて頭が良くて気の強い女でないと務まらないんだぞ?!
依頼人てアルトディシアの6つ名の公爵令嬢なんだろ?長兄、何やってるんだよ?!
「・・・なあ、レナート。お前が結構いい家の出なのはわかってたが、アルトディシアの筆頭公爵家の令嬢を娶れるほどの家だったのか?」
ジリオンが引き攣っている。
「・・・身分的には問題ない、と思う。ただ、相手は6つ名らしいから、下手したらヴァッハフォイアとアルトディシアで戦端が開かれるんじゃないかと・・・」
「はあ?!6つ名ってそんな大層なもんなのか?!」
「6つ名の君が生まれ育った国を離れるなどまずないことなのだが・・・レナート殿、ヴァッハフォイアに帰国されるのなら、私も同行させていただいてもよろしいか?」
アイーシャが険しい顔をしている。
神殿は特に6つ名を大事にするからな、6つ名を無理やり攫ってきたなんてことだったら、血の雨が降るぞ。
ここまできたらとことん付き合ってやる、と乾いた笑いを浮かべたジリオンとゴルトベルが言ったので、一緒にヴァッハフォイアに帰ることにする。白金に上がったとはいえ、まだ20歳だからもう少し冒険者を続けるつもりだし。
「ちょうど坑道を抜けてヴァッハフォイアに行く予定の商会があったから、護衛として同行させてもらう手はずにしたが良かったかの?」
坑道を通れるのはドワーフ族だけだ、山脈を迂回するとなると時間がかかるから正直助かる。早くヴァッハフォイアに行きたい場合は、相場よりも安い料金になるが坑道を抜けるドワーフ族の護衛に就くのが1番だ。本来なら白金4人のパーティを護衛に雇うなんて、とんでもない額になるはずだが、持ちつ持たれつというやつだ。
「フリージア・ドヴェルグと申します。道中よろしくお願いいたします。白金カードの皆様を護衛に雇うことができるなんて、道中の安全は確保されたも同然ですわね」
にこにこと笑う可愛らしい感じのドワーフ族の女は、ヴィンターヴェルトの随一の大商会、ドヴェルグ商会の令嬢らしい。
「ドヴェルグ商会がヴァッハフォイアに支店を出すんかの?」
「はい。私の友人が是非にと望んでくださいまして、シュトースツァーン家が全面的に後援してくださることになりましたので、王都に向かうことになりましたの。皆様も王都までご一緒してくださるのですよね?」
ゴルトベルとフリージアの会話に思わず聞き耳を立ててしまう。
うちが全面的に後援?それだけの価値があるということか?
「へえ、シュトースツァーン家てのはヴァッハフォイアではそんなに力のある家なのか?こいつもシュトースツァーン家の出身なんだぜ?」
ジリオンが余計なことを言って俺の腕を引っ張る。
「まあ、シュトースツァーン家の方でしたか、知らずに失礼いたしました。私が面識があるのはルナール・シュトースツァーン様で、私の友人はルナール様とご結婚されたセイラン、いえ、シレンディア・シルヴァーク様なのです。セレスティスに留学中に友誼を結ばせていただきましたの」
「は・・・?」
まさかの俺が急遽帰国する理由になった相手の知り合いだったとは。
しかしなんでアルトディシアの6つ名の公爵令嬢が、ヴィンターヴェルト随一の大商会の令嬢とはいえ、平民のドワーフ族と友誼を結んでるんだ?どこに接点があるんだよ?
「すまないがフリージア嬢?そのシレンディア・シルヴァーク様のことを教えていただけないだろうか?俺の名はレナート・シュトースツァーン、ルナール・シュトースツァーンの末弟なんだが、長兄の結婚を知ったのが急な話で、義姉になる方のことを何も知らないのだが」
「ルナール様の弟君でしたか。たしかに急なお話ですものね、セイラン様は正式にはシレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァーク様という名で、セレスティスではセイラン・リゼルと名乗って身分を隠して留学されていましたの。ですので私はセイラン様と呼ばせていただいております。そこで商業や経済の講義が一緒になり仲良くさせていただきましたのよ。特に我が商会の調味料を気に入っていただけて、是非ご自分がヴァッハフォイアに嫁いだら商取引をと言っていただけて、今回正式に依頼がありましたの」
にこにこと話してくれるが、俺の頭の中は混乱していた。
なんで6つ名が他国に留学に出ることを許されるんだよ?アルトディシア何やってんだ?国のために権力者と婚約させるなり、神殿に入れるなりして縛り付けとくもんだろ?6つ名ってのは。しかも大陸の端と端でほとんど国交のない国に嫁がせるなんて。
「フリージア嬢、その方はアルトディシアの6つ名の君で間違いないのだろうか?」
アイーシャが難しい顔をして尋ねる。そうだよな、どう考えても6つ名の行動としておかしいもんな。
「私も正式な名を知ったのはルナール様と婚約されたことを聞いた後ですが、6つ名だとわかれば納得できることもありましたわ。あの方、セレスティスの夏の夜空にリシェルラルドの衣を出現させてましたもの。神事を執り行う様がとても手慣れておられましたし、何より物凄く綺麗な方なんですよ、ハイエルフの方と並んでも全く見劣りしないくらいに。気さくで面白い方ですけどね」
「6つ名の君が気さくで面白い?あまり聞かない評価だが・・・しかし、他国で大神の神事を執り行うことができるなど、6つ名の君以外にはあり得ない・・・」
アイーシャがぶつぶつと考え込んでしまった。
俺は神殿で剣舞を奉納するくらいしかしたことがないから、神事のことはよくわからないが、リシェルラルドの衣ってヴァッハフォイアの息吹みたいなもんだろ?あれを他国で1人で出現させるってどれだけ魔力奉納しないとならないんだよ、確かにそれは6つ名でないとあり得ないだろう。
「ルナール様は最初、セイラン様と専属契約をされている冒険者のご友人と紹介されましたわ。それがセイラン様の正式な名も身分も知らないままに、一緒にヴァッハフォイアに来て欲しいと求婚されたと聞きました。まるで吟遊詩人の歌う恋物語のようだともう1人の人間族の友人と話しておりましたのよ」
・・・あの長兄が、相手が6つ名であることも身分も知らずに求婚?
ヴァッハフォイアとシュトースツァーン家を背負っていくことを、生まれた時から骨の髄まで叩き込まれているシュトースツァーン家の長子が、そんなことをするか?なんかおかしな幻覚魔術でもくらったんじゃないだろうな?
道中フリージア嬢から聞いた兄嫁の話は、俺とアイーシャをどんどん混乱させた。
まず6つ名が他国へ留学していたというのがおかしい。
護衛騎士はつけていたらしいが、セレスティスで普通に街歩きして市場とかにも行っていたそうだし。
しかも料理上手?!
6つ名に限らず、人間族の高位貴族がなんで料理なんてするんだ?!
そしてポーションの味を改良してくれた研究者だということも知った。それは全ての獣人族が涙を流して感謝するだろう、我慢強くなくても、気が強くなくても、シュトースツァーン家当主の妻としてやっていけるだけの功績だ。
それにしたって、なんでアルトディシアはヴァッハフォイアに嫁に出すことを容認したんだ?!
「フィンスターニスでは、6つ名の君は必ず神殿に入ることになっている。神の代行者である6つ名の君にお仕えしお守りするのが神殿騎士の務めだ。常に神に祈りを捧げておられるので、滅多に人前には出てこられないが」
「ヴァッハフォイアでは、権力者と結婚させるか、神殿に入れるかのどっちかだな。どっちにしても国から出すなんてありえない」
「俺は貴族とはいっても貧乏男爵家の3男で、食うために冒険者になったような人間だから、6つ名のことはよく知らんが、そんなに大層なもんなのか?」
ジリオンが呆れたように言うが、6つ名はそこに存在するだけで気候が安定し、一切の災害が起こらなくなる。どこの国の権力者でも手元に置いておきたい存在だ。ただ、本人の意思に反するようなことを強要すると、逆に国が荒れると言われているから、6つ名というのは常に国のためにあれという暗示を幼い頃から掛けられて育つ。その弊害かどうかは知らないが、皆一様に感情が乏しいらしい。
「深いことを知りすぎると長生きできないぞ?6つ名というのはどこの国でも権力者と神殿が挙って欲しがる存在だからな」
「こうして話していると、お前はやっぱり権力者の側の生まれなんだなあ。アルトディシアじゃ貴族で冒険者になるのは、俺みたいな家を継ぐこともできない下位貴族の次男以下ばっかりだからな」
そんな生き方も気楽で良いだろうが、俺はやはり生まれた時からシュトースツァーン家の男として教育を受けているから、第一に考えるのは国と家のことだ。
6つ名だろうとなんだろうと、シュトースツァーン家次期当主の嫁として認められないような女を妻として連れてきたりしたら、長兄は次期当主の座を降ろされるぞ。その気配がないということは、シュトースツァーン家は長兄が連れてきた嫁を認めたということだ。
「ここがヴァッハフォイアの王都か。流石は多種族国家、いろんな種族がいるなあ」
ドヴェルグ商会一行を宿に送り届けると、ジリオンが目を細めて周囲を見渡す。
道中は何の問題もなかった、いや、白金が4人も護衛についてて何かあったらそっちの方が問題だろうが。
「わしもヴァッハフォイアは30年ぶりじゃ。まずは宿を取って温泉に浸かって酒じゃ!」
「わざわざ宿なんて取らなくてもうちに来ればいい。うちにはちゃんと温泉の源泉があるから、俺の離宮でも温泉には浸かれるし酒も蔵からいくらでも飲むといい」
「お前、本当にお坊ちゃんだな、なんだよ、俺の離宮って!」
「本家の子供は7歳の洗礼式のあとは本宅と繋がった自分の離宮を与えられるんだよ。離宮に招くのは家でなく個人の客だから、気も使わなくていいぞ」
やれやれとため息を吐くジリオンとゴルトベル、それに物珍しそうに周囲を見回しているアイーシャを連れて、俺はシュトースツァーン家本邸に向かう。帰るのは5年ぶりだが、白金に上がれるのはまだまだ先だと思ってたから、なんだか不思議な気分だ。
「レナート様、おかえりなさいませ」
邸に着くと、見知った使用人達が迎えてくれる、ヴァッハフォイアに入った時点で俺が帰国したという情報はとっくに届いていたのだろう、うちはそういう家だ。
「ただいま。今邸にいるのは誰だ?」
「奥様とライラ様、それにルナール様の奥方様とロテール様の奥方様がおられます。旦那様とルナール様、ロテール様は宰相府の方です」
「・・・3兄も帰国してて結婚したのか?」
長兄のことばかりに気を取られていて、すっかり他の兄達の情報を聞くのを忘れていた。だからお前はいつも詰めが甘い、と父上や兄上達に怒られそうだ。
「ルナール様の奥方様とご一緒にアルトディシアから嫁いでこられた人間族の姫君ですよ。後ほど本邸でご挨拶なされませ」
「わかった。友人たちの部屋の準備を頼む。全員俺の離宮でいい」
アイーシャは飄々としているが、なにやら呆然としているジリオン達を連れて自分の離宮に向かう。無駄に広いからな、うちの邸は。
「レナートお兄様!」
「ライラ、5年ぶりだ、母上そっくりになったな」
回廊を歩いていると、妹のライラがこちらに向かって歩いてくるのが見える。5年前に別れた時は13歳だったから、もう18歳か、すっかり大人になったな。
「ジリオン、ゴルトベル、アイーシャ、俺の妹のライラだ。ライラ、俺が冒険者としてパーティを組んでいる3人だ」
「初めまして、ライラと申します、いつも兄がお世話になっております。レナートお兄様はまだ冒険者を続けられるのですか?」
「まだ20歳だからな、もう少し続けても許されるだろう?長兄が結婚したらしいと聞いて一旦帰国したんだが」
そこでライラがクスクスと笑う。
「お義姉様とお会いするのが楽しみですわね。皆様とても驚かれるのですよ、ディゲル様もすっかり心酔してしまわれて」
「は?ディゲル様が長兄の嫁に心酔?なんでだ?」
「会ったらわかりますわ。ほらお兄様、お客様をこのような廊下で立ったまま待たせていてはいけませんわ」
笑いながら会釈して去って行くライラを、ジリオンがボケっと見送る。
「お前とおんなじ顔だな、ありゃあ求婚者が後を絶たないだろう?」
「俺とライラとあと次兄は母親似なんだ。多分分家のどれかに嫁ぐと思うが」
俺が帰ってくるのを見越してきちんと掃除されていたのだろう、5年ぶりの自分の離宮はやはり落ち着く。
「・・・ここまで怖くて聞けなかったんだが、お前の家は何をやってるんだ?ヴァッハフォイアに貴族はいないが、シュトースツァーン家てのはこの国ではかなり有名なんだろう?さっき妹との会話に出てきたディゲル様ってのは誰だ?」
ジリオンが座った目で訊いてくる。言ってなかったか?
「父親は現宰相。ていうか、うちは代々当主がこの国の宰相を勤めてるんだよ。ディゲル様は現ヴァッハフォイア王の虎獣人で小さい頃からよく遊んでもらった、というか、戦闘訓練つけてくれた。王は10年ごとに開かれる王位決定戦で優勝した者が就くから、裏で国を回してるのがうちの一族」
「・・・なんで大国の宰相の息子が、着の身着のままで小金貨1枚与えられて家から放り出されて冒険者になるんだよ!」
「だからそういう教育方針なんだって言っただろう!兄達も同じように放り出されたぞ!」
獣人族って・・・とぶつぶつ言うジリオンは放っておいて、運ばれてきたお茶とお菓子に目を遣る。今まで見たことのないお菓子だ。
「ルナール様の奥方様の考案されたお菓子で、エッグタルトといいます。焼き立てですのでどうぞ」
侍女がにこやかに置いていった小さな黄色い焼き菓子に手を伸ばす。甘いものがそんなに好きというわけじゃないから、冒険者やってるとほとんどお菓子なんて食べなかったな。
「・・・うまいな」
滑らかな舌触りに上品な甘さで周囲のサクサクとした歯触りと、しっとりとしたクリームの甘さが絶妙だ。長兄の嫁が考案したお菓子と言っていたが、どうやら料理が趣味らしいと聞いていたが本当のことなのか。
「私はあまり甘いものは好まないが、この菓子は美味だな」
短い付き合いだが、かなりの辛党らしいアイーシャがエッグタルトというお菓子を頬張り、ジリオンとゴルトベルも手を伸ばす。
「・・・シルヴァーク公爵家の料理ってのはアルトディシアでは有名なんだよ、俺は当然食べる機会なんざなかったが、まさかヴァッハフォイアに来て食べられるとは思ってなかったな」
「酒のつまみにも期待できるかの」
小腹を満たした俺たちは早速風呂に入ることにする。俺はこの後本邸で夕食だから酒は飲めないが、ジリオンとゴルトベルは好きなように飲めるよう侍女たちに言い置いて久しぶりに正装に着替える。
「アイーシャはどうする?一緒に本邸に行って長兄の嫁に会うか?神殿騎士なら基本の礼儀作法は問題ないだろう?なんなら女物の礼装も準備させるが?」
国によってある程度作法は違ってくるが、上位の神殿騎士ならどこの国でも特に問題ないように教育されているはずだ。
「いや、今日のところは遠慮しておく。配慮痛みいる。まずはどのような御方か、ご夫君であるレナート殿の長兄殿との仲も見極めてきていただきたい」
「・・・うちの男は唯1人の妻を一生大事にするように幼少時から刷り込まれてるから、大丈夫だと思うが」
「お前んちの教育って独特だよなあ、第2夫人や第3夫人はいないのか?」
「いない、重責をかけている妻につまらない心労を与えるな、と言われて育つ。結婚するまでは、将来おかしな女に引っかからないようにある程度遊ぶのも推奨されているが」
長兄なんざ、ある程度どころか相当遊んでたはずなんだがな。そういや、アイーシャは長兄の好みのタイプじゃないか?美人で出るところ出てて頭が良くて気が強い。いや、長兄に限らず、シュトースツァーン家の男は皆頭が良くて気の強い女が好きだけど。そういや、3兄の嫁はどんな女なんだ?
「なあ、3兄の連れてきた人間族の嫁はどんな感じなんだ?」
「ステファーニア様はアルトディシアの王女殿下ですよ。セイラン様、ルナール様の奥方様とは従姉妹同士で、ロテール様はアルトディシアでルナール様を訪ねてセイラン様の邸に赴かれた際に偶然お会いしたとのことです。ふわふわの金髪に紫色の瞳のそれはそれは美しい姫君です。物語に出てくる人間族のお姫様、というと想像するそのもののような御方ではないでしょうか」
ぐえ、と蛙が潰れたような声がする。
「公爵家の姫に王女殿下に、アルトディシアとヴァッハフォイアは国交ないはずなのに、お前の兄達はなんで冒険者しながらそんなとんでもない相手とばっかり知り合って嫁にしてるんだよ?!畜生、俺だって15歳から冒険者やってて、白金にも上がって、もう33歳なのにまだなんの出会いもなく独身なんだぞ?!やっぱり顔か、顔が重要なのか?!」
「まあまあ、ジリオン、今夜はただ酒が山ほど飲めるから、とことん飲もうではないか」
「・・・言っとくが、長兄と3兄は父親似だから、俺とはまるで違う系統の顔だからな?」
酒を飲む前から既に酔っているようなジリオンをゴルトベルとアイーシャに任せて本邸に向かう。ドワーフ族のゴルトベルはもとより、アイーシャもかなりの酒豪だから大丈夫だろう。
本邸の食堂に行くと、既に父上と母上とライラは席に着いていた。何もなければ食事はそれぞれの離宮で取ることが多い。
「レナート、よく戻ったな。無事に白金に上がれたようで何よりだ。セイランが指名依頼を出してくれたと聞いていたが」
「ヴィンターヴェルトは近いから早かったですけれど、リーレンはフィンスターニスにいるようで、まだ帰国には時間がかかるようですよ。セイランがフレンスヴェルグの素材依頼を出してくれたので、白金には上がれたようですけれど」
「同じパーティのダークエルフが神殿騎士だそうで教えてくれましたが、6つ名が望むものはなんでも手に入るようになっているそうですね。6つ名は基本的に欲が薄いので何かを望むこと自体が滅多にないそうですが」
父上と母上が笑う。
「セイランは一般的な6つ名とは少しばかり違うようだが。権力を望まないのは6つ名らしいが、割と好きなことばかりしているように見える。ルナールとロテールがちょくちょく運動がてら狩りに行っているが、お前はまだ冒険者を続けるつもりならヴァッハフォイアに留まってセイランの依頼を受けてやるといい。面白い魔獣ばかり出てくるようだからな。望めば報酬に金ではなく魔術具も作ってくれるようだぞ」
「ディゲル様が王位を退いたらセイランの専属になると言って張り切っていますけれど、まだ2年ありますしね。ロテールももうすぐ夫婦でフォイスティカイトに外交に行く予定ですし」
「はあ・・・?」
アイーシャはともかく、ジリオンとゴルトベルはしばらくヴァッハフォイアに留まることになっても特に気にはしないだろうが、この両親がずいぶんと長兄の嫁を気に入っているらしい様子に内心面食らう。
「ああ、レナート久しぶりだ、大きくなったな。ステファーニア、弟のレナートだ。あと会っていないのは次兄のリーレンだけだが、もしかしたら入れ違いになるかな?」
久しぶりに見る3兄は、父親にそっくりだった。俺もこんな顔だったら、女と間違われて男どもに絡まれることもなかっただろうに。そして妻だと紹介された人間族の女性は、侍女に聞いた通り、人間族の綺麗なお姫様と言われて想像するような、華奢でとても綺麗な少女だった。17歳だということだから、ライラより年下だし、まだ少女って感じの華奢なお姫様だ、正直よくうちに嫁入りしてきたなと思う。でも夫婦仲は良さそうだ。
「兄上と義姉上は?」
「お義姉様は今日は厨房に行かれていましたよ。ルナール様はそれを待っているのではないでしょうか?今日はお義姉様の手料理ですからとても楽しみなのです」
3兄の嫁が零れるように笑う。
「我が家の料理人達もかなり腕を上げたが、やはりまだセイランとセイランの連れてきた料理人には及ばぬからな。ルナールが独占していなければもっと一緒に食卓を囲みたいのだが」
「お兄様は邸ではお義姉様とできるだけ2人きりで過ごしたいみたいですものね」
「ほほほほほ、私達は昼間邸で一緒にお茶をして新作のお菓子を頂いていますからね、本当は宰相府にも連れて行きたいようですけれど、あのセイランを有象無象の獣人族の男達の中で文官仕事をさせるなんて、とてもではありませんけれどルナールは容認できないでしょう」
食堂の扉が開き、侍女たちが食事の給仕を始めると共に、長兄夫婦もやってきたようだ。
「遅くなってすまない、レナートよく戻ったな、大きくなった。セイラン、末の弟のレナートだ」
3兄と同じく父親そっくりの長兄が目を細めて俺を見る。俺が最後に長兄に会ったのは7歳の時だから、長兄の記憶の中の俺は本当に子供だったのだろう。
そして問題の長兄の嫁だ。
俺は顔の美醜には一切興味がない。冒険者になってからは、母親譲りのやたらと綺麗な女顔のせいで散々苦労してきたから、むしろ平凡な顔の方が好みだ。
だが、この長兄の嫁の顔は・・・
6つ名というのは種族を問わず美形だというし、実際とんでもない美女だとはあちこちから聞いてはいたから覚悟はしていたつもりだったが、まだ甘かったみたいだ。
人形か彫刻かというような完璧な造形に6つ名らしくほとんど感情の匂いがしないのに、長兄へ向ける視線だけがほんのりと色気を帯びている。普通の素人女の使うような色目ほどの色気もないが、元が人形じみた絶世の美貌なだけに、これは、だめだ、破壊力が強すぎる。この視線を自分に向けさせるために、長兄からこの女を奪い去って自分だけのものにしたいと願う男が増殖しそうだ。
「うん?お前は大丈夫そうだな。ロテールもディゲル様もセイランを見た瞬間に幻覚魔術くらったような顔してたが、お前は正気そうで何よりだ」
長兄は満足そうに頷いているが、そういう問題じゃない、俺はいつ長兄がトチ狂った男どもに殺されるか心配になっただけだ。
「レナート様は、食べ物の好き嫌いはございませんか?」
俺の心配を他所に長兄の嫁はどうでもいいことを聞いてくる。
「はい、特には。何でも食べられます」
冒険者なんてやってたら好き嫌いなんて言ってられないからな。
「それはよろしゅうございました。では遅くなりましたが、夕食を始めさせていただきますわね」
にこりと微笑んだ長兄の嫁が侍女達に合図し、料理の蓋が取られた。
そこにはなんだかよくわからない黄色っぽいものを緑のソースで和えたものが入っていた。
「春ですから、筍の木の芽和えです」
あまり美味しそうには見えないんだが、なんせ家族が嬉々として口に運んでいる。
・・・なんだ、これ。
ほんのり甘いソースにツンとした香草の香り、滑らかな舌触りに歯ごたえのある筍がしゃきしゃきして、とにかく、ものすごく美味い。
「これ、お前がオスカーと毎日配分考えてたゼルだろ?ドヴェルグ商会もそろそろ着くころかな?ゼルの在庫が心許なくなってきた、て言ってたよな」
「そうなのです。ミルとゼルは私は特によく料理に使いますから、安定して購入できるようになると嬉しいです」
ドヴェルグ商会?
「フリージア・ドヴェルグというドワーフ族の率いる商会なら、ヴィンターヴェルトから護衛してきましたが?セイラン様の友人だと言っていましたが」
「まあ!そうなのですね、ありがとう存じます。そうなのです、フリージア様は私のお友達なのですよ」
長兄の嫁が光が弾けるように笑う。人間族の公爵家の姫がドワーフ族の商人の娘と友達?と半信半疑だったが、本当のことだったようだ。
「なるほど、なら近日中に面会依頼があるかもな。良かったな、セイラン」
嫁を見つめる長兄の目はそれはもう蕩けそうだ。長兄は獣人族だから感情はわかりやすい、わかりやすくこの嫁にべた惚れなのがよくわかる。好きでたまらん、て感情が駄々洩れだ。それでいいのか、次期当主?
次にスープが目の前に運ばれてくる。
蓋を開けると、緑色のドロッとしたスープに何か薄いピンクの丸い具が入っていて、花びらの形に切られた何かの野菜が浮いている。
「鶯仕立ての白魚安平椀です。エンドウ豆のすり流しに白身魚のすり身を浮かべたものです」
豆のスープらしいが、豆だけじゃなくてもっと色々なものが入っているだろう、なんだかトロっとした食感もあるし、魚にもたくさんのものが混ぜ込まれてる。とてもじゃないが、これまでうちで出されてきた料理とは比べ物にならない。俺はまだフォイスティカイトとヴィンターヴェルトにしか行っていないが、ヴァッハフォイアはあまり料理が発達していないのは実感していたが、これはあまりにもレベルが違い過ぎないか?!
「春野菜と白身魚の天婦羅です。汁でも塩でもお好きな方でお召し上がりくださいませ」
おかしいだろう、野菜を何か衣をつけて油で揚げただけの料理がなんでこんなに美味しいんだよ?!
「春キャベツの肉巻きです。そのままでも、ソースを付けてもお好みでどうぞ」
もう何も思うまい、ジリオンがアルトディシアでも有名な美食の公爵家だと言っていたのがよくわかった。
「メインはいなり寿司を数種類用意いたしました。シュトースツァーン家の皆様はいなり寿司がお好きですから」
長兄の嫁がそう言って出てきたのは、なんかよくわからない茶色の皮に包まれた料理だった。2口くらいで食べられそうなのがいくつも皿に並んでいて、家族が全員ものすごく嬉しそうにしているのがわかる。
「セイラン、ドヴェルグ商会の者が面会にきたら、支店を出すのにはできる限り便宜を図るから、いくらでも条件を言ってくれと伝えておいてくれ。父上、構いませんね?」
「ああ。この国ももう少し料理が発展しても良いだろう。ロテールとステファーニアも、フォイスティカイトに行ったらセイランと懇意にしている商会を是非とも誘致してくるように」
「はい、勿論です」
「お義姉様と友誼を結んでいるパルメート商会だけでなく、他にもいくつかの商会に声をかけてまいりますわ」
つまりはうちの家族は皆、この長兄の嫁に胃袋を掌握されてしまっているらしい。
いや、この初めて食べるイナリズシという料理の絶品さの前には納得するしかないけれども。まあ、国全体の料理のレベルが上がるのは良いことだよな。経済効果もあるし。
「デザートはイチゴのゼリー寄せです」
果物なんてそのまま食べるだけだったよなあ、となんか黄色い滑らかなソースのかかったイチゴを食べながら思う。
長兄の嫁は、うちの嫁としての資質はどうか知らんが、長兄には溺愛され、うちの癖の強い家族にも好かれているらしいのはわかった。
「うわ、酒くさ・・・」
自分の離宮に戻ると、酒瓶を抱えて管を巻いているジリオンと、それを気にせず用意されたつまみを食べながら飲んでいるゴルトベルとアイーシャが迎えてくれた。
「どうであった?6つ名の君は?」
「とりあえず本人は穏やかににこにこしてたし、少なくとも長兄は溺愛してるのが丸わかりだった。うちの男は女に溺れるようなのはいないはずなんだが」
「無理やり連れて来られたということはなさそうなのだな?」
「それはまずないだろう」
獣人族と人間族では基礎体力が違うから、冒険者でもない人間族の大貴族の令嬢が、あの長兄に毎晩溺愛されてて体力的に大丈夫か?という心配はあったが。それは3兄の嫁も同様だが、3兄は長兄に比べればまだ自制が効いてる感じがした。
「それならば良いのだ。6つ名の君の意に染まぬことを強要したとなれば、私はレナート殿の長兄に決闘を申し込まなければならないところだった」
アイーシャがほっと息を吐く。
アイーシャも弱くはないんだが、どう見ても長兄の方が強いから、決闘しても返り討ちにされるだけだろうけどな。同じ白金でも強さはまるで違う。長兄はヒュドラくらいなら口笛でも吹きながら軽く討伐できるだろうが、アイーシャは俺達とパーティを組んでなかったら、単独での討伐は難しかっただろう。そのことはアイーシャ自身も自覚していて、神殿の試練に単独で討伐しなければならないという決まりはない、と言っていたから、自分の強さを正確に把握しているのは重要なことだ。俺もまだ強くなれる余地はあるから、もうちょっと精進しないと。
「長兄の嫁が色々素材欲しがるから、冒険者を続けるならしばらくヴァッハフォイアで活動したらどうかと言われたけど、どうする?アイーシャはフィンスターニスに帰国するのか?」
二日酔いで酷い顔をしているジリオンに、長兄の嫁が作ったらしいパリーゼとかいう薬を飲ませる。ポーションの味を改善しただけでなく、いろんなものを作っているらしい。
「ヴァッハフォイアは強い魔獣が多いしな、儂は構わんよ。しかもその嫁御の依頼だとどんな魔獣でも出てくるんじゃろ?」
「しばらくヴァッハフォイアで活動するなら宿屋を探さないとな」
「私は6つ名の君のお役に立てるのならば、このまま一緒にパーティを継続させていただきたい。フィンスターニス神殿も6つ名の君の依頼を熟していたとなれば称賛されこそすれ、叱責されることはないからな」
「このままうちに滞在してていいぞ?」
「たまにならともかく、こんな豪邸に金も払わずに泊まってると緊張するんだよ!」
ジリオンの言葉にゴルトベルも頷いている。神殿騎士のアイーシャはどこでも良さそうだ。
「本邸ならともかく、俺の離宮ならこじんまりしてるだろう」
「こじんまりしてねえよ!酔って高い調度品とか壊したらと思うと心配なんだよ!」
「ジリオン、おぬし、白金になっても貧乏性じゃの・・・」
まったくだ、依頼品以外のヒュドラの素材の売却金が振り込まれたから、一生暮らすのに困らないだけの金は入っただろうし、金カード時代が長かったからそれなりに稼いでるはずなのに。
「あ、そうだ、アンフィスバエナの尾とヒュドラの肝臓と毒袋持って行かないと」
送り先がヴァッハフォイアならどうせすぐ行くんだし、と思って結局自分で持ってきたんだよな、ドヴェルグ商会の荷馬車に乗せてくれたし。
「一緒に行くか?これから依頼人になるんだし、挨拶しといた方がいいだろう?父上が言うには、素材依頼の報酬は頼めば金でなくて魔術具を作ってくれたりもするらしいぞ?」
「6つ名の君が魔術具を作成されるのか?」
「なんかセレスティスに留学中に勉強したんだってさ、昨夜食事中に聞いた。玉の魔術具とか、携帯食料のフリーズドライの魔術具も長兄の嫁の開発したものらしいから、公爵令嬢でなくてもすごい金持ちだよな」
獣人族はどうしても強さにばかり目が行くけど、実際に国を動かすのは頭が良くないと無理だからな、長兄の嫁は頭が抜群に良いことだけは確かだ。
長兄の離宮に向かって回廊を歩いていると、庭園に3兄とその嫁がいるのが見える。今日は闇の日だから皆邸にいるんだな。
「またとんでもない色男だな、お前の兄貴だから美形だろうとは思ってたが、酒場や娼館に行ったら女が群がってくるんじゃないか?それに昔1度だけ王城で見たことのあるアルトディシアの第1妃殿下にそっくり・・・本当にアルトディシアの王女殿下が嫁入りしてるんだなあ」
「長兄と3兄は父親似だからな、長兄はあれと同じ顔で黒髪だ。俺も母親でなく父親に似たかった・・・」
「お前、それ不細工な男の前で間違っても言うなよ・・・?」
長兄の離宮に着くと、庭で2人でお茶をしていると言われたので、持ってきた依頼品を侍女に渡して庭園に出る。
「流石は6つ名の君が暮らされる地だ、素晴らしいな・・・!この庭園を見ただけでも、6つ名の君が心穏やかに過ごされているのがわかる」
アイーシャが感嘆の声を上げるだけあって、長兄の離宮の庭園は邸の他の庭園とは一線を画して春の花々が咲き乱れていた。6つ名がいると気候が安定するというのは知識としては知っていたが、同じ邸内の庭でもこんなに変わるもんなんだな。
東屋で2人がいるのが見える。
「おやレナート、どうした?」
「セイラン様に依頼された品を持ってきたんですよ、ちょうどヴァッハフォイアに向かうところだったので、送るよりも自分で持ってきた方が早かったので。先ほどこの離宮の侍女に渡しました」
「まあ、ありがとう存じます。報酬をお支払いいたしますわね、提示していた金額は合わせて大金貨1枚ですけれど、何か代替品を望まれますか?」
にこりと微笑む長兄の嫁は、この春の庭園にいると正に女神のように美しい。これが風の女神アルトディシアや水の女神フォイスティカイト本人だと言われても、誰もが納得するんじゃないだろうか。ふと一緒に来たジリオンを見ると、案の定呆けていた。ゴルトベルもぽかんと口を開けている。アイーシャはフィンスターニスの神殿で6つ名に会ったことがあるのだろう、特に取り乱してはいない。
「代替品、ですか?」
「ご希望の魔術具があれば作成いたしますよ、大神の魔法陣も刻めますので考えておいてくださいませ」
大神の魔法陣を刻んだ魔術具なんて、大金貨1枚で買えるような代物じゃないはずなんだが。
「おい、ジリオン、大丈夫か?ジリオン?」
「あー、割と普通の反応だ。大体がこいつに初めて出会った時は似たような反応をする」
長兄が苦笑している。そういえば、ディゲル様と3兄は幻覚魔術くらったような顔をしていた、と言っていたな。
「お初にお目にかかります、6つ名の君。私はフィンスターニス神殿騎士アイーシャ・カナン・アデミール・ファリス・セザーランと申します」
アイーシャは神殿騎士としての正式な礼を長兄の嫁にしている。
「シレンディア・フォスティナ・アウリス・サフィーリア・セイラン・リゼル・アストリット・シルヴァークですわ。フィンスターニスの神殿騎士が他国にいるということは、試練絡みでしょうか?」
「はい。6つ名の君のおかげをもちまして、その試練を無事終えることが叶いました。厚く御礼申し上げます」
「私のおかげ、ですか?」
長兄の嫁が首を傾げる。そりゃあ、何のことかと思うだろうな。
「アイーシャはヒュドラの討伐を試練として与えられていたそうです。それで俺達のパーティに入ったんです」
「試練てなんだ?」
長兄が嫁に尋ねている。俺も普通に試練絡みか、と聞いてきたことに驚いた。
「フィンスターニスの神殿騎士は最高位の騎士に昇格する際にフィンスターニスから試練を与えられるのだと、アルトディシアの神殿長から聞いたことがありますわ」
「アルトディシアの神殿長ね、お前がヴァッハフォイアに嫁ぐと聞いて、泣いて行かないでくれとお前に縋りついてきたあのじいさんね・・・」
長兄がうんざりしたような顔をしている。まあ確かに、神殿は6つ名が国を離れるなんてなったら泣くだろうな。
「あら、貴方が神託を受けてからは、くれぐれも私のことをよろしく頼むと泣いていたではありませんか」
「神託?」
アイーシャが怪訝な顔をする。そりゃあ、神託なんて滅多に降りるもんじゃないしな、何のことだ?
「結婚式でな、こいつを一生愛し守り抜くと自身の名にかけて誓うというのなら、その覚悟を見せてみよ、と神々に言われてこいつの守護者に任命されたんだよ、ヴァッハフォイアも祝ってくれたぜ。神託なんてもんが自分に降りる日がくるとは思ってなかったから、吃驚したな」
長兄はやれやれと肩を竦めているが、神託なんてもんがそんな簡単に降りるのか?
アイーシャも呆然としている。
「・・・それは、知らぬこととはいえ、私はとんでもなく貴殿を誤解していたようだ、お詫び申し上げる」
「誤解?初対面のフィンスターニスの神殿騎士に何を俺が誤解されるんだ?」
「アイーシャは、ルナール兄上が6つ名の君を無理やり攫ってきたのだったら、神殿騎士として決闘を申し込まなければならない、と言って試練を終えた後も帰国せずにヴァッハフォイアについてきたんだよ」
長兄の嫁が堪えきれないといったように笑い出し、長兄は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「なんでまあ、どいつもこいつも俺がこいつを無理やり攫ってきたんじゃないかと思うかね?」
「普通、6つ名が他国に嫁に行くとなったら疑うだろう」
侍女達が俺達の分も席を準備してくれたので、ありがたく座らせてもらう。ゴルトベルは正気に戻ったみたいだが、ジリオンは・・・まだ呆けてるな、大丈夫か?ものすごく美味いぞ、このゴマダンゴてお菓子。
「そもそも求婚した時は6つ名だとは知らなかったんだよ、こいつは身分を隠してセレスティスに留学してたし。それに俺は黙って男に攫われるような脆弱な女に求婚する趣味はない」
「そうですわね、私も黙って攫われる趣味はありませんわね。ルナール相手でしたら体力と腕力では敵いませんが、他にいくらでも抵抗する手段はありますし、生かしたまま無力化するのは難しいですが、殺しても良いのならもっと簡単ですわね」
・・・あれ?
虫も殺したことのないような綺麗な笑顔で、なんだかすごく悪辣なこと言ったぞ?この人。
「俺がお前を殺さずに攫おうと思ったら、全状態異常の耐性のある魔術具を全身に身に付けて、退路を完璧に塞いだ上で白金の冒険者を最低20人は雇うぞ。それでも勝算は五分五分といったところか、半数以上は間違いなく戦闘不能にされそうだし」
一体何を攫うんだよ、それ。
「平和的に求婚してくださって良かったですわ」
そしてそれをまるで否定せずににこにこしてるぞ、この人。
「惚れた女を妻にするのに、正式に求婚せずに攫うような真似はしねえよ」
「あの、6つ名の君はそれほどお強いのですか・・・?」
アイーシャが呆然と、絞り出すような声を出す。
人間族の大国の公爵家の姫がそんなに強いなんて誰も思わないだろう?!
「体力や腕力は見た目通りだと思いますけれど。でも頭は使いようなのですよ」
「お前、剣も弓も体術も銀か、下手すれば金並には使えるだろう。それにおかしな魔術具をどこにどれだけ隠し持ってるのか、結婚した今でも俺は正確に把握できてないぞ?」
長兄が呆れたように、だが愛おしくて堪らない、という目で嫁を見遣る。俺達がいなかったら、長兄はすぐにでも嫁を寝室に連れ込んでるんじゃなかろうか。正直、身内の恋愛事情なんて知りたくもない、2人きりの時にやってくれという気分だが、2人きりでいたのを邪魔したのは俺達だから何も言えない。
「誰が相手であろうと自衛手段を全て晒すような真似はいたしませんよ。切り札は見せるものではないでしょう?見せるのならさらに奥の手をいくつか持たなくてはなりませんし」
「いくつでも持っているだろう?お前ほど綺麗で容赦なくて悪辣な女は他にはいない」
「なんだかこの国に来てから、まるで称賛するかのように容赦なくて悪辣だと言われるのですが、あまり褒められている気がしませんわね」
長兄の嫁が頬に手を当ててため息を吐くが、長兄は満面の笑顔だ。
「何を言っている、最高の誉め言葉だぞ。お前よりいい女は他にいない」
・・・ああ、なんかいろいろ納得した。
これは間違いなくシュトースツァーン家の男が惚れる女だ。
いくら絶世の美女で、6つ名持ちで、ポーションの味を改善してくれて、胃袋を完全に掌握されるほどの料理上手でも、それくらいではシュトースツァーン家の男は堕ちない。
全力で対峙したとしても勝算が見えないほどに悪辣で頭の良い女だから、神々が認めざるをえないほどに長兄は惚れ込んだんだ。