片足の三文役者
夢を見た。
数千羽の渡り鳥が一つの土地に羽を休める。
そんな光景。
一つの土地に降り立った幾千の渡り鳥たちは、さながら都心の満員電車の中にような息苦しさにどこか疲れていて、その光景は端から見る僕にまで息苦しさを伝染させる。
群れの一羽と目が合う。
じっと見つめる真っ赤に腫らした目は、どこか暖かかく、そして懐かしかった。
ごめんね。今は君の相手をしていられないんだ。
僕は、行かなくちゃいけない。
視界がぼやけ、現実世界に戻されると、すっかり陽に照らされたベッドの上で、アラームの音が部屋中に鳴り響いていた。
「うるさ…って、こんな時間じゃん!あーもっ起すの遅いんだよ!」
ベットから飛び起きた僕は、慌てて傷んだ髪をごまかし、待ち合わせの場所に向かって自転車を漕ぎ出した。
冬の透き通った空は快晴。絶好のデート日和だ。
駅に着くと、瓦屋根の土産屋の前に、手編みのチェック柄のニット帽を被り、白のダウンコートと赤いマフラーに身を包んだ少女が静かに目を閉じ待っていた。
「ごめん、遅くなった」
「早いね、今日は」
どこか無理のある冷たさが、痛かった。
「なにか温かいものでも飲む?」
「白いカフェオレがいい…」
すぐ横の自動販売機に向かい、硬貨を入れ、左から三番目の注文の品を押し、押し出され、温まった缶を、ポケットに手を突っ込む彼女にそっと渡す。
「すぐ飲まないならポケットに入れとき」
「うん、カイロ代わりにする」
嬉しそうに頷く彼女は、少しだけ自然な表情に戻ったようにみえた。
「今日はどこに連れってくれるか決めてくれた?」
彼女は悩ましそうに僕に尋ねる。
「…鶴博物館」
あと、半日しか残されていない二人の時間をどう使うか、ここ一週間、悩みに悩んでだした結論がこれだった。普段ならセンスを疑うと自分でも思うだろう。
「うわっ!鶴博物館ってセンス無っ!!」
「やっぱりそうなるよなぁ…市内で観覧車に乗るとかも考えたんだけど、今日は、地元の方がいいかなって…駄目かな?」
案の定、ダメ出しをされたが、一度だけ食い下がることにした。
彼女は少し考え込み、やがて優しく困ったような表情をみせると、いつものわがままな口調で宣われた。
「仕方ないな!その案で採用しといてあげるよ」
納得して頂いたようでなによりだよ。
バスで数時間揺られ、目的地にたどり着くと見慣れた鶴の彫刻が出迎える。
2階の展望台を上がった先は、マナヅル、ナベヅル、クロヅルなどが群れをなして辺り一面に散らばる鶴景色だった。
「…いやー、こーして改めて見ると、鶴ってわちゃわちゃし過ぎてあんま良いもんじゃないよね」
「感想ひどすぎ。雰囲気作り大事だよ。やり直し」
「えーと、、なんて素晴らしい景色なんだー。こんなに鶴がいたら恩返され過ぎて困っちゃうなー」
棒読みになった感想文は、自己評価できるなら8点くらいだろうか。勿論500点満点で。
案の定、彼女はとても呆れた顔をしていて、眉をハの字に下げてため息を吐いた。
「この人、本当しょうがないなー。人間関係とか、これから先の将来がほんと心配だよ」
冷たくて細い手のひらが、僕の髪に近づき、離れた。
「あんまり、無茶振り振るからだ!人間、得手不得手というものがあってだな…」
至って平然を装いながら、いつも通りのつまらない言い訳じみた自己弁論をした。
いつものため息がない。
不思議に思った僕は、彼女の方を振り向く。
遠くを見つめながら何かを考えてるようだった。
視線に気が付いたのか、僕に振り返り、優しく微笑む彼女は、なんだか魅力的にも儚く見えた。
「鶴ってさ、生後半年で親と同じくらいの大きさまで成長するんだよね。子供の時間が少ないのって随分損だと思わない?」
「損かどうかはわからないけど、下の資料館にも確かそんなこと書いてあったな。長いとそこから更に六十年近く生きるんだろ?鶴は万年って言葉の由来はそこらへんからきてるのかもしれないね」
「鶏とかだと十年くらいだもんね。飼育委員やってた頃、担任の先生に教えてもらったなぁ」
「あー、メルヘンのことか。独特な先生だったけど、変な知識は持ってたよな、あの人。懐かしいね」
「そうそう!人体模型の前に立って、造形美だっ!て呟いてたの見たときは、さすがにちょっと引いたけど、今となっては、いい思い出かな?たまに思い出し笑いするし」
「それは、いい思い出では断じて無い。今からでも遅くない。あのおっさんのこと、通報してもいいんじゃないかな…?」
「他にも、子供の頃は色々あったね。骨董品鑑定ごっことか、エアバンドで教室ライブごっことか」
「…悪いことは言わない。東京行っても絶対、他人に話すんじゃないよ。きっとそれ、この地に封印しとくべき思い出だから!」
「あはは、そうします。小学校からずっと一緒だったけど、どれもこれもいい思い出。」
「そうだね」
しばらく沈黙し、互いの凄した時間について語り合う。その時間は、駆け巡る走馬灯のように、あっという間で、ゆっくり流れていった。
「まだ子供のままでいれたらな」
時間に憧れるように、彼女はそっと呟く。
「…僕は、早く大人になりたいけどな。お金さえ手に入れば、東京にだってすぐ…」
意識してしまうと、それ以上言葉にはできなかった。
後悔が襲う。これは失言だ。
だだをこねる子供のわがままと何ら変わらない。
口を黙み、ばつの悪そうな表情を浮かべる僕の肩に、彼女の頬が寄り掛かった。
「私たちは人間だから、まだまだ大人になりきれない子供のままなのだけど、いつか大人になったら今日のこと、懐かしく思いたいね」
ポケットに閉まった手を離し、彼女の手をとる。
抗わず、受け入れてくれた彼女の手は、やはり冷たかった。
いつか、もう少し大人になったら、また会おう
どうせ別れるなら、後腐れなく、未来のあるお別れをしたい。
だから僕も、そんな前向きな言葉を伝えたかった。
しかし、いつかというのはあまりにも曖昧で残酷で、口に出してしまうと終わりを決めてようなもので、ただただ、大人ぶった子供の僕には、どうしようもないもので、我慢の限界を迎えて目から溢れ出すものは、とても冷たかった。
ケーンケーンと鳴く外野の声が、次第に薄れて行く気がした。
「今日は楽しかった。ありがとう。これ、あとで読んでね」
バスから降りると、一通のてがみを僕に渡し、見送りも許さず、彼女は一人立ち去っていった。
その日の夜は眠れなかった。
自分の非力さに、無力さに、腹が立った。
みっともなく泣き続け、気が付くと夢を見た。
鶴が一斉に羽ばたき、一つの方向に向かって遠くに飛びたっていくなか
例の赤い目の鶴だけが、飛び立たずにいる
そんな夢だった
アラーム音より前に届いた行ってくるねという一通の簡素な別れのメールで起こされたのは、翌朝の早朝4時のことだった。
部屋の燈を付け、鏡の前に立つ。
真っ赤に腫らした目の隈は、いつも以上に酷く映るが気にしてはいられない。
コートを羽織って目的地に向かって走り出す。
手紙の内容はこうだった。
○○○へ
引っ越すことずっと伝えられなくてごめんなさい。
両親の離婚により、母方の実家に行くこととなったのが決まったのが1ヶ月前のことでした。
勝手なのは自分でも理解してました。
早く伝えるべきだと分かってました。
一度、言葉に出してしまったら絶対変な空気になるのも分かってました。
どちらの選択を選んだとしても間違いのような気がして、選択すると全て崩れてしまう事実を受け止めるのが怖かったんです。
最後まで一緒にいてくれてありがとう。
あなたとの思い出は忘れません。
あなたのことが好きでした。
多分、僕が大人になったら、素敵な時間をありがとうってつぶやけるようになるのだろう。
多分、僕が大人になったら、このてがみを読み、いい思い出として割り切ることができるのだろう。
だが、気に入らない。今の僕にとって、この別れは非常に気に入らない。
こんな別れ方じゃ忘れらんなくなるじゃないか!
視界がぼやけ、靴紐に足を取られて目線が前のめりになる。
…陸上部舐めんな!
ほどけきった片方のスニーカーを見捨てた僕は、走り出す。
絶対に会ってやる!馬鹿だって罵ってやる!
考え無しだと嫌われるのなら嫌われてやる!
見た目の不格好さを笑ってくれるのなら笑い飛ばされてやる!
心配してくれるのなら心配されてやる!
泣かれたら、その時は、、ちょっと困惑してしまうだろうけれど、一緒に泣くくらいならできる筈だ。
この先どれだけ後悔してもいい。だけど、今日だけは後悔したくない。
今日だけは、ちゃんと好きだって伝えてやるんだ!
田畑に雪が舞い落ち、未だに星が輝き冷たく澄む空気の中、灯りの灯った一軒の家が視界に入った。
更に進むと、車が一台だけ薄暗い排気ガスと田舎のこの時間に少し煩すぎた音をあげていて、今にも乗り込もうとする人影が見えた。…彼女だった。
「春!!」
振り向く彼女の表情は、少し硬く強張っていた。
「どうしてよ…」
「なにがさ」
僕は、拒絶する彼女を力強く抱きしめた。
彼女の小さな身体は、小刻みに震えていた。
「だから靴…片方脱げてるし」
「ちょっと身軽になった」
「霜焼けになるよ…?」
「それは…あとで考える」
「馬鹿な人。…考え無しな、あなたのことが嫌いです」
「そっか。僕は君が好きだ」
「…話聞いてるの?ズルいって」
「お互い様でしょ」
雪が舞い落ちはじめる中、田畑から1羽の鶴が、声を上げながら羽ばたいていく。
腕の中にいる彼女の温もりを感じながら、今飛び立ったあの鳥は、夢に出てきた赤い目の彼だったんじゃないかと。ふと、そんなことを心の中でつぶやいた。
ご拝読いただきありがとうございました!
昔、鹿児島の出水市というところにあるクレインパークという鶴博物館。そこで見た鶴がほんっとうに!鶴畑って感じで、そこから何を血迷った連想をしたのか、ここを舞台にした恋愛小説を書いてみたいと思って書いた作品です。
この作品のアイデアが浮かんだのは、もう何年も前だったのですが、作りたいけど、小説なんて書いたことがない僕は、読まれて批判されることを恐れ、もんもんとしながら一人で作っちゃ消し作っちゃ消しを繰り返してました。
多分、誰にも見られない頭の中の妄想の作品にしよう。
長い間、そう思っていたのですが、時間が経ち、色々経験し、作者自身、自分のやりたいことを諦め、我慢するという大人ぶった考え方から脱皮したかったから出してみました。
それはさておき、こんな青春、したかったなぁ
実際体験したらしたで
何かの拍子に思い出したら、多分、のたうち回って、阿鼻叫喚の悲鳴をあげた挙げ句
…殺せよ?
って冷静に呟くだろうけど