第99話「助けが必要か?」
「ふぅ……」
遠方の邪気を感知し、殲滅へと向かった聖女アリアスは失意のままウ=イザーク城下町へと帰還した。
聖女の基準からすれば取るに足らなくとも、一般基準で言えば強力な魔物との遭遇と、突如出現した膨大な数の不死者。不死者に構っている間に魔物の群れを取り逃がした自らの失態。
そんな現実に、彼女の心は落ち込んでいたのだ。
(明らかな異常事態。恐らく、ア=レジルの異変とやらにも関わっている……頼りにはなりませんが、一応彼らにも相談しなければなりませんね……)
人格的に信用できない……と思いつつも、聖女として勇者を蔑ろにするわけにはいかなかった。
エルメスの神々に信仰を、人生を捧げる神官として、神が選んだ英雄である勇者を拒絶することはできない。それをしてしまえば、勇者を選んだ神の否定に繋がってしまうからだ。
だから、個人としては到底信用できない人格の持ち主であっても信用する。信仰という名の縛りがある限り、彼女に選択権はないのだから。
そうして、彼女は貴重な時間をまた無駄にすることになる。
危険な魔物、不可思議な現象……何を聞かされても、勇者カイン・ファストがそれを真剣に考えることなどないのだから。
神から授かった圧倒的な戦闘力……それを背景にした圧勝以外の経験がない元一般人に、自らが経験したわけでもない危険という情報だけで慌てることはできないのだ。
まして、昨日美女に囲まれながら楽しく酔い潰れた後……真面目に話を聞く姿勢など取れるはずもなく、蠢動する邪悪へ対応しなければならない時間を勇者の説得という無駄な時間に費やすことになる――
◆
――と、聖女は落ち込んでいる状況であったが、それより深刻な精神ダメージを負っている一団があった。
「ヌウッ!」
ドシンッ! と凄まじい音が鳴り響き、八つ当たりで殴られた樹木がなぎ倒される。
その自然破壊の犯人は――
「落ち着きなさい。私達の動揺は全体に広まるわ」
「わかって、いる!」
――巨体から想像される強力無比なパワーを誇る、オーガのケンキ。
力の勝負なら、誰にも負けないと自負していた戦闘自慢が……完全に敗北した。あろうことか、敵に触れることすらできないまま、いくらでも替えがきく雑兵を相手に敗走に追い込まれ、本来守るべき王の魔術に守られた。
その屈辱、苛立ちを感じたことが無いわけではない。かつて貧弱なゴブリンだった時には何度となく味わった屈辱だ。
だが、その時は『強くなればいい』と自分の顔を上げる術があった。ゴブリンからホブゴブリンに、ホブゴブリンから戦小鬼に、そしてオーガへと進化すればよかった。
だが……強くなり、強者として生きてきた人生だけで言えば感じたことのないものだったのだ。既に強くなったのに歯が立たない屈辱……その激情への対処法を、彼は知らなかったのだ。
それでも、配下を任される上位者として、苛立ちを露わにするのは褒められたことではないと諫めるカームの言葉に、何とか平静を取り戻そうと息を整えるケンキであった。
「……まずは戦死者の弔いと、今後の対策ね」
「死者を出さぬよう攻撃に耐えられる精鋭のみを出せ……という命令だったが、精鋭であっても耐えきれないとは誤算だった。数を減らした分の補強をしなければならないが、どうしても質は落ちるな……」
「余りいい手ではないけど、質は数で何とか補いましょう。通常警備ならそこまで問題にはならないでしょうし」
「問題は、あの人間への対策か……」
その問題を前にすると、かつて三大魔と呼ばれた二体は沈黙するしかなかった。
質、量共に勝る相手からは逃げるか服従。それ以外の選択などする必要もなかった野生の魔物の経験では、圧倒的強者に挑む方法など浮かぶことはないのだ。
だからこそ、彼らの導き手が必要となるわけである。
落ち込む大魔の前に現れた、一体のスケルトンが。
『よぉ。手ひどくやられたようだな』
「王……!」
スケルトンから聞こえてきた魔王の声に、ケンキとカームは畏まって服従を示す。
当然、このスケルトンは魔王ウルが魔道によって支配している使い魔の内の一体だ。使い魔は魔力による繋がりを利用して視覚、聴覚を共有することができるが、その応用で魔力を音波に変えることにより通話装置としての機能を持たせることもできる。
外見が最悪なのと卓越した魔道技術、そして距離によってはかなりの魔力量を要求されるが、自立移動式通信機と言っても間違いではない。
王を前にするに相応しい態度を見せる二体に満足したのか、スケルトン越しに魔王ウルは話を続けた。
『さて、わかっていると思うが、お前らにはもう一度あの聖女って人間と戦ってもらう』
「御意」
王の命令に対し、配下の返答など『是』以外にはない。
王が戦えというのならば、敗北するとわかっていても戦うのが魔物の流儀である。
『……良い返事だが、勝つ見込みはあるのか? 俺は戦えれば後はどうでもいい……と言いたいわけではないぞ?』
「全力を尽くします」
『それは当然だ。全力を尽くせば勝てるのかと聞いている』
どこか上位者からのパワハラ的な匂いがする会話であるが、魔王の問いは正論であり、だからこそケンキもカームも黙るほかなかった。
彼らに残されたプライドが『勝てないから戦えません』なんて腑抜けたことを口にすることを許さず、しかし勝ち目が全く見えないという現実は何も変わらないのだ。
そして、それは魔王ウルとしても十分に承知していることであった。
『フム……まぁ、全力を見せたわけではないだろうが、あの人間の戦闘力はお前達を大きく超えているのは事実だ。特に飛行能力持ちのシモベをいくらでも召喚できるのが今のお前らには厄介極まりないところだろう』
「……仰るとおりです」
『対空手段が無いわけではないが……格上に通用するレベルではないな。魔道の中には飛行能力を得る術もあるのだが……』
無の道ならば念力で自らを浮かし、命の道ならば鳥の翼などを自らの肉体に再現し、地の道ならば風や重力制御で空を飛ぶことができる。
が……どの系統でもそうだが、飛行魔法は中々に高度な魔道なのだ。何せ、失敗すれば墜落するのはもちろんのこと、原理によっては空を飛ぶどころか自分で自分を潰してしまったり吹っ飛ばしてしまったりといった事故も十分に有り得ることなのだから。
その飛行魔道を教えるというのも悪くはないが、今からでは流石に時間がない。天才と呼ばれる資質の持ち主でも魔王の計画ではギリギリの時間しかなく、残念ながら魔王軍の戦闘主力メンバーは魔道的な才よりも肉弾戦の才に優れた者が大半である。
『……助けが必要か?』
「どういう、意味ででしょう?」
『俺も俺の計画を最高の形で実現させるためにやるべきことがある。だが……得られる利益は大きく損なわれるが、俺が自ら聖女の相手をすることは不可能ではない。お前達の心が折れているというのならば、他の作戦を全て放棄して俺一人で聖女の相手をしよう。それならば、確実な勝利を得られるからな』
傲慢なほどの自信と共に、魔王はその言葉を言い放った。
魔王ウルと、元三大魔のどちらが強いか……と言えば、それは魔王ウルだ。だからこそ彼らは魔王ウルの傘下に入っているのだから。
しかし……その力の差は、そこまで大きくはない。少なくとも、三大魔の内二体が揃っても勝ち目がない相手に必勝を確信できるというほど絶対的な差はないはずである。
それでもなお、ウルがこのような言葉を口にした理由。それは魔王としての絶対性を誇示するためのハッタリであり、そして――最近鳴りを潜めている配下の野獣性を引き出す燃料とするためであった。
「不要です」
「ええ。我らが相手をすべき敵の始末を、王自らにやらせるなど我らの名折れ。必ずや、我らだけで勝利を掴んでみせます……!」
ケンキとカームの目に強い光が宿った。
二人とて馬鹿ではない。ウルの言葉が挑発であることはわかっているが……それでも、本来ただ君臨して配下の報告を待つだけでいいはずの王自らが自分の尻拭いをするというのは、一度でも忠義を尽くした立場としては決して認められることではないのだ。
この辺りの忠誠心は、この一年の間に培われたものだった。偉大なる魔王の仕事は、決してふがいない自分達の尻拭いなどではないと自然に考えるくらいには、魔王ウルもまたその称号に相応しいカリスマを見せてきたのだ。
『その意気や良し。先ほどまでの無様な魂に少しは活が入ったようだな』
「情けない姿をお見せして申し訳ありません」
『許す。その上で……お前らだけで勝利するには、はっきり言って実力が足りていない。あれは些か反則染みた力の持ち主だからな。簡単に勝てるようではその方が困る』
聖女の力に心が折れていた配下を立ち直らせた魔王は、具体的な戦術の話に移る。
『しかし勝ち目がないわけではない。作戦と状況次第では、お前達でも十分に勝機があるだろう』
「作戦……ですか?」
『あぁ。まず、前回の戦いでは聖女の能力を分析するのが最重要であった。だから、観察しやすく不安要素も入りにくい平原を戦場に選んだわけだが……奴の手札がわかってしまえば、まさにあの場での戦いは最悪であったと言える』
「……数を活かすには最善だから、ということですね?」
『そのとおり。カーム、お前ならばわかると思うが……遮蔽物のない平原というのは、数でかかるのは一番都合が良い。四方八方……それどころか飛行能力を持つ天使ならば上も合わせて一斉に襲いかかれるわけだからな』
「確かに、前回は数の暴力に押されてしまいました」
『加えて、空も取られる。遮蔽物が全くない屋外戦でアレと今のお前達が戦うなど、手の届かない上空から爆撃してくれと言っているようなものだ』
「つまり、戦場を変えるべきだ……ということですか?」
ウルの解説を聞いたカームがそう言うと、そのとおりだと通信スケルトンは頷いた。
「となると、一番の理想は……人間が住まう街中での戦闘でしょうか?」
『ほう? 何故そう思う?』
「自陣である街を破壊したくないという思いがあれば初手で使われた魔力爆撃は撃てないでしょうし、その後の召喚もごちゃごちゃとした建造物が多い人間の街では障害物になるかと」
『模範解答だな。少なくとも間違いはない』
「では、今度はこちらが人間の街に攻め込むということで……?」
ケンキはカームの言葉を受け、次は攻めに回るのかと目を光らせた。元々、ケンキの本質は攻撃。敵に攻めさせるのは本意ではない。
だが、ウルもその感性には同意するところであるが、今回は事情が違った。
『残念ながら、一つ抜けているところがある』
「というと?」
『人間の街ということは、つまり敵軍の本拠地だ。戦闘力を持つ者が聖女一人だけであるならばその考えで最上だろうが、他に防衛設備や兵がいる以上その戦力も考えねばならん』
「……仮に我が軍と人間軍が正面から激突した場合、勝算はどれほどだとお考えでしょう?」
カームもケンキも人間の……イザーク公爵領軍の戦力は知らない。
彼らの頭の中にあるのは聖女一人の戦力だけであり、他は未知数なのである。
それを調べている魔王ウルならばどのように考えるのかと意見を求めると、ウルは何とも楽しそうに答えるのだった。
『まず勝ち目はないな。まず総数が違いすぎる。街一つ分の警備兵だけならば何とでもなるが、数を纏めて攻め込むとなれば当然人間側もそれに備えてくる。そうなれば数の差でますます不利になるだけだ』
「そう、ですか」
『質で言えば……まぁ公爵家とやらは雑兵の教育にもそれなりに熱心らしいが、その程度ならばこっちの雑魚共でもなんとでもなる。お前達各班の長クラスならば無傷で倒せるだろう。……だが、今は聖女、そして勇者とか名乗っている道化もいるようだからな。総力戦になれば結果は見えている』
「むう……」
ケンキやカームからすれば認めたくないことではあるが、人間軍の総戦力は……それも一国という規模ではなく一公爵の保有戦力に助っ人を加えただけの戦力は、ウル魔王軍を上回っているのだ。
ア=レジルを楽に落とせた経験から人間など恐れるに足らずという風潮となっていた彼らにとって、その事実を認めるのは屈辱以外の何物でもないだろう。
しかし、だからといって現実を見ないで妄想に逃げるほど愚かでもない。
『さっきも言ったが、俺は俺でやることがある。故に、聖女の相手はお前達に任せる。具体的な戦術としては、カームが言ったように人間を盾にするという戦術もあるが……ここは正攻法でいこう』
「正攻法?」
『こちらに有利なフィールドに持ち込む。聖女を孤立させ、一方的に土地鑑を活かせ、更に空を与えない場所を戦場にするのだ』
「……もしや、そこは……」
『負ければ破滅だが最も勝率が高い。加えて、更に追加の策を授けるとしよう』
魔王ウルが対聖女決戦の地として指定したのは――シルツ森林内部。すなわち、ウル魔王軍の本拠地だ。
ウルの領域であるシルツ森林をウル不在の内に落とされるようなことがあれば、魔王軍は大きく力を失うことだろう。その意味では背水の陣であるが、しかしシルツ森林出身の魔物からすれば最も戦いやすい地形であり、聖女の能力は封じられる条件を揃えている場所であると言えた。
……ちなみに、正攻法ではなく邪道を行く場合に指定するのはア=レジルの街中である。契約で縛った人間を盾にして聖女の動きを封じるという外道戦法であるが、魔物の手に落ちた者に情けはかけない――という苛烈な思想の持ち主であったら逆効果であるということで今回は選ばなかった。
『聖女をシルツ森林へ誘導するのは俺がやる。確実ではないが、まぁ十中八九聖女一人で乗り込むことになるだろうな』
「そうなのですか?」
『そして、実際に仕掛ける場所はカ~クの10~20にする』
「え? その場所は……なるほど、アレを利用するのですね?」
『言うまでもないが、対策はしっかりしておけ。あそこでならば、数に頼るのも難しいだろう』
ウル軍が森の住所として定めている符号を聞いて、カームはすぐにピンときたとその獣顔に笑みを浮かべた。少し遅れて、ケンキも理解の意を示す。
それはわかって当然だ。ウルが指定した地区は、一種の危険地帯。森のほぼ全てを掌握したウル軍であっても立ち入り禁止指定がなされている、最後の無法地帯なのだから……。




