第98話「話を聞く気になったかね?」
(……貧民街、西側にある荒れた教会の地下……ここか)
元ア=レジルハンターズギルドマスター、クロウは数日かけて集めた情報を基にとある場所へと足を運んでいた。
酒場から街行く人の噂話、どんな街にも潜む情報屋から少々後ろ暗い世界に生きる者まで無関係に、自分ができる全力を尽くして集めた情報を集約した結果……この教会に辿り着いたのだ。
(しかし、このエルメス教全盛の時代にいくら貧民街とはいえ荒れすぎじゃないか……?)
公的には、この教会は既に破棄されたものとされている。昔はエルメスの神官が滞在していたそうだが、その神官が病に倒れた後、後継者がいないまま廃れたということだ。
エルメス教の総本山であるエルメス教国であれば絶対にあり得ない話だが、トップからしてエルメス教の武力に怯えて国教にしているだけという程度の信仰心だからこそという証明とも言えるだろう。
一応歴史あるル=コア王国はエルメス教国の属国ではなく対等な同盟国という立ち位置であり、何か文句を言われる筋合いはないのだが……より華やかな中心街の方にはちゃんとした教会を用意している辺りになんとも言えない上下関係が感じられる。
(……実際には、あの領主が貧民街教会への資金を断ったんだろうが)
クロウはそこまで考え、嫌悪感に顔を歪ませた。
数日の情報収集の結果、この公爵領の王であるエリストはクロウにとって決して相容れない人間であることがはっきりとわかったのだ。
あの戦車遊びなどという外道な行いが黙認されている時点でほぼ確定であった印象も、少し探るだけで出てくる様々な悪行――ただし一切直接的な証拠は出ない――を知れば、もはや嫌悪感は頂点に達していた。
「……ふぅ。人間相手に憎しみを持っても仕方が無いか」
しかし、クロウはそんな感情を持つことのくだらなさをどこか冷静な部分で感じてしまう。
ここにいるのがギルドマスター・クロウであるならば義憤に燃えて何とかしなければと使命感を滾らせるところだが、今の自分は魔王ウル・オーマの契約術によって縛られた魔物の手下のクロウ。
ならば個人の感情など持つだけ虚しいだけだと、細心の注意を払いながら廃教会の扉を開くのだった。
◆
「……クソッ!」
廃棄され忘れ去られた教会の地下――役人の目も耳も届かない閉鎖空間で、男の怒声があがっていた。
がっしりとした身体とあちこちに古傷がある風貌から、それなりの修羅場を潜った人間であることが読み取れ、纏う雰囲気は明らかに堅気の人間のそれではない。
なにせ、彼は治安最悪の貧民街でも一目置かれる腕っ節を誇る男であり、この街に住む荒事を好む若者のリーダー格を務めるリーバ・レジスターその人なのだから。
「ケーンとフレンゾが……」
「畜生、貴族共め……!」
彼らの間には重い空気が漂っていた。
その理由は、先日の戦車遊び……領主の息子二人が遊び半分に領民を傷つけたことであり、その被害者の中に彼らの仲間がいたのである。
ここ数日、生死の境を彷徨いながらも彼らの懸命な看護で何とか命を繋いでいたのだが、ついに先ほど息を引き取った。
何の意味もない、必要もなかった死。正真正銘の理不尽な仲間の死を前に、彼らの怒りは際限なく高められているのだ。
「もう、我慢ならねぇ……あいつらぶち殺してやる……!」
ここには過激派……貴族の圧政に対して積極的抵抗を唱える若者が集まっており、その中の一人が感情のままに叫んだ。
それに同調するように幾人かも賛成の声を上げるが……しかし、それが実行に移されることはないだろう。
今までも何度も同じことが繰り返され、その度に反逆の意思を口にしてきたが……結局は同じ結論に至ってきたのだから。
「落ち着け!」
「落ち着いていられるか! ケーンはなぁ、まだ新婚だったんだぞ!」
「フレンゾだって、まだ小さいガキがいたのに……クソッ!」
人の死とは、決して悲しいというだけで終わるものではない。
残された者はいなくなってしまった命を嘆き、場合によっては連鎖するようにまた別の命が失われる。
だからこそ、命とは尊く重いのだ。どんな命であっても決して孤独ではなく、誰かと繋がっている。その連鎖を、命の価値を知るものならば……あんな非道はしないと若者達は憎しみを滾らせるばかりであった。
「……お前らの気持ちはよくわかる。だが、無策で動くわけにはいかねぇんだ!」
「だけどよリーバ!」
「海の騎士団がいる限り、俺たちの声も剣も公爵の一族には届かねぇ。見せしめに吊されて終わりだ」
自身も抑えきれない怒りを胸に押し込みながら、仲間達を諫めるリーバ。
その理由は言葉の通りであり、ちょっと腕っ節に自信のある若者が数十名集まった程度のグループでしかない彼らに、財力武力権力全てを兼ね備える公爵家へ現実的な対抗策などないからだ。
このような非道な所業に、過去反旗を翻した者は他にもいたが……例外なく無慈悲に殺され、見せしめに使われてきた。その時の被害を思えば、気まぐれに数人殺されるくらいはまだマシだと思えてしまうくらいに残虐に。
その悲劇を繰り返してはならない。しかし、黙って受け入れるにはあまりにも非情だ。
そんな感情の堂々巡りを繰り返し……結局は何もできない。それがこの街に暮らす彼らの望まない日常なのであった。
「俺だって……もし力さえあれば……!」
握り込んだ拳から血が出るほどに悔しさを露わにしながらも、リーバ達は黙っているしかないのだ。
そんな、リーバのむき出しの感情の発露で場は一瞬静まりかえった。先ほどまでの幾つもの怒声が混じり合った騒音は消え、静寂が場を支配したのだ。
だから……カツカツと、こちらに向かってくる何者かの足音に彼らは気がつくことができたのだ。
「おい」
「わかってる」
このウ=イザークにおいて、民衆が許可なく集会を開くことは禁じられている。
民衆に恨まれ、殺したいほど憎まれていることを客観的に理解しているエリスト公爵の御触れにより、公爵領独自の法として監視の目がない場所で民衆が集まることを罪としているのだ。
この反公爵派の若者の集まりも、その領内法に違反する。となれば、もし役人に嗅ぎつけられれば全員百叩きか鞭打ちか、最悪磔にされて殺される恐れもある。
それを知る彼らは、何者かがこの誰も来ないはずの廃教会に入り込んだという事実そのものを脅威と見なしたのだ。
「間違いねぇ。地下への階段を降りてる」
カツカツと響く足音は、真っ直ぐ自分達の溜まり場である地下へと向かっていた。
その時点で、想定するのは常に最悪。役人でなくてもそうでなくても、黙って帰すわけにはいかない。
(扉の陰に潜んで、入ってきたら挟み撃ちでぶん殴れ)
(了解)
(失敗したら真正面から残りの面子で一斉に行け。何もさせる前に数で取り押さえてやる)
リーバは小声で仲間達に指示を出し、侵入者を待ち構える。手に持つのは、床に転がっていた酒瓶だ。
彼らは戦闘のプロではない。荒事に慣れた雰囲気を醸し出すリーバとて、あくまでも治安の悪い街を生き抜いてきたチンピラ……ただの喧嘩自慢だ。
本物の武器を使った戦闘などの経験は少なく、こういった場面で公爵家に尻尾を振る役人を不意打ちで殺したことがあるくらいの素人である。殺人経験がある分肝の据わり方は一般人離れしているところもあるが、戦闘力という意味では素人に毛が生えた程度のものだ。
それでも、数は力だ。少々立派な武器を持っただけの役人くらいならば、問題なく仕留められることだろう。
「――かかれ!」
喧嘩自慢のチンピラの集まりであるリーバ一派精一杯の殺気と共に、開かれた扉から現れた何者かに一斉に襲いかかる。
が――
「ム?」
「うおっ!?」
「痛ぇ!?」
入ってきた男にとって、それは攻撃というレベルに達していなかったようだ。
侵入者からすれば、素人の集団など体捌き一つでいなせるものでしかなかった。
左右から殴りかかった若者二人は半歩後退した侵入者を追えずにお互いの頭を殴る結果に終わり、更に追撃をかけた後詰め達も足払いとフェイントだけで倒してしまう。事実上、攻撃と呼ばれる動作なしであっさり制圧だ。
「テメェ……何もんだ!」
それを一人離れた場所から見ていたリーバは、流れ出る汗を感じながらも武器――やはり酒瓶を手に凄む。
しかし、彼なりに積んできた喧嘩の経験が訴えていた。目の前の中年が、どう考えても勝ち目のない領域にいる本物の戦士であると。
「……失礼。イザーク公爵家の圧政に対する反乱組織のリーダー、リーバ・レジスター殿か?」
「あ? ああ……まあ、そうだがよ……」
反乱組織……と言えるほどの規模も活動もないが、反公爵家を掲げる集団のリーダーであるリーバ・レジスターは間違いなく自分だと曖昧に頷いた。
◆
(……ここがアジト? 想定よりも、かなり……)
侵入者――クロウは、倒れた若者達、そして地下の様子を見て眉をひそめる。
エリスト公爵の手腕により領民達は心を折られ、暴虐にただ耐えるばかりとなっている。そんな中、まだ気概を失わない反乱分子が存在している……という小さな噂からハンターとして培った情報収集能力を駆使して辿り着いた場所だったのだが、期待していたレベルからは悪い意味でかけ離れていた。
反乱軍……という言葉から何となく連想するような、屈強な兵士も強力な武器もここにはない。剣弓槍はもちろん、最低限王国で採用されている魔道銃くらいは並べておいて欲しかったところだが、目に入るのは転がった酒瓶と娯楽用だと思われる書籍やゲーム類くらい。
これでは反乱軍のアジトではなく、ぐれた若者の溜まり場と言った方が正しいだろう。少なくとも、ここに集まって作戦会議などできるとはとても思えない。
「……ここはダミーのアジトか? 武器弾薬は別の場所に保管している?」
反乱軍というか、体制に不満がある若者が集まっているだけの場所なのでは……という想像を無理矢理排除し、いいように考えるクロウ。
噂話を辿る程度でたどり着けるこの廃教会はダミーであり、自分達に接触しようとする異分子を発見するための罠なのではないか……という推理だ。
それにしては、肝心の異分子を捕えるための兵力があまりにもお粗末だと騙しきれない部分が言っているが。
「な、何なんだテメェは?」
倒れた子分達を前に汗を流している、リーバ・レジスター……集めた情報によれば反乱軍のリーダーであるはずの男をクロウは戦士の目で評価する。
(構え、立ち居振る舞い、ガタイ、足運びから推測して……)
推定危険度10。評価、一般人。普通のコボルトには勝てるが集団だと負けるかも……といったところである。
(戦士じゃないな。喧嘩慣れした一般人というところか)
戦士として、正確に相手の能力を予測するのは必須技能だ。もちろん強いものほど力を隠すのも巧いので過信は禁物だが、クロウの目はリーバを戦力として数えて良いものではないと判断する。
(彼が本当にリーダーだとすると……ここは外れか?)
魔王ウル・オーマよりの指令は『公爵の圧政を倒す意思を持った人間の発見』である。
特に能力や規模に条件は付けられていないので問題はないと言えばないのだが、それにしても……
「……いや、まずは確認したい。キミはこの公爵領にて人道に反する悪逆を行っている公爵家を打ち倒す意思を持っているのか?」
「……へっ! 最終確認か? イエスでもノーでも殺す気なくせによ!」
クロウが念のため意思の確認を行ったら、リーバは覚悟を決めた目で手にした酒瓶に力を込めた。
(肝は据わっているな。やや上方修正……しかしイエスでもノーでも殺す? ああ、役人とでも思われているのかな?)
クロウは死の危険を感じてなお睨む根性のあるリーバへの評価をやや上げつつ、敵意はないと両手を挙げて笑いかけた。
「勘違いしないでほしい。私は公爵家には無関係の人間だ。キミの返答がどうであれ、危害を加えるつもりはない」
「信じられるか!」
「もし私が反乱の意思を感じた公爵軍であれば、一人でのこのこ来るはずがないだろう? 地下に籠もった集団を安全に引きずり出す方法などいくらでもある」
そう言われて、リーバの目に迷いが生じた。反論が思いつかなかったのだろう。
事実、公爵が不穏分子を排除するために使う武力――海の騎士団は常に集団で行動する。そもそも人の話など聞かない無慈悲さが売りの死の軍勢である彼らならば、こんな会話自体が成立しないと理解したのだ。
「じゃあ……何者なんだ? 何しに来た?」
「いや……私は他領の人間なのだが、公爵家の横暴には腹を立てていてね。もし今の許されざる悪行に反抗する意思がある者がいるのならば、力を貸してもいいと思って訪ねてきたんだ」
具体的なところはぼかしつつ、事前に考えていた理由を口にするクロウ。
決して嘘ではなく、魔王ウルからの指令は公爵領を落とす際の戦力補強……そして大義名分作りという側面が大きいと彼は推察していた。
余所からやってきた武装勢力がいきなりその地の領主に刃を向ければただの侵略だが、あくまでもその地に暮らす民の願いに応えたという形にすれば正義は我にありといったところだ。
もっとも、その武力が魔王軍ではどんな大義名分を掲げてもさほど意味があるとも思えず、何よりあの魔王が人間の国を滅ぼすのに一々正義だ悪だと考えるのかという疑問はあるが。
そんな複雑な事情を含んだ言葉に……リーバは敏感に反応した。
「ほ、本当か?」
「……何に対しての疑問で?」
「本当に力を貸してくれるのかって聞いてんだ! あのクソッタレの公爵の首を取れるような力があんのかお前は!?」
その眼に宿るのは、純然たる殺意であった。公爵の一族を殺せるかもしれない……その甘美な蜜に心を奪われている。
(大丈夫か? こいつ……)
一目でわかるほどのわかりやすさに、クロウは表情に出さないまま心で苦笑いを浮かべる。
仮にクロウがリーバの立場ならば、突然現れて協力しようなどという人間は絶対に信じないだろう。確かに公爵軍ならそんな面倒なことをする必要はないのだが、それ以外の何か良からぬ企みをしている悪人が背後にいる可能性は高いと。
事実、今のクロウの後ろにいるのは悪人など鼻で笑う悪の化身たる魔王。とても頷いて良い相手ではないと、クロウ自身も思っている。
しかし、立場上そんな忠告をすることはできない。故に……クロウは、自分にできる最大限のフォローを交えて頷くしかなかった。
「……戦力という意味でならば間違いない。もっとも、私がどこの誰かもわからないのに頷いて良いのかは考えるべきだろうがね」
冗談めかしての忠告。今のクロウにできる精一杯だ。
しかし……リーバの目は変わらなかった。
「構わねぇよ。仲間の……皆の仇を取れる力を貸してくれるんなら、もう神だろうが悪魔だろうが構わねぇって思ってるよ……!」
街のチンピラというレベルでしかないリーバ達に、屈強な専業戦士集団である海の騎士団を倒すことは不可能。
いくら口で怒りを、恨みを唱えたところで……それが実現することは生涯あり得ないことだっただろう。
どこからともかく正義の味方でも現れてくれるか、あるいは悪魔が声をかけにでも来ない限りは。
「その言葉に偽りはないか?」
「っ!? 誰だ!?」
クロウとリーバ一味以外いないはずの閉鎖空間に突如響いてきた声に、皆が警戒心を露わにする。
「もう少し骨のあるレジスタンスがあるかと期待していたんだが……これが精一杯か。あまり時間もないし、このくらいで手を打つとしよう」
「ま――ウル殿か? いったいどこに……」
「お前の後ろだ」
魔王、と呼びかけそうになり、訂正するクロウの背後に突如ウルが出現した。先ほどまでいなかったはずなのに、急に現れたのだ。
「い、いつの間に……?」
「ただの幻術だ。最初からお前の後ろにいたとも」
当然といった様子で語るウルであったが、クロウの感覚を騙しきる幻術系の魔道を使えるものなどまずいない。
改めて、この魔王を名乗るコボルトの出鱈目さに戦慄するクロウであった。
「ま……魔物?」
「でも、奴隷……って感じじゃ、ない……よな?」
一方、リーバ達からすれば意味がわからない状況だ。
部屋の中にいつの間にか入り込んでいたのは、コボルトと呼ばれる弱小魔物。
しかし、その態度は普段彼らが見慣れている奴隷魔物とは似ても似つかず、一般に極普通の成人男性よりも貧弱と言われるコボルト一匹に威圧感だけで圧倒されてしまっているというのだから混乱もするだろう。
「さて……話があるのだが、いいかな?」
「話だと……? お前みたいな怪しい奴に喋ることはねぇよ!」
ウルは余裕の態度で何かの話を持ちかけようとするも、リーバは聞く耳持たないと騒ぎ立てる。
人間のクロウならば怪しい奴程度でも、流石に魔物を信用できるほど彼も図太くはない。ここでの拒絶は当然の反応と言えるだろう。
「やれやれ……では、話をする前にまずは土産をくれてやる」
「あ……?」
そう言って、ウルは何枚かの紙をリーバへ渡しす。
咄嗟に受け取ってしまったリーバは、何なんだととりあえず書類に目を落とした。これでも彼は博識な方であり、完璧とは言わないまでも文字を読むことはできる。
すると――
「こ、こりゃあ……公爵家の裏帳簿か!? それに密輸の積荷リスト!」
リーバは目玉が飛び出るのではないかと思うくらいに書類を凝視し、この紙切れの価値を知る。
これはまさに、公爵家にとって決して無視できない爆弾だ。これを持っているだけで、何の力もないチンピラ集団でも交渉のテーブルに上がることができる魔法のアイテムだ。
「こんなもん、いったいどこで……?」
「ついさっき、あの城から盗んできた。さて――話を聞く気になったかね?」
驚愕のあまり混乱状態にあるリーバに、ウルは――コボルトの姿をした何かは、続けて黒い紙を取り出してニヤリと笑うのであった。
「その憎しみ、その怒り……見事ぶつけてみせると良い。フフフフフ……」
不気味に笑うそのコボルトを見ていると、リーバはふっと何か納得したような気分になった。
そう……今この瞬間、自分の願いが叶ったのだと。悪辣なる公爵家を倒すため、神が見捨てた自分達の前に、悪魔が現れたのだと……。




