第96話「恥はないのか!」
「ケンキ! 創造系の召喚魔物に物理攻撃は有効じゃないわ! 腕力ではなく魔力で斬りなさい!」
「フンッ! 了解した!」
自らの能力によって新たな軍勢を生み出した嵐風狼、カームとその指示を受けたケンキが天使の軍勢に対抗していた。
カームの言葉どおり、魔力によって召喚された天使は物理的なダメージを軽減する特性を有している。それは、ここにいる天使達の成り立ちに由来するものだ。
(面倒ですね。格下とは言え同系統の創造系召喚功罪を持つとは……)
天馬にまたがり上空から戦場を俯瞰する聖女アリアスも、カームの言を認めていた。
召喚と呼ばれる、その場に存在しない何かを呼び出す魔道、功罪は多数存在しているが、召喚系の術は大別して『転移系』と『創造系』に分類することができる。
転移系とはその名の通り、この場には無いがどこかにある何かを手元に引き寄せる能力だ。味方を自分の許に呼び寄せたり、あるいは携帯していない武器や道具をいつでも自分の手元に呼び寄せたりと言った使い方になる。
創造系とは、魔力により何かを作り出す能力だ。魔道士が好んで使う使い魔などがこの系統に分類され、即席の軍勢を作り出したりこの世に存在しないような武器を造り出すこともできる。
召喚系は呼び出すものが自分の所有物に限定されてしまう代わりに召喚以上の消費が無く、創造系は呼び出す対象の自由度が高い代わりに消費魔力が膨大で維持コストも必要とする欠点がある。
どちらも一長一短の特性があるが、特に創造系の場合は召喚される対象が魔力により構成されている――つまりエネルギーの塊であるという関係上、単純な殴る蹴るでは損傷を受けにくいという特性を有することになる。
言ってしまえば水で構築された自律人形のようなものなので、殴られても斬られても血を流すことも無ければ骨が折れることも無い、魔力を少々消耗するだけでダメージとして表に出ないのだ。
損傷した分を修復するために与えられた魔力を消費するため、全く効果が無いとは言わないが、生身の生命体よりも遙かに物理ダメージに対してタフであると言える。
加えて言えば、通常の生物を模して作られた魔道生命体ならばその身体構造の理に従い物理攻撃もそれなりに有効打にもなり得るが、今召喚されている天使や風の魔狼となるとまた話が変わる。
風を獣の形に留めているとはいえ、風を斬ろうが殴ろうが何の影響も与えるはずが無いのは言うまでもなく、天使という存在も物質界の存在ではないため物理法則の影響を受けにくい……という種族能力を有しているのだ。
そういった存在を模した創造系召喚モンスターは、特別物理攻撃に強い。それが召喚天使が優れた腕力を持つケンキの斬撃を受けても平然としていられる絡繰りなのである。
逆に言えば、有効な攻撃は魔力そのものを削る攻撃になるのだ。
(あのオーガに知識はなさそうだったのに、あのオオカミの入れ知恵で戦い方を変えてしまった。しかし、どちらもそれを可能とする経絡の活性化を済ませてる……いえ、あの場にいる全員が活性化している。偶然でありえるのでしょうか?)
天使を相手に手一杯になっている魔物の群れを、聖女アリアスは上空から冷静に観察する。
これは彼女のいつもの手なのだ。まずは聖人として持つ魔力量に飽かせた攻撃で先制し、それで仕留められればそれでよし。もし耐えきるだけの力を持つ相手ならば、神器の力で召喚した手駒をぶつけて戦力分析に移る。
いくら倒されてもさほど問題は無い召喚モンスターの使い方としては基本とも言えるやり方だが、彼女のような膨大な力の持ち主が基本に徹すると手が付けられない厄介なものになるのであった。
「食いちぎれ!」
嵐風狼、カームの号令と共に、彼女が召喚した風のオオカミ達が天使に襲いかかる。天使とは違う理であるが、魔力の塊であるオオカミ達の攻撃は物理攻撃というよりも魔力攻撃に近い性質を持っており、天使にも有効だ。
しかし――
(無駄ね。そもそも、同系統の能力だからこそ格の違いが明確に出るもの)
聖女の嘲りはそのまま現実となり、天使が手にする武器の一振りでオオカミが数体消滅する。
風のオオカミ達が魔力攻撃の性質を有するならば、当然天使の攻撃も魔力を帯びたものだ。となれば、一介の魔物の能力と神の力を宿す最上級功罪――神器の力のどちらが上なのかなど、考慮する必要もない。
(このまま力で押し切ることは可能。ですが……今のままだと、取りこぼしがでるかも……)
聖女の心配は勝敗ではなく、殲滅という目的の達成が可能か否かであった。
お互いの召喚モンスターの能力を数字で表すならば、天使を100としたときオオカミは高めに見積もっても30行くか行かないか。とても張り合える能力は持っていない。
召喚の大本であるカームの魔力が万全ならばもう少しマシだったかもしれないが、どちらにせよ個の性能ならば天使が負けることはあり得ないだろう。
問題なのは、数。今聖女アリアスが使役している天使は20体であるが、風のオオカミは一度に約100体生み出され、今も数が減る度に補充されている。
一般的に創造系召喚術は一度に呼び出せる数に制限があるので、カームの能力限界が一度に100体とみてまず間違いは無い。
(今の天使の数では押し切れないかも。あのオーガもいるし……)
アリアスも馬鹿ではない。次々に補充されるオオカミを無視し、本体であるカームを討ち取れと天使に命令は出しているが、それはさせないとカームも巧みな用兵で防いでいる。
天使の力なら一撃で倒せるような弱い相手でも、倒すのに一撃かかってしまう以上時間稼ぎだけならば可能だ。
そして、相性が悪いものの天使よりも強いと認めざるを得ないオーガもいるとなれば、時間がかかってしまうだろう。
(となると、後方の魔物達に逃げられる恐れがある)
そこで聖女は戦場から一度目を離し、後方で退却を試みている魔物の集団へと視線を移した。
ここは強力なオーガと嵐風狼を狩れれば良い――などと、彼女は考えない。魔物の殲滅こそが使命であり、どれほど弱くとも魔を許す理由など無いのだ。
だから、確実に全滅させる。それが、聖女たる自分の使命だと心の底から信じているのだから。
「天使の20体では足りないのならば――倍、いえ……数では負けないなどと思われても神への不敬ですか。六倍用意しましょう」
聖女アリアスは、涼しい顔で死刑宣告を口にした。
並みの魔物よりは強い手駒を同時に100も操れるとなれば魔物社会ではトップを取れるだろうが、その程度では聖女と戦うにはまるで足りない。
一体一体が領域支配者級の召喚モンスターを、三桁の規模で呼び出せる。そのくらいのこと、エルメス七聖人の一角ともなればできて当然のことなのだから。
「――嘘でしょ?」
「これは、参ったな」
「さぁ、神罰を受けなさい」
手にする神器を一振りすれば、天を覆い尽くさんばかりの純白の翼が呼び出された。
今も必死に応戦している天使と同型の召喚モンスターが――合計120体追加召喚されたのだ。既に戦っている天使と合わせれば、約150体。もはや、打てる手など存在しないと断言できるような戦力差であった。
「隊を三つに分け、オーガ、嵐風狼、そして逃亡者へ同時にかかりなさい」
「ッ!? 全力で逃げろ!」
「もう止められそうに無いわね……!」
性能でも数でも負けているのならば、それはもう敗北以外の道はない。
如何に用兵に優れるカームであっても天使の軍勢を止めることなど不可能であり、一対一にこそ本領を発揮するケンキにしてもそれは同じ。負傷者を纏めて後退するアラフには天使の群れを相手にできるような力は無く、元領域支配者集団と共闘しても差は覆ることは無い。
全滅――その言葉が脳裏に過ぎるには、十分な戦況であった。
「かくなる上は、命を捨てて一矢報いるか……!」
戦況を把握したケンキは、天使を蹴り飛ばしつつ手にした大剣に目を落とした。
この大剣は、魔王ウルによって魔化が施された逸品。ケンキの持つ狂気の功罪を封じ込める力が込められており、これによってケンキは思考を保っている。
その封印を解けば、理性と引き換えにより強大な力を発揮することができる。今の状況で狂気に身を委ねれば確実に死ぬだろうが、それでももしかしたら一矢報いるくらいはできるかもしれない。
特攻にケンキの思考が偏ったとき――この場にいない者の声が響き渡ったのであった。
『命令する。撤退せよ。この戦場で命を捨てる必要はない』
「なっ!? この声は――」
「ボス!?」
戦場に響き渡った声の持ち主は、魔物達の総大将、魔王ウルのものであった。
同じく声を聞いた聖女アリアスも警戒して周囲を見渡すが、近くに人影は全くない。少し離れた場所に森があるとはいえ、戦場は見通しの良い平原であることもあり、誰かが隠れることは不可能といえた。
『聖女とやらの力の把握が目的だったが……思ったよりもやられたな。死者が出るのは覚悟していたが、想像以上の被害か』
「いったいどこに……っと、ヌンッ!」
どこからともかく聞こえてくるウルの声に動揺する両陣営。しかし自立した思考能力を持たない天使達は召喚者の命令を守り構わず突撃を繰り返しており、反射的に殴り飛ばすケンキであった。
『ともあれ撤退せよ。シルツ森林へ逃げ込めば何とかなるだろう』
「で、ですが王よ! この状況ではとても撤退は……!」
『心配するな、殿は用意してやる。我が命を信じて全力で撤退せよ』
どこにいるのかもわからない彼らの王であったが、王命は絶対だ。
その言葉で覚悟を決めたケンキ、カームの両名は残る力を一気に解放し、周囲に集る天使を吹き飛ばした。それで倒れる相手ではないが、一時的に距離を取るくらいは可能だ。
その隙に、撤退する負傷兵達の方へと全力で駆けていく。その後のプランは魔王任せだ。
「――逃がしません。天使達よ!」
当然その動きを聖女が許すはずもなく、追撃命令を出した。同時に、最初に撃った魔力爆撃の準備をし、背を向ける魔物達へと放とうとする。
(背中から撃たれれば流石に即死級のダメージのはず。それに天使達の追撃を合わせれば、確実に殲滅――!)
謎の声の出所は気になるものの、聖女アリアスは勝利への道筋をシミュレーションし、行動に移る。
だが、その計画は第一歩から躓くことになるのだった。
『やらせんよ――起きろ骸共! その偽りの生命を燃やし、存分に憎悪を発散せよ!』
その叫びと共に、大地が割れた。聖女の爆撃によって大きく抉れていた地面の更に底から、無数の何かが飛び出してきたのだ。
「――なんて、邪気……!」
今の今まで感知すらさせなかった何かがいると、聖女アリアスの顔色が変わった。
聖なるものとしての本能か、より邪悪な何が現れたと警戒対象を変更したのだ。
その判断は、仕方が無いと言えるだろう。地面の底から現れたのは、聖に属する者ならば決して存在を許してはならない不浄の存在……邪悪な魔術によって操られる、不死者の軍勢だったのだから。
「穢らわしい――浄化せよ!」
見るのも耐えられないと言わんばかりに、聖女は逃げる魔物を放置して天使達に殲滅を命じた。
地の底から這い出てきた不死者は、大半が所謂スケルトンと呼ばれる骨の怪物だ。血も肉もない分刃物に強いが、反面むき出しの骨を砕く殴打に弱い不死者の中ではメジャーな存在と言えるだろう。
『フフフ……そう簡単には倒させないさ』
「何者かは知りませんが――このような外法を使うなど、恥はないのか!」
嘲笑う魔王の声に、聖女は怒りを向ける。聖女として、このような――不死者使役など、許せる悪行ではないのだ。
というのも、不死者の多くは外法とも呼ばれる魔道によって操られる人形であるが、希に自然発生することもある。不本意な死を迎えた哀れな犠牲者達の怨念が功罪となり、骸を媒介にすることで産まれる特殊なモンスターとして。
その手の自然発生型不死者は例外なく強力だ。功罪の塊のようなものなのだから当然だろう。
それに比べれば魔道で作られた不死者は大したことはないが、しかし不死者には個としての実力以上に驚異的な特性がある。
死者を冒涜するその能力の影響を受けた大地には穢れが溜まり、自然発生型不死者が産まれやすくなる法則があると言われているのだ。
それ故に、魔道による生成にせよ自然発生型にせよ、不死者は見つけ次第最優先で破壊すべきであるというのが常識であり、聖女としてその手の教育は十分に受けている。
「クッ――神罰を!」
『おっと。スケルトン共。壁を作れ』
そのため、聖女として最優先駆除対象となった不死者の群れ――推定500体以上――を無視することはできず、撤退する魔物軍を屈辱を感じながらも見逃すしかなかった。
魔を殲滅できないなど聖女として許されない怠慢であったが、それ以上に不死者の存在を許すことはできなかったから。
それに、無理に追撃を仕掛けようとすれば、少数ながら飛行能力を持つ死霊と呼ばれる不死者が牽制を仕掛けてくることもあり、手が回らないという事情もある。
限りなく邪悪な何者かの所業ではあるが……その用兵は、聖女として数多の浄化作戦を経験したアリアスを持ってして認めざるを得ないものであった。
しかし――その後の戦いは語るほどのものでもない。さほど強力ではない魔道製の不死者が天使を引き連れる聖女に敵うはずもなく、全て殲滅されるのにそう時間はかからなかった。当然聖女アリアスは無傷である。
だが、魔王軍が撤退するには十分な時間であり――全ての討伐が完了し、穢れた大地を浄化し終えた頃にはもう追跡は不可能になっていたのであった。
(森ごと吹き飛ばす――いえ、それは、許されませんね……)
アリアスは魔物達が逃げ込んだ森ごと吹き飛ばしてやろうかと一瞬考えるものの、異界資源を含めた森の恵みは人間にとっても重要なもの。強大な力を持つ聖女であるからこそ、それを破壊することは許されていないのだ。
そうして、聖女アリアスは己の怠慢を強く戒めながらも、追撃を断念しその場から立ち去ることを強要されたのであった……。