第90話「刃を振り下ろしやすいだろう?」
――戦車訓練。これがその悪行につけられた名前である。
やることは単純で、庶民が生活している普通の街中を軍用の戦車――武装した馬車――で走り回り、何人轢き殺せるかを競うという悪趣味極まりない貴族の遊びである。
ル=コア王国は貴族の権限が特に強いことで知られる大国であるが、流石に意味もなく庶民を殺してしまうのは法に触れる行為である。そんなことを許していたら国としての最低限の形すら保てなくなるのだから当然だ。
そこで、この悪趣味な遊びを思いついた貴族達は言い方を考えた。
これはいざという時、国のため最前線で貴族としての責務を果たすための訓練であり、そこで死人が出ても不幸な事故なのである、と。
とてもまともに聞く気になれない苦しい言い訳だが、国家最大の領土を所有するイザーク公爵家ほどに国内で権力を持つ家ともなると、そんな言い訳にもなっていない論理を正論としてしまえる。当主一族の気まぐれの度に庶民が数十人死のうとも、それに文句をつけて自分が殺されるのはゴメンだと。
そんなことが日常と化しているならば、当然被害者となる庶民は外出しない。
しかし、だからといって家の中に引きこもっているわけにもいかないのだ。仕事をしに行かなければ明日の食事がなくなるし、そもそも買い物に行かなければ今日の糧すら得られない。
なによりも、娯楽の的としての役割を持つ庶民共が身を守るべく逃げることなど、領主一族が許さない。戦車が通れるような大通りに人がいないとなればどんな癇癪を起こして無理難題を言い出すかわからない以上、男達は愛する家族をそんな癇癪の標的にされないため自ら死を覚悟して大通りを歩くしか無いのだ。
いわば、この国の腐敗がそのまま具現化した野蛮な行為。それが、昼間に突然起きた悲劇の正体なのだった。
「――ということらしいな」
「イザーク家は腐敗しているとよく聞いたものだが、まさかここまで腐っているとは……」
深夜の時間帯。ウ=イザーク城下町の安宿に部屋を取ったウル一行は、今日一日で集めた情報を確認し合っていた。
集まった情報は、昼間に見た貴族と思わしき者達の凶行について。自らの悦楽のために罪のない者をゲーム感覚で虐殺する高貴なる者の存在についてであった。
「完全な狂人というわけではなく、最低限の常識も弁えているようだな。お前が知らんということは、それなりに情報規制はしていたのだろう」
「……まあ、規制されていたって言うよりは『まさかそこまでやってるとは思わなかった』って聞いた方が勝手に解釈しただけな気もするけどね」
コルトもあきれ顔であった。
魔物社会ではボスが癇癪を起こして配下を殺すなど日常的な光景であるが、人間はそうではない。
自分達は神に選ばれた高貴な種族。正義の使徒。規律と良心を持って生きる唯一の存在。
そんな美辞麗句で自分達を讃える書物を大量に作っていることをア=レジルの図書館で知ったコルトは、その実情に呆れていたのだ。
人間とは、自分を美化するのが好きなだけで内面は魔物の中でもかなり短気で横暴な方の奴と変わらないものなのかと。
いや、それ以下か。魔物は怒りで仲間を殺すことはあっても、遊びで同胞を手にかけるようなことはしないのだから。
「まぁ、こっちからすれば朗報だ。その権力を丸ごと奪うのが目的の俺たちからすれば、すげ替える前の首は嫌われていれば嫌われているほど後が楽だ」
「……でも、なんでこの街の人達って反抗しないんだろ? 流石に黙ってても殺されるだけなら命懸けて抵抗するくらいはしない?」
「ほう? 中々、勇ましいことを言うようになったではないか? 確かにそのとおりだな……」
コルトはウルとは違い、支配される側の視点でものを考える。
そして、ウルとの出会いから強制的に芽生えさせられた勇敢な部分が、この街の住民に違和感を覚えさせたのだった。
「……恐らく、それは公爵家の保有する戦力のせいでしょう」
「戦力?」
「ええ。以前にも報告したとおり、イザーク家には悪い噂に加え、もう一つ有名な話があります」
「……海の騎士団、だったか?」
「ええ。このイザーク領が巨大な権力を握っているのは領土の広さだけではなく、海に面しているという点も大きい。それに由来して代表的な特産品は海産物や塩なのですが、国内消費量の多くを握っているほか、他国との海運業でも膨大な利益を出している。それが公爵家最大の強みなのです。その最大の強みにちなんで名付けられた精鋭であり、彼らがいる限り民衆は反乱など起こしてもただの自殺です」
「どのくらい強いの?」
「実際に面識はないので想像になりますが、公爵家の莫大な資金をバックに鍛えられた精鋭部隊……才能に優れた人材を集め、そしてその力を最大限に発揮できる環境と装備を与えられているのは間違いない。質でも量でも王都の国軍精鋭部隊に匹敵と言われていますね」
どれだけ金や権力をちらつかせても、暴力を前にすれば紙の城。
それを権力者は熟知しており、常に権力に相応しい武力も欲している。その理念の果てにイザーク公爵家が造り上げた暴力の最強カード……それが海の騎士団である。
「デカい力を見せ札にしての圧政。まぁ、定石だな。だが、それだけでもあるまい」
「というと?」
「相手の強さを理解できるのは、それなりに力がある者だけだ。弱者はそれを理解せず、徒党を組めばとか隙を突けばとか頑張ればとか、その程度のことで力の差が埋まると勘違いする。ただ屈強な戦士を囲っているからというだけでは反乱を抑えるには弱い」
「むう……」
ウルの言葉に、クロウは言葉を詰まらせた。
ウルという常軌を逸した怪物に破れたクロウだが、そもそも彼は強者側の人間。仮に海の騎士団の精鋭と戦っても、ウルとの戦いで覚醒した力をなしにしても一対一ならば負けることはないと自負している。
しかし数が揃えば無理だ。五人くらいまでなら同時に相手にしても何とかする自信はあるが、それ以上の軍勢を同時に相手にするようなことになれば流石に負ける可能性が出てくる。
それが理解できるのは彼がここまでの力を得るまでの経験から来るものであり、怪物の領域を知らない普通の人間にそれが理解できるかと言えば……自信は無かった。
「……俺が調べた感想としては、この街は妙に子供が少ないように見えた」
「子供……? 確かに、言われてみればそうですな。しかし、あのような暴虐が行われているというのならそれも当然では? 親は外に出さないでしょう」
「外にいないという話ではない。民家の一つ一つから、子供の声がしないのだ」
今はコボルトの形態を取っているウルだが、その聴力は嗅覚ほどではないが人間よりも遙かに優れている。
人間では聞き取れないような微かな声でもコボルトの耳は確実に拾うことができ、だからこそ違和感に気がつくことができた。
幼い子供ならば、家の中に閉じこもる生活にストレスを感じ、癇癪の一つや二つ起こしてもおかしくはない。それなのに、そんな声がかなり少なかったのだ。
「各民家の家族構成から推察して、子供がいてもおかしくはないと思われる年齢の夫婦の元に子供が少なかった。ゼロとは言わないし、子供を作らない事情もそれぞれあるだろうから絶対ではないがな」
ウルは魔王。暴虐を是とする暴君だが、それでも王には違いない。
国民の標準的な生活リズム、出生率の把握は20年後の国の運営を考えれば必須条件であり、ウルも封印前の経験から人間種族の大体の標準は感覚として把握している。
その感覚が訴えるのだ。この街は、明らかに子供が少ないと。
その確信を持った言葉に、クロウの顔色が変わった。
「……まさか」
「人質……?」
「恐らくはな。理由を適当につけて、町民共から子供を奪い取る。一纏めにして集団教育を行うとかな。そして、もし領主一族に不愉快な思いをさせれば……という脅しの材料にするわけだ」
「なんと、なんと卑劣な……!!」
クロウは憤りのあまり、腰掛けていた椅子の肘掛けにヒビを入れるほど力を込める。
魔物からすれば迷惑極まりないが、彼は人間として人間の利益のために魔物を狩り続けてきた男だ。命をかけて人間の幸福を求めたというのに、少し離れた場所でこんなことが行われていたとなれば怒りを覚えるのも仕方が無い話だろう。
「ここで上手いのは、子供全員を奪い取るわけではないということだな。仮にも支配下にある人間の子供……つまり領主からすれば未来の生活の種だ。搾取される弱者がいなければ権力者は甘い蜜を吸えない以上、絶滅されては本末転倒だ」
生かさず殺さず搾り取る。それが利益という面で考えた、支配者の最善だろう。
全体人口からすれば誤差の範囲という程度の殺しを行うのは数字の上では問題ないが、子供が全くいなくなってしまっては将来の自分達の首を絞めるだけなのである。
「だから、監禁して死んだらそれまで……みたいなことをするわけにもいかない。子供達には立派に成長してもらい、将来の自分達のために富を生み出してもらわねばならないわけだからな」
「でも、そうなると奪うにしてもかなりコストかかるよね? 食料とか教育とか」
「だからこそ、管理可能な人数に絞って住居の面積当たりで区切って集める。そして、子供を奪われた町民共にこう言っておけばいい。『我々に逆らわなければ、子供を立派なエリートとして教育してやる。しかし、お前達自身ではなくとも反抗するような下民がいれば子供を殺す』とな」
「……被害者であるはずの子供を奪われた家族が、領主一族への反乱を食い止める防波堤であり監視者として機能する……ということですか」
「それで反乱を感知すれば、それこそ海の騎士団とやらの出番で解決だ。ならば子供を奪われた人間は省いて結束しようにも、子を守る瞬間こそ獣は最強になる。万が一にも自分の知らないところで反乱計画が立てられ、その粛清に巻き込まれたらと恐怖する親たちの目を誤魔化すのは難しいだろうな」
「ついでに、攫った子供を教育の名目で洗脳すれば未来のいい手駒にもなるよね。案外、その練度が高い海の騎士団ってのも元々はそういう子供なのかも」
「公爵家の命令を絶対遵守し、そのためなら命だろうがなんだろうが全て投げ出す兵隊に幼少の頃から躾けるか……中々楽しい計画だな」
ククク……と嗤い、ウルはここまでで集めた情報から導き出せる推論を語り終えた。
証拠は一切無い言いがかり……というには、ウルの言葉には力がある。半日かけて集めた情報と、その過程で見てきた住民達の暗い表情。火が消えたような絶望の匂い。
その全てを説明する仮説としては、十分に納得が行くものであった。
「……嬉しいか?」
「な、何がですか?」
怒りに身を任せて叫び出したくなる自分を抑えていたクロウに、ウルは不意に声をかけた。
いったい何のことかと目を白黒させるクロウだったが、ウルはニヤニヤと笑いながらクロウの目を真っ直ぐに見つめる。
「人間として、同じ人間に刃を向けることはしたくない。いくら我が契約に縛られていたとしても」
「…………」
「だが、こんな外道ならば話は別だ。自らの正義に従い、悪を討つということなら刃を振り下ろしやすいだろう?」
「……………………」
クロウは沈黙のまま目を逸らした。
本来ならば、ここはそんなことはないと言うべきところだ。魔王との契約により嘘を禁じられている身の上である限り、完全な嘘を吐くことはできない。しかしそれでも、魔王ウルに敗北し支配下に入った以上同族であっても戦うことに躊躇など無いと、自分は忠義を尽くす所存であると、そんなニュアンスのことを嘘にはならないよう言葉を飾って語るべきところであった。
それなのに、素直に嘘は口にできないのならば沈黙をと、そんな図星を突かれたような態度を見せるのは……クロウが腹芸を苦手としているということ以上に、彼の心中そのままを言い当てられたからだろうか。
「フフフ……別に隠すことは無い。俺への敵意や反意は持っていて当然のことなのだからな。それに、そんなお前達のために、わざわざ今回はこういう相手を求めたのだから」
嫌われている領主を殺しても、領民達から反発されることなく支配することが容易にできる。
その言葉に嘘は無いが、もう一つ理由はあった。前回の戦いでウルの配下に入った人間が、より抵抗なく人間を殺すことに慣れるための生け贄……それもまた、ウルが求めた『敵』の条件なのであった。
「……さて、では、そろそろ休め。疲労したままでは能力が落ちる」
「……そうですな。ところで、ベッドは一つしかありませんが、どうします?」
クロウが言葉を詰まらせたところで、ウルは話題を変えた。もう健全な人間ならば眠る時間なのだ。
だが、ウル達が取ったのは目立たないよう安宿の一人部屋。奴隷魔物にわざわざベッドなど用意するはずもなく、クロウ一人が使うベッドしか用意はなかった。
「小僧は問題ないな?」
「うん。そのベッドっていうの、何か落ち着かないし」
少し前まで穴蔵に住んでいたコルトならば、屋根と壁があるというだけで十分な環境といえる。床で全く問題は無い。
「グリンは俺の影の中でよいな?」
『問題ありません』
ウルの影の中から、沈黙していたグリンが返事をした。暗鬼は場合によっては何日でも影の中に潜みチャンスを待つことができる種族。影の中で休息を取る事も可能で、むしろ自らの主であり強者であるウルの影の中は最高の休息所になりえるポイントだ。
「そういうことだ。ベッドにはお前が寝ろ。もし外から急にこの部屋を見られても不審に思われないようにな」
「魔王殿は?」
「俺は元々睡眠を取らん。お前達が寝ている間に、もう一仕事してくるとしよう」
正体が悪魔であるウルは睡眠を必要としない。というより、眠るという機能が無い。
そのウルにベッドなど何の意味も無いものだ。
「話は以上だ。また明日は忙しく動いてもらうから、早く休んでおくのだな」
「はーい」
コルトはその言葉に忠実に従い、部屋の角で丸くなった。どうも、そういう場所が落ち着くらしい。
「では、私も」
「うむ。精々悪夢を見ないようにな」
クロウもいろいろ疲れた様子でベッドに入った。安宿だけはあって決して快適なものではないが、それでもすぐに眠ることができるだろう。どんな場所でも睡眠を取る技術はハンターとしての基本である。
「……では、俺は出かける。何かあれば起こすが、お前も休んでいろ」
『御意』
影の中のグリンも睡眠に入らせ、ウルは一人宿から抜け出した。
夜には夜にしか手に入らない情報があるものなのだ。
(まずは、ここの領主一族の詳細な情報が欲しいものだな。どれ、一つ覗いてみるか)
街中への侵入は雑踏に紛れることができる昼間に行うが、そこにいるだけで問答無用で不審者判定される場所を探るのは夜中である。
その定石に従い、ウルは領主の城へと歩を進め、感知されない、されても対抗できるギリギリの距離から魔道による偵察を試みる。
(事前の情報では、家族構成は当主とその妻、子供が昼間に見た二人ともう一人。どこから崩すべきかじっくり見定めて――)
愛用している命の道で作った昆虫使い魔を飛ばす魔道で公爵家の屋敷を観察すると、突然ウルの全身の毛が逆立った。
圧倒的嫌悪感と怒り。脳みそが理解する前に、本能がそれを察したのだ。
公爵の城の中にいた、二人の男女の存在を――。