第9話「支配権の奪い合いをするには」
領域支配者と呼ばれる魔物がいる。
魔物と呼ばれる生物の特徴は、体内に魔力エネルギーを蓄積し、増幅させる魔石と呼ばれる体内器官を持つことにある。
魔石とは魔力エネルギーを効率よく蓄積するために存在し、食事や呼吸により魔力を体内に取り込み、また自身の特性を帯びた魔力を排出する呼吸器官のようなものだと思えばいい。
しかし、通常ならば吸収、排出を行える範囲は自分の周囲数メートルもないのだが、希に周囲の土地全体に影響を与えるほどに広い影響力を持つものがいる。
それこそが領域支配者。環境を支配し、支配地域の魔力を自分の魔力として運用することができる、かつては土地神とも呼ばれた、通常の魔物とは階級が違う存在だ。
領域支配者となれば、普通に生きるのとは比べものにならない速さでその力を高めることができる。土地の力を取り出すことができるのは、自分の支配領域にいる場合にのみ限定されるとは言え、縄張りの中でよそ者に敗北することはよほどの力の差が無い限りはありえない。
だからこそ、魔物達は皆より芳醇な魔力を有する土地の支配者となることを夢見る。神の恩恵によって強力無比な人間達にも対抗できるようになる、領域支配者の力を手に入れるために。
では、領域支配者になる条件とは何か。それは、下から這い上がることを夢見る弱者達に現実の儚さを教えるほどに単純明快だ。
その地に住まう魔物は皆、領域支配者となるべく魔力を取り込もうとする。その領域への影響力が最も強い魔物……つまり、周辺で素の能力が一番強い魔物がそのまま領域支配者になるのである。
故に魔物達は支配される。領域支配者に従うことでその生存権を確保する。なぜならば、領域支配者こそがその地でもっとも強い魔物であり、領域支配者に逆らうことが許されるのは、最強の個としての能力に加えて土地の力まで得た怪物をも超える本物の怪物だけなのだから……。
◆
「――に、逃げよう! 絶対に勝てない!」
芳醇な魔力を含む魔素水で満たされたシルツの湖を前に、コボルトの少年コルトは恐怖に震えながらも叫ぶ。
この状況でそんな叫び声を上げることができる胆力は褒めてしかるべきだろう。今、コルト達の前には配下であるピラーナを殺したウルへの怒りに燃える大蛇が――領域支配者となったことでその肉体を別種へと進化させた上位者が君臨しているのだから。
「逃げてどうする。どの道、どこかの領域支配者を倒し自らが支配者になる……それが以外に生きる道などないのだぞ?」
コルトから見れば絶対に勝てない――そして、恐らくは震える姿から察するにゴブリン達からしても勝ち目なしと判断する蛇の怪物を前にして、ウルに恐怖の感情はなかった。
自分の方が強い。そんな強さを見せる背中を見て、少しだけコルトの心に勇気が戻ってくる。
「貴様ら、よもや我の領域を侵すつもりか?」
「その通り。こんなチンケな湖一つ支配するのがやっとの蛇を俺自らが相手にするのは癪だが……まあ、仕方が無い」
明らかな各上相手であっても、ウルの態度に変わりは無い。ただ強気で全てを見下すように挑発した。
「――ならばその思い上がり、叩き潰してくれよう! その矮小な魔力と共に消し飛ぶがよい!」
蛇の化け物――湖の領域支配者の角が輝き、口元に魔力が集まる。ウルやコルトの所有する魔力の総量を軽く超えるそれは、やがて水の塊へと変化する。
これは技術による魔力の変化である魔道ではなく、生まれ持った、あるいは自らの功績によって手にする異能――功罪。水の怪物として生まれ、その力を畏怖されるほどに高めたことで発現した異能だ。
「功罪か……まあ、最低限その程度のものは持っているだろうな」
ウルは笑う。復活してもっとも大きな獲物であると。
「メリト? 何?」
「知らんのか? ……ちゃんと説明すると長くなるが、簡潔に言えば――他とは違うと認められることで得られる能力だ」
今までも何度か出てきたがスルーしてきた知らない単語に、コルトは首を傾げる。流石に今はあまり付き合ってはいられないと、ウルは短く纏めて戦闘態勢に入る。
コルトはよくわからないままに湖の領域支配者を見る。それだけで、原理は理解できなくとも大体の状況は察することができた。
魔力を水に変換し、操る異能――【水魔の功罪】の概要は。
「カアッ!」
「圧縮された水鉄砲か……遊びに付き合うつもりはない」
単刀直入に言えば、ウォーターカッターと言うべき圧縮された水がウルに向かって発射される。
その威力は、その辺の木ならば簡単に貫通させることだろう。当然、肉体的には普通のコボルトでしかないウルなど、掠っただけで致命傷だ。
しかしウルは恐怖を感じさせない所作で素早く魔道を構築する。ここへ向かうまでの暴食でため込んだ魔力を吐き出しながら。
「[無の道/二の段/槍盾]」
ウルの魔力が弾けると共に、ウル達を守るように見えない盾が出現する。水の砲弾に対して鋭く尖った形状をしている盾により、水は放射状に引き裂かれ威力を失った。
「えっ! 何が起きたの!?」
しかし、その盾を見ることができないコルト達からすれば何もない場所で突然水が弾けたようにしか見えない。
そんな自分の配下に、ウルは簡単な説明をする。魔道の一系統、無の道について。
「無の道は魔力そのものを動力とする系統だ。念力と言えばわかるか? 性質上、魔力を見ることができないものには視認することができん」
魔道の系統の一つ、無の道とは魔力に特別な性質を持たせずにそのまま操る系統であり、特別な眼を持たないものにはその姿を見ることもできない。
ウルの言葉の通り、念力と呼ばれる能力をベースにした術系統なのである。手を触れずに遠くのものを動かしたり、あるいは壁を作り出したりするのが主な用法だ。
「ヌ……?」
湖の領域支配者も、まさか防がれるとは思わなかったのだろう。
領域支配者としてこの湖が保有する魔力の加護を受けることができるこの大蛇は、その力を受け入れる器を持つために進化しこの肉体を得ている。
故に、知っているのだ。土地の加護を受けることもできない矮小な魔物の力では、自分の攻撃を弾くことなどできるわけがないのだと。
「己が魂の階級を上げ、功罪を得るほどに力を付け、肉体を進化させた領域支配者……美味そうだ」
一方、ウルは今の攻防を当然の結果と気にすることもなく戦略を練る。
先ほどのピラーナは、遠距離攻撃を行えなかったために陸上へと上がってきた。水に入ることなく攻撃する術を持つウルと戦うにはそうするほか無かったためだ。
しかし、湖の領域支配者には水を操り攻撃する技がある。となれば、自分に絶対優位となる湖から出てくることはまず無いだろうとウルは判断する。
そうなれば、当然魔力の総合量で大きく劣るウルが不利だ。今の攻防を何度も繰り返した場合、先にスタミナ切れを起こすのは間違いなくウルなのだから。
それを湖の領域支配者も理解しているのだろう。自分の攻撃が通用しなかったことへの動揺はすぐに消え、今度は規模を小さくした弾丸を無数に発射するのだった。
「おい」
「な、なに!」
ウルは再び盾を構築して水弾を防ぐ。もし直撃すればコボルトであろうがゴブリンであろうが関係なく挽肉になること間違いなしの攻撃を、ウルは完全に防ぎきる。
しかしその代償としてウルの魔力は一気に減る。このままでは持たないと判断し、しかし余裕は崩さないままコルトとゴブリン達に指示を出した。
「俺が防いでいる間にあれを集めろ」
「あ、あれって……?」
「ピラーナ共の死体だ。仮にも領域支配者の配下、そこそこ魔力を有している」
ウルはこんがり焼けたピラーナの死体を集めるように命じた。
だがコルトはその命令にすぐに頷くことはできなかった。この状況で見えない盾を信じて動く……それは勇気がいる行為だ。いや、いっそ無謀と言っても良いだろう。
本来ならば絶対に逆らってはいけない強大な敵が怒りと殺意を向けている中、目に見えない盾という不確定な安全地帯を動き回る。この状況で動けるのは命知らずの馬鹿だけだ。
「――ギィ!」
そんな中、その命知らずの馬鹿達が動き始めた。コルトほどの知性を持たないが故に、短絡的に行動することができるゴブリン達だ。
その光景に、二人のコボルトは同時に驚く。コルトはもちろんのこと、ゴブリン達は自身の脅威に屈しただけであると薄情なほどに正確に分析していたウルも、この状況で簡単に動けるとは思っていなかった。
事実、今のゴブリン達に忠誠心など無い。そもそもその言葉の意味すら理解していないだろう。
彼らがこの状況で動けた理由は至極単純。怒りに任せて攻撃する湖の領域支配者よりも、食欲を見せたウルの方が恐ろしかった。湖の領域支配者よりも恐ろしい、森の領域支配者であるオーガの支配下からウルへの従属に切り替えたことから考えれば、それはむしろ当然の結論だったのだろう。
「ああもう! わかったよ!」
遅れてコルトも動き始める。ゴブリン達が動いたことに触発させたのか、それとも知性がある分「ここでウルが勝たなければ自分も死ぬ」というどうしようもない結論に達するまでの時間差があったからなのかは本人にしかわからないが、コルトも決死の覚悟で行動を始めた。
「……それでいい。王の命に従う限り、貴様らに敗北はない」
湖の領域支配者は獲物が拡散したことで水弾の範囲を更に散らすが、その全てを盾の形成によって弾く。
一度に複数の魔道を同時発動させるのは人間の魔道士の中では高等技術として知られているのだが、ウルは当然のようにいくつもの盾を並行して形成、解除を繰り返すことでコルト達を守っていくのだった。
「――持ってきたよ!」
コルトは犬顔に涙を浮かべながらも、何とかこんがり焼けたピラーナを運んでくる。力と体格の関係で一人では持てないので、ゴブリンと協力しての運搬作業だ。
「ご苦労。他のも持ってこい」
ウルは適当にねぎらいつつ、器用にも盾の展開を続けながらピラーナへと齧りつく。本能のままに、食欲のままに。
「――貴様!」
目の前で眷属が食われていく光景を見せられる湖の領域支配者は、当然怒りを露わにする。
だが、その攻撃方法は変わらない。ただひたすら水弾を放ち続けるばかりだ。
「……いくら魔力があっても、それでは宝の持ち腐れだな。これからは俺が有効活用してやるが故、感謝するがいい」
明らかにコボルトの身体よりも大きなピラーナを、ウルはあっという間に平らげる。そこには何か不思議な力が関与しているとしか思えない光景だった。
コルト達は、その異常な食欲と食べる速度に驚きつつも、だんだん慣れてきたのか水弾の雨の中運搬作業を続ける。
ウルの腹には巨大なピラーナが次々と骨も残さずに収まっていく。その魔力の全てを奪い尽くすために。
「――カアッ!」
湖の領域支配者は、状況を打開すべくここで手段を変える。
認めたくはないと思いながらも、目の前の弱小種族の不可思議な術を前に自分の力が抑えられているのは事実なのだ。
故に、湖の領域支配者は強敵にのみ使用する大技の発動を決意する。本来ならば、この程度の敵には決して使わない大技を。
「――知るがいい。我が真の力を」
「ふぅ……多少は膨れたな。そろそろメインと行くか」
水弾の発射を止めた湖の領域支配者は魔力をため込み、今までとは比べものにならない規模の一撃を放つ準備をしている。
しかし、ウルは少しは満たされた腹を叩いているだけだ。到底そこには危機感というものが感じられなかった。
「【水魔の功罪・大波引波】!」
湖の領域支配者が魔力を解放すると、突如湖が暴れだした。水が噴き出し、瞬く間に水の壁とでもいうべき災害へと姿を変える。
もし此処が海であれば、それは間違いなく津波と呼ばれる現象だった。水を操り増幅させ、一時的に陸地を水中に変えてしまいながら敵を自分のフィールドに引き釣りこむ。
コレこそが湖の領域支配者の切り札であり、森の領域支配者ですら警戒する奥義なのである。
規模はそこまで大きくない――高さはともかく、横幅はウル達を飲み込める分ギリギリしかない。だが、それでも十分驚異的だ。一度飲み込んでしまえば、湖のルーラーの腹の中に収まるも同じなのだから。
「……矮小な湖の領域支配者よ。知るがいい――貴様の前に立つ者こそが、全ての魔の支配者たる魔王である!」
だが、既にコルト達がその場で崩れ落ちて死を受け入れているような災害を前にしても、ウルに一切のおびえは無い。
ただ、王は見せつけるのみ。魔王の道は蹂躙と征服――いかなる相手であろうとも、威風堂々とねじ伏せるのが王の責務である。
「基礎講習最後の講義だ。魔道の威力は『段』が示すが、一つの違いにどれほどの差があるか――その目で見よ!」
ウルの手に、今までとは比較にならない魔力が集められる。
領域支配者の支配下に入った者は、その見返りとして土地の魔力をほんの少し分けてもらうことになる。所有権は領域支配者が握っているのでいつでも没収できるのだが、領域支配者の命令にさえ従っていれば本来手にすることができない大量の魔力の一部だけでも身に宿すことができる。
それこそが領域支配者に魔物が従う最大のメリットであり、配下を縛る鎖なのだ。
それ故に、今のウルの中にはピラーナ達に与えられていた土地の魔力が吸収されている。その総量は、道中で食い散らかした野生動物などとは比較にならない――
「[地の道/三の段/水流牙獣弾]」
ウルの手から魔力が放たれる。それは明確な意思を持って迫る波へと向かい、衝突と同時に弾けた。
「ば、馬鹿な……」
「貴様と俺では格が違う。本来魔道で功罪とまともにぶつかり合うのは御法度なのだが……まあ、術者としての差があるからこその結果だ」
湖の領域支配者が放った波は、その意思に反して形を変えていく。
支配者を蛇の怪物から犬の獣人へと変更したことを示すかのように、波から水の彫像を作るように姿を変える。
やがて、それは狼をイメージしたかのような水の獣を型取り、意思を持つかのように素早く反転し――湖の領域支配者の喉元に食らいつくべくその牙を光らせる。
「グ――舐めるな!」
湖の領域支配者は当然抵抗するが、大技を使った直後であることもあり動きが鈍い。そもそもその大技をまるごと返されたに等しいのだから、無理も無いだろう。
いくら配下のピラーナを食らいつくしたとはいえ、大本である自分の方が所有する魔力エネルギーの量は圧倒的に多い。それなのに何故水の支配権の奪い合いで敗北したのかと混乱したままで。
それでも湖の領域支配者は意地を見せるが、どんどん形勢が不利になっていく。まるで、自分の力がどんどん吸い取られているかのように。
「グ――」
「……ああ、まだ頑張っていたのか」
本来ならば三の段という階級の魔道を使ったことで倒れていてもおかしくはないウルが、実に楽しそうに湖の領域支配者の奮闘を楽しむ。
そう、今のウルには魔力がどんどん満ちているのだ。まるで、どこからか大口の供給先を見つけたかのように。
「き、キサマ、まさか――」
「ようやく気がついたか。領域支配者たる者、もっと土地の支配には気を配るんだな」
湖の領域支配者は絡繰りに気がついたのか、今までで一番の焦りを――恐怖すら宿した叫びを上げる。
領域支配者になる条件は、土地の魔力に対してもっとも強い影響力を持つこと。故に、領域支配者の戦いとは力比べとは別に土地の奪い合いでもある。
一度自分の支配下に置いた土地が奪われることは早々ないが、もし領域支配者足り得る器を持った強敵を前に致命的な油断をすれば、そんな敵から意識を逸らして戦闘に興じるような事があれば――話は変わるのだ。
「繰り返そう。我こそが魔の支配者である魔王ウル・オーマである。支配権の奪い合いをするには、キサマではあまりにも不足だ」
「ぐ、グアァァァァァッ!」
潤沢な魔力に任せてウルはもう一撃放つ。ダメ押しで放たれた雷が湖の領域支配者を――湖の領域支配者だった大蛇を貫き、動きを封じたところで水の狼がその肉を引き裂いた。
「言ったはずだ。俺はこの湖を奪いに来たのだとな」
宣言通り、戦闘中に湖の支配権を奪い取るという離れ業を行った自称魔王は、事切れた大蛇に向かって笑いかける。
勝者に相応しい、傲慢でありながらも誇り高い笑みを。
そして――
「さて、今夜はご馳走だぞ? 今度は刺身でいくとするかな」
――抑えきれない食欲を溢れさせながら。