第89話「人間らしい遊びだな」
「あー、やっとついたか」
「アナタがもっとやる気を出してくれれば、もっと早く着いたのですがね」
勇者カイン・ファストと聖女アリアス・『シル』・ハルミトン一行は、のんびりと最高級の馬車に揺られながら目的地のア=レジルから『大都会という条件では』最も近いウ=イザーク城下町へと到着した。
王都からここまでの旅路はそれなりのもので、勇者特権を使い数々の関所を全て最優先で通させてなお半月ほどの日数を必要としている。
……尤も、それはことある度に勇者カインが休憩のため街に滞在することを望んだためであり、邪悪な魔物を一刻も早く討伐すべしと強行軍を主張する聖女とぶつかり続けた結果であるが。
最終的に、チームメンバー四人での多数決で一々足を止めてここまで来たのだ。当然ながら、勇者の仲間である二人はカインに逆らうという選択肢は無いため、聖女の主張が通ったことは一度も無い。
そんなことを繰り返した結果、聖女から勇者への好感度は地の底から更にめり込む勢いであった。
魔道技術の粋を集めて作られた勇者用の最新式馬車でなければ、下手をすれば一月以上の時間を必要としたことだろう。
「そんなに怒ることは無いだろう? 戦う前から疲労するなんて愚かってものだ。戦場において、補給は何よりも大切なものだよ」
しかし、勇者に反省の色は無い。彼は神に選ばれた者として、常に自分が正しいという前提での思考がすっかり根付いていた。
「兵は拙速を尊ぶ、とも言いますがね。……この場合では少々意味が違いますが。いずれにしても、いくら強くても間に合わないのでは張り子の虎にも劣るというものでしょう」
「ま、まあまあ! せっかく街に着いたんだし、これからどうするか考えようよ!」
険悪なオーラを隠さない聖女アリアスの態度に、勇者カインが若干不機嫌になってきたところで勇者パーティの一人、ミミが無邪気な笑顔で仲裁を入れた。
聖女としても、自分よりも幼げな少女――と言っても、ミミが童顔であるというだけで実年齢ではそこまで変わらないが――を相手に敵意を向けることは良しとせず、矛を収める。
ここまでの旅路を、この四人は大体こんな感じで乗り越えてきたのだ。意見が合わない勇者と聖女の仲介役として、ミミとリエネスが常にタイミングを見計らっては話題を変える。
それで何とかここまで誤魔化してきたのである。
場の空気など気にせず、常に最善を求めようとする聖女と、自分を否定されることを何よりも嫌う怠惰な勇者の相性は最悪そのもの。
エルメス教の教えに反しない範囲では多数決の結果を尊重してくれる協調性が聖女側にあったからギリギリ崩壊せずにここまで来られたが、一番心労が溜まっているのは神に選ばれていない彼女達であろう。
「……それで、まずはここで情報収集……でしたか?」
「はい。ここはア=レジルとも交易が盛んであり、問題が発生しているならば必ず出てくるかと……」
「……その程度、国で調べてはいないのですか? というより、そこで問題が発生しているからル=コア国王陛下に報告が上がったのでは……?」
「えーと、それはですね……」
そのとおりでございますと、真面目な話担当のリエネスは言いたかった。
勇者が「この街でしばらく情報収集をする」と言ったことを是とするために理由付けをしただけであり、本心では彼女も聖女と同意見なのだから。
だが、同意すれば今までの旅路でも散々繰り返されてきた『余計な手間はかけずに魔物に突貫して皆殺しにしようぜ』的な、聖女という言葉のイメージからは大分離れた好戦的な主張が声高に行われることだろう。
それは勇者の言葉を否定する行いであり、彼女達は勇者の仲間として、勇者の言葉を否定するようなことは許されない。勇者の仲間とは厳しい仕事なのだ。
「何事も、自分の目で見ないことは信じない質でね。まずは自分で知らなきゃ足を掬われるぜ?」
「……まあ、それならば納得しましょう」
勇者カインは、困った様子のリエネスの頭越しに、やれやれと擬音がつきそうなくらい大げさに肩をすくめて自分の行動の意図を説明した。
単純に腹が立つ上に正直無駄な気もするが、何事も自分の目で見て耳で聞く。その理念自体は自ら他国に渡り自らの口で教えを広める聖女であるアリアスとしても納得せざるを得ないものだ。
渋々と納得したと頷いた聖女は、ならばどうするのかと話を先に促した。
「まずは領主……公爵閣下にご挨拶へ伺うのが筋かと」
「そうだな。ついでに、宿の手配も頼むとしようか」
「そこまで時間をかける必要があるとも思えませんがね」
真面目担当のリエネスが今後の予定を説明し、勇者と聖女が同意する。
礼儀としては、立場ある者が公的な理由で訪れたのならば、まず領主に挨拶するのが当然である。
無論、領主ともなれば多忙ということもあり実際に面会が叶うかはまた話が別だが、挨拶に出向く意思を示すのが大切なのだ。
それを怠れば『我が領地に入っておきながら顔も見せようとしないとは、私を軽んじているのか?』と買わなくてもいい敵意を買うことになるだろうし、最悪何かしらの悪意を持ってやってきたと痛くない腹を探られることにもなりかねないのである。
「それじゃ、さっさと行くとするか」
「わかった。聖女様も、どうぞご一緒に。既に先触れは出していますので、私が案内します。この街の地理は下調べ済みですので」
「さっすが、頼りになるねリエネスは」
「感謝いたします」
「とりあえず、当面の宿と食事、それに活動資金の援助もお願いしたいところだねぇ」
「……神の使徒たる勇者ならば、卑しく金品の要求などすべきではないと思いますが?」
「何を言っているのさ。こっちは命をかけて正義のために戦うってんだぜ? だったら、正当な報酬を受け取るのは当然のことだろう?」
……もっとも、初対面の公爵に集る気満々で会いに行こうという者は流石に特殊な例であるが。
そんな目的でやって来た者など、門前払いが当然であるが、勇者と聖女の肩書きでやって来たとなれば無視することなどできるはずもない。
それができるのはエルメス教国のお偉いさんか、さもなくば『神のいない国』ガルザス帝国の人間くらいなものであろう……。
◆
「さて、侵入はこれで成功だ」
「うーん……何か嫌な臭いだね」
勇者と聖女が街に入ってからしばらくの後、ウ=イザーク城下町を囲う防壁の側に三つの人影があった。
侵入用に普段使いしているワーウルフからコボルトまで退化した魔王ウル・オーマと、無理矢理同行させられたコボルトのコルト、そしてカモフラージュのために抜擢された元ギルドマスターのクロウだ。
「……都市結界が、こうも容易く無効化されるとは。これでは、あの戦いであっさりと横を突かれたのも無理は無かったのか……」
「あのときとはまた原理が違うがな。今回は結界そのものを消したのではなく、結界を誤魔化しただけだ」
ウ=イザーク城下町にも、ア=レジルと同じように街全体を囲う外敵避けの都市結界が張られている。
そのため、正規のルート以外では街に侵入できないはずだったのだが……当たり前の事ながら、ウル一行にこの街へ入る公的な権限など存在しない。
ア=レジルもウ=イザークも同じ公爵領ではあるが、重要性が違う。公爵のお膝元へ移動するというのはかなり面倒な手続きが必要であり、あらゆる場所で理由をつけて金銭を巻き上げる仕組みが組まれているのだ。
更に盗賊や犯罪者、他国のスパイなどが入り込まないよう、正規ルートでは検問が張られており身分証を持たない者は街へ入ることもできないようになっている。
ウルとコルトに人間社会で通用する身分証などあるはずも無く、既に何らかの異変が起きていることは知られているだろうア=レジル在住であるクロウもグレーゾーン。
無駄遣いもしたくなければそもそも正規の手段では入れない三人が選べるのは不法侵入しかなく、ウルが都市結界の一部を一時的に無力化することで忍び込んだのであった。
「……にしても、潜入と言えば真夜中に行われるものだと思っていましたが、真昼間に決行とは……」
「確かに定石で言えば、こそこそ動くのは闇夜に限る。が、不特定多数の一般人の中に紛れ込むなら隠れ家が山とある昼間の方がいい。深夜となればそれだけ警備も厳しくなるしな」
現在時刻は、丁度太陽が真上に来る頃合い。こそこそと闇に潜むどころか、多くの人々が活発に活動する時間だ。
更に付け加えるとそろそろ飯時ということもあり、警備の気も抜けてくる中だるみの時間帯。精神的な油断を突けるということもあり、ウルはこの時間帯に潜入することにしたのであった。
「さて、俺たちの目標はこの街を奇襲にて落とし、総力戦を行うこと無く秘密裏に大将首を取る事。そしてそのままこの公爵領の権力基盤をまるごと頂くことだ」
「改めて聞いても、凄いこと言ってるね」
「今はその下調べとして、この街の情勢や支配者である公爵家の為人を直接調査するのが当面の目的となるな。やはり伝聞や書物から読み取れることだけでは限界もある」
「私も、この街の権力者と直接の面識があるわけではないですからな……」
「噂話を鵜呑みにして作戦を立てて、いざ決行してみれば事実との食い違いが多発して失敗……などという喜劇を演じるわけにもいかん。本来なら、こういったことは王の仕事ではないのだがな……」
ウルはため息を吐いて作戦の概要確認を終えた。
この手の偵察、情報収集のために王自らが乗り込むなど普通は無い。が、人材不足のためウルが乗り込む以外になかったのだ。
大鬼のケンキや嵐風狼のカームといった、見るだけで警戒される大型がこの仕事に不向きなのは言うまでもなく、本来ならばこの任務に就くべきである特殊工作班のグリンも人間社会への理解が不十分なのは否定できない。
暗殺、諜報を役割として鍛えているグリンではあるが、その活動範囲は産まれてから今に至るまでほぼ森の中で完結しており、人間の街という未知の環境で仕事を任せるには修行不足と言わざるを得ないのである。
無論、今がその修行の絶好の機会であることに変わりは無いが。
「グリンよ。お前は影に潜み周囲の警戒をせよ。同時に、人間という生き物の生態を学ぶといい」
「御意」
三人しかいないはずのこの場所に、四人目の小さな声が聞こえてきた。
暗鬼という種族が保有する功罪――嵐風狼が風を操り、大蜘蛛が糸を操るのと同じように、暗鬼は種族能力として『影潜み』と呼ばれる功罪を有している。
影を出入り口とする一種の異空間を作り出し、そこに潜伏する能力。それを駆使することで、グリンは姿を表に出さないようウルの影に入り込んでいるのだ。
(……わかっているから違和感を覚える、というところか。知らなければこの場に四人目がいるなど、私では想像もできないだろうな)
クロウは知っているからその存在を何とか感知できる……というレベルの技を見せるグリンに、内心で冷や汗を流す。単純な力押しだけではなく、こういった搦め手にまで精通する怪物とはなんと恐ろしいことかと。
「さて、では設定を確認するぞ。まずクロウ」
「っ! あ、ええ」
「お前は拠点の鞍替えを考えてやってきたハンター。俺とコルトはお前が個人所有している魔物ということで通せ」
「……その、よろしいので? 自らをその、奴隷と偽るなど」
人間の街に、野性の魔物が普通に歩くことはできない。唯一の例外は、人によって捕えられ、調教された奴隷魔物だけだ。
だから、ウルは人前ではクロウを主人ということにしてカモフラージュする計画を立てた。かつてエルフ達を縛っていた洗脳の魔道具のようなものは貴重であり、普通の奴隷魔物には使われていないため、身分を偽るのに特別な小道具は必要ない。
しかし、それは王の誇りに大きな傷をつける行いだろうと、クロウはやや遠慮がちに確認する。これで不機嫌になられて殺されるのは流石に堪らないというのが本音だろう。
「望んでやりたいことではないがな。だがそれが現状一番有効ならば是非もない。まあ積極的に人間と関わるつもりはないし、それをやるならばお前に任せる。あくまでも、人に聞かれたら誤魔化すための偽装情報というだけだ」
「……それ、つまり魔王殿が問題を起こしたらその責任をひっかぶる生け贄ってことでは?」
「よくわかっているではないか。とにかく、どこの誰だと聞かれたらお前に全部丸投げするというだけの話だよ」
話はそれで終わりだと、ウルは街へ向かって歩き出した。
正直こんな堂々と、肩で風を切って歩く奴隷魔物などいないのだが……と思いつつも、クロウはコルトと共にその後ろ姿を見ながら歩く。
そして、人気の無い裏路地から表通りへと辿り着くと……
「……あまり活気が無いな。国家最大の領土を誇る貴族のお膝元……などというから、もっと裕福な町並みをイメージしていたのだが」
「そうですな……何かあったのでしょうか?」
ウル達の目に入ってきたのは、暗い顔をして歩く町民達であった。
普通、力ある領主の庇護下にいる町民とはもっと活発に活動するものだ。経済的に豊かな土壌があるのならば、少しでも利益を得ようと商人達が精力的に働き物資の流れが作られ、物が動けば人も動くとなっていくものである。
だが、そんな予想とは裏腹に、民は貧しい印象しか与えない衣服を身に纏い、明日への希望など全く感じさせない死んだ眼で主要な通りだと思われる道を歩いているのであった。
「……ん?」
「どうし……馬の足音?」
最初にウルが反応し、遅れて優れた知覚を持つクロウも異変を察知した。コルトも、コボルトとしての優れた聴覚で既に何かを聞きつけている。
「街中で随分と激しい音だな? 暴走でもしているのか? いや、これは暴走させている……?」
「ええ……何事でしょうな?」
彼らの耳に入ってきたのは、こんな街中に相応しくない馬が全力疾走するような激しい音。更に、そんな馬を更に走らせようとしているとしか思えないムチが馬の尻を叩く音であった。
「ハッハーッ! 私は三人目だぞ兄上!」
「甘いな弟よ! 私は既に四人目だ!」
そうこうしている内に、今度は男の声が二人分聞こえてきた。同時に、肉が潰れるようなグシャッという音と、鼻を刺激する鉄の臭いも。
「……何をしてるんだ? あれは?」
「馬車……いや、戦車で人を殺しているのか……?」
ウルは意味がわからないと首を傾げ、クロウはあまりにも衝撃的な光景に血の気を失っていた。
数頭の馬に引かせた、戦場での運用を前提とした車両……戦車に乗った煌びやかな衣装に身を包んだ二人の男が、それぞれ適当に目をつけた人間を理不尽に殺している。
使命感も悲壮感も無く、娯楽にでも興じているとしか思えない楽しげな言葉を漏らしながら。
「……それを止めようという様子も無し。どうやら、これは公的に認められた遊びということのようだな」
煌びやかな衣装を守った貴族が、理不尽に貧しい民を殺す。
とても認められる行為ではないはずなのに、それが当たり前に行われる異常事態。
そんなものを見せられた魔王は――
「――なんとも、人間らしい遊びだな」
と、嘲るような笑みを浮かべたのだった。