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第87話「聖女の役割なのです」

新章開始です。

「勇者よ。お主に頼みたいのだ」


 ル=コア王国首都、コルアトリア。

 その中心にて街を見下ろす荘厳な城――コルアトリア城。


 五大国が一つ、ル=コア王国の最高権力者である国王アレスト・イーブル・モリメント・ル=コアが住まう由緒正しい城である。

 その中でも特に重要な部屋、謁見の間にて、白髪が目立ち始めた60代半ばの男性……アレスト国王は玉座に座りながら目の前の人物と言葉を交わしていた。


 公式な場で、王の前であるにもかかわらず、跪くどころか頭すら下げていない傲岸不遜な若者と。


「やれやれ、またかい。俺に頼るのもほどほどにしてほしいんだけどね」

「うむ……毎度、すまぬ」

「ま、いいけどね。でも準備とかもあるし、今すぐってわけにはいかないよ?」

「わかっている。しかし、なるべく早急に願いたい」


 若者の外見は、何とも不釣り合いなものであった。

 まず、身につけている衣服は一級品と断言しても良いものだ。王の前に出るのに相応しい……否、下手をすれば王族以上に金をかけたその装束は逆に不敬と判断されかねないものである。

 そして、それを身につけている若者本体はというと、一言で言うと普通だった。極端に醜いというわけではないが、貴族に多いような輝かしい美形というわけでもない。街を探せば似たような容姿の若者が何人も見つかるだろうというくらいには、個性に欠ける凡庸な顔立ちだ。


 それは、若者の仕草にも由来する。

 人の印象とは言葉遣いから立ち姿、指先の伸ばし方一つで変化するもの。だからこそ高貴な身分の人間は庶民からすると意味があるのかもわからない些細なマナーに固執し、少しでも普通とは違うという印象を与えようと日々努力するのである。

 しかし、若者のそれは全く洗練されていないものだ。立ち居振る舞いには気品というものが全くなく、はっきり言ってその辺の庶民……それ以下だ。

 どう見ても身に纏う衣服に負けており、国王に対して無礼な言葉を吐く資格がある人間ではない。

 にもかかわらず、どうしてこんな態度が許されるのか。


 それは――


「帝国との国境を支えるア=レジルとの連絡が途絶えたというのは無視できることではない。勇者よ、其方の力を貸してほしい」

「やれやれ……」


 国王からの頼みを『仕方が無いな』と、無礼としか言いようがない態度で承諾した若者の正体は、勇者。勇者カイン・ファスト。

 今の世界を造り上げたエルメスの神々より神の力を授けられた人間であり、人類の切り札の一翼を担う者なのだ。


 勇者の力は既存の力を遙かに超えるものであり、勇者一人でこのル=コア王国の国軍を単騎で半壊させることも可能とされるほど強大だ。

 その力を止めることは常人である国王には不可能であり、いかなる権威を以てしてもその歩みを止めることはできない。

 人の定めた権力構造から外れた超越者であり、内心でどれだけ激怒していても決してそれを表に出すことは許されない、神の戦士なのである。


(この若造に頭を下げねばならんのは……いつになっても慣れんな)


 アレスト国王は、無礼極まりない野蛮人に苛立ちを内心で募らせていた。


 五大国ル=コアの最高権力者であるアレスト国王の能力は、一言で言えば平凡である。

 平和な日常でならばさほど問題は起こさないが、想定外の問題が発生したときには頼りにならない。庶民から見るとくだらないワガママで自分達の生活を圧迫することもある愚王という評価に傾くものの、純粋な能力だけで言うなら百点満点の五十点。毒にも薬にもならない、血筋だけで玉座に座り、ほどほどに操りやすいから今も命を失っていない平凡な王……というのが正しい評価だろう。


「ま、いいや。俺の力が必要というのならば、それに応えてこその勇者ってことだな」

「うむ……期待している」


 王への敬意は皆無。自分の方が上だと主張するような気安い態度に、アレスト国王は表情にこそ出さないものの、怒りで体温が上がっていくのを感じていた。

 王とは国の顔であり、象徴であり権威。それを軽んじられるということは、すなわち国を貶められるに等しい。

 王として最低限の自覚さえあれば、王として存在している自分への不敬を許すことは決してできないのである。このような態度を許すなどという発想に至るのならば、それはもう寛大という領域を越え、王としての自覚がない50点以下の愚物と断言してもよいだろう。

 だが、その感情を表に出すことはできない。勇者という兵器を扱うためにはこの程度の屈辱、飲み込まねばならないと、アレスト国王は無言で頭を下げるのであった。


 ――そのとき、前触れ無く閉じられていた謁見の間の重々しい扉が開かれたのだった。


「ん……?」

「何者だ?」


 勇者カインは音に気がついて振り向き、アレスト国王もまた許し無く謁見の間への扉を開いた何者かへと睨み付けるように視線をやった。

 当然だろう。ここは国の威信を知らしめるために存在する部屋であり、立ち入りは王の許可無くして行えない場所なのだから。


 しかし、アレスト国王の皺が刻まれた顔からすぐさま敵意は消えた。

 入ってきた人物は、勇者と並び国王であっても敵意を向けてはならない……そういう階級の存在だったためである。


「先触れ無くの乱入、ご無礼をお許しください」


 入ってきた人物の第一声は、若い女のものであった。

 声だけで美しさをイメージさせる、何かの特殊な力でも込められていそうな言葉。

 事実して、その姿を目に映せば世の男の大半は目を奪われることだろう。否、女であっても無視することなどできまい。

 纏うのは白を基調とした肌を晒さない神官の衣。それも最高ランクの神官にしか身につけることを許されない法衣であり、衣服に隠れず唯一覗く顔の作りは一級品。所作の一つ一つも洗練されており、やんごとなき身分の人間であることは誰の目にも明らかだろう。

 身に纏う神聖さと併せ、場を飲み込む支配力を持つ少女。それを見た国王は無理矢理好意的に見える笑顔を浮かべ、勇者は下劣な欲望を隠そうとしない目を向ける。


「これは聖女殿。何かありましたかな?」


 アレスト国王は、勇者相手にすら見せなかった謙った表情を見せた。

 自分の半分も生きていない小娘へそんな対応をしなければならないことに隠しきれない苛立ちが漏れ出ているが、それでも彼女だけは怒らせるわけにはいかない。

 何故ならば、個人戦力だけの勇者と違い、彼女には最強の後ろ盾が存在しているのだ。


 聖女と呼ばれた少女の名はアリアス・『シル』・ハルミトン。神の加護を受けた聖職者の証である。

 人間世界で万人が信仰するエルメス教の総本山、エルメス教国の人間。神の一柱、癒やしの女神シルビアの洗礼名『シル』を持つ神聖なる存在。

 聖人、聖女と呼ばれる勇者とは異なる形で強大な力を神々に授かった存在の一人であり、その中の最高位……エルメス七聖人の一人に名を連ねる存在なのである。


「さる方から伺ったのですが……凶悪な魔物の討伐に、この国より勇者殿を派遣するというのは、本当でしょうか?」


 にっこりと微笑みながら訪ねられた問いに、アレスト国王は笑顔のまま凍り付く。

 勇者とは、国家の最大戦力。戦略兵器に相当する存在であり、その動向は常にトップシークレットだ。

 その勇者を派遣するという決定を知っているのは、当然アレスト国王とその側近クラスのみ。軽々と『偶々耳に入った』程度で入手できるはずはない情報であり、それすなわち教国の諜報員がル=コア王国の極秘情報を抜いていると言外に宣言されたに等しいのである。


 だが、その驚くべき発言を受けても、アレスト国王は内心で納得するほか無かった。

 何故ならば、彼女が本来住まうのは五大国最強と誉れ高い宗教国家エルメス教国。友好国ではあるが、ル=コア王国よりも名実ともに格上の国であり、そこから布教の名目で派遣されてきたのが聖女アリアスなのだ。

 友好国を信じているという理由で、エルメス教国の中でも重要人物に位置する彼女は自国の護衛などを一切連れていない。侍女の類いも『清貧を旨とする聖職者である自分は何事も一人でやることにしている』と連れてはおらず、本当に単身でこの国にやってきたことになっているのだ。

 だが、名目上はともかく、本当に無防備なわけが無いとアレスト国王は確信している。ル=コア王国の人間が感知できないレベルの隠密能力を備えた護衛がどこかに潜んでいるのだろうと思っているし、それが正しいからこそ、彼女は勇者の予定などというものを口にしたのだろう。


 その気になれば何でもできるのだと。自分を蔑ろにすることは許さないと、言葉にせずに国王に突きつけるために。


「……アンタが聖女アリアスか。顔を合わせるのは初めてだよな? 俺は勇者カインだ」


 そんな国同士の秘密のやりとりのことなど全く知らないと、堂々と会話に割り込んだ勇者カイン。

 場の空気を読む能力が壊滅状態でなければできない行為だが、残念ながら彼はその振る舞いの通り学がなく、本能と煩悩で生きている男なのだ。


 そんな男が勇者という規格外の力を得たら、どうなるだろうか?


 力、というものはそれだけで人の心を惑わす。力の誘惑に負けない強い心があってこそ人々が空想する『勇者』の人格は完成するのだが、残念ながらカインの心はその他大勢側なのだ。

 結果、自らこそが神に選ばれた存在であり、人類の頂点であると有頂天になっていた。

 思いやりの心だとか謙遜だとか、そんなものは勇者の力の代償だと言わんばかりに放棄しており、場の空気を読むだとか相手を不快にさせないようにするだとか、そんなことは全く考えられなくなっている。

 そうでなければ、大国の重要人物を前にして、肉欲を隠しもせずにじろじろと上から下までなめ回すように視線を動かすような真似はできないだろうが。


「……初めまして、勇者カイン。エルメスの神々の御慈悲に恥じぬ活躍を願っています」


 勇者とは神に力を授けられた戦士。その存在は神々への信仰を基軸とするエルメス教国としても無視できるものではなく、特に信仰心の強い聖女であるアリアスともなればなおさらだ。

 だが、それと人格への評価はまた別。神の威光を穢すような低俗なオーラをまき散らす男に僅かな嫌悪感を覗かせた後、最低限の言葉だけを残してアレスト国王へと改めて視線を向けた。


 半分無視された形になったカインが不機嫌を隠そうともせずに聖女を睨み付けているが、その視線は全て無視することにしたようである。


「それで……どうなのですか? 凶悪な魔物の出現に対し、勇者を派遣するとは真ですか?」

「……如何にも。我が国と帝国との国境に当たる都市との連絡が取れなくなり、これを魔物の侵攻であると断定。都市一つの防衛戦力で対処できないほどの魔物となれば、勇者の力に頼るのが得策でしょう?」

「もちろんです。人の手には負えない邪悪を滅するのは、いつでも神々の御慈悲ですからね」


 アリアスはにっこりと、聖女に相応しい慈愛の笑みを浮かべた。

 エルメスの神々を信仰し、讃えることを存在意義とする聖女にとって、神の力に人が頼るというのは歓迎すべき事なのだ。

 人は人の力で生きていくことはできない。常に神の慈悲と加護があってこそ、人は人として生きることができる。それがエルメス教の教えなのだから。


「ですが――」

「な、なんでしょうかな?」


 国王の判断は正しいと肯定した上で、聖女は自身の要望を付け加える。


「より確実な正義を成すため、私も同行致します」

「なんと……聖女様が、自ら……?」

「はい。このル=コア王国へ布教に来て既に一年以上……皆様大変熱心に私の説法を聞いてくれていますが、やはり言葉だけでは限界があります。神の奇跡のなんたるかを、一度証明してみるのもまた聖女の役割なのです」

「しかし……その……もし何かあれば……」

「何があったとしても、それは皆、神々の試練です。それに……神々より直接ご加護を授かった七聖人の一席を与えられた私が、不浄な魔物風情に万が一にも後れを取ると?」

「う……」


 武力、権威ともに圧倒的なエルメス教国を後ろ盾にする聖女にそう言われては、アレスト国王に反論の余地は無い。

 もしこれで何かあれば、最悪責任を取らされてル=コア王国そのものがとんでもない代償を支払う羽目になるのだが、それでも刃向かうことはできないのだ。

 何よりも、ル=コア王国の魔道士精鋭部隊……魔神会が聖女の持つ神器の研究を行いたいと彼女を引き留めている部分が多々あり、それによってストレスを与えている自覚がある側としては、聖女としての役目であるというのを止めることなど不可能なのである。


「へぇ。いいじゃないの、王様。万が一があったら、俺が守ってみせるさ」

「……勇者カインもそう言っていることですし、問題はないでしょう?」


 無視されていた勇者も、美しい聖女が自分と行動を共にするつもりだと言われれば何も考えずに肯定する。

 大方、仕事の間にチャンスがあれば……などと考えているのだろうが、それこそ万が一聖女を自国に取り込むことができればそれ以上の朗報は無い。

 そっちの期待はほとんど奇跡に等しいとはいえ、自分の判断で止める材料は無いと、国王は勇者と聖女の派遣に同意するのであった……。

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