第85話「閑話・魔王と元ギルドマスター」
ア=レジル図書館。
基本的に武闘派のハンターや兵士、仕事の外に関心の無い職人が大半を占めるこの街ではあまり利用率が高いとは言えない施設であるが、それでも一応知識人の住む街として存在はしている。
ル=コア王国の庶民の識字率はさほど高くなく、本など渡されても大半からすれば無用の長物だ。逆に言えば、図書館があるということはそれだけインテリが多く集まる品位ある街ということであり、都市の長達は皆競い合うように必要かどうかはともかくとして図書館の建設を行う……というブームがあったときに作られたものであり、完全な税金の無駄遣いであった。
数少ない本の恩恵を受けられる知識人も、いつの間にか勤勉とはほど遠い堕落した人種ばかりとなり、今や図書館というよりは埃を被った本の物置と言った方が正しい有様になっている。だが、置いてある品だけで言えば都会にもさほど劣らないものがある金のかかった施設なのだ。
そんな有様であるが……魔物に占領された今となっては、悠長に本の貸し出しを願い出るような暢気な人間がいるはずもない。
司書としてこの図書館の管理を任されている者達も無断欠勤している今、完全に無人となっているはずであった。
だが、その無人であるはずの空間に、今は二つの人影があったのだった。
「……挿絵から察するに、これは笑っているのだな? ということは、この文字は笑顔、笑う、楽しい……その辺りか?」
「そうですな。それは『笑う』になります。その前の文字と繋げて読むと『メアリーはプレゼントを貰って笑った』という文になりますな」
「なるほど」
図書館で堂々と声を出している男の一人は、ア=レジルを制圧した魔王ウル・オーマ。
そして、もう一人は魔王と直接対決した割には軽症で、多少の治療でもう問題なく動けるようになっている元ハンターズギルドのマスター、クロウ・レガッタ・イシルクであった。
何故クロウがこんなところにいるのかと言えば、現代の文字を習得していないウルが勉強するから教えろと命令したためである。
クロウは敗者としての定めとして、ウルに逆らう意思を持っていない。契約があるからというのもそうだが、敗者は勝者に従うというのは野生の獣もハンターも変わらない絶対のルールなのである。
魔王ウルの領域から略奪を行うことを職務とするハンターはギルドごと閉鎖されてしまったが、彼らはそのままウル軍の兵士として軍に組み込まれることとなり、クロウは人間唯一の班長――人間班の長としてウルより立場を与えられていた。
「次のページは……今までの流れから推察するに『父に感謝する。贈り物の礼は必ずしよう』か?」
「間違ってはいませんが、そこは文体的にもっと柔らかく……『お父さんありがとう。今度お礼してあげるね』くらいの方が的確かと」
「なるほど……」
ウルが教材として最初に選んだのは、子供向けの絵本だ。父親が大好きな女の子が主役で、忙しくて疲れている父親に元気になって貰おうと頑張り、父親もまた娘の気持ちを受けてお礼のプレゼントをし、また娘も喜び感謝を送る……という実に健全な内容である。
別にこの絵本に特別な意味があるわけではなく、ただ文字を習うなら子供向けから始める方がいいだろうという常識的な理由でウルが適当に児童書コーナーから一冊抜き出してきたものである。
それにしても、1000年現れていなかった英雄の領域に足を踏み入れた男と、英雄を打ち倒した魔王が机を挟んで子供向けの絵本を読んでいるというのは、何とも不気味な光景であった。
「理解した。次いくぞ」
一通り基本的な文体はマスターしたと、ウルはまた別の絵本を、更により難しい本を無の道の念力で本棚から取り出す。
そんな魔王の意外な一面……人間の文化を理解し、吸収する姿に、クロウは何とも言えない不思議な気持ちになるのであった。
「……それにしても、何故突然文字を? 失礼ながら、あの黒い契約書があるのだから、読み書きはできるのでは?」
「あれは功罪による文字だからな。俺の知る言語で記載されているが、読む者の理解できる言語に自動翻訳される。生憎、俺自身はお前達の国の言語は知らんのだよ」
「そうなのですか。……ですが、わざわざ魔王殿自らが一から勉強などしなくとも、命じられれば書類仕事も翻訳も、我々がやりますよ?」
「お前らが俺の知る言語を書けるとは思えんがね。……というか、お前は読めない契約書にサインするのか? これからは人間共への指示を出さねばならんことも増えるだろうし、いずれにせよ読み書きは必須になる。最低でも、現代の主要言語は全部押さえるぞ」
(流石に、そこまで単純ではないか)
クロウとしては、ウルに文字を学ばれるのは余り嬉しいことではない。
敗者として勝者に従いはするが、それでもクロウは人間であり、ル=コア王国の民である。
いつかはウルの支配から抜け出し、反撃の時を待つというのが本心だ。そのための準備として、文字による連絡が取りにくくなるというのは歓迎できない話である。
もっとも、そんなことは魔王ウルとて承知していることだろうから、通るわけもない提案だったわけだが。
「ところで、今の会話を文字に起こしてみた。何か間違いはあるか?」
「え? ……これは」
そう言ってウルがクロウに突きつけた紙には、書き慣れていないことがよくわかるやや違和感のある文字ではあるが、確かにル=コア王国共通語で文が記されていた。
これが書き取りのテストであれば減点される点はいくらでもあると言えるが、文字を習い始めて一日も経っていないことを考えれば驚異的な習得スピードと言えるだろう。
「……所々違和感はありますが、文章としてきちんと成立しています」
「違和感とはどこだ?」
「例えば、ここは主語と述語の関係がわかりにくくなっています。それと、ここの綴りが違います」
「ム。了解した」
人類からすれば未知の進化を遂げた高位の魔物であり、高い知性があることはわかっていた。
しかし、人類の頭を軽く超える学習能力まで見せられると、戦闘力だけを警戒している今の自分が酷く滑稽に思えてくるクロウであった。
どう思っていても、契約があるので嘘を教えることもできず、粛々と慣れない教師役を熟していくしかないのであるが。
そのまま、数時間が経過すると――
「これはこの都市の先月分の業務報告書だが、こことここ、前後の文章が噛み合っていないように思えるのだが、これは俺の読解が間違えているからか?」
「……いえ、私から見ても……これはおかしいですね。何か不都合を隠すため意図的に文章を消しているように思えます」
「そうか。ならば、これを書いた担当とやらに話を聞かねばならんか」
既に、もうクロウに教えることができることは無くなっていた。
一般の日常会話レベルはもちろん、小難しい言葉が並ぶ公務の報告書まで問題なく読解し、修正までできるようになってしまったのだ。
「……お見事ですね。コア語に関してはもう教えることはないかと。まさかたった一日でここまで吸収してしまうとは……」
「なに、ただの慣れだ。異種族言語の習得は、魔王としては必須項目なのでな」
普通の人間――裕福な貴族や商人の子供が何年もかけて習得することを、半日足らずで会得してしまう魔王の軽い言葉。
いったい、この怪物はどこから出てきたのか。ただ森の中で偶然強くなった進化種とは明らかに一線を画すその存在感に、クロウは自分が飲み込まれるようなイメージを浮かべてしまう。
「さて、次は隣国の文字にいくか。お前、自国以外の読み書きはできるか?」
「……私も、一応木っ端とはいえ貴族出身ですから……教養として主要な五大国語ならば一通りは」
「よろしい。ではさっさと次にいくか。配下にできて俺にできない事があること自体は別に構わんが、知性の面で後れを取っていては王の沽券に関わるというものだ」
「そういうものなのですか?」
「そういうものだ。まず力を示し、俺が王たる存在であることをアピールしなければ人も魔物も従わん。忠誠やら尊敬などというものは、結局そういうものだろう?」
魔王は魔王として、常に優れなければならない。
その考えは、人間にも理解できるものだ。王族は優秀であるべきだと誰もが思っていることだし、王族が並みレベルの能力しか無ければ声には出さなくとも軽んじられてしまうだろうから。
(……王は……長は、力を示してこそ上に立つ、か。今の私には耳の痛い言葉だ)
魔王ウルの哲学を聞いて、クロウは今の自分の立場にため息を吐きたくなる。
街の人間からの今のクロウへの評価は真っ二つに分かれている。
英雄に至った英傑として尊敬するか、魔王に負けた男として敗戦の全責任を押しつけられるような立場かに。
魔王ウルとの戦いを見ていた、武の心得があるハンターや軍人などからは『あそこまで奮起しても勝てないのならば仕方が無い』と理解を得られているが、そうではない一般人からすれば『あいつが弱いから俺たちはこんな目に遭っているんだ』と石を投げられるような立場に追い込まれているのである。
クロウは元ハンターであり、街を守る軍人じゃない。負けたのはクロウだけではなく、街そのものだ。
などなど言い訳はいくらでもできるのだが、負けたのは事実。クロウも住民達の怒りは理解できるので、石を投げるのならば甘んじて受け入れている状態なのである。
一度は彼を英雄の領域に押し上げるまで信頼し、責任を押しつけておきながらも負けたら掌を返す人間達に思うところがないわけではないはずだが、それは仕方が無いことだと。
一度得た功罪は決して消えることはないため、今でもクロウは英雄の力を使おうと思えば使える。しかし、最初ほどの出力が得られないことは確実であり、人間同士でそんな分裂をしていては魔王に再び挑むことなどできるわけがないと、諦めと苛立ちが日々募る状態なのであった。
「フム……これはまた、随分と字体が違うのだな?」
「それはガルザス帝国の文字ですね。今でこそシルツ森林を挟んだ隣国であり、強大な力を持つ軍事国家です。そもそもの成り立ちが遠方の狩猟部族が勢力を伸ばしたこと……とされているので、その名残が強いのでしょう」
「なるほど。事前に学ばねば、魔道翻訳に頼るしかないというくらいには違うな」
「……魔道翻訳?」
隣国の解説に納得した素振りを見せたウルが溢した言葉に、クロウは反応した。
「知らんか? 未知の言語であっても、魔道による翻訳というのがあるのだ。書類一つ読むのに一々無駄に消耗の多い魔道を使っていては無駄が多すぎるがな」
「魔道にそのようなものがあるので?」
「あぁ、天の道に属する……いわゆる鑑定という奴だ。統合無意識から情報を引き出すという魔道で、今を生きる者が常識として知っているようなことなら大抵は引き出せる。天の道なだけあって、消費がやたらとデカい故できれば使わずに済ませたいがな」
「そうなのですか……」
魔道の分野には明るくないクロウは、それを聞いて感心した声を上げた。
憎い魔王の言葉であっても、優れたものは素直に優れていると受け入れられる。その器の大きさは、彼がギルドマスターとなった一因と言えるだろう。
「……時に、何故お前は魔道を使わないのだ?」
魔道の話になってふっと思いついたのか、ウルがクロウに問いかけた。
「は?」
「お前の実力は見せてもらったが、それだけの魔力量があれば魔道を使うことも難しくはなかろう?」
「……いえ、私はその、そっち方面の才能は無いので……」
クロウも国が行っている魔道士鑑定は受けたことがある。
その結果、経絡の活性は認められず、魔道の素質はないと判定されたのだ。
「才能が無いにしても、一の段か二の段くらいならごり押しで使えるだろ? それとも、殴った方が強いという話か?」
「いえ、ですから……」
生まれ持った才能が無いと、魔道は使えない。それが現代の常識だ。
しかし……それは、魔王の常識ではない。
「……以前、人間の兵士を尋問した時に聞き出したことなのだが、今の世は魔道を使えるかどうかで才能を求められる術であると教えているらしいな」
「え? ええ」
「何の冗談かと思って半信半疑であったが……本当にそう思っているのか……? 魔道の存在意義を何だと思っているのだ?」
魔道とは、選ばれた才能だけが扱うことを許された奇跡の技。
そう思っているクロウを含めた現代人類であるが、その認識は魔王的には許せるものではない。
「……下らん。流石にその間違いは許容できんな。お前ならば『慣らし』なしでも耐えられるだろう。手を出せ」
「はい?」
「いいから手を伸ばせ。それと、できるだけ身体の力を抜いて、自然体でいろ」
「はあ……?」
訳がわからないまま、命令ならばと素直に従うクロウ。
その数秒後……中年男性の悲痛な叫び声が上がり、そして……
「……これが、魔道の才能……」
「そこまでならば誰でもいける。魔道とは、そういうものだ」
英雄の才覚に加えて、魔道士の資質まで与えられた男がそこに誕生した。
いつか自分にその力が向けられるかもしれないのに、無造作に神秘の知識を披露した魔王によって。
「……こんな、奇跡があるとは……これで魔物達は魔道を会得したのか……」
自分の内から湧き上がる力を理解すると共に……クロウの心に、罅が入った。
いつか魔王を打ち倒し、このア=レジルを人の手に取り戻す。その決意に、罅が入ってしまったのだ。
利権を独り占めし、甘い汁を吸うことしか考えていない王侯貴族達と、惜しみなく力を分け与える魔王の器を、ついつい比べてしまったから……。
忠誠とは、力を示すことでのみ得られる。
その魔王の哲学そのままに、クロウの心はこの一件で大きく揺れることとなったのであった。
侵略するにも征服するにも殲滅するにもお勉強は欠かせません。
ついでに支配下に置いた現代の人間を観察&人心掌握実験。




