第82話「貴様を我が敵と見なす」
「――これは失礼をしたな。まずは、見くびっていたことを詫びよう」
一介の戦士に戻った、元ハンターのクロウの奥義――自らが所有する【狩人の功罪・狩猟機構】と愛剣の功罪武器【黒羽根吹雪】の同時攻撃。
現役時代はこれで二桁後半の魔物が相手でも仕留めていた、正真正銘の奥の手。クロウという戦士がその生涯を捧げて辿り着いた到達点を受けたはずの魔物は、今も黒い羽根に隠されたまま、平然と言葉を紡いだ。
そんな現実を前にしても、クロウの心は落ち着いていた。何となく、そんな気はしていたのだ。
魔王を名乗る怪物が、自分の最強の一撃を受けた程度で揺らぐはずがない――と。
「……ほいほいと、節操なく姿を変えるのだな」
「フフフ……人間にはできない芸当だろう?」
数多の羽根を、魔王は腕を振って吹き飛ばす。
その中から現れたのは、先ほどの青い毛皮の獣人系の魔物ではなく、血のように赤黒い体毛を持つ上位の獣人系モンスター――戦狼人。
二段階進化。種族としての性能だけでも二桁後半を持つ存在であり、これに先ほどまでの技量が加わればもはや手の付けようがない怪物になってしまったと言える。
クロウの切り札も、進化によって防ぎきったのだろう。同じ力を隠していた者同士でも、隠していた力に大きな差があった――それだけである。
「く……!」
更なる力を解放した魔王に対し、クロウは既にフラフラであった。
これは功罪の制約――と言うよりも、年齢から来る体力の限界である。彼の功罪はその性質上身体を酷使することになり、一度使うだけで息も絶え絶えの状態になってしまう。まして、随分前に引退し、机の前に座る生活を続けていた中年には厳しい話だ。
「……終わりか?」
「はぁ、はぁ……」
「思っていたよりは、頑張った方だ。想像の範疇は出なかったがな」
魔王はクロウの健闘を称えつつも、どこかしらけた様子であった。
恐らくは、言葉の通りなのだろうとクロウは思う。脆弱な人間風情にしては上出来だが、それ以上ではない。魔王の心にも記憶にも、特に留めるに値しないどうでもいい攻撃であった――と。
「それ、は……悔しいな……」
既に心肺機能の限界を超えてしまい、衰えた中年の肉体は主の命令を無視してガクガクと震えるだけだ。
とにかく少しでも多くの酸素を求め、陸に打ち上げられた魚のような無様を晒す死に体。トドメを刺そうと思えばいつでもできる、ただの獲物でしかないのだろう。
それでも――クロウは、このまま終わるのは嫌であった。負けを拒んで情熱を燃やせるほど若くはないが、それでも矜持というものがあるのだ。
一人の武人として、この凄まじい達人に失望されたまま終わりたくない。敗者になりこの先魔王が数多く積み重ねる屍の山の一部になるだけなのだとしても、それでも自らの存在を記憶に刻んでやりたい。
そんな思いが、願いがクロウの中に芽生えていた。
「負けるんじゃねぇぞマスター! アンタの実力はそんなもんじゃないはずだぜ!」
「まだいけます!」
「そうだ! マスターは強い!」
『マスター! マスター!』
フラフラになっても立ち上がろうとするクロウに、観戦しているハンター達が、そして街の住民達がエールを送っている。
応援されれば強くなれるわけもなく、彼らの大半はクロウの敗北がそのまま自分達の人生の終わりに繋がるから叫んでいるだけだ。純粋にクロウを――マスター・クロウを信じ、応援している者など苦楽を共にしてきた専属ハンター達くらいのものだろう。
だが、それでも――
「……どうした? 応援されているようだが、応えなくてもいいのか?」
進化し、次元の違う力を解放した魔王はどこまでも余裕綽々といった様子であった。
どうやら、この一騎打ちの本当の目的は、完膚なきまでに一切の言い訳すら不可能なほどにクロウを……ア=レジル代表を負かし、人間達の心を折るというところのようだ。
だから、隙を突いて攻撃したりしない。クロウ自身が立ち上がるのを諦めるまで、とことん先手を譲り続けるつもりのようだ。
クロウは魔王の不敵な笑みをそんな意味だと解釈し、それならば有り難いとゆっくり息を整えていく。
(……応援されたら奮起できるほど、若くはない。しかし、それでも――かつて憧れた場所だと思えば、悪い気はしないな)
クロウはこんな状況でもどこか冷静な自分の枯れた感情を自嘲しながらも、若かりし日を思い出す。
そういえば、自分も昔は多くの人から頼られる、英雄になりたかったのだと。
「考えてみれば……まさに、これは英雄になれるチャンスかもしれないな」
くだらない妄想だ。
そんな簡単になれるのならば、英雄はそこら中にいるだろう。英雄の称号は、決して軽くはない。
しかし、それでも――
「妄想するだけなら、タダ、だ……」
クロウは、何となく目を閉じて声援に集中することにした。
敵を前に目をつぶるなど愚の骨頂であるが、ウルはクロウが諦めていない限り断り無く攻めてくることはない。
何となく、短い戦いの間にそんな信頼を持ってしまったクロウは、街の民からの声に心を預けるのだった。
(……応援か。思えば、初めてかもな)
現役時代からそうだが、ハンターの職場は魔物の領域であり、そもそも一般人の応援など存在しない。
そして引退後は事務仕事。ねぎらいの言葉をかけられることはあっても、こんな必死に応援されることなど無い。
人生で初めての声援を受けるという状況を前にして、不思議とクロウの心は高揚していくのであった。
「フフ……応援されても力は変わらないと思っていたが、案外気持ちが入るものなのだな」
「それは良かったな……それで? そろそろかかってこないか? 待ちくたびれてきたのだが」
「ああ……それは申し訳ない」
サービスタイムは終了のようだと、クロウは黒羽根吹雪を構える。
もう、功罪武器としての性能を使うことは、この戦闘中には不可能だろう。クロウの魔力はほとんど残っておらず、多少休めたと言っても先ほどのような動きができるほど体力は残っていない。
技で劣り、今となっては体でも劣るだろう。心技体のうちの二つは完全に敗北していると言える。
だからこそ――心だけは、負けてはいけないと、年を取った心を燃やし尽くすほどに燃え上がらせる。
「さあ――殺し合おう」
その覚悟の言葉を発した瞬間――全盛期を随分前に通り越したはずの男の細胞は活性化し、輝かしい白銀のオーラを纏っていた。
◆
人間の戦士が目指す場所はどこか?
と問われるならば、それは『英雄』という領域だろう。
神の力を授かった勇者や聖人とは明確に違うものとされている称号、英雄。
選定基準がよくわからない、到底立派な人間とは言いがたい人間が選ばれることも多い勇者。
神への信仰を認められた証として力を得る聖人。
この両者は、地道に鍛えてきた戦士としてはどちらかというと否定的な思いを抱いてしまう存在だ。
もちろん、そんな勇者や聖人達がいるから――つまりは神の加護があるからこそ人類はここまで繁栄してきたのであり、それは決して否定できない。
しかしそれでも、長年積み上げてきた力とは全く無関係に、それでいて隔絶した力を得る彼らに反感を抱いてしまうのは、積み上げてきた側の人間としては仕方が無いことだとクロウは思う。
では、英雄はどう違うのか?
答えは明確だ。勇者、聖人が神の力を頼りにしているのに対して、英雄は神の力を持たない。
多くの人から希望を託され、その思いから逃げることも潰れることもない覚悟に宿る功罪により勇者達と肩を並べる強者のことを人々は英雄と呼ぶのだ。
それでも勇者と互角とはいかないと伝えられているが、多くの戦士達が偶然勇者に選ばれるような奇跡が起きない限りは英雄と呼ばれる眉唾な領域を目指すものである。
――現世に実物は一人も存在しない、もはや古文書の中の住民である、英雄を。
英雄の功罪を持つ条件。それは、真の危機に多くの人間から頼られるほどの力と信頼を得た大人物であり、その期待から逃げ出さない大きな器を持っていることとされている。
いわば、人に選ばれた存在。神に選ばれた存在である勇者聖人とは対照的な、大勢の人々から選ばれし人間なのだ。
抽象的すぎて狙ってどうこうできるものではないにしろ、残念ながら、現代に英雄の条件を満たす者はほとんどいない。
そもそも世界が人類中心に回っているため真の危機など訪れないということもあり、また本当に危ないときは勇者に縋るのが当たり前の価値観ということもあり、更に英雄が求められるほどの危険に本気で立ち向かえるほどの勇敢な人間が少ないということもあり、英雄志望は多くいても本当に英雄になれる者は少ないのだ。
だからこそ、今この場に居合わせた全ての人も魔物も、ただその偉業に感嘆すべきなのだ。
今ここに、1000年ぶりに新たな英雄が誕生したのだから。
◆
「これは、驚いたな」
口で言うほど動揺を表に出していないものの、それでも確かに驚いているのは、魔王ウル・オーマ。
恐らく、この場で最も今起きた現象を理解している男だ。
何せ、クロウが発現させた白銀に輝く燃えるようなオーラ……その光景を、かつて幾度となく見てきたのだから。
「【勇気の功罪】か……まさかここまで見せてくれるとはな」
本人は自覚していない――というよりも、自分の身体に起こった異変に気がつかないほどに集中している様子のクロウは、今までの比ではない速度で魔王ウルとの距離を詰めた。
しかし、それも当然だとウルは笑う。今彼は、真の意味で魔王と戦う資格を得たのだ。
現代の人間は『勇者』を神の力を得た者のことだという。
しかし、ウルの価値観では全く異なってる。
勇者とは勇気ある者であり、恐怖を知りながらも挑む覚悟を持つ者のことをいう。それは力の有無の話ではなく、心の在り方の問題だ。
だからこそ、恐怖の象徴である魔王に挑む者を勇者と呼ぶのだ。魔王の脅威を知り、力を知り、それでもなお人々の希望を背負って立ち上がれる存在……それでこそ、魔王が真の意味で戦うに値する魔王に挑む者なのだから。
「お前を認めよう、クロウ・レガッタ・イシルク。これより貴様を我が敵と見なす」
今のクロウにその言葉は聞こえていないだろう。
突然覚醒した【勇気の功罪】の力に混乱しながらも、その意識は魔王を倒すことに集中しており、一種のトランス状態となっている。
今のクロウならば、手加減する必要はない。魔王たるものが矮小な相手に本気になるのは沽券に関わる話だが、なりたてとはいえ勇者ともなれば手を抜くのは無礼というものである。
「認めたからには遠慮しないぞ?」
今までの比ではない剣速で斬りかかってくるクロウ。その身体能力は、二度目の進化を行ったウルを超えていると断言できるほどだ。
そんな英雄を前に、ウルが選んだのは武器による防御。
腕に魔力を集め、瞬時に魔道を発動させ、彼の武器を召喚するのだ。
「これが俺の得物だ」
ウルが発動するのは【天の道/一の段/異空間接続】。
魔力による自分だけの異空間を作り出し、そこを倉庫代わりに使える中々便利な術である。
天の道という難易度の高さから使い手が少ないが、これ一つあれば嵩張る道具も何の苦労なく持ち運べるのだ。
そう、シルツ森林で技術開発を任せているロットにかなり長い時間を費やして作らせた、ウル専用の武器――
「魔王の鎖。といっても、これはレプリカだがな」
ウルの武器は、普通に扱うことは不可能と断言できるほどに長い鎖。
太古の時代には功罪武器である魔王の鎖を使っていたが、ウルは今手に入る素材でレプリカを作らせたものである。
「――断ち切る!」
異界を通して取り出した鎖を両の手で伸ばし、クロウの剣に対する盾にしたウル。
意外な武器に驚きの表情を浮かべるクロウだったが、構わず破壊しようと力を込める。しかし、こうして武器を手にした以上、ウルもまた止まらない。
「そして、英雄殿を相手にこの姿では些か無礼――更に一つギアを上げさせてもらう」
一撃を防いだところで、再び進化の光を放つウル。
三度目ともなればクロウの方にも余裕はあり、妨害すべく人の領域を超えた剣速で斬りかかってみせる。
だが、それは魔王の鎖が立ち塞がることで防御され、魔王ウルの更なる力を止めることには失敗するのであった。
「――進化樹形図、励起。恐れ戦け……これが鉄騎狼人だ」
獣人系三段進化体、鉄騎狼人――アイゼンウルフ。
その名の通り、全身に鋼鉄の鎧の如き体毛を纏っており、身体能力の全てが戦狼人の時よりパワーアップしている。
金属を思わせる黒い体毛と、鋼すら切り裂く鋭い爪を持つ戦闘種族である。
「呆けている場合か?」
「ッ!? ぬぅ!」
その姿を現した次の瞬間、強烈な踏み込みと共にウルは前蹴りを放った。
蹴り一つで城壁を粉砕しそうな破壊力を、クロウは十字受けで止める。もし英雄の力に目覚めていなければ、確実に今ので絶命していたことだろう。
「良い反応だ……と言いたいところだが、俺の鎖は全てを縛り、征服する。止まってはいかんな」
「――ッ! これは!」
今の一瞬の攻防の隙に、無限にあるのかと言いたくなるほどに魔王の鎖はウルの手元から伸び続けていた。
そして、意思を持つかのように物理法則を無視し、クロウの周りを囲い始めるのであった。
「鎖状結界……懐かしいものだ」
ウルは懐かしむように、巧みに鎖を操る。
魔王の鎖の最大の特徴は、その長さ。兵士用の剣が百本は余裕で作れるほどの鉱石をひたすら鎖の形に加工させ、その全長は作ったロット達ですら把握していないほどの物になっている。
当然、そんなもの、普通に使おうとしても手に余るだけだ。しかしウルは無の道の念力操作を駆使し、鎖が意思を持っているかのような複雑怪奇な動きで操る術を持っている。
使っている魔道そのものは単純なものだが、その緻密な制御を模倣できるものはこの世に存在しない。正真正銘、魔王の鎖は魔王ウル・オーマの神的技量があって初めてその力を発揮する専用武器なのだ。
「――カアッ!」
蛇のように素早く、そして巧みに動く鎖がクロウの周囲を囲むも、英雄の証を手にした彼は冷静だった。
剣を振り、突破口を作る。鎖を切り裂き、包囲網に風穴を開けたのだ。
しかし――
「魔王の鎖を砕くのは時間と労力の無駄だ。別に俺の手から離れたところで支障は無いのでな」
「なんだとッ!?」
砕いた鎖は、全くその速度を衰えさせることもなく、クロウの身体に絡みつく。
幾つもの魔道を同時発動させ、精密に操る技術を持つウルを前に、鎖を砕くというのは悪手なのだ。魔王の鎖は非常に長いため千切られたところで使用に支障は無く、敵の数を増やすだけなのだから。
というより、必要とあればウル自身が鎖をばらして使うこともある、想定された使い方の一つなのである。
「――まだだ!」
縛り上げられたクロウだったが、遅咲きの英雄となった彼はその程度では止まらない。
無の道によって容赦なく締め付けてくる鎖を腕力で跳ね返し、脱出を図ろうとした。
「いい気概だが――俺から目を離してはいかんだろう」
「え――」
鎖を引きちぎることに集中したクロウは、一瞬ウルのことを意識の外に置いてしまった。
その一瞬の隙を突き、地の型による抜き足で瞬時に背後を取ったウルは、その隙だらけの背に向けて鉄騎狼人の身体能力を躊躇うことなく込めた拳を大きく振りかぶり――
「天の型・一手弾き。覚えておけ」
「――まだだと、言った!!」
強烈な掌打を叩き込む。
まともに受ければ、一撃で遙か彼方まで吹き飛ばされてしまうことだろう。
だが、クロウは全身から放たれるオーラ……英雄の力を瞬間的に爆発させることで、その一撃に対抗する。
初めて使う力を駆使し、魔王の一撃に対抗する英雄クロウ。
二人の姿は、英雄の光に飲まれていった――。