第81話「一撃必殺」
「……存外、いい顔じゃないか。同胞殺しは楽しかったか?」
ア=レジル防衛都市が敗北を迎えたその日の夕暮れに、魔王軍の総大将ウル・オーマは、日常ではハンターや兵士が訓練に利用することもある広場に一人で待ち受けていた。
その口から出るのは、人間であれば殺意を抱かずにはいられない挑発の言葉。魔王が出した条件を満たすため、決断できない弱い人間を殺して排除する――それを実行に移したのだろう、人間達への悪意ある言葉であった。
しかし、その言葉を真正面から受け止める、ア=レジルの人間代表、クロウ・レガッタ・イシルクの顔に動揺はない。
魔王の言葉どおり、確かに彼は同胞を殺した。猶予として与えた五時間を使い果たしても決断できず、他者の手で終わらされる選択以外を選べなかった弱者を殺した。
そのことに後悔が無いわけではない。魔王の提案をまるごと蹴る、という最善にして不可能な選択を選ぶことのできなかった自分達の弱さに怒りはあるし、その元凶である魔物達に対しての強い憎しみを感じるのは当然のことだ。
だが、彼はハンターの長。狩り狩られ、食うか食われるかの世界に最も近い者として、憎しみなど抱く権利などないことを、よく知っている。
――人間は、人間の利益のために魔物達の世界に土足で踏み込み、何百年もの間その命を奪い続けてきたのだ。
ならば、逆に攻め込まれたとしても恨んではいけない。両者の間にあるのは、強い弱いという上下関係でしかなく、正義や悪という言葉に何の意味もないことを、彼はよく知っているのだから。
「覚悟を決めてきただけだ。……この手で切り捨ててきた命、そして私に賭けた者達の命。それを背負う者として、恥ずかしくない姿を見せるとな」
「結構。どっちに転んでもいいと思っていたが……これは、少しは期待してもいいのかな?」
一方、ウルはマスター・クロウの覚悟を決めた顔を見て、僅かに笑みを漏らした。
ウルの警戒――あるいは期待を大きく裏切り、脆弱さをさらけ出した人間達。
かつてのウルの王国を滅ぼし、ウルの肉体を引き裂き、ウルの臣下を殺し、ウルが築き上げた文明を破壊した末にお前達が欲したのは、こんな衰えた未来なのか?
そんな思いが募り、ふがいない敵に理不尽な怒りを持っていた魔王ウル・オーマであったが――適当に発破をかけてみれば、今までで一番期待できそうな顔の男が出てきた。
となれば、後は試すだけだ。もし口先だけの雑魚ならば容赦なくその怒りを爆発させ、期待に応えるだけの何かを見せられるというのならば……
(魔王として、正面から受けてやろう。そして、思い出させてやろう……貴様らの遺伝子に、魔王の恐怖をな)
今のウルは、弱体化して明日のメシにも困っていた弱小魔物ではない。
全盛期に比べればまだまだとはいえ、これだけの数の魔物を従える王である。
そのプライドに懸けて、自らの最強を譲るつもりは、ない。
「では、ルールの確認だ。契約書に書いたとおりだが、この広場の仕切りから外にでれば負け。降参したら負け。気絶したら負け。死んだら負け。外部から助けを借りたら負け……異存は?」
「ない。……引き分けの場合は――」
「――お前の勝ちとする。このくらいはサービスしてやらねばな」
「……フン。余裕のつもりか」
「我は魔王である。一騎打ちならば、多少はハンデをくれてやらねば格好がつかんのでな」
どこまでも余裕綽々という態度のウルは、その宣言どおり本気で一人で戦う構えを見せる。
配下の魔物達は戦場に指定された広場の外で大勢観戦しており、皆が皆街から奪った酒を片手に座り込んで観戦モード。とてもこれから王が白刃の前に身をさらすとは思えない様子である。
これは、魔王よりの命令。どんなことがあっても手を出すことを禁じるという命令であり、それを一目でわかるようにした形であった。
「……武器は持たないのか? 確か、何でもありだと書いていたはずだが」
「無論、武器は持っているが……使う価値があるかをまず見定めてやろう」
「……その慢心、貴様の死因にしてやろう」
マスター・クロウの武器は、やや小ぶりな片手剣。現役時代から使っていた愛剣だ。
対して、魔王ウルは素手で構えを取る。両腕を広げ、大きく構える守りの型。さあ攻めてこいという態度だ。
「――すぅぅぅぅ……コォォォォォ……」
マスター・クロウは大きく息を吸った後、一気に吐き出した。
身体の余計な力、心のこわばりを解す彼のルーティーンである。
その瞬間、彼の中から余計なものが吐き出す息と共に消えていく。
目の前の敵を狩る。ただそれだけに全身の細胞が意思を統一し、マスター・クロウから一介の戦士クロウにスイッチが切り替わる――
「――シッ!」
鋭い踏み込みによる一閃。先手を取るのは、待ちの構えを見せるウルではなく、当然クロウ。
初手から必殺を狙った一撃は、真っ直ぐウルの首を目掛けて伸びていく。
「フン――」
対して、ウルは慌てることなく左手でクロウの剣を持つ手首に手刀を叩き込む。
はっきりと見えていると宣言するような鋭い一撃に、クロウの攻撃は軌道を変えられ空を斬る。剣を落としはしなかったものの、身体が泳ぎ隙を晒してしまっていた。
「終わりか?」
期待外れもいいところだ、と言わんばかりの目を向けながら、ウルは右の貫手を胴体に向けて放つ。
ただの貫手と侮ることなかれ。魔獣の爪を持つ魔物のそれは、もはや刃物を突き立てるに等しい――
「させるか!」
胴体を狙う一撃を、斜め前に転がるようにしてクロウは回避する。そのまま前転の流れで体勢を立て直し、背中を刃で狙う。
しかし、ウルもまた素早く反転し、また刃をたたき落とし、すぐさま反撃。
反撃、回避、反撃、回避――流れるように攻防が入れ替わり、お互いにダメージが入らないまま、型稽古のような様相を見せていた。
しかし、それを演じる二人の表情は、対照的なのものだった。
(何だ、この怪物は……! 身体能力ではさほど差が無いというのに、何という技のキレ!)
(中々どうして、いい腕をしている。単純な白兵戦の技量に限れば、この一年で出会った人間の中ではトップではないか? だが……)
僅かな攻防の間にも、二人の間にある力の差は、戦う者にははっきりとわかるものだ。
身体能力では一段進化体のウルと、全盛期を過ぎたとはいえア=レジル最強のハンターであったクロウならばほぼ互角。しかし、技量で大きくウルが上回っていた。
武器対素手という、武器を持つ側が圧倒的有利な条件にあるにもかかわらず、一手交えるごとに少しずつ有利を取っていく魔王ウルに天秤は傾いていく。
様子見、あるいは手加減しているような戦い方をしているからこそ拮抗が保たれているが、ウルの方から積極的に攻めに出ればすぐにでも形勢は決まることだろう。
大魔獣の姿を未だ隠しているというのにだ。
「何か隠しているな?」
「ッ!」
小さな攻防ごとに勝利を取り続けるウルは、クロウの動きに僅かな違和感を覚える。自らも隠しているからこそか、全力を出していないと判断したのだ。
本気でやってはいるが、全力ではない。それは油断や出し惜しみという意味ではなく、ここぞという時の取っておきを、本命の刃を隠しているということだ。
(少し揺さぶるか)
ウルは技の流れを変え、クロウの隠し球を引きずりだそうと動く。
「なっ!」
「打撃だけが技じゃないぞ?」
顔面を狙って突き出されたウルの拳を、クロウは間一髪で上半身を左に逸らして回避する。
しかし、その流れのままウルは拳を開き、クロウの右肩を押さえるように掴むのだった。
(右を殺された。剣が振れない――)
「そら」
腕を上から押さえられたと思ったら、そのまま掴んだ肩を軸に力で投げ飛ばす素振りを見せるウル。
この相手に無防備に地面に転がることになれば、その瞬間死が確定すると言っても過言ではない。その危機感と共に、クロウは必死に軸足に力を入れて体勢を保とうとする。
「隙ありだ」
「うお!」
ウルは、耐えようと踏ん張ったクロウの足の膝を空いていた手で払う。
魔王流・命の型は肉体の構造を利用した技を意味する。
関節技や急所突き、本能が反応してしまうフェイント技に、呼吸法による自らの強化。そして、こうした重心を崩す技も含まれる技術形態だ。
命の型・無双落とし。相手の体勢を崩してから、二足歩行生物の急所とも言える足を払うその技に、クロウはうつ伏せに地面に倒れそうになってしまう。
それを理解し、クロウは作戦の変更を余儀なくされる。
(できればトドメの一撃まで隠しておきたかったが――やむを得ん!)
元々、実力で大きく劣ることは想定の範囲内だ。身体能力で圧倒され、技術で追いすがるという当初の想定とは真逆の結果にはなっているが、追い詰められること自体は同じこと。
格下が勝利を本気で目指すのならば、狙うは奇襲のみ。あえて力を隠し、敵が油断し隙を見せたところで一気呵成に叩き込む他ない。
だと言うのに、態度は全力で慢心しているにもかかわらず、ウルの技には一切の油断も容赦もない。どれだけ本命を叩き込める隙を作ろうと攻め立てても、全く防御を崩さないどころか急所を抉るような反撃を繰り出す熟練の技の前に、クロウは最後まで隠しておきたかった刃を見せることを決意した。
「――ッ!」
「おっと!」
右腕を封じられたまま倒れ込む直前、クロウは左腕の袖に隠していたもう一本の刃を取り出す。
自由な左の刃を倒れながらもウルの足に突き刺そうとすることで、咄嗟の回避を誘発させることで距離を稼ぐことに成功するのだった。
その一瞬の隙を活かし、倒れ込んだ痛みも無視してすぐに立ち上がる。
左右にそれぞれ一本ずつ刃を持つ、二刀流。それがクロウの本来のスタイルなのだ。
「ウオォォォォッ!」
出してしまった以上、もう止まれない。二振りの小ぶりな剣を手にしたクロウは、呼吸も忘れてとにかく動く。
あらゆる無駄を排除し、刃を振ることにのみ全機能を集中させる。
――【狩人の功罪・狩猟機構】
これぞ、ギルドマスターとなる前、ハンター・クロウがその名を轟かせた奥義。一種の自己催眠をかけることで肉体の性能を極限まで発揮し、最高速で切り刻む狂気の舞だ。
この状態になったクロウは、自己催眠の効果か普段は活性化していない経絡が魔道士以上に活動し、魔力による身体強化を限界以上に行える。と言っても、無意識にやっているだけで本人にその自覚はないのだが……弛まぬ鍛錬の結晶として、統合無意識に認められた証だ。
「今までで一番速い――フム」
先ほどと同じように弾き落とそうとするウルだが、今のクロウは止まらない。
弾かれても叩かれても、殺すまで続けるという強烈な殺意と共に繰り出される連続斬り。それが、狩猟機構だ。
「ハッ!」
「ッ! 生身で――」
クロウが烈火の如く攻め立て、ついに一本の刃を脇腹に打ち付ける事に成功する。
しかし、その瞬間、ウルは気合いを入れた。
全身の筋肉を締めたウルによって、驚くべき事にクロウの刃は生身で受けとめられたのだ。
これも命の型・剛体という技であり、呼吸法や立ち方を変えることで全身の筋肉を硬化させる技である。元々の身体能力に依存するが、極めれば刃物を生身で跳ね返すことも可能にする技だ。
「フフフ。僅かながら、ダメージを貰うとはな」
ウルは白刃を弾いた脇腹を見て、ほんの僅かな出血を確認し、笑う。
いかに守りを固めても、それだけで防ぎきれるほどクロウの決死の攻撃は甘くはない。致命傷にはほど遠いが、彼は僅かに血を流させることに成功したのだ。
「十分――」
「ム?」
「今こそ羽ばたけ【黒羽根吹雪】!」
――クロウの両手に握られているのは、二刀一対の双剣であり、功罪武器である。
仮にもア=レジルのハンターの中で最強であったという称号を持つ男。そんな男の愛剣が、その辺の量産武器であるはずがない。
右手の【黒羽根】と左手の【黒吹雪】。二つ同時に持ち、敵に一撃を当てることを条件に発動するその能力は、集合攻撃。
二振りを使って繰り出した斬撃は、空中に羽根のように漂う。と言っても、普段は誰にも見えず触れない、無いも同じものなのだが、それでも五分ほど存在し続ける。
その幻影のような黒羽根を実体化させる条件は、一度でも刃を当て血を流させること。黒羽根吹雪が付けた傷には、特殊な匂いが付けられるのだ。
その匂いを――敵の傷を目掛けて、空中に漂う斬撃という名の黒羽根が一斉に飛ぶ。
「ほう――」
「これが私の、一撃必殺だ!」
誰の目にも見えるようになった、大量の黒い羽根。それが一斉にウルへ向かって飛びかかり、その姿を覆い隠すと共に無数の斬撃を叩き込む。
その光景を見て、遠くからクロウを応援していた人間達の歓声が上がるのだった。
一度使うと大量の魔力を消耗するタイプの功罪武器であり、事前準備まで必要とやや遠回りな性質を持つ【黒羽根吹雪】。
しかし、発動さえすればそこまでで外した攻撃分だけ一度に敵を切り裂くことができ、遙か格上が相手でも絶命させられるクロウの最強の一撃。
クロウに残された唯一の希望を、彼は確かに叩き込んだのである――。