第79話「問題は無いだろう?」
「我が王と一騎打ち……それはまた、身の程を知らぬ発言だな」
突如現れ『王との一騎打ちを望む』と啖呵を切ったマスター・クロウ。そんな彼に、先ほどまで暴虐を働いていた赤の巨人は、何と言うべきか迷っていた。
不敬と断じて斬り捨てるのが正解なのか、それとも王への挑戦となれば本人に確認を取るべきなのか。臣下としてどちらが正しいのかと数秒悩んだ末――マスター・クロウに向かって問いかけを行った。
「一つ聞いておこう。何故俺が王ではないと思った?」
当初、人間達は赤の巨人ことケンキこそが魔物軍の総大将であると思っていたはずだ。
その不敬を正してやるのが臣下としての務めと思い、気合いを入れて突撃してきたケンキであるが、今のマスター・クロウの言葉は明らかに『ケンキが軍の王ではない』と確信していなければ出ないものである。
その疑問に、マスター・クロウはゆっくりと、丁寧に答えていく。
「……理由は三つ。一つは貴殿の戦い方だ。貴殿のその技の冴えは、貴殿以上の強者の存在を示している。貴殿らの文化は残念ながら詳しくはないが、自分よりも弱い相手を王と仰ぐことはあるまい?」
「なるほど……」
「そして二つ目。あの咆吼……あれは、そちらの王からの開戦の合図だろう? 貴殿はそれに従い攻撃を仕掛けてきたと報告を受けている。そこから、貴殿には従う王がいるのだろうと推測した」
「ほう……」
「最後に、ここまでの鮮やかな攻撃指揮だ。恥ずかしながら、我々の指揮系統はガタガタでな。本来ならば団結して戦うべきところを、下らんしがらみのせいでいつの間にかここまで脆くなっていたようだ。それに比べて、そちらの軍略の見事なこと……的確にこちらの狙いを先読みして入念に潰す手腕から、この場にはいない、それでいて貴殿に命令ができるほどの存在がいるのだろうと確信を持ったわけだ」
「中々知恵の回ることだ」
マスター・クロウの推理を聞いて、ケンキは機嫌良さそうにその全てを肯定する。
王に仕える者としての自覚を得て以来、やはり自分が信じた王を讃える言葉は誰からのものであっても気分がよくなるもの。
どうやら道理というものを弁えているようだと、ケンキは魔王へ話を通すことにしたのであった。
「王よ。少々お話が――」
事前に渡されていた念話の魔化が施された魔道具を使い、ケンキはウル・オーマに連絡を入れる。
突然一人でしゃべり出したケンキに何事かと訝しんでいる人間達だが、ケンキは当然取り合わない。そのまま何度か言葉を交わした末――
「……王の言葉を伝える。お前の挑戦を受ける……とのことだ」
「そうか。それは……ありがたい」
「王自らこちらに来られるとのことである。しばし待つがいい」
今の独り言は何だったのか……そんな思いを隠し、マスター・クロウはケンキの言葉に感謝の意を示す。
もしかしたら、今のは遠距離にいる相手と会話を可能にするような魔道なのかもしれないと推測しつつ、そんな技術はこのル=コア王国には公には知られていないものだと否定したくなる。
(いや……魔研の連中ならそんなものもあるという噂は聞いているが、まだまだ民間に広まるような技術ではないはずだ。そんなものまで手にしているというのか……?)
マスター・クロウは中央の人間と縁が無いため、最新技術の類いに関する情報には疎い。
しかし、風の噂でそんな技術が開発されたという話は聞いたことがあった。もしそんなものがあれば、日常生活にはもちろんのこと、軍事的にも革命と言える大きな影響があるだろうなと何となく思った……そんな記憶があるのだ。
そんなことを考えていたとき、マスター・クロウは背後から迫る気配に過敏に反応し、勢いよく振り向くのであった。
「あら……まだ仕留めてなかったの?」
外見からは想像もつかない、女性的な声。
人など丸呑みにできる巨大な口から紡がれる挑発的で理性的な言葉を操るのは、巨大な狼の魔物。間違いなく超高位の怪物――三大魔が一角、風の牙だ。
「カームか。何、王の命令が下ったので一時停戦というところだ」
「王から? それなら仕方が無いですね」
明らかにケンキに対して敵意を見せて現れた嵐風狼が、『王』の一言で黙った。
どうやら、完全に三大魔の内二体を支配下に置いているようだと、マスター・クロウははっきり理解する。
これから姿を見せる怪物は、きっと自分の人生を振り返っても参考になるものは存在しないだろうと。
「それで? こっちに来たということは反対側は片付いたのか?」
「ええ。反対側の門のところでグズグズしている人間が沢山いましたから、適当に殺して脅して制圧……というところですね。生きている方が後で有益な使い道もあると王は仰っていましたし、眷属達に100人ほど食わせた後は戦意のない者に限り殺さずに残しておきましたが」
「そうか」
「王より指示を受けていた幾つかのポイントにも手下を送ってありますから、すぐにでも制圧できるでしょう……抵抗がなさ過ぎて驚きですが」
気軽に交わされる物騒な会話を聞いて、マスター・クロウは自分達の敗北は既に確定したことを受け入れた。
このままでは負ける――ではない。既に負けた後であり、もはや足掻くことすら許されない状況なのだと。
「……貴殿らの王が到着するまで、部下の治療を行ってもいいだろうか?」
「うん? ああ……まあいいだろう」
「あら? いいの? 戦闘員は殺しておけという命だったと思いますが?」
「いや……ただ殺してしまうには些か惜しい気がしてな。改めて殺すと王が命じるのならばその時にやればいいことだし、とりあえず保留にしておこうかと思ってな」
「そう……まあ、私は別にどちらでもいいですけどね」
いつでも殺せる相手。そんな認識を持たれていることに屈辱を感じるも、今はありがたい。
許可が得られたと、マスター・クロウは用意してきた救急医療キットを使って死にかけている部下に治療を施していく。
「マ……マスター……? どうする、つもりなんです?」
「……黙っていろ。無駄な体力を使うな」
戦闘が中断させられたことで、死を覚悟していたコーデ達も立つ力を失って倒れてしまっている。
どうせ死ぬならあのまま戦って死にたいと思うところであるが、別に死にたいというわけではないので、大人しく治療を受けるのであった。
「よし……これで君ら四人はとりあえず大丈夫だろう」
「へへへ……この後で殺されるかも、しれないですけどね」
「……それは、私に任せておけ」
何とかこの場で死ぬことだけは防いだところで、意識を保っていたコーデとグッチの二人も意識を失った。
彼らが再び目を開けることができるかどうかは――自分次第だと、マスター・クロウは拳を強く握る。
そんなとき――
「――待たせたな」
「ッ!?」
身体が無意識に震え上がる威圧を振りまきながら、巨大な獣が現れた。
三大魔、今はカームと呼ばれている嵐風狼をも凌駕する体躯を持つ四足歩行型の魔獣。その到着と同時にケンキは忠誠を表すように膝を突き、カームも四足歩行ながら姿勢を低くして敬意を示している。
あらゆる状況から、目の前の大魔獣こそが彼らの王。シルツ森林を制した怪物であると、マスター・クロウは確信した。
「ちょっと待ってよ! こっちは二人乗せてるんだから!」
「これでもゆっくり走ってやったつもりだが? ……走り込みの距離、少し延ばすか」
大魔獣の威圧に震えていたら、その背後から少し小さめの――幼さを感じさせる四足魔獣が走ってきた。小さいと言っても人間よりは大きく、側に戦慄すべき比較対象がいなければ間違いなく脅威と判断される魔獣である。
その背には、二人の人影が乗っていた。まさか人間ではないだろうとマスター・クロウは目をこらすと、よくよく見れば髪の間から長い耳が覗いており、人ならざる者であることは一目瞭然であった。
「さて……ケンキよ? その男か?」
「はい。王との一騎打ちを望む……とのことです」
「フム」
ギロリと、その巨体からすれば遙かに小さなマスター・クロウを睨み付ける大魔獣。
その紅い瞳に睨まれるだけで、彼は寿命が縮んでいるような気さえしていた。
すると、大魔獣が光に包まれる。一瞬視界を奪われたマスター・クロウが次に見たのは――
「一騎打ちとは面白い。我に単身挑むとはいい度胸だ……やはり王としては、不敬は裁けど挑戦は受けて立たねばなぁ?」
およそ二メートルほどの体躯を持った、青い毛皮を持つ二足歩行の獣人系の魔物が偉そうにそう言った。
言動からして、この獣人――ワーウルフが、先ほどの大魔獣なのだろうと、マスター・クロウは何とか理解する。しかし、いったいどうしてこんな、突然種族が変わるなどということになるのかと混乱からは抜けられない。
更に、エルフを乗せていた魔獣も同じように光に包まれ、次の瞬間には普通のコボルトに変化している。当然、その背に乗ることなどできるわけもないため、エルフ二人は引きつった笑みを浮かべていつの間にか地面に降り立っていた。
「おっと……自己紹介がまだだったな? 我が名はウル・オーマ。魔王ウル・オーマである」
どこから取り出したのか、随分と上等な衣服をいつの間にか纏っているワーウルフは自らをウル・オーマと名乗った。
残念ながら、マスター・クロウにその名前に聞き覚えはなかった。魔物に関してはそれなりに詳しいと自負していた彼の知識にもない、どこからともなく現れた怪物。
いったいどうしてこうなったのかと神に文句の一つでも付けたくなる衝動を抑えて、丁寧な対応を心がける。
「私は、このア=レジルのハンターズギルドでギルドマスターを任されている、クロウといいます」
「そうか。して? クロウよ……一騎打ちを望むとのことだが、お前は何を望む? そして、どんな条件でそんなハンデが貰えると思っている?」
ウルは見下す。遙かなる高みから、ビンに閉じ込めた昆虫を観察する子供のような目で。
事実、ウルに一騎打ちを受けてやる義理などない。そんなことをしなくても既にこの戦いは事実上の決着を迎えており、刃向かうのならば数の暴力で仕留めればいいだけのこと。それを、危険を冒して自らが相手にする必要もなければ、配下の手を借りないで戦うなどという非効率的な真似をする必要もない。
それでも一騎打ちをとまで吠えたのだから、そんな条件を納得させるだけの交渉材料があるのだろうな……と、ウルは問いかけているのだ。
その問いに、マスター・クロウはゴクリと唾を飲んで答える。
「結論から言えば……何か差し出せる物など、ない。厳密に言えば何もないわけではないが、そんなもの、私を殺して奪えばいいだけだろうからな」
気合いを入れ、口調を対等な関係であるかのように改める。
ここからは交渉の時間……下手に出ていては得られないものがあると、相手を怒らせ一秒後に殺される危険を覚悟での判断だ。
そんなマスター・クロウの覚悟を面白がるように、ウルは続きを促す。
「なるほどなるほど。どうやら馬鹿ではないらしい。金品などと口にしよう物ならば、その場で殺すところだったぞ?」
「だろうな……」
「それで? 物がないのならば、他に何か交渉材料がある……のだろう?」
「……その前に、一つ聞いておきたい。貴殿らが我らの街に攻め入った理由は……報復、だろうか?」
もし、彼ら魔物――否、魔王軍の目的が、長年森の資源を奪い魔物の命を狩ってきた人間への復讐である場合、交渉はここで決裂だ。
目的が自分達の命であるということならば、もうマスター・クロウに為す術は無いのだから。
しかし、恐らくそうではないという確信が彼にはあった。
「どう思っている?」
「こうして話に付き合っているということは、それだけではないと思っている。……エルフを連れてきたところから考えて、我々に囚われた同胞の救出が第一の目的か?」
「間違ってはいないな……まぁ、それはこいつらの目的だが」
エルフを横目で見ながら、言外に自分の目的ではないと語るウル。
ならば何かと考えれば、その答えはすぐに出た。
「ならば、目的は街そのもの……施設や、技術。……違うか?」
「フフフ……欲しくないと言えば嘘になるな」
「ならば、そこには殺すだけでは決して手に入らない物がある。人が長年積み上げてきた知識や技術は、暴力では決して奪えない! 本気でそれを欲するのならば、人間側からの自発的な協力が必要……異論は!」
「不可能とは言わんがね。まぁ、言いたいことはわかる」
「ならばこそ、それが一騎打ちの対価だ! 私が負ければ、街の住民は皆、貴殿の命令に従う。欲しいものは知識だろうが技術だろうが何だろうがくれてやる! そして私が勝てば、貴殿らは軍を撤退させる……どうだ?」
吠えるマスター・クロウを、ウルは感情を感じさせない目で観察し続ける。
その不気味な目に気圧されそうになる自分を叱咤し、彼はどこまでも力強く立ち続けるのだ。
「フフフ……上手いこと考えたものだな。要するに、勝っても負けても街の民を殺すなということか?」
「それは……技術を求めるのならば、仕方があるまい」
一瞬で見抜かれたと、マスター・クロウは内心で歯噛みをする。
流石に、マスター・クロウもこの怪物達の王――魔王を相手に、単身で挑んで勝てると思うほど自惚れてはいない。
真の狙いは、勝者への賞品という名目で、住民達の命の保障を得ること。それでも気まぐれに殺されるものは出るかもしれないが、問答無用で皆殺しよりはマシだろうという苦肉の策であった。
「いや、その勇気に敬意を表し、受けてやってもいい。だが……貴様に、街の住民を無条件で従えるような権限があるのか?」
「それは……」
「契約を交わしておいて、自分は納得していないなどと逃げられてはかなわん。……街の住民全員の同意。それを以て、俺はお前の挑戦を受けてやろうではないか」
「全員の、同意……?」
「あぁ……生存者全員の同意が得られ次第、一騎打ちを行うとしよう。期限は……そうだな。本日の日暮れまで。それでどうかな?」
マスター・クロウは予想外の言葉に一瞬だまり、直後にその言葉の裏を読み取る。
生存者の同意があれば良いということは、すなわち――
「……反対する者は、こちらの手で殺せ、ということか……?」
「方法は任せるが、それも一つの回答だ。何、どうせ何もしなければ大半は殺すのだから、問題は無いだろう?」
余りにも強烈な悪意を前に、歴戦の男の足が無意識に一歩下がった。
人間同士が争い、殺し合う……そんな絵を、描いているとしか思えない。譲歩しているように見せかけて、そんなすんなり纏まるはずがない話である。
つい先ほどまで、街の住民達は魔物のことなど奴隷としか思っていなかった。そんな相手に服従することなど、そう簡単に――僅か一日足らずで受け入れられるはずがない。
「おっと、先ほど全員と言ったが、この街の責任者である都市長と……軍の責任者のゲッド……だったか? そいつらに関しては別だ。答えなんぞ無関係に、落とし前を付けたがっている者がいるのでね」
付け足すように加えられた条件は、正直どうでもよかった。その二人は死んでも構わない。
そんなことよりも、街の人間同士で殺し合い、何を捨ててでも生きる意思を持つものだけを選別する。そんな罪をこの手に負わねばならないのかと、マスター・クロウは拳から血が出るほど握りしめるのだった。
更に、魔王は追撃を仕掛ける。
「さて……今の条件を呑む者は、この契約書にサインするといい。それ以外は同意とは求めん」
「これは……?」
空の上から、幾枚も突然降り注ぐ黒い紙。
悪魔の契約書――魔王の功罪が、ア=レジルの空を覆っていくのであった。
王を相手に一騎打ち願いは簡単には通らない。