第78話「一騎打ちを申し込みたい」
「制圧完了……思ったよりも楽だったな」
シルツ森林の最奥。領域の魔王ウル・オーマは、自らの住居で数名の者と食卓を囲んでいた。
以前も使った遠隔視の魔道を使って映し出されている自軍と人間軍の戦いの様子を見ながら、優雅に食事を楽しんでいるのだ。
つまらなそうな顔で自らの目的は果たしたと、手元のグラスに入れられた酒を一気に喉に流し込みながら。
「ふぅ……中々良い味になってきたじゃないか」
「ありがとうございます」
料理長オレンによって用意された、王だからこそ口にすることのできる美食に美酒。現在のシルツ森林で用意できる最高の食事を取りながら、ウルは配下の仕事を評価する。
「既にケンキが門を破り、軍勢を街に送り込むことに成功。カームも結界を消したおかげで防壁の内側に侵入完了、後は好きなように殺すだけ……逃げだそうと反対側に集まっていた人間共は、グリンが止めている、と」
ウルは空中に浮かべた魔道によるモニターの映像を見て戦況を把握する。
一年前のオーガ軍との戦争でも使った、虫の使い魔による遠隔視を別の魔道で周囲の者にも見えるようにした術式だ。一年前とは違って複数の虫を飛ばし、同時にいくつもの場所を多角的に観察することを今のウルは可能としている。
「既に勝利は確定してしまったが……さて。後はどのように料理してやるべきかな……?」
血の滴るレアステーキを鋭い歯で食いちぎりながら、この大勢の決した一方的な戦争の結末を考える。その顔は、どこかつまらなそうであった。
はっきり言って、ウルは人間達の力を見誤っていたと自戒する。
ウルの想定では、1000年前より更に発展しているのだろう人間達の戦力から、最初の一戦は負け戦になるだろうと考えていたのだ。
もちろん最終的な勝利を譲るつもりなどないが、それでもそれなりに強烈な力を見せられ、そこからどうやって勝利すべきかという閃きこそが鍵になる。そんなことを、余裕綽々な態度を取りながらも内心では考えていたのである。
だというのに、蓋を開けてみれば威力偵察がそのまま制圧、殲滅戦になってしまっている。
想定を遙かに下回る抵抗。人間達の戦力は、ウルが設定した最低ラインの一割にも満ちてはいない有様であり、その程度のものしか見せなかった人間達は、あまりにもウルの期待を裏切ったと言えよう。
少なくとも、かつての人間達ならば防衛兵器が骨董品のような大砲やらただの大型弓ということはない。強烈な魔化を施した機関銃くらいは最低でも用意していたことだろう。
「魔力核とやらも、予想より遙かに脆弱であったしな……あれならわざわざ軍勢の展開による基板作成など不要だったか?」
ウルは周囲に凶悪な気配をまき散らしながらそう言って、皿の上に残されている料理をひょいひょいと口に運ぶ。
何故都市結界が消滅し、カーム率いる風狼部隊の侵入を許したのか。
それは、隣接するシルツ森林の領域支配者であるウルが、ア=レジル防衛都市の領域を奪ったからだ。
領域支配者と領域支配者の戦いとは、すなわち領域の奪い合い。自らの領域に敵の勢力が居座り続ければ、支配力が弱まり領域を奪われる。故に、縄張りに入ってきた部外者は全力で追い出すのだ――というのは、魔物からすれば常識である。
だと言うのに、魔物を資源としてしか見ておらず、競い合う相手であるという認識を失った人間達はそれを忘れていた。正面から自らの街の近くまで進軍してきたゴブリン部隊相手に、にらみ合いを選んでしまったのだ。
そうなれば、魔王たるウルは配下を通して好きなように領域の支配権を奪える。領域支配者もどきでしかない魔力核には領域の奪い合いという機能が想定されていなかったため、ウルが好き勝手動ける拠点をみすみす作られてしまったのだ。
その上、特に強い力を持つケンキの正門突破。その瞬間、魔力核は完全にウルの支配力に敗北し、本人が乗り込むことすらなくア=レジルの領域は住民達も知らないうちにウルの領域に書き換えられていたのだった。
「せめて、俺の支配が及ぶ前にゴブリン部隊と戦っていればもう少し善戦できただろうに……」
ゴブリン部隊が矢弾を受け付けず、ケンキに至っては大砲すらも跳ね返した。
それは彼らの鍛錬の賜であるが、領域の中であったからというのも大きい。半日で奪い取られた領域――ア=レジル正門前の土地の力は、そのままウルの軍勢に流されており、人間達は知らないうちに地の利を奪われ魔物の巣に飛び込んだも同然の戦いを強いられていた。
それが、この一方的な戦いの絡繰りなのだ。
「それで……どうだった? 少しは学べたか?」
ブツブツと独り言を言っていたようにも思えたウルは、そこで視線を僅かにずらした。
そこにいる、難しい顔をしたコボルト――コルトに語りかけるために。
「領域支配者の感覚って言われても……何となくとしか」
「いずれはお前にもその手の役割を任せるからな。今回は丁度いい練習になっただろう」
コルトは、この戦争において事前に薬を作ったくらいで、兵としては特に何もしていない。
最前線に投入されることもなく、負傷者を癒やす救護班に入ることもなく、ただウルの側に控えていただけだ。
何故そんなことをしたのかというと、教育のためである。いずれはコルトにも領域支配者として幾つか土地を任せる機会もあるだろうと思ったウルは、領域の奪いあいとなるこの戦争の最中、コルトを自らの側に置くことでその感覚を身体で理解させようとしたのだ。
そんな指導を受けていたコルトは首を傾げながらも、何となく掴むものがあったと頷くのであった。
「まあ感覚の話だ。領域の奪いあいはとにかく支配力の主張だからな。慣れている方が何かと有利になる。今後もその感覚を忘れないようにしておけ」
「うん」
「そして、どうであった? 憎い憎い人間共が、塵芥の如く掃除されていく光景は?」
「……それは、その。見事なお手前かと」
コルトに続いて、同じ部屋でウルと食卓を囲んでいた残り二人――エルフの族長ミーファーと護衛のシークーに声をかけた。
想像を遙かに超える圧倒的戦力と、一切慈悲を感じさせない容赦の無い攻め。魔王軍を名乗るに相応しい速攻を見せつけられた二人は、優雅に食事を取りながら幾人もの命を言葉一つで奪い去った魔王になんと言うべきなのか困っていた。
「まだ満足できんか? 正直、俺は些か不満だがな。あまりにも制圧が早すぎて人間共の生き残りが少々多いし……魔力核とやらの相手だけでは消化不良だ」
意思のない魔力核との支配力対決など、あまりにも簡単すぎたと嗤うウル。
とはいえ、当然ながら魔力核だって決してガラクタではない。かつて世界の大半を支配していた魔王の支配力がおかしいのであって、並みの領域支配者が仕掛けても跳ね返してしまう程度には頑強なのだ――などと、現代の常識論を魔王に語るものはここにはいなかった。
「……ん?」
そんなとき、ウルは何かに気を取られ、その直後僅かながら驚きの感情を露わにした。
「ほう……なるほど。それは面白い」
「どうしたの……って、誰かから念話か」
先ほどまでのつまらなそうな表情から一転して、何やら楽しそうな笑みを浮かべるウル。
その変化にコルトは首を傾げるが、どうやら誰かから遠隔通話の魔道を受けたようだと黙った。
「受けてやるとしよう。手を出すなよ?」
何かを命じたウルは、残りの料理を一気に口の中に放り込んで立ち上がるのだった。
「支度しろ小僧」
「え?」
「俺が出るべきのようなのでな。お前も来るがいい」
王の覇気を纏い、ウル・オーマもまた自らの出陣を突然決めた。
「それと、ミーファーよ。貴様も来るといい。被害者たるエルフの代表としてな。既に勝負は決した以上、もうお前達を隠しておく理由はない」
「は、はい」
「では、私も護衛に」
「好きにせよ」
ウルはミーファー達にもついてくるように言った後、自らの身体から進化の光を放ち形を変えていく。
「……いつもながら、勝手だなぁ」
やれやれと、もう諦めましたというため息を吐きながらもコルトはウルに続いて足を動かす。
――その身を、進化の光に包んで。
◆
そんな会話がシルツ森林で行われる数分前、ア=レジルの正門前は地獄と化していた。
「ぐ、ぬぅ……」
「マジ……強すぎんだろ……!」
持てる技術の全てを駆使した死闘。拳士コーデと剣士グッチの猛攻を、ケンキは物ともしない。
功罪武器・朱刃飛沫の斬撃分裂は、そもそも刃が立たないので意味はない。同じく功罪武器・巨人の拳は、切り札である攻撃が大鬼ケンキの普通のパンチと大差ないのだから決定打には遠く及ばない。
コーデチームの残りの二人の支援も、悉くケンキの出鱈目な頑強さに阻まれ、ほとんど意味をなさない。
当然だろう。素の状態でも危険度三桁の三大魔を相手に、しかも魔王の指導により魔道と武術を身につけた今のケンキに、如何にベテランとはいえ常人四人で勝負になるはずがないのだから。
それに――
「下っ端のゴブリンまで、一匹一匹が妙に強いってんだから、笑うしかねぇなもう」
「一般兵の剣なんぞ、普通の服が弾き飛ばしているからな……」
装備をしっかりと整えていた重歩兵はもちろん、装備が揃っていないのだろうと思っていた後方のゴブリンですら、人間の兵士では倒すことは困難であった。
一人十匹殺せばいい計算だ――などと威勢良く吠えていたのももはや懐かしい。一見ただの服にしか見えない装備は金属鎧にも匹敵する強度を保有しており、一般兵の攻撃をあっさり弾き、反撃で絶命させられる。
そんな光景があちこちで見られ、もう周囲は敵だらけという有様なのだった。
唯一善戦していた守備兵長のダモンが数に押されて倒れた瞬間、集団戦としては完全に勝敗が決まったのだ。
「これじゃ、足止めしたんだかされたんだか、わかんねぇな……」
グッチは、自分達が打ちのめされている間に大勢が決してしまった現実を見て小さく笑った。一番危険な大物を止めている間に、雑魚を片付けて優位に立つという話はどこにいったのかと。
だが、これはむしろ人間兵力が全滅するまでケンキと真正面から戦い、今も息がある彼らの実力を褒めるべきだろう。
たとえ腕をへし折られ、足を砕かれた半死半生であったとしても、それでもまだ戦意を持っている彼らは――正しい意味で恐怖を意思の力でねじ伏せる勇者と呼ぶに相応しい男達だ。
「見事な技術であった。もし肉体の性能が互角ならば、恐らく倒れていたのは俺だっただろうな」
「はぁはぁ……それは、光栄なことだ……!」
既に四人に戦う力は残されていない。
グッチは利き腕である右腕を、コーデは格闘の要である左足をへし折られており、まともに構えすら取れない。そして、元々戦闘向きではないシエンとサッチは、既に意識を失っている。辛うじてまだ死んではいないようだが、時間の問題だろう。
援軍に期待することは、味方の全滅という意味で不可能。完全に詰みだ。
「巨漢に、達人無し……だっけか、リーダー?」
「ふん……くだらん話だと今まで一蹴してきたが、今ほどその言葉の空しさを実感する時は無いな」
身体の大きい巨漢は、その恵まれた力に任せるだけで勝利できてしまうため、技の鍛錬を怠る。
そんな意味の言葉であり、人間としてはかなり大きいコーデは『より巨大な魔物にも負けないため』繊細な技を身につけてきた。
しかし、目の前の大鬼は別格の一言。パワーだけでどんな障害をも崩せるだろうに、何故か不必要なまでに繊細な技術を体得しているのだ。
それさえ無ければもう少し、彼らも善戦できただろう。力で勝る相手を打ち倒すのが技なのだから。
だというのに、巨漢が技を駆使してコーデ達の技をいなしてくるのだから堪ったものではない。いくら技量だけで比べれば経験の差でコーデ達が勝ると言っても、基礎性能が違いすぎる。そんな相手に僅かでも技で対抗されれば、一方的な虐殺になるのは当然の話だ。
(本当に、どうなっているんだか……。この強さは、間違いなく日常的に格上と稽古している証明だ……!)
肉体の性能に恵まれ、日夜鍛錬を積んできたコーデだからこそわかる。
技とは、権威や理屈で練習しろと言われて身につくものではない。まず本人が心の底から『技の必要性』を自覚する必要があり、そのためには腕力だけでは決して勝てないと認めざるを得ない強者の存在が必要不可欠なのだ。
勝てない相手に勝つための工夫こそが『技』であり、いかに優秀な教官や指南書があったとしても、その技を生きたものにするには必ずその技を向ける対象がいるはずなのだ。
それはつまり、この怪物を以てしてあらゆる手段を用いなければ勝てないと認めるほどの、彼らの常識を超える更なる怪物の存在を示唆しているのだ。
彼らは日夜努力してきた。つまり、努力しなければ強者の地位に立てない選ばれなかった者。神様の気まぐれである日突然強大な力を手にする勇者や聖人に少しでも追いつくため、必死に鍛錬してきたのと同じ何かがこの大鬼にはあるはずなのだ。
「あのコボルトを相手にしたときは、技量の差を見せつけられた……そして今度はこれだ。どうやら、俺たちはよほど神様とやらに嫌われてしまったようだな」
コーデは、一年前の戦いを思い出していた。
あのときの戦いは、今とは全く逆の立場であった。肉体能力で劣るコボルトが、巧みな技でコーデの攻撃を受けきって見せた戦い。
あのときの、いっそ芸術的とも言えるコボルトの技を自分なりに模倣し修練を積んだつもりだったが、結果はこの様。
技量という意味でも肉体能力という意味でも届かないレベルを見せられたコーデは……何故か、ボロボロの身体に反比例するように穏やかな気分になっていったのだった。
「ある意味……本望か」
「どういうことよ?」
「できればベッドの上で孫に囲まれて死ぬような人生が望みだったが……圧倒的強者に挑んで倒れるのなら、それもまた戦士としては満足すべきなのかと思ってな」
「……へっ! 俺には、納得できないね」
グッチはコーデの悟りを鼻で笑い、辛うじて動く左手に愛剣を掴んで立ち上がる。
そして、ほとんど傷がない――辛うじて負わせた傷も次の瞬間には消えてしまう怪物を相手に、それでもニヒルに笑うのだった。
「俺の人生学では、楽しいイコール勝利なんでね。その圧倒的強者にこっから逆転勝ち収めてこそ――本望って奴だろ!」
「……違いない」
負けて満足するのではなく、勝つつもりで最後まで足掻く。
それもまた戦士の美しさかもしれないと、コーデは残っている足一本で立ち上がる。
「……良い闘気だ。その望み、叶えよう」
対するケンキは、生涯最後となるだろう最後の一撃を繰り出そうとする二人に、この戦いが始まったときと同じカウンターの構えを取る。
最後の最後まで、全て受けきって圧倒する。その命の最後の輝きを余すことなく出させてやろうと、そう宣言するかのようであり、二人が望む圧倒的強者の姿がそこにはあった。
「……感謝する」
「いつか地獄で遭おうぜ」
もはやボロボロの二人にケンキが付き合う理由はなく、覚悟も矜持も無視して攻め込めばそれで終わりのはずだ。
にもかかわらず、最後の足掻きに付き合ってくれる。その戦士の情けに二人は心からの感謝を述べ、残りの力を振り絞ろうとしたとき――
「待った!」
「え?」
「……マスター?」
制止の声がかけられた。
声の主は、この場にいないはずのハンター達の長――マスター・クロウ。
いったいどうしたのかと、ハンター二人は動きを止めたのだった。
「……貴様は?」
「私はア=レジルのハンターズギルドマスター。クロウ・レガッタ・イシルク。貴殿らの王に、一騎打ちを申し込みたい!」
現役を引退し、裏方に回り衰えているはずの中年男は――とてもそんな境遇とは思えない覇気を巨大な怪物に放ちながら吠えたのだった。
負けるのは嫌いだけど、敵が弱すぎるのもそれはそれで不愉快なワガママ魔王。