第77話「こんな気分で抗っていたのかな」
「ど、どどど、どうなっているのかねクロウ君! 我が鉄壁の門が破られたというのは――」
「敵はそれだけ強大、というだけのことです。正門の方には私が動かせる最強戦力を送っています」
ア=レジルのハンターズギルド。そこで指揮を執っていたマスター・クロウの前に、乱れた服のまま錯乱しているとしか言いようがない勢いで、この街の都市長が駆け込んできていた。
防音設備の整った、人様には言えない趣味のための部屋にいたおかげで魔王の咆吼の被害から逃れた都市長。
しかし、使用人を呼んでも誰も応えないことから外の異常に気がつき、今まさに命の危機に晒されていることを知って慌ててやってきたというわけであった。
(……魔物の軍勢が街の前に現れたことは、知っていたはずなのだがな)
想像を遙かに超える力を見せた魔物の軍勢を相手に、マスター・クロウは眉間に罅を刻みながら次の一手を模索し続けている。
そんな疲労とストレスを抱えるところに、一年前から意見が食い違い続け、そして自分が危惧していた通りの非常事態が起こったら頼ってくるような男を相手にすれば苛立ちも募ることだろう。
「クソ……ゴブリンが数だけは揃えて襲ってきたというだけの話ではなかったのか……!」
「正しくは、通常種よりも一回り大きな体躯を持ち、立派な武装を整えたゴブリンの軍勢が出現した、ですよ都市長。緊急事態発生と見なし、街の指導者は集合せよとその場で号令を出したはずなのですがね」
この街の最高権力者は、マスター・クロウからの要請で緊急招集がかけられていたはずであった。
しかし、どいつもこいつも理由をつけて緊急招集への参加を拒否。忙しいだとか専門家に任せるだとか、責任逃れか職務放棄である。
まあ、それで最低限の義理を果たしたマスター・クロウは、素人から余計な横やりを入れられることなく現場指揮に専念できたため、それはむしろ有り難いことであったが。
「とにかく、もはや余裕ぶっている状況ではありませんな。既に絶対に破られないと思っていた防御網は突破され、街中に戦意を捨てていない魔物達が流れ込むのは時間の問題……相応の犠牲も出るでしょう」
「な、何をそんな冷静に!」
「……私の考えでは、既にこの街の戦力だけで敵の戦力を超えることは不可能です。今下位のハンター達を使って非戦闘員の避難を行っています。住民が気絶しているので時間がかかっていますがね。準備が出来次第彼らを裏門から逃がし、イ=サルムの街まで腕利きに守らせて撤退させるつもりです」
マスター・クロウは、既にこの場での勝利を諦めている。
勝ち目がないと判断すれば、速やかにそれを認めて犠牲を最小限にするべく行動する。
それが優れた将というものであり、マスター・クロウには多くのハンター達が自らの大将と認めるに相応しい決断力と判断力があると言えるだろう。
「街を捨てて逃げるだと! そんなことが許されると思っているのかね!?」
「許すとか許さないという話ではなく、それしかないという話です」
「私は陛下に街を任されているのだよ!? それなのに街を捨てたなんてことになれば私の地位は……」
「それは私の知ったことではありませんね。そこはお得意の交渉術で何とかしてください」
しかし、どうやら都市長に将としての資質はないようだ。
彼は戦況ではなく敗北した後の自分の立場のことしか見えていないらしく、マスター・クロウの未来予想図を受け入れることができないようであった。
このままでは、立場どころか命を失うというのに。
「何と無責任な! 君たちは魔物退治の専門家だろう!!」
「我々は狩る者。守る者ではありません。防衛は専門外であり、国から何かの権限を渡されているというわけでもない民間組織……無責任と言われても、そもそも責任も権限もないですからな」
「貴様……自分の失態を押しつけて逃げるつもりか!!」
どうやら、いつの間にか都市長の中でこの一件の全責任はマスター・クロウにあるということになってしまったらしい。
マスター・クロウからすれば、そんなことを言うのならば一年前の時点で戦力をまとめ上げ、シルツ森林に出現した何かが力を付ける前に叩くというプランを承認してほしかった。
権限の無い者に責任はない。都市長は自らの責任と権限の下、マスター・クロウの積極策を潰し、この事態を招いたのだから、その責任問題は自分で何とかしてほしいとしか思わないのであった。
「ふう……そもそも、敗走後の責任問題などという暢気な話はこの場を生き残ってからにすべきでしょう? それとも、都市長は責任者としてこの街と運命を共にするつもりですかな? それならば別に止めませんが」
「いや、そんなつもりは……」
都市長の目が分かりやすく泳いだ。
彼はこのア=レジル防衛都市の最高権力者でありながら、死ぬ覚悟も戦う覚悟もない。最近中央からやって来たゲッド同様、元々は安全地帯で甘い汁を吸うことにしか興味が無いお貴族様であり、ここに来たのも異界資源がもたらす富だけが目当てである。
そんな男がリスクを取る決断ができるはずもなく、ここまでダラダラと敵に準備期間を与えてしまったのが最大の敗因であったと、マスター・クロウは悔恨の念にかられるのであった。
(権力なんぞ無視して強行すべきだったか? しかし味方に足を引っ張られながら危険の高い森攻めを強行しても、死期を早めるだけだっただろうな……)
自分はどうすればよかったのかと、今考える意味が無い過去のことを思ってしまうマスター・クロウであったが、頭を振って雑念を消すのだった。
「とにかく、ここまで圧倒的にやられている以上は勝ち目はまずない。この街が落ちれば世界が滅ぶというわけでもないですし、一時撤退と思えばいいでしょう」
「しかし……そんなことになれば、私の都市長の地位はどうなるのかね?」
「責任者の仕事は責任を取ることです。これだけの被害を出したとなれば勇者の派遣要請も通るでしょうし、門を破られた以上は敗北を受け入れ、犠牲をどれだけ減らせるかが勝負。アナタも死にたくなければ避難誘導にでも従ってください」
これ以上相手にする気はないと、マスター・クロウは都市長を無視して歩き出した。
そんな下級貴族にして、たかがハンター上がり風情の男の無礼な態度に、都市長は顔を真っ赤にする。
「き、キサマ……覚えておれよ! 無事に逃げ延びた後は、必ずや貴様の責任を追及してやろうぞ!」
「ご自由に」
都市長の捨て台詞に、マスター・クロウは振り返りもせずに一言だけ残して立ち去った。
……そんな話に、意味はないと。
(俺はここで死ぬしかない。町民達が逃げ出すまでの時間を、こんな現役を退いたロートルの命一つで稼げればいいがな……)
既に、マスター・クロウは現役時代の装備を身に纏っている。
若く有望なハンター達を町民の避難の名目で逃がし、先のない自分のような年寄りが命を捨てて盾になる。
それがマスター・クロウの考えなのだ。
しかし――魔王の悪意は、そんな覚悟を当たり前のように踏みにじる。
「マスター! 大変です!」
「……何があった?」
これ以上悪い報告は聞きたくないと耳を塞ぎたくなるが、本当に聞かないわけにもいかない。
覚悟を決めて、ギルドに駆け込んできた若者の言葉を待った。
「う、裏門に火の手が! それに多数の魔物の影を確認!」
「何だと……? 敵の規模は? それと火災規模と出火原因は?」
「攻め込んでくる様子はないですけど、裏門から出たらすぐにでも襲いかかれるって位置に……推定100ほど。黒装束で姿を隠しているんで、正確な数は不明! 火の方は……原因は不明ですけど、今は使っていない家畜小屋が火の元らしいです。防壁の外なんで街への被害はありませんが、裏門から出ればかなりの犠牲者が出るかと……」
「――ッ! 退路を、断ってきたか……!」
マスター・クロウはその報告を聞いて、魔物達の狙いを察した。
どんな方法を使ったのかはわからないが、自分へ情報が来ないように裏門一帯を制圧されていたことを。
ゲッドが独断でエルフの監禁場所に家畜小屋を使ったことを、マスター・クロウは知らない。故に、何故そんなところから火の手が上がるのかはわからず、何故そんな大軍が潜めていたのかもわからない。
裏門にだって、当然見張りはいたはずなのだ。その見張りが中央から来た軍人達と街の守備兵との軋轢によって排除され、ゲッドの権限により情報が封殺されていたことなど知るよしもない。
そこから派生した様々な緊急事態ですら、ハンター風情に教える必要はないという軍人の傲慢で握りつぶされていたことなど、マスター・クロウには何も伝わっていないのだ。
「クッ――裏門の消火! それと、正門で戦っている者以外の全戦力を投入し、退路を開け!」
「わ、わかりました!」
マスター・クロウの叫ぶような指示を受け、若者ハンターはまた全力ダッシュで裏門に帰っていった。
こうなると、マスター・クロウとしても次の一手をどうすべきか迷ってしまう。正門を破壊してきた大鬼は彼が最も信頼するコーデチームに任せているが、それでも勝てる可能性は低い。その戦場に自分も出向いて最後まで足掻くつもりだったのだが、背中から敵が迫っている状態で時間稼ぎなどただの犬死にだ。
となれば、自分も裏門に回って退路の確保を手伝うべきかとも思う。マスター・クロウが最後の戦力を率いて正門の戦いに加わるよりも逃亡のための時間は大幅になくなり、無事に逃げられる人数は減るだろうが、ゼロよりはマシかと。
が――
「ヤバいですよマスター!」
「こ、今度はなんだ!?」
判断を迷う彼に、更なる凶報が伝えられる。
「防壁を越えて、化け物がどんどん入ってきてます!」
「防壁を……越えて?」
「ええ! 正門と裏門の、丁度中間辺りから挟み込むようにね!」
「馬鹿な……都市結界はどうしたというのだ!?」
マスター・クロウは常の冷静さをかなぐり捨てて叫んだ。
ア=レジルの街は、正方形の防壁の中に作られている。
そして、防衛と輸送の観点から、出入り口は森に面する正門とイ=サルムの街に通じる街道がある裏門の二つしか無い。
それ以外から入ろうと思えば、ル=コア王国の技術の粋を集めて作った無敵の防壁を破壊しなければならず、仮に鳥系の魔物のように空を飛べる者が上から侵入しようとしても、ドーム状に張り巡らされた都市結界が弾き飛ばす鉄壁の構造になっている。
都市結界とは、この世界に存在するあらゆる都市に存在しているもので、最高位の魔道士達が長い時間をかけて作り出す珠玉の魔道具――魔力核によって発生する結界だ。
そして、結界の動力源は土地の魔力を利用している。つまり領域支配者が土地の魔力を使うのと同じ原理で、魔力核は疑似的な領域支配者の役割を果たしているということだ。
残念ながら異界を形成することはできず、魔力核では異界資源を得ることはできない。そのため異界学の研究者達は日夜より安全で確実な異界資源の入手法を模索しているのだが、とにかくこの魔力核がある限りその地は既に領域支配者が存在しているという扱いになるため魔物の支配下に落ちることはなく、人間の領域となるはずの物なのである。
それなのに、防壁を越えてきた。結界は防壁の上から発生しており門にはない――奴隷魔物を街中に入れる必要があるため――ので、門を破って入ってきた魔物達はわかる。
しかし、そうでない魔物が入ってくるはずがないのだ。
「馬鹿な……いったい、どうやって……?」
予想もしていなかった事態に、いよいよマスター・クロウの処理限界を超えそうになっていた。
魔道士ではない彼に、魔力核の詳しい原理は理解できない。故に、どうすれば結界を越えられるかなどわかるはずもない。
だからこそ、歴戦の頭脳はその手の技術的な問題を全て忘れる。考えても意味はないことは考えないと、現実だけを見据えていった。
「は、入ってきたのは……どんな魔物だ?」
「……信じたくはないですけど、四足歩行の巨大な狼型が複数。風を操るように大気を踏みしめて、続々と入ってきているって……」
「風を操る狼……三大魔、風の牙、か……」
マスター・クロウは倒れそうになる身体を気力で立たせて思考を続ける。
(今、この街の住民は二手に分かれている。正門の戦士と、後門の避難民。そこに左右から機動力に優れた魔物が入り込んできてみろ。正門も裏門も、どちらも背後から好きなように攻撃できるということ……!)
先ほどまでも、勝利は困難と諦めたくなる状況はあった。しかし、撤退という希望はあったのだ。
だが、今となってはそれもない。裏門を塞がれ、そこに血路を開こうにもそんなことをしている間に背後から全員食い殺される。
圧倒的な戦力差。そして、それを自在に使いあらゆる希望を叩き潰さんとする姿無き指揮者。
「……ふふふ。古の時代、魔王と戦ったという英雄達は、こんな気分で抗っていたのかな……?」
魔王軍。そんなお伽噺にしか出てこないような単語が、何故かマスター・クロウの脳裏に浮かび上がるのであった。