第74話「お楽しみを始めるとするか」
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「畜生……この、変態野郎……」
「フンッ! 亜人風情が偉そうなことを。ほれ、もっと泣かんか!」
ビシッ! という音が弾け、直後に女の悲鳴が上がった。
「ぎぃ!?」
「フハハ! そらそらそら!」
薄暗い部屋に、男女が一人ずつ。それだけ聞くと何ともいかがわしいものを感じるが、実際にはそんなものではなかった。
男の方は上半身裸で鞭を手に取り、女の方はボロボロの布きれを着せられ手足は縛られるという屈辱的な姿。
抵抗できない相手を痛めつけ、興奮するという健全とは言えない一方的な交流が行われていたのだった。
「ク、ソ……」
女は悔しさに涙する。
こんな相手に抵抗できない自分に。この程度の拘束も破れない自分に。
しかし、逆らえない。長い耳を持つ女は、恍惚の笑みを浮かべている男――ア=レジルの都市長には逆らえないのだ。
「フフフ……反抗してみるかね? ま、もし僅かでも私に傷でもつけようものなら、その百倍はキミのお友達に償ってもらうがね?」
「ちく、しょう……」
――囚われたエルフは、他の仲間を人質に取られ、ただ悔し涙を流すことしかできなかった。
この外部からの妨害を防ぐ、つまり外からの情報が遮断される部屋の中で、今外で何が起きているのかもお互いに知らないままに……。
◆
「クソ……! こんな、もん……!」
「やめておけよ。腕が痛くなるだけだ」
ア=レジル防衛都市自慢の防壁の外に、汚らしい小屋がある。住民から悪臭や騒音の苦情が出ないよう、街の外に作られた小屋だ。
外見からは家畜小屋としか言いようのない、実際に家畜小屋として建設されたのだろう不衛生な場所に、何人もの男達が手足を縄で縛られたまま転がされていた。
「はぁ……森の皆はどうしてるんだろうな? 無事に生き延びてくれていれば良いが……」
「そうじゃないと、こうして屈辱を受けている俺たちが報われないよ」
家畜小屋に押し込められているのは、男のエルフ達である。
彼らは先日の聖なる森襲撃の際に人間に囚われ、そのままわけもわからずに聖なる森の近くからこの場所まで連れてこられたのである。
更に、つい先ほどこの中から何人か無作為に連れ出され、残った余りがここに転がっていた。
残された者の共通点は、戦士としては線が細いこと。
襲撃の際に囚われたのは皆、人間の侵略に対抗するべく剣を取った戦士達であり、少なくともまともに戦えないような貧弱な者はいない。
しかしそれでも、やはり体格の差というものがある。捕虜エルフの中でも特に屈強な身体の持ち主だけが連れ出され、比較的弱そうなのが家畜小屋で放置されているのであった。
「女達は無事だろうか……」
「……祈るしかない」
エルフの戦士は男性だけではない。女性エルフも中にはおり、彼女達は囚われると同時にどこかに運ばれてしまい、彼らには安否が全くわからなかった。
人間の野蛮さと邪悪な本性を、エルフ達は知っている。それを思えば、あまり想像したくはない現実があるだろうことは、嫌でも考えてしまうのであった。
「何とか、縄さえ破れれば……」
「ああ。後は素手でも人間共の首をへし折ってやるんだがな!」
エルフ達は、小屋の外に感じる気配にせめてもの抵抗として、殺気を込めた視線を送る。壁越しなので相手は気がついていないだろうが。
――一方、その憎悪を受けている相手は不機嫌を隠さない表情で、それでも職務だとただただ家畜小屋の周囲を過剰な戦力で囲んでいたのであった。
「……異常なし」
無愛想に、見張りの規則に従って定期的に周囲の味方に異常が無いことを口頭で知らせる。
中に入って見張るのは臭いから嫌だと拒否しているが、ちゃんと見張りの兵としての仕事はしている。
万が一エルフ達が仲間を取り返しに来たら撃退し捕えられるように。あるいは捕虜が自力で逃げだそうとしたら速やかに制圧できるように。
「……隊長、どうしてしまったのだ……?」
「わからぬ。だが、我らにできるのは命令を守ることだけだ」
「家畜小屋の見張りだがな」
不満を隠せない様子で警備を続けているのは、ゲッドの作戦に従う直属――王都からの派遣組だ。
隊長と新人が消息不明、しかも裏切りの恐れありということで彼らもまたその忠義を疑われ、今やこんな雑用にも等しい見張りを命じられることになっていた。
当然、身に覚えのない彼らからすれば不満でしかない。彼らは皆王都配属の、どちらかと言えばエリートに分類される軍人達だ。
中には貴族の次男三男もおり、実力も確かとなればア=レジル配属の守備兵と比べてプライドが高い。自身を優秀な軍人であると自負している立場からすれば、いてもいなくても変わらないようなどうでもいい見張りに身が入らないのも無理は無いだろう。
それでも現場を放棄したりしないのは流石忠実な軍人というところであるが、間に合わせに家畜小屋を牢代わりにしてそこを守るというのは何とも情けない姿である。
「……森側の戦況はどうなっているのだ?」
「偵察によれば、動き無しらしい」
「にらみ合いを続けている、というところだろうか」
彼らはシルツ森林方面とは反対側に位置する場所に配置されている。
魔物の巣窟に近しい場所で家畜を飼うのは危険である、という判断で家畜小屋が建てられているからであるが、そのせいで突然攻め込んできた魔物軍との争いからも蚊帳の外にされてしまっていた。
現在この街にいる戦闘員の中では最強、少なくとも野蛮なハンターなどとは比べものにならないと自負しており、その自分達が緊急事態に戦力外扱いされているのは我慢のならないことである。
いくら我慢がならなくとも命令ならば従う軍人の性で大人しくしているが、いざ命令が下されたときはすぐにでも駆けつけられるよう最前線の情報を可能な限り手に入れようとしていたのだった。
「もう日も暮れてきた……動くならばそろそろかもしれないな」
「闇夜に紛れての奇襲か? あり得なくはないが……」
「偵察の話だと、堂々と隊列を組んで街の前に陣取っているらしいじゃないか。それで奇襲が成り立つか?」
既に日は半ば隠れ、夜の闇が姿を現そうとしている時間だ。
そういった刻には当然闇に紛れての奇襲が警戒されるが、堂々と姿をさらしておいて奇襲も何もない。
魔物達が何を考えているのかと、最も戦場から離れた位置という不満の残る場所だからこそ、彼らはある種の油断を持ちながら予想を語り合っていた。
そんな心構えだから、本来ならば生じないはずの隙が生まれるという危険性を、彼らは熟知しているはずなのに。
「一人目」
黒塗りの刃が、闇夜が生み出した影から飛び出し、一人の男の首を刎ねた。
「なっ――!」
「敵しゅ」
それに気がついた周囲の兵士たちも、異なる場所から伸びてくる刃によって速やかに永遠の沈黙が与えられる。
しかし、彼らもまた精鋭と呼ばれる軍人だ。仲間の死に動揺するよりも、全く接近に気がつくことができなかった事実に戦慄するよりも、まず冷静な状況把握から。
叩き込まれてきた訓練の賜で、闇に溶け込む襲撃者の正体を、彼らは最小限のロスで把握することに成功するのであった。
「ご……ゴブ、リン?」
彼らが両の眼で捕えたのは、黒装束で全身を包み込んだ異形であった。
人間よりも頭一つ小さく、しかしゴブリンと呼ばれる魔物よりは一回り大きいその異形が僅かに露出している目元を見るに、彼らの知識からはやはりゴブリンであろうと考えるしかなかった。
「ク――下等種が!」
明らかに通常のゴブリンとは異なる存在であるが、ゴブリンはゴブリン。数だけが取り柄の害獣であり、彼らのような精鋭からすれば敵ではない。
そんな相手に、既に数名の同志が殺された。その事実には流石の精鋭軍人も冷静さを奪われたのか、支給されている装備を一斉に構えるのであった。
「文明の利器を食らいやがれ!」
彼らの標準装備は、腰にぶら下げている量産型の長剣に、様々な体勢から瞬時に取り出せるよう服に仕込んだ数本のナイフ。そして、肩にかけた殺傷力に秀でる大型銃器である。
マナバーストと名付けられた、他国で考案、開発された兵器であり、最近ル=コア王国でも国内生産が可能となったものだ。最新の魔道技術と科学技術の粋を集めて作られたものだけのことはあり弾速、破壊力共に、女子供が護身用に持つ玩具とは比べものにならない。
その性能の代償に巨大化し、反動も大きくなってしまってはいるが、人間ならばどこに当たっても重傷間違いなしである。
当然、ゴブリンなど回避も防御も不可能。銃口を突きつけた時点で勝負ありと断言して良い、国家権力が背後にいる軍人だからこそ持てる秘密兵器なのだ。
「撃てぇぇぇぇ!」
かけ声と共に、一斉に軍人達は引き金を引いた。
火薬と魔道のハイブリッドで威力を得ているマナバーストは、連射も可能。引き金を引いている限り弾丸を発射し続け、弾倉が空になるころには敵は跡形も残らないというのがセールストークだ。
しかし――
「[無の道/二の段/重防壁]」
黒装束のゴブリンの中でも、一番凄みのあるゴブリンが魔道を発動した。
素早く正確に発動された魔力の壁を作る無の道は、彼らの弾丸を受け止めはじき返す。
如何に銃器が高い破壊力を持っているとはいえ、魔力というエネルギーを巧みに使う魔道士を相手にするにはまだまだ不十分。魔道士が高い評価を得る理由であり、銃器が玩具扱いされる所以だ。
「魔道だと!? ふざけるな!」
絶叫しながらも、彼らは連射を止めない。
破壊力が個人の実力に依存しないことが強みであり弱点でもある銃器にとって、その性能では破れない壁を用意されてはもはや資源の無駄遣いというべきだろう。
しかし、冷静なはずの軍人達は誰もが現実を受け入れることができないまま、無駄な連射を続ける。
魔道とは、人にとって選ばれし者の証。
選ばれた者ならば、高い金と手間をかけて銃器など持ち歩かなくとも、その力を振るうだけで大きな力を発揮できる。
それができないからこそ彼らは軍人として装備に頼り、誇っているのだ。
そんな選ばれし者――地道な訓練で一歩一歩進んできた彼らからすれば受け入れがたい魔道士という存在と、魔物がどうしてもイコールで繋がらない。
事前に配布されていた作戦資料の中には『シルツ森林には魔道を習得した魔物の存在がある』という報告もあったが、誰も本気にはしていなかった。
報告者のハンターが質の悪い冗談を言っただけだと、誰も本気にしていなかったあり得ない事態。それが目の前で行われ、彼らの冷静さは完全に吹っ飛んでしまったのだった。
そんな隙を、暗殺者は逃さない。
「やれ」
暗殺者――暗鬼・グリンは壁を張り、人間達の攻撃を止めつつ配下に指示を出す。
直接力比べをするのは彼らの流儀ではない。それがこうして姿を現してみせたのは、ただの囮だ。
軍人の装備に関しては人間の捕虜から全て聞き出しており、またその性能も一緒に鹵獲した実物相手に検証済み。力任せに魔道で防いでも問題なしと確認できていたからこそ、最初の奇襲で数人の首を取るという行動で自分に注意を引きつけ、背後から迫っている多くの配下を隠してみせたのだ。
「ギャ!?」
「ぐべっ!」
錯乱して弾丸を撃ち続ける人間達を、グリン配下の暗殺部隊が後ろから刺す。
確実に一撃で、急所を抉る。訓練どおりの動きにグリンは満足そうに頷き、この場の戦闘は瞬く間に終了する。
結果は、人間達の全滅。咄嗟の反撃を受けたり、跳弾で多少傷を負った暗殺部隊もいるようだが、被害は軽微というべきだろう。
後は、作戦どおり捕虜のエルフ達を救出するのみ。エルフの救出が目的であると知られないため、偽装工作目的で人間の死体まで軒並み全て回収しなければならないので、むしろ大変なのはこれからだ。
確実に暴れるであろうエルフ達を説得する余裕はないので、さっさと気絶させて運搬。人間の死体も全て片付けた後この辺り一帯に火を放つことで痕跡を消去する手筈となっている。
それを、今の銃声を聞いて駆けつけてくるだろう人間達が来るよりも早く片付けなければならない。
その手際は、特殊工作班としての面目躍如というところであろう。
『任務、完了』
『ご苦労。事前の予定どおり、次の配置につけ。……では、お楽しみを始めるとするか』
素晴らしい速度で仕事を片付けたグリン暗殺部隊は、最後に手元の通信魔具でその旨を彼らの王に報告する。
その連絡と共に――魔王の進撃が始まる。
権力を持った人間は大体碌なことにならない。
権力を持たない人間は大体碌な目に遭わない。