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第73話「恥と思え」

「進め! エルフ共!」


 ア=レジル防衛都市自慢の防壁の上で、指揮を執る男が拡声器を使いながら大声で眼下の兵に指令を出した。

 その言葉に素直に従い、エルフ兵は感情を感じさせない機械的な動きで足を進めていく。


(……フン。不本意ながら、命令は絶対、だ)


 指揮官――ア=レジル守備兵の長、守備兵長ダモン・ガルダーは心の中でそれだけ呟いた後、己の任務を全うすべく声を張り上げる。

 その内心を、心の中に押しとどめたままで。何故こんなことをしなければならないのかと、無意識に脳裏に過去の出来事を再生しながら……。


……………………………………………………

………………………………………………

…………………………………………


 突如長年の沈黙を破り、姿を見せた大量の魔物達。

 一年前の、悪魔の如き咆吼を聞いたときより街の者は口にこそ出さないまでも心のどこかで予想していた事態だ。

 そのため、人間達の行動は迅速であった。すぐに守備兵が招集され、いつでも戦える準備が整えられた。後は指揮官であるこのア=レジル守備兵長ダモンの号令一つでいつでも……という状態だったのだが、そこに待ったをかける人間がいた。


『この街の兵は全員僕の指揮下に入ってもらう。まずは命令だ。僕の忠実な奴隷達を使って防衛線を作れ。そして、こいつらが足止めしている内に無礼な下等生物共をハリネズミにしてやるといい!』


 王都より派遣されてきた貴族にして技術者、ゲッド。彼は貴族としての権限と権威ある研究所の職員としての権限を持ち、シルツ森林攻略に関しての指揮権を王より預けられた男だ。

 そんな男と、ちょっと軍内での階級が高い辺境配属の守備兵長では勝負にならない。腕力ならばダモンの方が遙かに上だが、指揮権がゲッドにあるのならばそれに従うのが軍人の正義である。


 ハンターが己の意思と信念を重視するのに対し、軍人が重視するのはどこまで行っても上の命令のみである。そうでなければ軍というものは機能せず、どれだけ気にくわない相手からの、どれだけ納得がいかない命令であっても忠実に、そして迅速に従うのが彼らの流儀なのだ。


 故に、上位の命令権を振りかざし、この場で最も偉大なのは自分であると看板を掛けているような男の言葉に対して彼らが言える言葉は一つだけ。

 了、の一言だけである……。




(魔物共の装備から考えて、普通に矢を当てた程度ではさほど大きなダメージにはなり得ないだろう。ならば少しでも時間を稼ぐというのは、理に適っている)


 何かに言い訳するように、ダモンは心の中で作戦の正当性を確立しながらもその働きに淀みはない。

 軍人として、個人の感情よりも命令の方が優先順位は高い。その精神を完全に体現する忠誠心こそが、一介の平民上がりの彼が一都市の守備兵長に抜擢された理由である。


「……そろそろですな」

「うむ! 全隊、止まれ! その場で防御陣形!」


 副官の言葉を聞いて、ダモンはエルフ達に止まるように命令を出した。

 作戦の概要は、エルフ達に敵軍の足止めをさせ、その間に防壁の上からこれでもかと矢弾を撃ち込むこと。シンプルながらも効果はあるだろう。

 魔物に飛び道具を作れるほどの技術は無いだろうし、あっても高低差という絶対的優位がある。魔物に似つかわしくはない武装を持っているという点から完全に安心はできないものの、撃ち合いならば上にいる方が勝つのは戦場の習わしだ。


 その考えに基づき、エルフ兵を待機させるのはア=レジル守備兵の射程から少し下がった辺り。

 作戦の性質上、味方の矢弾でエルフ兵に多くの死傷者が出ることになるだろうが……それは必要経費として無視する、というのが上官(ゲッド)の命令だ。

 ならば、そこにダモンの意思を交える余地は無い。


 そのまま魔物軍がこちらの射程に入るか入らないかというところまで接近したとき――魔物軍は、信じがたいほどに統率の取れた動きで一斉に動きを止めたのであった。


(……訓練された動きだ。魔物とは本能のままに突進するばかりだと聞いているが、どうやら誤りのようだな)


 ア=レジルの守備兵は、魔物の領域に近しいということもあり対魔物も想定している。

 しかし、基本的に現代の軍人が敵とするのは盗賊や他国の軍人であって魔物ではない。もちろん、治安維持の一環で街と街を繋ぐ道に出現する魔物を討伐するといった仕事はあるが、基本的に魔物退治はハンターの領分だ。

 そのため、専門家であるハンターに比べると軍人の魔物に対する理解度は低い。それを理解しているからか、ダモンは美しさすら感じさせる魔物達の一糸乱れぬ集団行動に素直に感嘆の意を漏らした。自分も知らないことがあったんだろうと、専門家ではないからこその柔軟さで。

 もしこれをハンターと共に見ていたら、きっと彼らは腰を抜かしていたことだろう。あの魔物達の後ろにいるであろう、統率者のあり得ない支配力と知性に。


「あの位置で止まるというのは……こちらの射程を理解してのことか?」

「ギリギリ届くか届かないか……というところですね。現状で攻撃を開始しても、望んだ成果は得られないかと」

「エルフ兵に射撃させてみるか……? それで突っ込んできてくれれば有り難いのだが」


 防壁の上に並べている弓兵や狙撃兵に今攻撃命令を出しても、ほとんど届かないどころか流れ弾がエルフ兵に当たるだけだろう。

 しかし、囮兼壁として展開させているエルフ兵からは十分射程範囲内だ。エルフ兵は弓の名手であるとも言うし、攻撃命令を出すのは間違った手ではないだろう。


「……最前列の重歩兵を避け、後方の軽装部隊を曲射で狙う。それで敵軍の足並みが乱れれば儲けものだ」


 共に訓練した経験すら無いエルフ兵であるが、弓の名手というならばそのくらいは可能だろう。

 ダモンはそう判断し、拡声器を口元に持っていった。


「各員――」


 しかし、その一言でダモンの言葉は止まってしまった。

 ダモンが次の手を考えている内に、魔物軍が次の行動に移ってしまったのだ。


(投石……?)


 がっちりと前方を固めている重歩兵の後ろから、球形の物体が大量にエルフ兵達に向って投げつけられたのだ。

 どうやら、重歩兵と弓兵の合間を縫うように、投擲兵も混じっていたらしい。確かにあれならば弓矢には遠く及ばなくとも、遠距離攻撃は可能だろう。

 そこに魔物の腕力が合わされた立派な凶器。先手を取られたかと舌打ちしたくなる心を抑え込み、すぐさま反撃せよとダモンはエルフ兵に指示を出した。


 しかし――


「ッ!? 何だ!」


 その命令が守られることはなかった。

 投石かと思われた物体は、地面にぶつかると同時に爆発。殺傷力はほとんどないと思われる小さな破裂音くらいしかなかったものの、代わりにモクモクと煙が吹き出してきたのだ。

 それを吸ったエルフ兵達は、その場に倒れてしまった。毒――の文字がダモンの頭に浮かぶが、優れた戦士としての常人を超えた視力による観察によれば、エルフ兵達はピクピク痙攣こそしているが死んではいない。どうやら、身体を麻痺させるしびれ薬の類いを混ぜた煙玉だったらしい。


「薬物兵器だと……? いったいどこの軍からの横流しだ!」


 流石のダモンも、これを魔物達が自力で作成したとは思わなかった。

 魔物とは文化も文明も持たず、本能のままに生きる野生の獣の一種である。その認識が一般的である人間社会に生きる者として、これは越えられない一線だったのだ。

 そもそも鎧や武器を身に纏っている時点でおかしいのだが、それ以上に薬物という確かな知識が求められる道具を扱うというのは考えられないことである。


「報告! エルフ兵、6割が行動不能!」

「かなり強烈な効果があるようだな……異界資源か? クソ、これは流石に想定していないぞ……!」


 ギリッと、ダモンは自らの歯を砕くつもりなのかと思うほどに力を入れて歯噛みをした。

 軍人として、命令を無視することはあり得ないが、命令を果たせないことも同じく問題だ。

 そんなことを考えている間にも痺れ煙玉は次々と投げ込まれており、エルフ兵達は何の仕事も果たすことなく無力化されていくのであった。


「囮として目立ちやすいように纏めたのは失敗だったな……」


 流石のベテランというべきか、ダモンは小さく息を吐いて自分の心を平静に戻してみせた。

 冷静に状況を分析すれば、囮として狙いやすいように配置したエルフ達をダモン達の狙いどおりに敵が狙ってくれたというだけだ。

 その攻撃方法が、突進して直接攻撃というものではなく、人外の腕力で投擲されたしびれ薬であったという誤算があっただけで。


「残った数では壁として機能しないだろう……やむを得ん。撤退せよ!」


 ダモンは作戦の失敗を受け入れ、エルフ達に撤退命令を出すべく声を張り上げた。

 その声を聞いて、まだ動けるエルフ達は引き返す――ということはなかった。


「ム? 聞こえていないのか?」

「いえ、これは……」


 エルフ達の指揮権は、魔道具による支配を行っているゲッドにある。

 今はゲッドに次ぐ第二命令権限の持ち主としてダモンが設定されている状態なのだが、エルフ達は撤退命令に従うことは無かった。


 その理由は――


「……所詮は、第二。より上位の命令が優先されるということか」


 ――命令権最上位に位置する、ゲッドの命令とダモンの命令に食い違いが生じたためである。

 ゲッドがエルフ達に下した命令は、死んでも自分の役に立て。命を惜しまず魔物共の殲滅を果たすこと、である。

 文字通り相手を道具としか思っていないが故の発言であるが、この命令がある限り彼らに『撤退』の二文字はない。

 目の前に何よりも優先順位が高いと設定された魔物がいるのに、操られたエルフ兵に撤退命令など出せるわけがないのだ。


「……余計なことを!」


 戦略的撤退は敗北ではない。今無理をしても戦力を失うだけであると判断したのならば、躊躇も未練も無く撤退を命じるのが真に優秀な将というものだ。

 だと言うのに、引くべき時にも引けない兵などどうしろというのか。上役に向けて言う台詞ではないが、つい本音が出てしまうダモンであった。


「……全滅だ、な」

「はい。前方に展開したエルフ兵は、全滅。全て捕えられ……あるいは、殺されるでしょう。救助に出すような人的余裕も意味もないと、総司令官は判断するでしょうな」


 そんな彼らの予測どおり、エルフ兵は結局何もできないままに全員薬で無力化されてしまった。

 せめてもの抵抗として、反撃するように命じたりもしたが、当たり前のように弓矢は弾かれ何ら被害を与えることはできなかった。

 最初の一手で過半数がやられてしまった寡兵の弓兵など、その程度の脅威でしかないだろう。


 そのまま、無力化されたエルフ兵に対して魔物軍が次に打ってきた手は、魔物兵の隙間を縫うように迫ってきた何かであった。

 ハンターの間では大蜘蛛と呼ばれる魔物が最前列まで出てきた上で、口から糸を吐いて倒れたエルフ兵を絡め取り、自陣へと引き込んでいく。

 そんな方法を取られては当初の予定どおりエルフ兵を囮にした射撃など行えるはずもなく、みすみす全エルフ兵は痙攣したまま魔物軍の陣営の中に消えていってしまったのだった。


 そして――


「……睨み付けるように、待機か」

「何が目的でしょう……?」


 エルフ兵を回収し終えた魔物軍は、そこから動くことなく止まってしまった。

 ア=レジルの射程範囲外を保ちながら、しっかりと守りを固めた上で威嚇している。

 街を攻めるのは不利と判断し、こちらが痺れを切らして打って出るのを待っているのだろうか?

 ダモンはそう考えつつも、取るべき手は決まっていた。


「決して焦るな。我慢比べで獣に負けることなど恥と思え」

「了解!」


 ダモンの判断は、待機命令。

 守りを固めた堅牢な砦から誘い出すのが狙いだというのならば、それに乗るのは愚の骨頂。

 時間をかけたところで、森側を押さえられていてもア=レジルとしてはさほど補給に影響はない。持久戦ならば頼りがいのある壁に守られている人間側と、平地に突っ立っている魔物軍では明らかに人間軍が有利。

 その判断は決して間違ってはいないのだが、彼は知らなかった。


 ド派手に展開している軍勢とは別に、陰に潜む別働隊が背後から忍び込もうとしているということを……。

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他力本願英雄
― 新着の感想 ―
[良い点] エルフゲットだぜ(笑) [気になる点] 異界産の毒物って領域支配者ごとに変わるんですかね、解毒薬の種類が膨大になりそうです。 [一言] 前のコメントですが、修道院はコメディーでしたね、失礼…
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