第72話「何で素直に従うんだ?」
ア=レジル防衛都市。防衛都市と名付けられているが、実際には異界資源を効率よく獲得するための前線基地という意味合いが強い。
魔物など人間の奴隷である、という認識が強く広まった現代においては、本気で魔物の脅威に怯えるような人間の方が少ないのだから当然のことだろう。本気で魔物対策なんてする必要はないと思っている人間も多いくらいだ。
しかし、最前線で魔物の脅威を肌で感じている戦士達までそんな認識を持っているということはない。
調教され、反抗する心を徹底的に折られた奴隷魔物しか知らない人間達と違って、彼らは容赦なく命を狙ってくる野生の魔物を知っているのだ。
神々が剣を取ったとされる神話の時代のそれは流石にお伽噺であるが、油断すれば自分が殺されてもおかしくないという認識はしっかりと持っているのである。
現在、ア=レジル防衛都市の武装勢力には三つの派閥が存在する。
マスター・クロウ率いるハンター達。
国よりいざという時の戦力として配置されている守備兵団。
ゲッド・ラシルが中央から連れてきた軍人。
この三勢力がア=レジルの全戦力であり、とりわけ強い力を持っているのはゲッド率いる軍隊であると言える。
ハンター勢力はあくまでも民間組織。個々人が自分の仕事を自分で決めるスタイルからもわかるとおり、本来国軍の命令を受ける義務はない武装民間人の集まりである。
だが、守備兵団は国軍の一部であり、中央から指揮権を渡されているゲッドの意向を無視することはできない。前線基地であり異界資源供給の重要拠点である街の守りが最大の任務である以上、ゲッドの好き勝手に動かすことはできない。しかし、任務に反しない範囲でならばゲッドの命令に従うのが職務である。
つまり、事実上二つの勢力を従えているゲッドの権限が大きい、ということだ。
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「地の利を活かして、敵の進撃を止めろ――か。ったく、本当に魔物退治の依頼か?」
「信じがたいという気持ちはわかるが、受け入れろ。目に映った事実を否定し始めたら死期は近いぞ」
――防衛都市自慢の、街をぐるっと囲む高く分厚い防壁。人が登り隊列を組むことを前提に設計され、更に上空から強烈な矢弾を放つことも考え設置式大型弩弓に大砲まで用意されている場所で、眼下を見下ろしている四人の男達がいた。
彼らの所属はハンターズギルド。その中でも精鋭とされる、専属ハンターチームである。
リーダの名は、コーデ・エゴル。かつてシルツ森林に侵入し、魔王ウル・オーマと一戦交えた凄腕の拳士である。
一年前にも共に戦っていた彼の仲間三人も側におり、マスター・クロウの指示を熟しているところなのであった。
「大型マナセンサー……接続できたか?」
「ああ。完了だ」
チームのサポート役、シエン・フォルが仕事を終えた。
彼らの仕事は敵情視察――と言っても、既に見える場所まで大量の魔物が進軍してきているので、やることは目視で敵の危険性を長年の経験で判断することだ。
ついでに、防壁に設置されている、こういった籠城戦の際に戦場の状態を把握するための特殊なマナセンサーの内の一つが動作不良を起こしていたので直すようにも言われていたが。
「機械様の反応は? 俺の目にはやべーって感じだけど」
「……流石大型。携帯用とは範囲が違う」
こういった道具の整備にも精通している、サポーターのシエンは大型マナセンサーの画面を見て引きつった笑みを浮かべた。
センサーが測定した敵影の総数は、森の中に潜んでいる分も併せて978体。センサーの範囲外に潜んでいることまで考えれば、確実に千を超える大部隊だ。
測定される平均魔力値から推定して、危険度平均は二桁前半。特出した個体は確認できないところから、本当に一匹一匹が人間ならば十分一流、プロを名乗ってよい力を有しているということになる。
加えて――
「武装まで完璧とか、これ完全に戦争だろ……」
魔物軍は、一体一体がしっかりとした武装を纏っている。それこそ、ハンターであっても駆け出しならば指をくわえて眺めるしかない上等な造りをした一品をだ。
先ほどの危険度測定はあくまでも魔力値のみを参照したものであるため、武装は考慮していない。これがどれほど危険なことなのかは、考えるまでもないことだろう。
「……いや、完璧ってわけじゃなさそうですぜ」
「どういうことだ?」
四人の中で最も視力、観察力に長けるサッチ・モンテが魔物軍の装備に関して、何か気がついたようだった。
「よくよく見てみれば、装備品の質に大きくムラがありますね。最前列で威圧している奴らの武装は大した物だけど、後ろの方の連中はただの服……鎧が足りてないのが目立つってところですか」
「……なるほど。とりあえず数だけ揃えたというところか」
「半分ハッタリでも、半分は本物なら十分すぎる脅威だがな」
「流石に俺の剣ほどの逸品はないだろうけど、あの数に突っ込めとか言われたら流石に死ぬかもね。あれ、あれだけの質があるのに結局は雑兵でしょ?」
戦闘力だけならばリーダーのコーデにも後れを取らない剣士、グッチ・ダラーは常のヘラヘラした笑顔を引っ込め、戦士の顔で本音を語った。
その言葉の通り、特出した個がいない以上、今現れているのはあくまでも雑兵。確実にこの魔物達の背後にいる規格外の怪物は見に回っているということであり、あれはあくまでも敵軍の一部でしかないということだ。
「シルツ森林の魔物は同盟でも組んだのか? ……理由はともあれ、あの数とまともにやり合えば被害は甚大。基本戦術は壁を使って飛び道具だろうな」
「それはそうでしょ。せっかく丈夫な盾があるのに使わない理由がないって話です」
「俺やグッチの仕事は、敵軍が門を破ってから……今は気組みでも練っておけ」
「まあ、門を破られるって、都市としては半分敗北の大事件な気もするけど」
「正真正銘最後の砦になるということだ。重要な役目だろう」
「りょーかい……って、ん?」
目視で把握できる敵軍の戦力分析を済ませたコーデチームは、この場から立ち去ろうとした。
そこで、グッチが信じがたいものを目にした。
「あいつら、何やってんの?」
これから始まるのは籠城戦だ。今まで用意してきた、外敵に襲われたときの備えを駆使して侵略者を倒す戦いが始まるのだ。
だというのに――何故か、最も堅牢にして最後の守りである、防壁の唯一の通り道である門を内側から開いていったのだった。
「おいおい。まさか敵が内部に入り込んだとか……?」
「いや、それは違う。まだ敵軍との距離はかなりある。もし間者が入り込んでいたのだとしても、今のタイミングで開いたのでは閉じられるだけだ」
「……そりゃそうか。まだ矢も届かない位置だもんな」
焦るグッチに、シエンが冷静な意見を述べる。
ア=レジル防衛都市は確かにシルツ森林への攻撃のために建造された砦であるが、それでも今のような不測の事態に対応する時間を稼げるようにと、少しは距離を離している。
その距離は、大体徒歩で一時間ほどというところ。特別視力に優れた者や、そうでなくとも防壁の上に設置されている望遠鏡を使えばシルツ森林がはっきり見えるくらいの距離であるが、今魔物の軍勢が迫っているのは大体中間地点というところ。全力疾走で近づくのではなく隊列を組んでゆっくりと進軍している様子なので、このまま何もしなければ30分後に門に辿り着くというところだろう。
そんな状況で門を開いても、敵にも味方にも得はない。開門と同時に人知を超えた速度を持つ上位の魔物が突進してくるということもないようであり、この突然の開門は魔物かそれに組みする敵の策略ではなく、このア=レジル側の人間の意思であると考えるのが自然だろう。
しかし、彼らにはその理由がわからない。どうしたことかと門の方を見ていると、何人もの人影が隊列を組んで出てきたのであった。
「……防壁の外に部隊を展開? 何のために?」
「まさか、籠城戦の有利を捨てて真っ向勝負希望ってこと? あいつら自分のこと勇者か何かだと信じてんの?」
思わず唖然としてしまう四人であったが、本当に自殺志願か何かだとしか思えない行動だ。
ここでのセオリーは、誰が考えても地の利を活かし、こちらに届くまでに頭の上からこれでもかと矢と弾丸を降らせてやる一方的な攻撃だろう。戦術の究極は自軍に被害を出さないまま一方的に敵軍に被害を与えること。その理想を追うならそれ以外にない。
だと言うのに、味方が前に出ては弓矢も使いづらくなる。味方ごと撃ち抜く覚悟でやれば関係ないかもしれないが、いずれにしても余計な被害が増えるだけである。
味方の支援など一切不要。一人で千体斬り捨てれば良いと豪語できる勇者クラスならば、話は別であるが。
「……どうやら、勇者とは違うみたいですね。その対極……使い捨ての特攻隊か」
「どういうことだ?」
「出てきたの、全部エルフみたいですよ。最近中央のお偉いさんがエルフ相手に何かしらやってるって情報は掴んでいたけど、まさか時間稼ぎの生け贄に使うつもりとはね……!」
状況を理解したサッチが、不愉快そうに仲間に状況を説明した。
それを聞いて、他の三人の顔にも嫌悪の感情が宿る。
「……死んでも惜しくはないエルフの捕虜を特攻させて、少しでも時間を稼ぐことが狙いか」
「弓矢弾丸で一方的に攻撃できる時間は、長けりゃ長いほどこっちに有利……ってわけね。流石は王都からやってきたお貴族様のエリート様。考え方が俺たちとは違うみてぇだな」
人間は魔物を、そして他種族を見下している。利用し、その命を人間のために使うことに何の抵抗も持っていない。
それは真理であり、もはや揺るがしようもない世界の常識だ。
しかしながら、彼らのような最前線で戦う戦士ともなると少し異なる価値観を持っている。
彼らとて、もし人間とエルフの命を天秤にかけろと言われれば、さほど迷うことはなく――犬猫をやむを得ずに殺すような罪悪感は持つだろうが――人間を選ぶだろう。
だが、命をかけて背中を預ける仲間の命を粗末にするとなると話は別だ。彼らハンターは常に死の危険を親しい友人のように側に置いて生きる人種であり、だからこそ共に戦う戦友に一切の差別的感情を持たない。
そんなことをすればいざという時に自分が死ぬことになることを身体で知っているハンター達からすれば、亜人だからと言ってその命を使い捨てにするような作戦には反感を覚えるのであった。
「マスターはどう思っているんでしょうね?」
「どう思っても口出しはできんだろう。国軍への指揮権は、王都のお貴族様が握っているんだろうからな……」
マスター・クロウにあるのはあくまでもハンター達へ要請する権利のみ。軍人に対する命令権は一切有しておらず、更に言うならば専属以外のハンターに対しての命令権すら持っていない。
コーデ達専属ハンターはギルドの命令に従う義務があり、それによって定期収入を得ているが、専属以外の一般ハンターにとってギルドとはあくまでも仕事の仲介者でしかないのだ。
無論、常の仕事を得られるかどうかの決定権を持つ人物としてハンター達に強い影響力を持つ人物であることは間違いないが、それでもできるのは要請まで――というわけだ。
「いざという時に街を守るのは軍人の仕事……俺たちは狩る者でしかない」
「お貴族様の横暴を止めることはできないってわけか」
グッチが吐き捨てるようにそう言うと、四人とも無言となった。
やりきれない思いはあるが、だからといって今も街の外に展開されているエルフ兵を助けようなんて行動するわけにはいかない。
そんなことになれば、最悪突然現れた魔物軍との戦いの前に人間同士で無駄な争いをすることにもなりかねないのだから。
「……行こう。この場所にも軍人共が登ってくる。そうなれば不要な苛立ちを覚えるだけだ」
何もできないと、コーデは何かを飲み込むように背を向けた。
はっきり言って、ハンターと軍人の関係は悪い。どちらも戦闘力に自信を持つ同類でありながらも、その心情も信念も全くと言って良いほど異なっている存在であり、下手に顔を合わせればやらなくてもいい喧嘩をする事になりかねない。
ならばさっさと立ち去ろうとしたとき――ヒュンッ! という、風を切る音が彼らの耳に飛び込んできたのだった。
「っ!? 矢か!」
その音は、矢が大気を貫いて進む音そのものであった。
どこからの音かと咄嗟に四方を背中合わせで確認すると、すぐに音源を特定する。
「……エルフの矢」
「この距離で有効射程内?」
「いや、流石に届かないだろうけど」
矢を放ったのは、防壁の外に展開させたエルフ兵の一人だった。目標は魔物軍だ。
と言っても、それは敵を射貫くのが目的ではない。そもそも射程外なのだから当然だ。
この一矢の狙いは、敵の狙いを自分に引きつけること。魔物軍がエルフをスルーして街に迫ることのないよう、挑発せよと命令が出たのだろう。
「確実にエルフだけを犠牲にするつもりってか……でも、何で素直に従うんだ?」
「この状況で矢を射る意味がわからない……なんてことは、無いと思いますけどね」
今の一矢は、囮役としては正解かもしれないが、自分の命を確実に危険にさらす行為だ。
そもそも街の外に出る時点で危険極まりないが、これは決定打になりかねない。
そこまでの覚悟を決めて人間の街を守る理由がエルフにあるのだろうかと、首を傾げる四人だったが、魔道士を有さない彼らにその理由はわからないだろう。
エルフ達の首に光る首輪が、彼らの全てを牛耳っていることになど……。