第7話「実技を見せてやろう」
前半人間界視点。
ファルマー大陸。太古の時代に行われた神魔戦争――神々と魔王の戦いにより崩壊した世界の中で唯一、生物が暮らせる環境が現存する命が残る大陸。
その大陸の支配者、つまりこの世界においての生物の頂点とは何か? という問いが投げかけられた場合、その答えを客観的に記すのならば、それは人間だろう。
神魔戦争においての勝者は神々であり、その神々に従った人間達が後の世界の主導権を握ったのだ。その逆に、敗北した魔王の眷属である魔物や亜人達は力を失い、迫害され多くが隠れ住むこととなったのだが。
では、支配種族となった人間達は、その後同族と協力して平和を手にすることができたのか?
その問いの答えは、否である。人間達は自分たちを脅かす強大な力を持つ異種族を排除することに成功したと思ったら、今度は自分たちの中から敵を探し始めるように『国』という形で分かれていった。
かつての勢力を失ったとはいえ、まだまだ魔物の脅威が残る世界で自らの最大優位である数の有利を自ら捨てるかのような愚行。現代に蘇った魔王がそれを知れば、所詮人間などその程度であると鼻で笑うだろう。
それでも、人間達はそれぞれの国を同じ人間から守るべく、そのための戦力を育てようとしている。
例えばこの場所、ファルマー大陸に生きる人間ならば知らないものはいない5つの大国の一つ、ル=コア王国が誇る魔道士育成を目的とした国立教育機関、初代国王の名前を持つアルハメス魔道学園のような場所で。
「では、これより講義を始める」
そこには歴史があった。創りあげられてから長い年月が経ったのだろうことを感じさせる、歴史の重みが作り上げる風格とでも言うべきものを感じさせる建物の一室。そこに、人間の大人が一人と数十名の子供が集まっていた。
これこそが、伝統あるル=コア王国のアルハメス魔道学院だ。建国から長い年月を経て得た風格は、建物の壁一つからも感じられる。
……もっとも、歴史の重みなどに興味が無い人種からすれば、単に古いだけと言うかも知れないが。装飾品などわかりやすいものは絢爛豪華に飾り立てられているところから考えると、利用している者の中にも古いだけという認識があるようにも思えた。
表現の方法で印象ががらりと変わる古い建物の一室を仕切っているのは、年の頃にして40歳を少し過ぎた頃だろう紳士だ。
その男は厳粛な雰囲気を醸し出しながら本を開く。アルハメス魔道学園にて採用されている初級編の教科書だ。
彼の名はジルト・レムレス・ファルグア。ル=コア王国の下級貴族であるファルグア家の三男坊であり、魔道士としての資質を持って生まれたことからアルハメス魔道学園に入学した後卒業。その後は教育者の道へと進んだ男である。
ジルト教師は現在、初等科――国民全員に行われる魔道士適性検査に合格した8歳から12歳の子供へ教えを授けるのが職務としており、今まさに授業をはじめるところなのだった。
「さて、諸君。君たちは畏れ多くも国王陛下のお慈悲により、こうして魔道士となるべく知識を得ることができる。その幸運に感謝し、努々やる気をなくすような――例えば居眠りなどをしないことを願っている」
ジルト教師はそこまでで一端言葉を句切り、これから教え子となる子供達をゆっくりと眺める。
本日はこの年の入学者に対する最初の授業が行われる日であり、クラス担任としてはここで舐められるわけにはいかない大切なところだ。
「……さて、君たちは魔道士としての資質を持っているというだけの素人だ。故に、まずは基礎の基礎から教えることとしよう」
アルハメス魔道学園は、貴族階級などの富裕層と平民階級の貧困層の子供でクラスが分けられている。
それは特権階級としての権威を明確にするためでもあるが、単純に両者の知識量に隔たりがあるためだ。金持ちの子供ならば、将来を左右する要素である魔道士としての資質検査など国の手が入る前に自分たちで済ませ、もし資質ありと判断されれば早い内に教育を開始してしまうのである。
他の全てを後回しにできるほどに魔道士という人種が優遇されている証であり、それ故についこの間はじめて自分に魔道士としての資質がある事を知ったばかりの子供達と一緒にしていては非合理的だと判断されたわけだ。
ちなみに、貴族クラスは2クラス、平民クラスは6クラスの合計8クラスが一学年に存在し、一クラス平均40人ほどなので、一年で発見される魔道士資質を持つ子供は平均300人ほどである。
「具体的な魔道の使い方などはまだまだ後の話だ。まず諸君らが知らねばならないのは、魔道士としての資質を持って生まれたことがいかに幸運なのかということである。……入って教科書を配れ」
「ブィ」
ジルト教師は、手招きで教室の外にいる従者に合図を出した。教科書は学園からの支給品なので、今ここで生徒達に配られるのだ。
だが、ジルト教師の命令に従い、教科書を運んできたのは――人間ではなかった。全身に痛々しい傷跡が見られる異形、豚鬼と呼ばれる魔物であった。
このオークは、奴隷魔物と呼ばれる人間の小間使いだ。捕獲した魔物を調教したか、あるいは奴隷魔物に産ませた子供を人間の奴隷として教育したものであり、こうした力仕事や雑用に広く使われている存在であった。
度重なる暴力によって完全に心をへし折られ、抵抗する意思の全てを奪われている奴隷オークは、ジルト教師の命令に従い生徒達に教科書を一つずつ卑屈な表情のまま配っていった。
生徒達は、その光景に対して特に何も思うことはない様子だった。当たり前なのだ。魔物が人間の命令に従い、人間のために生きるのは。
「終わったのなら、とっとと出て行くが良い。……さて、諸君、まずは最初の一ページを開きたまえ」
ジルト教師は教科書の一ページ目、最初に書かれている概要を開くように指示しながら話を始める。
仕事をした奴隷オークのことなど、既に視界に入ってはいない。所詮は人間に産まれることのできなかった醜い化け物、という以上の評価などする必要が無いのだ。
奴隷オークは素直に命令に従い、教室から出て行く。その後、何事も無く授業は進んでいく。
「よいか? 魔道とは奇跡の術であり、人の身では決して引き起こすことのできない様々な現象を起こすことが可能だ。しかし、いくら努力しても資質のないものに魔道を操ることはできぬ。それだけでも、諸君らがその他大勢の凡人とは違うという証明であり、この幸運を決して逃さぬように努力すべきであるということがわかるだろう」
その言葉は事実なのだろうが、どこか選民意識を植え付けるような偏った言い方だった。
これは魔道士に多いのだが、使える者と使えない者で明確な差が出てしまう魔道の術を扱える、という事実がそのまま相手を見下す思想へと繋がってしまうのだ。
事実、ジルト教師はわかりやすいくらいの選民思想を持っている。元々貴族という特権階級の出身である事に加え、本来ならば何一つ持つことのできない三男坊でありながらもこのような地位に就けたことへの誇りと依存の表れであるとも言っていい。
そんな人間に教育者が務まるのかと良識ある人間ならば誰もが思うだろうが……貴重な人材である魔道士には、特権階級としての認識を持ち国のために働いてほしいという思惑があるのが本当のところなのだ。自分は庶民であるという認識のまま弱い者の味方になられるよりも、特権階級側の人間であると教育した方が都合が良いのである。
それは、魔道学園の教師が貴族出身者のみに認められることからもわかることだ。
「よいな? これから先、優れた者のみに許された魔道の担い手であることに誇りを持って挑むがよい」
では、二ページを開きたまえ。その言葉と共に、本格的な授業がスタートする。
それに併せて、漸く本当に知りたかったことが知れると子供達は眼をキラキラさせて普段は決して触れることのない高級品である本――教科書を眺める。
平民の識字率は決して高くはないが、魔道士としての資質を見いだされた時点で、魔道学園とはまた別の教育施設にて無料の特別教育を受けているので問題なく読むことができる。
例えばそう、幸運にも一般農民から魔道士見習いとなることができた、胸の名札に『ジル』と書かれている少年であっても。
「ではまず基礎知識からだ。魔道とは性質を定める四つの“道”と格を示す6段階の“段”によって構成され――」
◆
「では、さっさと貴様らに魔道を教えるとしよう」
一方、こちらは魔物の領域とされるシルツ森林のある洞窟の中。そこには数体の魔物が集まり、まるで人間達が創りあげた教室を真似るように座っていた。
教師役のコボルトが一人前に立ち、他の魔物――コボルトが一匹とゴブリンが七匹。計九匹の魔物の集まりだ。
といっても、人間達の教育施設のような建物も教材も何もなく、青空教室ならぬ洞窟教室であるが。
彼らが何をしようとしているのか。もしそれを人間の魔道士が聞けば鼻で笑うどころかそのまま死ぬまで笑い続けかねないほどに荒唐無稽なことだ。
よりにもよって、少し頭がいいコボルトと、その辺にいるゴブリンに、選ばれし者の技である魔道を習得させようとしているのだから。
「まず大前提だが……貴様らは魔力の扱いは理解しているな?」
「マリョク?」
教師役のコボルト――ウル・オーマが口を開くが、最初からゴブリンの一体が首を傾げる。
彼らは昨日まで言葉一つまともに喋ることもできなかったのだ。知識を期待するだけ無駄というものである。
ウルもそれは理解しているので、諦めたように粛々と一から解説するのだった。
「……万物に宿るエネルギーのことだ。魔力とは大気中からその辺の石ころ……もちろん生物の中にも、つまりはどこにでも存在しているエネルギーだ。魔力を持たないものはこの世に存在しないと言っていい」
「えっと……それで?」
「魔道とは、魔力を変質させることで様々な現象を引き起こす技術だ。つまり魔力を操ることができるのが前提になるわけだが……できるだろ?」
「と、言われても……」
コボルトの少年コルトも、その他のゴブリン達も首を傾げるばかりだった。
魔力を操れるかと言われても、そんなこと意識したこともないのだから。
「……そんなに難しい話ではない。繰り返すが、この世のあらゆるものに魔力は宿っている。まして、我々魔物――つまり魔石生物にはその名の通り魔石と呼ばれる体内器官が存在している。これは呼吸や食事で摂取した魔力を効率よく回収するための器官であり、魔石を持たない非魔石生物に比べて有利だ」
「マセキ?」
「マモノノ、ナカアル、イシ?」
「アレ、ボスガ、スキ」
「ふむ。お前らのボスは魔石を好むのか。それは当然だな。魔物は肉体の全てが魔力に強く依存する生物であり、より強くなるにはより多くの魔力を得るのが一番手っ取り早い。そして、魔物の身体の中でもっとも魔力を含んでいるのは間違いなく魔石だ。……まあ、これは蛇足だがな」
少し話が逸れたとウルはそこで咳払いをし、魔道の解説を続ける。
「魔力の操作はそんなに難しい話ではない。というか、お前らも無意識に行っているぞ?」
「そうなの?」
「ああ。例えば、そうだな……重い物を持ち上げる時を想像してみろ。お前らはどうする?」
「どうって……力を入れる?」
「そうだな。誰だってそうする。そうした『身体の一部に力を入れる』という動作の時、自然と体内の魔力はその力を込める場所に移動しているのだ。後はその魔力を移動させる感覚を覚え、筋肉の動きに寄らずに動かせるようになればいい」
コルト達は話を聞いて「それならできるかも」と少し自信を持つ。
だが、ウルは簡単なことだとさらりと言っているが、決してそんなことはない。魔王基準ではできない方がおかしい話かも知れないが、普通の存在からすれば苦労するはずの話なのだ。
何故ならば、人間の国において『希少な人材』とされる魔道士の適性――それこそが、魔力のコントロールを行えるか否かなのだから。
ウルの言うとおり、特別な才能が無くとも魔力を動かすことなら誰でもできる。しかし、魔力のみを自在に操り魔道として形成することが可能なのは限られた天才のみ――というのが現代の常識なのである。
もっとも、そんな常識などウルが知るはずもない。故に無意識に、ウルは現代の常識を踏みにじる。
「まあ安心するがいい。魔道とは、才能も功罪も無い者にも戦う力を与えるために作り出した技術なのだからな。魔力さえあれば使えるのだから、誰でも扱えるに決まっている」
「そうなんだ」
魔道とは誰でも使える技術である。
人間の魔道士からすれば決して認められないことをあっさりと口にし、コルトたちも疑うことなく頷く。
「魔道に関しての具体的な話ももちろんするが……その前に、まずは魔力の制御訓練だな。一番わかりやすい方法はやはり水を……できれば魔素水を使った手法だろう。小僧、この辺りでまとまった水を入手するにはどこへ行けばよい?」
「え? うーん……飲み水はいつも雨水を使ってるしなぁ。まとまった量となると、怪魚人の湖まで行かなきゃいけないよ?」
「怪魚人……魚の魔物、ピラーナか。そやつらが水場を独占しているのか?」
「うん。この辺の森の支配者は暴れ者のオーガだけど、水中に限ればピラーナが相手だと負けるかも知れないからね。湖にはおいそれと近づけないよ」
ピラーナとは、所謂半魚人の魔物だ。魚を人型に歪めたような魔物であり、鋭い牙と水中での素早い動きが最大の武器である。
反面、陸に上がればほとんどの戦闘能力を失うことから、水場に近づきさえしなければ危険は無い魔物だ。
「……まあ、どちらにせよ水の確保は急務だ。虫けらのように雨水にいつまでも頼ってはいられん。支配領域の確保は急務であるし、周辺の支配者も干渉を躊躇うというのならば防壁としても有用だろう。早速行くとしよう」
しかしウルは戸惑うことなく方針を決定する。
自分に恐れるものなど何もない――そんな背中を配下に見せつけるかのように。
「学ぶとは、何事もまず見ることから始めるのが最も手っ取り早い。まずは貴様らに、魔道の実技を見せてやろう」
ニヤリと安心感を与えるような強者の笑みを浮かべ、ウルは動き出すのだった。