第69話「感謝いたします」
(ここは……どこでしょう?)
闇に沈んだ意識は、僅かな痛みと『ジャラジャラ』という音で僅かな覚醒を果たしていた。
(私は、確か……)
意識の主――聖なる森の王、樹木の大精霊は、自らの記憶を辿っていく。
(人間に襲われ、敗北した……?)
最後の記憶にあるのは、炎を纏う武器を振りかざす人間と、その後ろでニヤニヤと笑う気味の悪い人間。
弱点とも言える炎の兵器――功罪武器から森を守ることに力を割かれた結果、樹木の大精霊は敗北した。そして、禍々しい魔力を放つ呪いのアイテムを首に嵌められたのだ。
樹木の大精霊の本体は、雄大な大樹である。そして、その幹から他者と意思疎通を行ったり細かい作業を行ったりするために作られた人間を模した上半身が生えており、首輪はその部分につけられていた。
(クッ――オノレ、ニンゲン……!)
意識がはっきりしてくるに連れて、徐々に人間への憎悪と怒りがこみ上げてくる。このままでは邪念で構成された邪霊に堕ちた樹木に変質しそうになっていたとき――誰かの声が聞こえてきた。
(誰かが話しかけている……? 同胞達? それとも森の住民でしょうか……?)
未だ、樹木の大精霊の視界は回復してはいない。呪具・服従の首輪の効果により、意識だけが闇の中を漂っているような状態だ。
だから、唯一聞こえてきたその声に意識を集中するほかないのであった。
『……どうした? 精霊? 操られているにしても、もう少し役に立つところを見せられんのならばこのまま殺すぞ?』
(え? この、声は……?)
知らない声であった。樹齢300年を超える彼女の人生を振り返っても、該当する声に聞き覚えは無い。
しかし――それでも彼女の魂は震えた。知らない声のはずなのに、魂の奥底に仕舞われた記憶が反応しているのだ。
(これは、先代の記憶……?)
樹木の大精霊が何故『マザー』の名を冠しているのか。
それは、樹木の大精霊という種族の特性にある。彼女らは死亡する際、種を残す。通常撒くそれとは違い、特別な力を宿した種――転生の種とも呼ばれる希少なものだ。
そう、樹木の大精霊の位階にまで至った個体は、死亡すると同時に自分の力と記憶の一部を次世代に繋ぐことができるのである。
全てを継ぐことはできないものの、そのアドバンテージは一から始めなければならない他の同族とは一線を画すものであり、母の転生体はそのまま次の支配者になるのである。
だからこそ、彼女は知っている。知らない声質のそれが、何代繰り返しても決して忘れてはならない厄災であることを、その魂の波動を記憶しているのだ。
「魔王……ウル・オーマ……!」
強制的に脳裏に浮かぶのは、先代――樹齢1000年の大精霊として圧倒的な力を誇っていた現大精霊の母の前に現れた、黒い塊。
大樹と称されるべき先代の身体をも凌駕する巨体を持ち、今彼女が人間に対して抱こうとしていた負の感情など鼻で笑うほどの絶大な邪気と邪念に満ちた存在。
かの魔王の一存で、一つの種族の滅びが確定し、その余波で無関係の生命が壊滅すると誰もが確信していた古の大怪魔。先代が神々の力で弱められ、滅ぼされてから誕生した現大精霊の彼女は直接の面識は無いものの、その暴威は決して忘れない記憶として刻まれていた。
(――! ま、マザーがかつて支配していた森の2/3を食い荒らし滅ぼした、超越の魔王……! な、なんで今、この時代に……!)
1000年を超える歴史を持っていた先代は、傲慢であった。自分こそが森の王、自然の支配者であると確信しており、人にも魔物にも自らへの畏怖と祈りを求めていたほどだ。
まさに、神を騙る大精霊。神々が殺そうと考えてもおかしくはない思想の持ち主であったということだが、そんな彼女はかつての魔王にさえ自らへの服従を求めたのである。
その結果――魔王の怒りに触れた森は、一夜にして壊滅に追い込まれた。空腹であったらしい魔王は躊躇すること無く森を食い荒らし、そこに住んでいた動物も植物も無関係に全て食らい尽くしていった。
当然それに抵抗すべく戦いを挑んだ先代であったが、当時の魔王の力はまさに圧倒的であり、何もできずに死の寸前まで追いやられ――彼女は1000年の時の中で忘れていた『恐怖』を刻み込まれることになったのだ。
何より恐ろしいのは、魔王は決して王として戦争を仕掛けたわけではないということだ。
自らへの侮辱を国に対する宣戦布告と見なし軍を動かすというのは、王制国家ではあり得ないことではない。少なくとも、王へ従属を要求するなど、宣戦布告と取られない方が難しい行いだ。
しかし、その時の魔王は軍を動かしはしなかった。無礼な発言を受けたその場で単身報復を行い、国家の力を一切使うこと無く自らの暴威のみで世界の支配者になれると自惚れていた先代に滅びの恐怖を与えたのである。
言ってしまえば、魔王の癇癪。魔王を怒らせるということはそういうことであり、仮に国家が動くほどのことではない些細な無礼であったとしても、先代と同じ目に遭わされる可能性がある恐怖の象徴だったのである。
最終的に魔王は森を半壊させた後『そこそこ腹も満ちた。その恐怖に免じ、このくらいで勘弁してやろう』という言葉を最後に去っていったため辛うじて生き残ったのだが……魔王が刻み込んだ恐怖は、次世代の現大精霊にまでしっかりと残るほどに大きな傷になったというわけである。
……まあ、恐怖と同時に恨みもしっかりと覚えており、神々による魔王討伐の際には傘下であるエルフを引き連れ神側で参戦したのだから割と強かでもあるが。
『じょ……冗談じゃないわよ! 魔王なんて相手にできるわけないじゃないの!!』
服従の首輪の呪い。そんなものを遙かに凌駕する魔王への恐怖を思い出し、樹木の大精霊の意識は死に物狂いで闇から抜け出していく。
かつての戦いで先代が神々の味方をしたのも、神の力ならば魔王に対抗できるという打算によるもの。自らが絶対者であるという驕りを完膚なきまでにへし折られた先代が、別の強者にすり寄っただけの話だ。
そして現代。もう神々ですら彼女の味方ではなくなってしまった。神々自らが先代を滅ぼし、その後は弱々しくなった現大精霊の森を神の加護を受けた人間達が攻撃してくる有様。この状態で魔王に敵対するなど、今度こそ完璧に滅ぼされることは間違いないのだから。
「ク――アッ!」
現実世界で服従の首輪に罅が入り、樹木の大精霊は自力で首輪の支配から抜け出すことに成功した。
「よ、し――ぼばっ!?」
と、同時に首輪が爆発を起こし、人間体の部分に激しい痛みを与えた。更に――
「ぜ、全身に激痛がぁぁぁぁっ!?」
意識が完全覚醒すると同時に、樹木の身体に何本も突き刺さった魔道の刃から痛みが一気に伝えられる。
本来精霊は痛覚が鈍い方なのだが、いきなりここまでやられては悶絶は避けられない。普通の生物ならこれだけでショック死していてもおかしくはないダメージなのだから。
「ん? 正気に戻ったか?」
そんな彼女を見上げていたのは、樹木の大精霊からすれば矮小な体躯を持つ一匹の魔物。
記憶にあるそれとは比較にもならないほど小さく、弱々しい姿ではあるが……精霊には、その魂がはっきりと見えている。
弱体化している。見るも無惨なほどに退化している。そんなことなどどうでも良いほどにその存在は――間違いなく魔王ウル・オーマなのであった。
「ご、ご無沙汰しております……」
全身に突き刺さる刃も、いわゆる瘤のようなものでしかない人間体部分の爆発も、樹木の大精霊の命を脅かすものではない。
凄まじく痛いが、それよりも優先すべきは魔王のご機嫌取り。先代の致命的な過ちの経験を活かすべく、小さな魔王に樹木の大精霊は全力で頭を下げたのだった。
サイズの問題でどうしても見下ろす形にはなってしまうが、大切なのは気持ちであると信じて。
「うん? 会ったことがあったか?」
「私自身は初めてお目にかかりますが……先代が失礼をしたと……」
「先代? ああ、樹木の大精霊の転生か……はて? 何かあったか?」
「い、いえいえ! 些細なことで大した話ではありません!」
恐ろしいことに、1000年以上昔に森を滅ぼしかけたことを魔王は覚えていなかった。
実はウル・オーマではないという可能性が頭を過ぎらなかったわけではないが、魂に刻まれた恐怖はその魂が紛れもないウル・オーマのそれであることを示している。
精霊の感知力に間違いは無い。隠す気もない暴威は、目の前の存在は魔王ウル・オーマその人であることを証明しており、先代が支配した広大な森を一夜にして壊滅させたことを細事として記憶すらしていないことを明確に示しているのであった。
「さて……意識を取り戻したのならば、改めて聞こうか」
「あ、改め……?」
「さきほども一度言ったのだが、今俺はお前の領域に攻め込んでいる。故に、お前には抵抗する権利と服従する権利の二つがある。どちらを選ぶ? 先ほどは無言で抵抗を選び、少々躾けてしまったが」
そう言う魔王の手元から伸びるのは、無数の鎖であった。
それをどう使ったのかは、今の樹木の大精霊にはわからない。しかし、無の道による大量の刃が樹木の身体に突き刺さり、更にあちこちを縛り上げられている現状から考えれば、答えは出るだろう。
(ま……魔王の、鎖……! 大昔の、魔王のメインウェポン……!)
先代の記憶の中に、その鎖の微かなイメージがあった。
当時森を滅ぼしかけた魔王は、武器を使う必要すらなかった。それ故に直接見たわけではないのだが、魔王が武器を取るとき好んで使うのが、鎖。神仏ですら捕え服従を強いると言われる地獄の鎖である。
(えっと……これ、抗うなんて言ったら次の瞬間にバラバラにされるのでは……?)
詰まるところ、今の樹木の大精霊は魔王の武器によって首筋に刃どころではないトドメ寸前の状況であると言えた。
もし意識を取り戻すのが後数秒遅れていた場合、容赦なく殺されていたとしか思えない状況だ。
今の弱体化した魔王の力にならば抗えるかもしれないという可能性も大精霊の頭に過ぎるものの、そんなものはすぐさま放棄する。その程度の希望的観測で魔王に牙を向けるなど、一度でも魔王と敵対した経験のある者ならばあり得ないのだから。
「……抵抗は、しません」
縛り上げられているため、人間体の両手を挙げることすらできない樹木の大精霊は、降伏の証として領域の支配権を手放した。
こうすれば、この場で最も強い支配力を持つウル・オーマの手にこの森の支配権は自動的に委ねられることになる。領域支配者の降伏として、これ以上に確かなものはない。
「そうか。賢い判断だ。あぁ、ついでに周りの雑兵共を使ってこの場の生き残っている人間を縛り上げさせろ。やりたいことがある故、殺すな」
「……はい。私を呪いから救ってくださったこと、感謝いたします」
森の支配権を譲っただけで支配下に入るとは言っていないとか、あくまでも呪い破りは自力のものだとか、ツッコミどころは多い会話。
しかし樹木の大精霊としても、一応森の支配者としてのプライドがある。だから魔王が怖いから無条件降伏しますではなく、助けてもらったお礼ということにした方が面子が立つというもの。
何故かはわからないが、彼女の眷属であるエルフ族までこの場にいる以上、これが最善だと粛々とその命令に従うのであった……。
なお、過去魔王はその気になれば一瞬で森一つくらい消し飛ばせたそうですが、そこはじっくり時間をかけて追い込むのがマナーだそうです。




