第67話「精々楽しめ」
「クソッ! エルフ共か!?」
「落ち着け! どうせあの大軍を抜けることなどできん!」
聖なる森の中枢、精霊の玉座に陣取っていた人間の兵士達は、突然の襲撃に浮き足立っていた。
彼らの周囲は洗脳した領域支配者、精霊を介して操っている植物モンスターで固めている。もし洗脳が破られたら確実に絶命する敵陣ど真ん中に成る代わりに、洗脳があれば屈強な要塞にも等しい陣形である。
その植物の要塞に、真正面から何者かが挑んできた。それを知らせる大勢の雄叫びに人間達は動揺していたが、ここで彼らの指導者……隊長ツカイスが一喝することで場を収めていく。
「各員、訓練どおりに動け! まずは敵の確認! 後方への警戒を怠るな!」
この場に展開している人間の兵は全部で51名。そのまとめ役を務める男の名はツカイス。
彼らはル=コア王国の軍隊に所属する正式な軍人であり、ア=レジル所属の警備兵や民間ハンターとは別に作戦の指導者であるゲッドが王都から連れてきた部隊である。
勇者派遣申請が通らなかった代わりに派遣されてきた戦力であり、一人一人が訓練を積んだ精鋭軍人……ということになっている部隊であった。
(クソ……こんなことで一々動揺するとは、新兵ばかりを集めて何が精鋭だ!)
自分の言葉でようやく自分を取り戻した部下を見ながら、ツカイス隊長は頭の中で吐き捨てた。
実は現在展開している部隊は、精鋭という名札だけつけられた新人ばかりの張りぼて軍団なのだ。
特殊なコンセプトで作られた精鋭部隊ならばともかく、ツカイス部隊のような通常の部隊ならば一つの部隊にベテランと新人が混ざっているくらいであるべきである。新人は戦力としてと言うよりも、訓練目的で連れてきているという程度の期待が関の山であり、主軸を担うベテランは本来ならば欠かせないところだ。
(ゲッドめ……! 所詮は頭でっかちの技術屋。戦場のことなど何も知らない男に指揮権を預けるとは、上は何を考えているのか!)
何故新人だらけで陣を展開なんてことになったのかと言えば、全て司令官であるゲッドの采配である。
最終目標はシルツ森林の魔物の討伐。大人数を連れてきてもその数の利を活かしにくいと判断した国は、総勢100人ほどで構成されるツカイス部隊だけを派遣した。その中の本当の意味での精鋭は、ゲッドの周囲の守りに回されてしまったのだ。
この聖なる森での部隊は服従の首輪に不具合が出た場合速やかに対処する役目であり、首輪の作成者であるゲッドは本来そんな役目は必要すらないと断言して戦力を絞ってしまったのである。
結果、戦場ではどんな不測の事態が起こってもおかしくはないと熱弁するツカイスを鬱陶しく思ったゲッドは、ツカイスと役に立たない新人だけで構成される歪な編成をしてしまった……ということであった。
「……苦々しく思っていても、上の決定には逆らえない軍人の悲しさよ」
結局、そんな無茶苦茶な指示に従ってここにいるのだがなとツカイスは自嘲した。
今はとにかくこの襲撃者の正体を暴き出し、適切な対応をすること。本当に頼りになる精鋭はゲッドの指揮下に入れられてしまい、今ツカイスが使える手勢は新人30名と、まともな意思疎通ができない植物の怪物が1000体以上。数だけなら見事なものだ。
「このまま植物共の壁だけで凌げればいいのだが……」
ツカイスは、周囲の警戒を命じてから特に手を打とうとはしなかった。
洗脳した精霊を介した指揮ではそこまで複雑なことはできず、下手に動けば余計な被害を出しかねない。それを懸念し、現存戦力だけで解決できることをまずは期待したのである。
しかし――
「う、うわっ!?」
「しょ、植物が襲ってきたぁ――!」
新兵達が叫び声を上げた。
ツカイスは声の方を目視で確認すると、苦々しい表情を浮かべる。彼らは、地面から突然生えてきた根っ子に足を絡め取られ引き倒されていたのだ。
(植物共の反乱――混乱――指揮崩壊――)
その攻撃を前に、ツカイスの頭の中には瞬間的に最悪の未来が浮かび上がった。
すなわち、洗脳の解除。精霊が解放され、1000を超える怪物の集まりが自分達を囲う敵になるという最も恐れていた未来を。
「ひ、ひぃ!」
「逃げろ!?」
「どこにだよ!」
「右も左も化け物だらけだ!」
新兵達も同じ想像に至ったようで、あっという間に大混乱に陥った。
元々、どこまで信用できるのかわからない胡散臭い首輪に命を握られているような状況だったのだ。言われるまでもなく誰もがこの状況を恐れていた以上、当然の結果だろう。
「――解放せよ【炎馬】!」
混乱を収めるためにツカイスが選んだのは、強大な力を示すこと。
隊長として国より託された功罪武器――炎を纏って天を駆けるとされる伝説の馬、炎馬の彫り物がなされた斧槍を抜きはなったのだ。
「た、隊長!」
「危険を感じたときほど冷静に、状況の把握に努めよ。訓練したはずだ」
功罪武器・炎馬は名前の通り炎を発する力を有している。
本来森の中で使うのは些か危険な武器だが、こういうときは役に立つ。燃えさかる炎で隊員を縛り上げていた根を焼き払い、救出したのだ。
「別に洗脳の術が解けたわけではない。植物モンスター共も襲ってきているわけではないだろう?」
「た、確かに、そのようです……」
よくよく観察すれば、彼らの周囲にいる植物モンスターは微動だにしていない。
自分の間合いに入るまでは身動き一つしない不気味な怪物であるが、もし精霊が解放されたのならば真っ先に人間を殺すべく動く戦力である。その植物モンスターが動かないということは、洗脳が健在である証拠だ。
「各員! 己の仕事を果たすのだ! 襲撃者に惑わされるな!」
とにかく、混乱させられるのが一番危険だ。
戦場で真っ先に死ぬのは冷静さを失った者。それを熟知しているベテランとして、ツカイスは新兵達にとにかく落ち着くように声をかける。
しかし、襲撃者はそう簡単には止まらない。
「グッ!? ギャッ!?」
「た、隊長!」
「今度は枝が飛んできました!!」
どこにでもある何の変哲も無い樹が、突然枝葉を伸ばして襲いかかってきた。
それも、ツカイスを避けるように新兵達を狙い、今の一瞬だけで数名が負傷してしまっている。これではツカイスが何を叫んでも恐怖の伝染は避けられないだろう。
(クッ! 確実に何者かの策略だな……! エルフか? 魔道の中にはこのような現象を起こせるものもあったはずだが……)
的確に指揮系統の混乱を狙っているとしか思えない攻撃に、ツカイスは顔を顰める。
だが、もしエルフならば有効な手札がある。森歩きの先導として、念のため連れてきている洗脳エルフがここにもいるのだ。エルフは同族を見捨てられないという致命的な弱点があるため、これを利用すれば楽に勝利できるだろうとツカイスは計算を進めた。
しかし、その目論見は泡と消えることになる。
「包囲突破!」
「殲滅完了!」
「なっ……! なんだ、こいつらは……!」
分厚い植物モンスター達の壁を、正体不明の軍勢が突破してきたのが見えたのだ。
何者なのかはわからないが、少なくともエルフ族ではない。エルフ族は人間とさほど変わらない体格を持つ亜人だが、突っ込んできたのは人やエルフよりも頭一つ小さい体躯を持っている。
兜に鎧と、かなりしっかりとした装備を身につけていることからもエルフでは無い可能性が高く、ツカイスは舌打ちしながら先ほどのプランを却下した。
少なくとも、エルフの人質が通用する相手ではなさそうだと。
「……ゴブリン?」
「は? いや確かにそれっぽいような気も……?」
ツカイスよりも攻め込んできた軍勢に近い新兵が、ふとそんな言葉を口にした。
その言葉を聞いてツカイスが思ったのは『何を馬鹿な』という率直な感想である。
魔物……それも、ゴブリンなどというものは下等で下劣、品性も知性も全くない劣悪な種族であり、言葉を話すことも武装するような知恵もあるはずは無いのだから。
(……確かに緑色の体表、小さな体躯と条件は揃っているが……いや、ありえん)
鍛え抜いた視力で遠くの敵兵を睨み付けるツカイスは、ゴブリンっぽい特徴を自分の目でも確認するが、やはり否定する。
人間が魔物に対して持つ認識などこのようなものだ。
「ご苦労……後は周りの雑魚共が邪魔しないように止めておけ。人間は数人残せば後は殺して良いが、植物共はできる限り殺すな。後で手に入れられるかもしれん」
『御意!』
小さな鎧兵士によってこじ開けられた道から、偉そうな態度で獣人系の魔物が歩いてきた。
その周囲をコボルトやゴブリン系列の進化種が固めており、明らかに魔物の集団。しかも、それぞれが立派な武装を纏っており、その光景はツカイスの常識を破壊するに十分なものがあった。
「……なんだ、こいつらは……?」
混乱する頭は新兵の統率すら忘れてしまったが、身体に染みこませた動きが武器を構えさせる。
炎を纏う功罪武器・炎馬の鋒を首魁と思われる獣人に向けたツカイスは、しかしそこからどうすればいいのかと一瞬悩んでしまった。
「あれが大将だな。シークー、やってみるか?」
「……よろしいので?」
恐らく首魁とは異なる進化を遂げた獣人と思われる毛皮を纏った人型は、丁寧な口調で闘気を滾らせた。
自身へ向けられた殺気に反応し、ツカイスも武器の矛先を変える。
「タイマンでは流石に厳しいか……コルト、お前もやれ」
「わかった……強そうだね」
「魔化したものではなく、あれは功罪武器だ。使い手の方もそこそこやれるようだし、頑張ってみろ」
(一目で見抜いた……本当に魔物なのか?)
ツカイスが思い描く魔物とは全く異なる理知的な態度を見せる一団に、混乱は強まるばかりであった。
だが、そこで訓練された軍人の脳は思考を放棄する。必要なのは任務を果たすことであり、そこに余計な感情は不要。
訓練どおりに臨戦態勢に入った身体は、話し中の魔物達に向かって矢のように飛ぶのだった。
「グリンは周囲の雑魚掃除――」
「――【炎馬・焔駆!】」
噴射した炎を推進力に変え、突進する秘技と共に魔物の一団に飛び込む。
可能ならばこれで殲滅、最低でも首魁の首を取る。そのつもりで進めた刃は――
「――[無の道/三の段/炎熱断壁]」
「――魔道だと!?」
側に控えていたコボルトが発動したらしき魔道の壁に阻まれ、突進を止められてしまった。
魔物が魔道を発動する。その信じがたい現実に、一度放棄した思考が再び姿を現してしまい、戦場においては致命的としか言いようがない硬直を生んでしまうのだった。
「無粋な輩だ……悪役が語っているときは攻撃しない。正義のヒーローが変身中は攻撃しない。それがルールなのではないのか?」
「は……?」
「違ったか? 昔の配下はよくそんなことを言っていたのだがな? ……まあ、いずれにしても――」
その瞬間、ツカイスは炎馬の炎を逆噴射し、その場から全力で離れた。
先ほどまでの隙を晒した硬直からは考えられない素早い動き。それは、ツカイスの脳みそを無視した生存本能の成せる技であった。
「――我が相手をすると言ったのならばまだしも、いきなり王と死合おうというのは不敬が過ぎるな」
獣人の魔物は、何もしていない。ただ、苛立ちを目に乗せただけ。
先ほどツカイスが武器を介して殺気を飛ばしたのよりも遙かに軽度な動作で、訓練された軍人に問答無用の退避を選ばせるほどの殺気を放つ『王』を名乗る魔物を前に、ツカイスの心臓は張り裂けんばかりに鼓動を強めるのだった。
「――精霊を使え! 領域支配者を投入する!」
この場における最大戦力である領域支配者の戦力利用を、ツカイスは即決した。
許可されていない行為だが、そこまでしなければならない未知の強敵――目の前の一団を、ツカイスはそのように認めたのだ。
「フン……正しい判断だ。俺が精霊の相手をする。先ほど言ったとおり、人間共の遊び相手は譲ってやろう。精々楽しめ」
それだけ言って、『王』はツカイスから興味を失った。
同時に、ツカイスの後ろから姿を現す魔力の塊――精霊。人を模した首にかけられた首輪が怪しく光るそれを睨み付けるのだった……。




