第66話「作戦は一つだな」
「……この紋章、解析結果はどうだったのかな?」
「はっ……即席の鑑定ですが、偵察部隊の描いた物とは断定できない……という結果でした」
エルフ捕縛作戦の責任者であるゲッドは、消息不明の偵察班から送られてきた一つの図形……自国の国旗にも描かれている『獅子が描かれた書物』を、専門家に鑑定させていた。
もちろん、連絡兵の筆跡は特定できる用意がある。だが、紋章となると筆跡とは全く別の鑑定が必要な分野であり、そんな専門的な判断ができる紋章鑑定士など連れてきているわけがない。しかし、そこは魔道の力。インクからペンの動きを逆再生するコピー作成技術と、遠隔ペンと同様の技術を使えば王都に件の図形を送ることは可能。
そうすることにより、この場にはいない専門家に意見を求めた……ということである。
高度な魔道技術を利用するためそれなりの費用と手間をかけたのだが、その結果は何とも言いがたいものであった。
(文字を書くよりも確実に手間のかかる紋章をあえて描いたんだから、まあ偵察班が描いたんじゃないよねぇ……? でも、なら誰が描いたっての?)
鑑定の結果はゲッドの予測どおりであったが、それがわかっただけで特に収穫は無かったとも言える。
偵察班が描いたのではなければエルフ達が描いたということになるが、何故と首を捻るほか無い。何らかの宣戦布告……と考えることもできるが、既にエルフ族とは開戦状態。嫌がらせに紋章を穢すようなことをするというのならばわかるが、ただ描くだけでは嫌がらせにもなっていない。
逆に、これと言って意味はない、例えば文明的に大きく遅れているエルフ族が遠隔ペンの能力に気づかず筆記用具として使ってしまった……ということならば考えられるが、なら何故ル=コアの紋章だけを描いたのかが疑問であった。
「うーん……高度な暗号? 何かのメッセージ? 偶然描いたってことはないだろうしねぇ……」
ゲッドは徐々に苛立ちを隠せなくなるが、同時に思考を止めることは無い。否、できない。
頭脳派のエリートとして幼少の頃より成功者の道を歩んできたゲッドのプライドが、何らかの謎かけを前に諦めるという行動を許さないのだ。
しかし、いくら考えても納得のできる解釈はできない。本当に何の意味もないラクガキなのではないか……というのが一番しっくりくる有様であった。
「とにかく連絡班は全滅したと考えるしかない? それとも何らかの交渉か尋問の過程で送ってきた? エルフ族特有の文化? くぅ……」
下等なエルフ族程度の知恵で作られてきた謎かけを、優秀な自分の頭脳が解読できない。
その事実を前に、全ての司令塔であるべきゲッドの歩みは止まってしまう。
本来ならば警戒し打つべき手は他にいくらでもあるのに、手元にある紋章を睨み付けるばかりで全体への命令が遅れている。
異常としか言いようがないことだ。仮にも作戦の責任者を任される程度には優秀なゲッドが、紙切れ一枚を前に手を止めてしまうなど。
その秘密は、何の変哲も無い紋章の中に隠されたとある魔道にある。
――[命の道/一の段/目逸らし]。
目端に映った何かが何となく気になってついそちらを見てしまう……という程度の小さな意識操作を行う魔道であり、他のものに深い集中を行っている相手には通用すらしない小規模な魔道だ。
紋章を描くついでに、その内部にこの魔道を仕込むことにより、何故か気になる図形……というものを作り出したということである。
しかも、ゲッドは意識を紋章そのものに集中させてしまった。つまり本来は極僅かな誘導しかできない魔道に自らの集中力を乗せてしまった状態であり、一種の催眠術にかかったような状態になってしまっているのである。
(紋章の意味、いやそれよりも作戦……いやそんなことよりも紋章……)
この魔道を仕掛けた張本人、魔王ウル・オーマは当然それを計算に入れているのだが、こんなもの様子がおかしいと思った周りの者が一言声をかけるだけで解除されてしまう程度の物。
魔道トラップなどを作るときにも使用する『魔道の文字化』という技術を駆使して紋章の中に隠した都合上極めて小規模な効果しか持たせることはできず、更にその燃料は遠隔ペンから漏れた極小の魔力しかない。転写されたものに至っては図形が僅かに崩れたことで魔道そのものが崩壊してしまっているほどに脆いそれは、本当に小さな嫌がらせに過ぎなかったのだ。
それがここまで完全に決まったのは、自業自得としか言いようがない。ゲッドという一人の男が口を挟まれることを嫌い、他人を見下すタイプだった結果が生み出したこの奇跡的な状況により、人間軍の足は完全に停止していたのだった……。
◆
「こちらです」
一方、人間軍の侵攻が停止していることなど知るはずも無いウル率いる精霊解放班は、頭から狼の毛皮を被ったシークーの先導で聖なる森を移動していた。
この毛皮はエルフであることを知られないための変装であり、遠目から見ればコボルト系列の魔物のようにも見えるだろう。よく観察すればバレるだろうが、総勢約200の魔物軍団に混じってしまえば一々観察する余裕もないだろうということでこの格好になっていた。
ちなみに、この狼の毛皮はエルフ族が防寒具として使用していたものにちょっと細工したものである。
「ふむ……シークー。そろそろ下がれ」
「え?」
順調に進んでいたところで、先頭集団を率いていたウル・オーマがシークーに待ったをかけた。
まだまだ精霊の本拠地には距離があるのに、何故そんなことをとシークーは振り返る。
「ここまで近づけばもう距離も方向もわかった。これ以上進むと人間に察知される恐れもある。いくら大勢いるといっても、流石に先頭にいれば変装がバレかねん」
「も、もう場所がわかったのですか?」
「森の匂いが濃くなったからな。それに、領域支配者は特性上居場所の特定がしやすいのだ。洗脳されているせいか、通常よりもかなり薄いがな」
ワーウルフの嗅覚と、領域支配者としての能力。そして魔道士としての実力。
これらを兼ね備えるウルは、索敵に関しても上位に位置する存在なのだ。いや、進化前がコボルトであることを考えれば、むしろこういった土俵こそが本領とも言える。
「匂いがあるね……人間の」
「想定どおり、人間共は精霊を囲うように守って……あるいは監視しているようだな。当然、外部からの攻撃も警戒はしているだろうが……」
「この感じだと、どちらかというと外よりも中を警戒してる?」
「正解だ。どうやら、精霊が正気を取り戻して襲ってくるのではないか……というのが警戒の最上位にあるようだな」
ウルの言葉に反応したのは、併走していたコルトだった。
コルトはコボルト通常種のままであるが、嗅覚に優れていることに変わりは無い。
後は魔道技術を少し応用すれば、ウルの見ている世界を知る条件は整っているのだ。
「外部からの攻撃よりも内部の暴走を警戒って……まあ僕らとしては有り難いけど」
「森に潜む魔物や獣に襲われることも当然想定しているだろうが、一番の化け物は当然領域支配者だからな。洗脳の魔具を信用し切れていないんだろう」
「僕でも怖いよ。いくら安全だって言われてもさ」
「実際事故は十分にあり得るしな……となれば、せっかく向こうが用意してくれた隙だ。存分に利用するとしよう」
ウルは移動しながら得た情報を加味し、作戦を練る。
今では自分の大将であるウルの言葉に従い走る魔物の中に紛れたシークーは、その獣の顔に浮かんだ邪悪な笑みに頼もしさと不安を同時に覚えるのだった……。
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そして、十数分後。ウル軍は人間達の警戒網ギリギリまで接近していた。
同時に、偵察にグリン率いる工作部隊を派遣する。隠れ潜む能力を鍛え上げたグリン工作班はちょっとやそっとのことで発見されるヘマはしない。
ウルの期待どおり、数分で人間達の陣形を調べてきたのだった。
「……ふむ。外周を大量の植物モンスターが固め、その内側に少し間隔を空けて人間の兵士。中央に精霊……という布陣か」
「何か中途半端じゃない? これ、精霊が正気に戻ったら人間達絶対死ぬよ?」
「陣形を決めた責任者は例の首輪のことを信用しきっているらしいな。だが現場の兵士は恐怖を拭えず、とても対応できない大軍に囲まれている恐怖を忘れるように内側ばかりに意識を集中させている、と」
「偵察した感触としては、植物モンスター共の警戒網はあまり優れたものではありませんでした。というよりも、まるで警戒などせずにただ立っているだけとしか」
「元々植物モンスターは、特殊な個体を除いて思考力を持ちませぬ。自分の間合いに入ってきた獲物を襲うくらいで、そもそも警戒網を敷くには適していないのかと」
「現地の住民の貴重な意見、感謝しよう。そこから考えれば、植物モンスター共は警備というより待機戦力なのかもしれんな。攻めるときに動かす駒であって、防衛としてはカカシなのかもしれん」
「実際、あんなに大量にいたら普通は近づこうと思わないよ」
ウル、コルト、グリン、シークー。この場にいる代表者四人はそれぞれの意見を出し合い、敵陣形の
構造を分析していた。
その結論は、外部からの攻撃は植物モンスターの威圧だけで防げると思っており、実際にはさほど警戒していないのではないか……というものであった。
「となると、まず敵陣の戦力の大半……植物モンスターは臨機応変な対応を取るのは不可能と思っていいだろう」
「精霊を使って操ってくるかもよ?」
「あの首輪の性能ではそこまで精密な操作はできんだろうし、一々操らねばならないのでは臨機応変とは言いがたいな。俺としてはあまり植物モンスター共を傷つけることはしたくない……ならば、作戦は一つだな」
ウルは考えが纏まりニヤリと笑った。
植物モンスター達は、命令されない限りよほど接近されない限りは動かない。そして、命令されたとしても大雑把な指示しか受け取ることはできない。しかも、その指示を出す人間達は植物モンスターのことなど全く信用してはいない。
この三点より、ウル達の作戦は決まった。
細かい点を説明した後、ウル軍の行動は素早く決まる。狙いは、短期決戦である。
「まずは突破口を開けるぞ。……槍兵隊、前へ!」
ウルの号令と共に、付き従ってきた魔物達の中から重厚な鎧を身につけ大ぶりな槍を持った魔物の一団が前に出てきた。
彼らはその装備から見てわかるとおり、真っ先に敵陣に突撃し相手の陣形を崩すのが役割だ。もしケンキがいるのならば彼が担当する役職である。
「突撃!」
ウルの号令と共に、ゴブリンを中心とし、少数ながらコボルトやチエイプ、オークが混じった槍兵隊が槍を構えて一斉に走り出した。
本来ならば障害物のない平地での運用が望まれる槍歩兵団であるが、そこは森育ちの魔物。日頃の訓練の時点で木が生い茂る森での戦いを当然の前提としている彼らは、器用に木々を避けて植物モンスターの壁まで辿り着き――槍を使った体当たりを仕掛けたのだった。
『うぉぉぉぉぉっ!!』
槍兵隊の雄叫びと共に、植物モンスター達はゴミのように吹き飛ばされる。鎧と槍の重量を加えたランスチャージ……加速しにくい森の中での攻撃とはいえ、その破壊力は凄まじいものである。
「す、凄まじい……!」
シークーは、その光景を見て戦慄する。
少数精鋭のケンキ率いる鬼軍団の戦いでも震えたものだが、数を揃えた集団戦術はまた異なる迫力があるものだ。
もしあんな兵団の突撃をホルボット集落が受ければ、どんな手を打ってもなぎ払われ吹き飛ばされる……それを確信してしまうほどの衝撃であった。
「な、何事だ!?」
「何かが攻めてきたぞ!」
「エルフか!」
「いや……何だあれ!?」
「わ、わからん! だが、とにかく化け物共に迎撃させるぞ!」
槍兵団の雄叫びは、当然人間達の耳にも入っている。
襲撃に慌てふためく人間達の声を聞きながら、ウルはすぐさま第二の攻撃命令を出すのだった。
「予想どおりの行動だ。魔道士隊、前へ!」
槍兵団が突撃したことで空いたスペースに、今度は軽装の魔物達が姿を現した。
中心となっているのはコボルト達。重い装備の代わりに魔化を施し魔道を補助する護符などを身につけた集団は、一斉に魔道を発動させる。
『命の道/一の段/樹槍!』
「重ねよ!」
『命の道/一の段/根縛り!』
同じ魔道の集団発動。一つ一つはか弱いものであっても、総勢50体にもなる魔道士達が集まったとき、その力は決して馬鹿にできないものになるのだ……!