第62話「提案が一つ」
「急げ! またいつ敵が攻めてくるかわからんぞ!」
植物モンスターの襲撃事件より一日が経過。
負傷者の手当と、残った戦力の再編成を済ませたエルフ軍は、傘下に入ったウル軍の指示で働いていた。
「……なあ、魔物って、こんな感じなのか?」
「……俺らの森って、実はすんごい野蛮だったのかな……」
材木を担いで働くエルフの若者がそんな愚痴をこぼした。
そうなっても仕方が無いだろう。なにせ、この場で現場指揮を執っているのは、昨日の戦いで無双の強さを見せた大鬼ケンキなのだ。
そのケンキが指揮しているのは、建設の突貫作業。とにかく大急ぎで集落を覆うような壁を作り、敵軍の第二陣に備えようとしているのだ。
しかし、魔物と言えば粗野で乱暴、知恵も無く暴れるばかりの危険生物という認識でずっと生きてきたエルフ達には、現在ウル軍の序列としては無役である自分達の上司に当たるケンキの指示には驚かされることになった。
このように守りを固めるという発想があること自体驚きだが、まさか建築技術を持ち合わせているなど、シルツ森林から帰還したミーファー達の報告を聞いてなお信じてはいなかったのである。
「ケンキ殿」
「ム、シークー殿……そちらの様子はどうだ?」
「偵察に出した者が帰還しました。植物モンスター共が来た方角を探らせましたが、やはり様子がおかしいとのことで」
「様子が?」
「ええ。普段の森とは全く違う……静かすぎるとのこと。いつもならば精霊様の加護が感じられ小動物の暮らす音が聞こえてくるものなのですが、不気味なほどに無音だと」
「……小動物は危険に敏感だ。異変を感じて逃げ出したのだろう。精霊の加護が感じられないのが厄介だな……」
シルツ森林にも精霊はいる。今は農業班の元で協力関係にある彼らとの交流から、ケンキは精霊の性質をよく知っていた。
彼らはそれぞれが領域支配者としての資質を有しており、他の魔物に影響力で負けることはあっても支配地が空欄になるということはない。仮に今までこの聖なる森を支配していた精霊が打ち倒されたのだとしても、他の魔物か精霊種がその領域を新たに統治し始めるはずなのだ。
それが行われないということは、領域支配者である精霊自身は健在だが何かあったことを示す。領域支配者は配下に力を配る関係上、領域の中ならばどこでもその気配を感じさせてしまうという性質もあるため、それが感じられないということは支配権を持ったまま力を完全に止めてしまっているということになるのだ。
「より森の深くまで調べれば何か掴めるかもしれませぬが……」
「いや、それはいい。王が援軍を送ってくれる手筈になっているが故、下手に敵を刺激する必要はない。今は第二陣の警戒に留めておく」
「……敵、ですか」
「疑念は多々あるが、敵であるのは間違いあるまい。何を考えて……いや、何か考えることができる状態なのかは、わからんが」
それ以上は口を開くこと無く、陣の守りを固めることを優先するケンキ。
次に襲われたときは、今回のような被害は出さない。その決意を現実にすべく、エルフと鬼は共同で砦の建造を進めるのであった。
◆
「……おかしいねぇ。なんで、まだエルフ狩りが終わってないのかなぁ?」
聖なる森よりしばらく離れた場所に建てられた仮拠点の中で、一人の男の不機嫌そうな声が漏れ出ていた。
彼――エルフ捕獲作戦の陣頭指揮を執っている技術者、ゲッド・アラムズ・ラシルは、手元のモニターに表示される情報を見ながら、現状と自分の予想が異なっていることに不満の声を漏らし続けていたのだった。
「ねぇキミィ? 植物の化け物ども、エルフを連れてきた?」
「はっ! いえ、その……まだです」
「おかしいよねぇ? 仮にも領域支配者配下の精鋭を使ったっていうのに、今のエルフ共程度を倒せないはずがないんだけどねぇ?」
聖なる森の領域支配者、精霊を捕獲し洗脳の魔具によって支配したゲッドは、その力をそのまま使って聖なる森を制圧するつもりでいた。
しかし、結果は思わしくなかった。ゲッドが作った洗脳の魔具は装着した者の自意識を奪い、命令権を持つ者の言葉に絶対服従を誓わせるというもの。
ある程度強い力の持ち主には通用しなかったり、装着する前に一度打ちのめして敗北を認めさせる必要があるなど面倒な手順もあるが、発動さえさせてしまえばゲッドのためなら死ぬことに一切の躊躇を覚えない理想の兵士が誕生することになる。
その自信作の制御はマナセンサーでも使われるゲッドの手元のモニターで行うのだが、今のところ異常は無い。ないのに、計画が上手く進んでいないのだ。
「エルフ共に何か隠し球でもあったのでしょうか……」
ゲッドの護衛兼世話係として共に王都から派遣されてきた子飼いの兵士が、自分の予想を口にした。
その推測を聞いて、ゲッドは元々不機嫌そうに顰められていた眉を更に顰めさせたのだった。
「キミィ? もしかして、僕様よりも自分の方が賢いとか、思っちゃってる人?」
「はっ!? い、いえ! 決してそのような――」
「だったら黙ってろよバカはさぁ! 誰が意見を言えって言ったんだよぉ!?」
「申し訳ありません!」
この兵士はゲッド直属の部下ではないが、立場は明確にゲッドの方が上だ。
ル=コア王国が力を入れている異界学研究部門のエリート研究員でもあるゲッドの地位は国に保証されており、一介の兵士でしかないこの男の首など、社会的にも物理的にもいつでも切り飛ばせるだけの権力を持っているのだから。
「ったく……でも、どうしようかねぇ?」
格下相手に憂さ晴らしをした後、ゲッドは一人今後の方針を考える。
(この兵士が口にした『何らかの隠し球』の存在は、否定できないところだよねぇ実際。捕縛したエルフ共の尋問結果にはそんなのなかったけど、族長クラスしか知らない取っておきがあっても、まああり得ないことじゃないかぁ)
ゲッドは完全勝利を収めることができなかったことを腹立たしく思いつつも、何故成功しなかったのかという問いの答えが出なければ完璧な作戦を立てられないと結論づける。
ならばどうするのか。それを思案したゲッドは、その顔にいやらしい笑みを浮かべるのだった。
「うひゃひゃっ! 簡単なことだねぇ……おい!」
「はっ!」
「森を案内させた奴隷エルフ共、いるだろ? 首輪付きの」
「は! 既に任を終えたと、ア=レジルに帰還させていますが……」
「すぐに連れてきてよ。今度は植物モンスターに加えて、あいつらにも戦わせるからさぁ」
「え、エルフにエルフをぶつけるのですか?」
「うん。畜生の相手は畜生が相応しいだろぉ? 僕様の手を汚すこと無く、向こうの戦力を丸裸にしてやりたいからねぇ……何だか知らないけど、エルフ共は同族を傷つけるのを極端に嫌うって習性があるらしいし、このやり方なら威力偵察を超えて次で勝っちゃうかもね、案外」
別に負けたなら負けたでいいけど。
ゲッドはそう最後に締めくくり、自らの頭脳を自画自賛する。
この場合の勝利とは、エルフ達の心を折ること。従わないのならば首輪の呪力で無理矢理従わせるだけだが、高度な技術を用いて作っているためそこまで在庫は無い。
故に、少数の人質を使って大勢の心をへし折り従属させ、シルツ森林の魔物を討伐する先兵に変えるのがこの作戦の目的だ。
人間に従わなければ同族同士で殺し合いをすることになる。それを突きつけてやれば、降伏も引き出せるかも知れないと、ゲッドはニタニタ笑うのであった。
「……かしこまりました。すぐに手配を」
兵士としてのプライドから一瞬「流石にそれは外道では?」と言いたくなった男も、よくよく考えれば合理的だと言葉を飲み込んだ。
所詮は亜人。人間が傷つくリスクを避けるためにまがい物を傷つけて、何が悪いのかと内心で納得しながら……。
◆
――そして、数日後。
「敵襲! 敵襲!」
ホルボット集落に突貫工事で建てられた物見櫓から、ガンガンと鐘を叩く音が響き渡った。
昼夜問わずの見張りを置いていた櫓から、敵襲を知らせる叫び声が上がったのだ。
「来たか」
現在エルフを吸収したウル軍の大将を務めている大鬼のケンキも、自分に与えられてた小屋――ケンキのサイズからすると小屋なだけで、エルフからするとお屋敷――から飛び出してきた。
この数日で、集落をぐるりと囲う木の壁が完成している。建材とした木の板には一つ一つコルトや魔道士エルフの手により魔化が施されており、見た目よりもかなり頑丈な守りとなっている。
今度は早々後れを取ることはないと、エルフも魔物も問わず、兵士達は士気高く武器を手に取って集まる。集合場所は壁の向こうを見渡せるように組んだ足場だ。
しかし――
「バ……バカな!」
「ラークー、クームー!? あいつらが何で……!」
見張り台に集まったエルフ兵達の間に困惑の声が上がった。
その名前に心当たりが無い魔物達も、その意味はわかる。先日襲ってきた植物モンスターに混じって、虚ろな目をしたエルフが混じっているのだから。
「裏切ったということは?」
「あり得ん! ……いや、その、考えにくいかと」
敵軍に混じるエルフ達に特に思うところの無いケンキが発言するも、隣にいたシークーが即座に反論する。
同胞の命と尊厳を自分の命よりも大切にするエルフ達にとって、裏切りなど絶対にあり得ないこと。目の前でそれが起きていたとしても、認められることではないのだ。
「ふむ……正直なところ、俺には判断できん。しかし……」
ケンキは目を細め、敵軍のエルフ達の目を見る。
明らかに正気では無い、虚ろな目を。
「……コルト、お前の意見を聞きたい」
「そうだね……あの首輪が怪しいかな」
「首輪?」
「うん。嫌な感じがする」
魔道的な面では、ケンキよりもコルトの方が数段上を行っている。
ならばコルトならば自分とは異なる何かを掴めるのではないかと聞いてみたら、何かを既に嗅ぎつけていたようだ。
「まず、あれからエルフ達のものじゃない魔力を感じる。確実に魔具だね」
「ほう」
「加えて、臭いがついているよ。嫌な臭い……薬品混じりの人間の臭いだ」
「人間の臭い……フンッ! なるほど、仕掛けは見えたな」
クンクンと鼻をならすコルトの言葉に、ケンキは蔑んだ表情を浮かべた。
人間に相応しいゲスな策だとケンキも思ったのだ。
……もっとも、そのゲスな策を軽く超える外道な作戦が無限に湧き出てくるのが彼らの王なので、そちらの方面ではあまり責められない立場ではあるが。
「作戦は?」
「エルフの捕虜救出までが王とエルフ達の間に結ばれた契約……相違ないか?」
「はい。我々の同胞の救出までご助力してくださる……それが忠誠の対価です」
敵軍を見ながら作戦を決めようとしていたケンキ達の背後からやってきたのは、やはり戦闘態勢を整えたミーファー……現ホルボットエルフ族長であった。
彼女もまた、覚悟を決めてこの場に立っている。守るべき同胞が弓を引いてくるという状況に思うことはあるのだろうが、それでも族長として間違ってはいけないという堅さも見える姿であった。
「ならば、敵軍のエルフを殺すのはなしだな。事情の究明は後回しにして、何としても捕えねば」
「でも、そんな簡単に捕まえられるかな? 様子がおかしいと言っても、相手はこの森を知り尽くしたエルフの戦士なんでしょ?」
「……ええ。彼らは皆、人間達の最初の侵攻の際最前線で戦った勇士達です。力及ばずに人間に捕えられたはずでしたが、腕は確か。怪しげな術で操られているとしたら、簡単にはいきません」
「うむむ……」
さて困ったと、ケンキは唸った。
元々、こうした繊細さを求められる作戦には向かない男だ。ケンキの本領を発揮できるのは、豪快な真っ向勝負。敵を殺してはならないというのは不向きとしか言いようがない。
そこを素直に認めて、ケンキはギロリとその強面を誰もいない日陰に向けるのだった。
「こういうのはお前の専門ではないか? 何かいい手は無いだろうか?」
一体誰に話しかけているのかと、エルフ達は首を傾げる。
しかし、ウル軍の魔物達は皆困惑すること無く、ケンキと同じ方を見ていた。
「……ならば、提案が一つ」
ケンキの声に応えて、闇より出でる影――暗鬼・グリン。
陰に潜む暗殺者が、作戦を告げるのであった。