第60話「我らの同士となった」
――俺は弱い。
それが、日々発展を続けるウル軍の中でゴブリンのグリンが感じていたことであった。
彼は、初めの七匹、後に七色の小鬼長と呼ばれる内の一体であり、ゴブリンにしては大きな身体ということで戦闘面に優れた力を持った男であった。
しかし、その栄光も過去のこと。シルツ森林統一戦において二大巨頭――オーガのケンキと嵐風狼のカームが傘下に下った瞬間から、彼の存在意義は大きく損なわれることとなった。
当然だろう。いくらゴブリンにしては大きな身体であると言っても、種族的に遙か格上のオーガや嵐風狼から見れば有象無象と変わらない。それを言ったらアラクネのアラフが加わった時点でもそうなのであるが、あのときはまだ鬼系統の中ではトップと十分重要なポジションを得ていた。
しかし、オーガとその傘下の鬼族が入ってくれば、進化種ですらないグリンにもはや価値はない。魔道を使えるという大きな特徴も、ウルが支配者となればいずれは当たり前の要素の一つになってしまう。
同期のゴブリン達がそれぞれの得意分野を活かして活躍する中、一人競争相手が余りにも多い戦闘という分野で生きようとしたグリンは停滞していたのだ。
『戦闘で役立ちたい? 立派な心がけだが、今からケンキの奴と互角になるのは中々大変だぞ? まあ今後の修練次第だから不可能とは言わないが……無理に同系統の道を選ぶよりは、もっと特色のある道に進んだ方が使い勝手の良い駒になるぞ?』
そんなとき、アドバイスと言っていいのかわからない言葉をかけたのは、彼らの王であるウル・オーマであった。
ウルのアドバイスは、無理に超えるのではなく差別化を図ること。ケンキにもカームにもできないことができる戦闘員になることだった。
その言葉を聞いたグリンは、ならばどうすればいいのかと数日悩み続けた。悩み続けた末、一つの結論を出したのだ。
(正面から戦っても、俺の力では本物の強者には及ばない。ならば、正面から戦うのではない道を選べば――)
元より、ゴブリンとは決して強い種族ではない。本来は徒党を組み、獲物の寝首をかく種族だ。
その本来の性質に立ち返り、磨いたのは気配を断ち必殺の一撃を叩き込む、人の世界では暗殺者と呼ばれる戦い方であった。
その在り方は魔王の琴線に触れ、称賛されることになる。卑怯上等勝てばよし、世の中は食うか食われるか。そんな信条を良しとする魔王としては、その手の趣向は好みだったのである。
理由は不明ながら暗殺術の造詣が深いウルによって、グリンはマンツーマンで指導を受け、ついに『特殊工作班』の班長として認められることになったのだった。
その役割に従い、グリンは今回、戦闘班の長であるケンキの配下、という設定を与えられてエルフの集落までやって来た。
実際には同格であるが、そんなことはエルフにはわからない。全てはエルフ達の警戒から外れるために、その他大勢の一人という認識を与えるために……。
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「――任務を遂行するとしよう」
陰に隠れ、陰より討つ暗殺者。その技術を身につけたグリンは、音もなくとあるエルフに襲いかかっていた植物モンスターを斬り払った。
エルフの戦士、シークーは、突然現れた黒ずくめの鬼に驚きの表情を見せながらも、今はそれどころではないと立ち上がった。
「か、感謝するが……何故?」
「……報酬の前払い、とのことである」
契約を結んでいないのに、ウル軍の魔物が手を出した。これはシークーにとっては予想外のことであった。
エルフの命など何とも思っていないのだろうウルの態度から、このまま集落が滅んでもそれはそれと無視するとばかり思っていたのだ。
「前払い……?」
「お試し、と思えばいい。ボスの傘下に入りその庇護を受けられるというのがどういうことなのか、まずは俺一人で見せてやろう」
それだけ言って、暗鬼グリンはくるりと踵を返した。
同時に、その姿がブレる。陰に潜む進化種・暗鬼の種族的能力と、魔王流地の型の複合技術。瞬時に自分の存在を薄くし、他者の認識から外れる『影鬼』である。
『ところで、そろそろ、お前のお姫様の命が危ないぞ?』
「ッ!? ミーファー様!」
姿を消した上で、自分の居場所を知られないように声を発する特殊な技術を用いての忠告に、シークーはすぐさま飛び出した。
見てみれば、戦場全体をフォローしていたミーファーの体力、魔力は共に限界に近づいており、今にも倒れそうになっていた。
そんな彼女に、植物モンスター達は容赦なく襲いかかろうとしている。当然周りの戦士達がそれを止めようとしているが、シークー以外の戦士では満足なダメージを与えることが難しく、徐々に押し込まれているのであった。
「クッ――!」
迷わずミーファーの下へと走るシークーだったが、その道のりにも植物モンスターたちは立ち塞がる。
その全てを斬り捨てるだけの体力は、シークーには残されていなかった。
だから――
「――[無の道/二の段/魔刃手裏剣]」
グリンは助け船を出した。
無の道による不可視の武器生成術により、鋭い投擲武器を作成。それをどこからともなく無数に投げつけ、シークーの邪魔をする植物モンスターに剣顔負けの傷を与えていくのだった。
(凄まじい……! これが、魔道を身につけた進化種の力か!)
余計なことを考えている暇は無いと、身体は一目散にミーファーの下へと向かっているが、それでもシークーはその戦闘力に驚きを隠せない。
道中で散々見たつもりであったが、それでもウル軍の兵士の力は恐ろしい。この力を味方につけることができるか否か。そこに、自分達の未来があるとシークーは改めて確信する。
「――邪魔だ!」
手裏剣に切り裂かれて動きが鈍った魔物程度ならば、今のシークーでも対応できる。折れた剣を鈍器のように使って邪魔な魔物を殴り飛ばし、何とかミーファーの下に辿り着くことに成功するのであった。
「ミーファー様、お怪我は!」
「だ、大丈夫……」
口では大丈夫であると言ってはいるが、どう見ても大丈夫ではなかった。
若者らしく、ミーファーは身体もそれなりに鍛えている。シークーの真似をして弓矢の稽古を積み、いつの間にやら自慢できる腕前になってしまっていたその身体は決して柔ではないはずなのだが、もはや自分の足で立っているのも辛そうな有様だ。
恐らく、自分の命を削る覚悟で強力な魔道を使い続けたのだろう。これ以上無理はさせられないのだが、しかしミーファー抜きではこれ以上戦線を維持できない。
もはや、エルフだけでこの状況を打破することは不可能。それが確定していた。
「――ウル殿の戦士の方! どうか、ご助力願いたい!」
シークーは、もはやなりふり構ってはいられないと叫んだ。どこにいるのかはわからないが、自分がここまで辿り着くためのフォローをしてくれた戦士が最低一人はいる。
その力を借りる以外、これ以上の抵抗は不可能。その意思を込めた叫びは――
「それは構わない。だが、無意味ではないか?」
――シークーの後ろから答えが来た。
いつの間に背後に回ったのかと、シークーは驚いて振り向く。
そこにいたのは、全身黒ずくめの鬼、グリン。いくら疲弊していると言ってもエルフ族最強の戦士である自分の背後を容易く取るその技量。そこに驚きの気持ちは未だにあるが、それよりも発言の内容の方が重要だ。
「無意味とは……どういうことだろうか?」
「俺一人の助力など高が知れている。生憎、俺は殺す者であって守るものではないのでな」
「う……」
「このままこの植物共と戦い続けても、崩壊は変わらんぞ。俺としても、結果が変わらないのに無駄な戦いをするつもりはない」
「それは……そうなのだが」
反論できなかった。ここでグリン一人が協力したとして、確かに植物モンスターを倒すことはできるだろうが、多勢に無勢もいいところ。グリンが倒したのとは別の敵が集落になだれ込み、壊滅という未来に変わりは無い。
グリン一人でできることと言えば、この場にいるミーファーを安全な場所まで届けてもらうことくらい。しかし安全な場所などどこにもなく、エルフ族が壊滅すればウル軍にミーファーを守る理由など無い。
もはや、お試しサービスでどうにかなる状況ではなくなったのだ。
(まさか、この植物モンスター……こやつらの差し金では……)
そんなことを考えている暇は無いのだが、手詰まりになってそんなことまで考え始めるシークー。
まあ、結果的には濡れ衣なのだが、もし偶然こんな事態にならなければ似たようなことをするように命じられていたグリンなので、そんなに的外れでもなかったりする。
そんなとき――
「……ム、少々面倒なのが来たな」
「――ッ!? な、なんだと! あれは……!」
グリンの声に反応して森の奥を見てみれば、そこから今までの植物モンスターとは明らかに異なる存在が姿を見せた。
外見は、巨大な樹木そのもの。根を足のように使って移動するその魔物の名は、植物モンスターの中でも特に有名どころである精霊を宿す樹木と呼ばれる種類だ。
植物モンスターの中では珍しく、知性を持ち意思疎通も可能な高位の存在。つまり進化種だ。
聖なる森の支配者である精霊もまた、このトレント種に分類される存在であり、厳密に言えば魔物ではない。植物系の魔物の身体に精霊が宿り操っている存在なのだ。
中には魔に堕ちた精霊、邪霊を宿し完全なる魔物化を果たした邪霊に堕ちた樹木系もいるが、基本的には魔物では無く精霊に属する存在である。
「あれは……まさか、聖なる森の守護樹! 精霊様直轄の守護者! 我々の救助に来てくれたのか!?」
トレントガーディアン。ただの精霊ではなく、領域支配者直轄の精鋭が宿る樹木だ。
進化の階級で言えば、第二進化体。人間の危険度で表せば二桁後半は確実となる聖なる森の精鋭である。
当然、その役割は森を守ることであり、森の住民として認められるエルフ族から見れば守り神のような存在だ。
今までの人間の侵攻の際も、彼らがいなければとても守り切れなかったことだろう。
そんな存在の出現によって、エルフ達の間に流れていた諦めの気配は瞬く間に消えていき、そして――
「――滅せよ」
「なっ!?」
「ギャアッ!?」
――希望は、一瞬にして消えた。
トレントガーディアンは、自身の身体の蔓をムチのように使い、エルフ達をなぎ払ったのだ。
たったの一撃で、まだ辛うじて戦う力が残されていたエルフの戦士達はバタバタと倒れていく。恐らくは、何人か絶命していることだろう。
「な、何故……いや、考えてもみれば、精霊様の支配下にある植物モンスターが襲ってきているのだ。ならば守護樹様が襲ってきても、おかしくは、ない……のか」
シークーは、最後に残されていた心の力すらも失ってしまったと、その場で膝を突いた。
ただの植物モンスターだけでも壊滅寸前なのに、ここに来てこんな大型の敵が増えてはもはや手の打ちようがない。
などという戦力分析以前の段階で、もはやシークーには何を信じて良いのかわからなくなってしまったのだ。先祖代々信仰してきた神々は人間という兵力を使ってエルフ族を裏切り、誇りとしてきた精霊からはこうして直接の攻撃を受ける。
これ以上、何を思って戦えば良いのか……シークーには、それが見えなくなってしまったのである。
「諦めては、いけません……」
シークーの背後で守られていたミーファーが、フラフラと覚束ない足腰で立ち上がった。
エルフ全体に絶望が蔓延している中、彼女の目の中からだけは希望の炎が消えてはいない。
何故ならば、ミーファーは若いエルフだからだ。信仰に依存してきた時間が最も短く、それでいて次期族長となるべく日々プレッシャーに耐えてきた。
そんな彼女だからこそ、立ち上がる力の根源を外界に求めてはいない。彼女を立ち上がらせる力の根幹は、神でも精霊でもない――同胞を守るという、己の魂より生じる意思の力なのだ。
たとえ身体は死の恐怖に震えていても、その気高さには変わりないだろう。
(フ……フフフ。守るべき相手が立っているのに俺が倒れるわけにはいかないか)
ミーファーの恐怖に震える身体と、その恐怖をねじ伏せる高潔さを見たシークーは、再び立ち上がる力を得た。
すると――
「……ミーファーよ」
「ぞ、族長? こんなところにいては危険です!」
老いた身体では役に立たないと最前線には行かなかったはずの、族長ウィームーが現れたのだった。
「お主の決意、しかと見せてもらった。たった今より、我が名においてホルボットの継承を行う」
「え……」
「お前の姿は遠くから見ていた……そして、はっきりとわかったよ。有事の際に、諦めてしまうような老いぼれが上に立っていてはならん……たった今、この瞬間より、お前の決定はホルボットの民の総意となる! 皆のもの! 異論は無いな!」
ご老体とは思えない覇気のある宣言に、生き残ったエルフの戦士も、そして族長と共に村からやって来た老人達も、揃って頷いた。
今この瞬間より、ホルボットの総意とミーファーの決定はイコールで結ばれることとなる。
そんな重い責任を突然担うことになったミーファーは一瞬硬直するが、しかしそんな余裕はない。脳みそが現状を理解すると同時に、ミーファーは懐に入れていた黒い紙を取り出すのだった。
「――ホルボットの長、ミーファーの名において、魔の森の王ウル・オーマとの契約に、同意します!」
悪魔の契約書にその決定を叫ぶと共に、黒い紙に印されていたミーファーの署名が赤く輝いた。
すると――
『魔王ウル・オーマの名において、契約はここに結ばれた。これより、貴様らは我が配下となる』
どこからともなく聞こえてきたのは、魔王の宣言。
と、同時に――
「魔王ウル・オーマ様の命により、今この瞬間よりお前達は我らの同志となった。よって、これより助太刀させてもらおう」
黒い契約書に導かれたように、赤い大鬼が手勢を引き連れて戦場に現れたのだった。