第6話「それが俺の流儀だ」
「……ふん。読めんな」
「僕も絵しかわからないよ」
ゴブリンを服従させたウルとコルトは、必要なものを持ち出して緊急避難先の洞窟へと戻ってきていた。
ここにはきつい臭いもないと、持ち出した本をウルはパラパラと読み進める。だが、肝心の内容がよくわからなかった。
それも当然だろう。ウルが本来生きていた時代から、既に千年以上の時が経っているのだ。それだけあれば文字など別物になるほど変化してしまってもなんらおかしなことではなく、ウルの手の中にある本に使われている言語は、ウルが知るものとは全くの別物となっているのであった。
「まあ、確かに挿絵から推察することもできなくはないが……それでは精度が低すぎるか。仕方が無い」
ウルは、諦めたように本から目を離し、体内に残された僅かな魔力を活性化させていく。
(補給したのは、人間三人分とあの小さな虫……。虫は誤差みたいなものだが、仮にも人間サイズの獲物を捕食したのだ。幾つか魔道を使ったことを計算に入れても、こんなほとんど挿絵の本の解析くらいなら何とか持つだろう……)
自分に残された力を計算し、小声でウルは一つの異能を発動させた。
「[天の――」
「……前から思ってたんだけど、それなに?」
「ん? 魔道も知らないのか?」
「知らない。……ああ、いや、人間が使っている奴なら見たことあるけど」
また一つの力を使い、力が大幅に抜けていく感覚を味わいながらも、ウルはそれを表に出さずにコルトと会話をする。
王足るもの、早々弱みを見せてはいけない……魔王の道はやせ我慢からなのだ。
「ま、追々説明してやろう。それよりも、今はこれを読み解く方が先決だ」
力の消費で弱っているところは見せまいと、話を打ち切ってウルは改めて本へと目を落とす。
コルトも、先ほどまでとは様子が違うと察し、黙ってウルの読書を待った。
……すると、ウルの表情は、ページをめくる度にどんどん険しくなっていくのだった。
「……これは、真実なのか?」
「何が?」
「これの内容だ」
「本に書いてるんだから本当なんじゃないの?」
コルトは、何を言っているんだろうと首を傾げて返事をした。
コルトには読めないが、ウルが手にしている本のタイトルは『魔物の生態について』という、魔物の狩猟に訪れるハンターがいかにも持っていそうなものだ。
コルトからするとこの本は大体挿絵を見て「人間はこういう風に魔物を狩るんだな」と恐れるくらいしかできなかったのだが、ウルは何らかの方法でその内容の全てを理解できているようだった。
本の内容を疑うという発想はコルトにも当然あるが、否定も肯定もできる材料は本の中にしかないのでそれを考えたことはない。故に、ウルの疑わしげな問いに消極的な答えしか返せないのだった。
「……ここを見てみろ」
「……絵がないよ」
ウルは苛立たしげに本の一ページを示すが、コルトに挿絵がないページを読むことはできない。
そんなコルトに、ウルはため息を吐きながら解説をするのだった。
「……これは魔物の巣、という項目だ」
「ふんふん」
「これによると、『魔物には住処として自然に作られた洞窟などを利用するタイプと簡素ながら建築を行うタイプがある。建造物に関しては多種多様であるが、人間が作る物とは異なる事が多いので注意すべし。また、ハンターたるもの、魔物の生息区域に入ったのならば洞窟を見れば魔物の巣と思うべし』とある」
「それが?」
「……信じがたいのだが……まさか、本当に国が……街がないのか? 本当に種族単位で洞窟暮らししているのか?」
「それが当たり前でしょ?」
他種族を力で隷属させる、という例外を除いて魔物は同族で群れをつくる。それは当然の話だ。
だからこそ、コルトにはウルが何に驚いているのかわからない。太古の時代を支配した魔王が考えることなど、コルトの理解の遥か外にあるのだ。
「……これは、王の責任だな」
ウルはコルトにも聞こえないような小さな声で何かを呟いた。
何と言ったかは聞こえなかったが、コルトには何故か偉そうなウルが少し小さくなったように見えたのだった。
「……ひとまず情報の収集は必須だ。この本には記されていないだけなのかもしれん」
「……?」
「となれば、まずやるべき事は……」
ウルはそれだけ言って沈黙してしまう。
何かを考えているようだが、コルトは何となくウルの思慮の邪魔をしてはいけないと思い一緒に沈黙する。
そのまましばらく時間が流れたころ――
「モドリ、マシタ」
「エモノ、トレタ」
二人のコボルトが作り出した静寂を破ったのは、緑色の小鬼――ゴブリンの群れだった。
本来ならば「キキッ」とか「ギギャッ!」と、濁った猿の鳴き声のような奇声を上げるだけの下等な魔物でありながら、その口からは確かな意味のある言葉が紡がれている。
彼らは自称魔王のウルが一晩で調きょ……もとい、教育を施したゴブリンだ。名前は特にない。
一晩で教え込めたのは片言でしゃべるまでが限界だったが、おかげできちんと命令を行うことが可能となった。
早速ウルは読書の間に食料調達を命じ、ゴブリンたちは見事その命を遂行して戻ってきたのだ。
「ご苦労。……野うさぎか」
「ツカマエタ、タベテ」
「……獲物を自分達で摘まみ食いすることもなく戻るとは、思ったよりも忠実なことだな」
ウルは鼻をすんすんと鳴らしながら、皮肉げに嗤う。ほんの僅かに浮かんだ驚きを隠すかのように。
コボルトの鋭敏な嗅覚ならば、目の前の相手が食事をした直後か否かくらいは簡単にわかる。ウルの鼻は、ゴブリンたちの口元から血の匂いも果実のような甘い匂いもしないと判断したのだ。
ウルは、てっきり主人である自分を差し置いて自分達の腹を満たすことを優先するか、さもなくばそもそも命令を守ることなく逃げ出すかだと思っていた。所詮力で脅しつけただけの関係であり、忠義とはほど遠い脆い主従関係であると自覚しているためだ。
一晩かけて言葉を教え込んだのも、所詮は余興。ゴブリンと呼ばれる種族が自分の知るものからどれほど劣化しているのかを確認する実験の意味合いが強く、逃げたら逃げたで構わないと思っていたのだ。
だが、ウルの予想に反し、ゴブリンたちは最低限教えられただけの礼儀に従い、自分達の食欲を抑えるほどの忠義を見せた。それがウルを驚かせたのである。
「ウルサマ、ツヨイ」
「オレタチ、シタガウ」
七匹のゴブリンは改めて忠義を尽くすことを示すように、獲物を差し出しながら平伏する。
その光景に、ウルは満足げな笑み――ではなく、怪訝な表情を見せるのだった。
「……解せんな」
「何が?」
「……貴様ら、支配されるのはこれがはじめてか? いや、それはあるまい。文化もクソもないほどに落ちぶれた今の貴様らが取るには立派すぎる心構えだ。……誰に獣の礼儀を仕込まれた?」
ウルはゴブリンたちに疑いの眼差しを向ける。端から見ているだけのコルトまで背筋が冷たくなるような目だ。
ゴブリンたちは何故獲物を得てきた自分達が怒りを買ったのかわからないまま、それでもウルの機嫌をこれ以上損ねないように必死に今まで碌に使わなかった頭を回す。
上位者の怒りを買うことがどれ程恐ろしいことなのか……ゴブリンたちは、それをよく知っていたのだ。
「……ふむ。些か言い回しが難しかったか。そう怯える必要はないぞ?」
しばらく待っても、ゴブリンたちは怯えるばかりで言葉を口にすることはできなかった。
これは情報を隠蔽しようとしている訳ではなく、言葉を教え込まれたばかりの頭で上位者の怒りに晒されながら会話しろと言う方が無茶なのだ。
ゴブリンたちの態度から特に悪意があるわけではないと判断したウルは、態度を和らげる。どうやら、何か別の存在が裏で糸を引いている訳ではなさそうだとひとまず安心しながら。
「……そういえば、お前たちのことをまだ詳しく聞いていなかったな。お前たちは七匹で生活していたのか?」
「チガウ。オレタチ、ボスノ、テシタダッタ」
「ボス? ……それは何者だ? 今はどうしている?」
「ボス、オオキイ。ツヨイ。オレタチ、カテナイ」
「ボス、イマモ、イキテル」
「……やはりまだまだ語彙が足りんな。今一わからん」
ウルはゴブリンたちの言葉を聞きため息を吐く。
簡単な命令をするくらいならばともかく、複雑な情報共有はまだ無理そうであると。
今夜の拷問……ではなく授業計画を頭の中で組み立て始めたとき、ウルの疑問の答えは意外なところからやって来るのだった。
「ゴブリンを支配する、大きいボス……森の領域支配者、オーガかな?」
隣で聞いていたコルトがポツリと呟いた。その言葉にウルは首を回してコルトを視界に入れる。
「領域支配者……大鬼だと? 何故そう思う?」
「うーん……別に深い理由はないんだけど、ゴブリンを支配する魔物って言ったら一番に思い付くのはオーガかなって思って。この辺りじゃ有名なんだよ。森の支配者にして暴れ者のオーガ……周辺最大の勢力を持つ魔物の親玉みたいな存在で、僕らからすれば恐怖の対象さ」
「……オーガと言えば生粋の武人気質で、弱者を強いたげるような真似はしないと記憶しているが?」
「なにそれ? オーガと言えば傍若無人な鬼族の上位者でしょ?」
またしても噛み合わない二人の常識。その乖離の激しさにウルは流れた時間の重さを噛み締め、内から湧き上がる寂しさと、他のすべての感情が覆い隠されるような激しい怒りを飲み込む。
一方のコルトとしては、また何言ってんだこの人はと呆れるばかりなのだが。
「……それで、お前らのボスは本当にオーガなのか?」
「ボス……オーガ?」
「シラナイ」
余計な感情を頭から排除したウルは、話を進めるべくゴブリンたちに問いかける。
だが、オーガと言う魔物の定義を知らないゴブリンたちは首をかしげるばかりであった。言葉とはやはり一朝一夕で身に付くものではないのである。
「……特徴を言ってみろ。お前らのボスのな」
「オオキイ」
「ツヨイ」
「アカイ」
「ツノ、2ホン」
諦めて特徴から推察することにしたウルに、ゴブリンたちは思い付く限りの言葉を使って『ボス』を表現する。
纏まりのない発言にウルは眉をひそめるが、何度も繰り返し修正させることで何とか全体像を把握していくのだった。
「……纏めると、お前らのボスとは二足歩行の大型モンスター。肌は赤く、鬼族の特徴である角を有している。戦闘方法は腕力で武器を――へし折った木を振り回す純粋パワータイプ、と」
そこまで何とか情報を得たウルは、渋々といった様子で頷いた。
信じたくはないが、どうやらゴブリン達のボスとは本当にオーガ族の可能性が高いと。
「あのオーガ達の末裔が、弱者を暴力で支配する暴れ者の親玉か……」
ウルは少しだけ肩を落とす。ウルの中にある常識と、現代の常識があまりにも悪い方に違っている事実を噛みしめながら。
「……まあ、よい。落ち込むよりも、どう立て直せばよいかを考える方が生産的だ」
「ところで、食べないの?」
ウルが話を打ち切ったことで、コルトの興味はゴブリン達が狩ってきた野ウサギに移る。
本来は肉を好みながらも、その弱さから野ウサギなど月に一回がやっとのコボルトにとって、今の状況はある意味拷問のようなものだ。
目の前のごちそうも、ウルの気分次第で自分の口に入ることなく消えてしまうのだから。
「……適当に食ってよい。どうせこの人数ではその程度、さほど腹は膨れん」
「え! いいの?」
「見たところ、貴様も相当飢えているようだからな。そのまま放置では契約に背くことにもなりかねん。ゴブリン共とオマエ……八等分して食らうがよい」
意外なことに、常に腹を空かせていた素振りのウルは、目の前の肉にさほど関心を示すことはなかった。
というよりも、目先の食料よりも優先すべき事があったというべきなのだが、コルトはそんなことは気にせずに早速野ウサギの死体を自前の爪で解体することにするのだった。
「そんなことよりも、ゴブリン共。貴様らに聞かねばならんことが他にもある」
グチュグチュと肉が裂ける解体作業音をBGMに、ウルは真剣な表情でゴブリン達へ問いかける。
すぐ近くから血の匂いがしてきたことでゴブリン達の興味もそちらに移っている様子であったが、ウルは少し怒気を発することで自分への注目を集めて話を続けるのだった。
「まず、貴様らの群れ……数はどれほどだ?」
「カズ?」
「何体のゴブリンとオーガが……それ以外の構成員がいる?」
「コウセイイン?」
「タクサン?」
ウルはゴブリン達が本来所属する群れの規模を知ろうとする。
しかし数の数え方までは教えられていない――3以上は全部沢山で認識するゴブリン達は困惑するばかりだが、ウルは何とかその場で教えて情報収集を続けるのだった。
「お前達のチームと同じ規模を何組作れる?」
「……エッド?」
「ドレクライダ?」
「ゴブリン、イッパイ」
「ボス、ヒトリ、ダケ」
「ホカ、コボルト、イッパイ」
「ブタ、イッパイ」
「……いっぱい、ではなく一組二組と数を理解しろ」
ウルはその場で落ちている石や木の葉を使って算数の授業を始める。
かなり根気のいる作業ではあるが、次第にゴブリン達は何とか答えを出す。最初の頃はいっぱいという言葉でしか表現できなかったが、ついにある程度の目安を付けられる情報が出てきたのだ。
「ゴブリン……オレタチトオナジ、20クミ、クライ」
「コボルト、30クミ、クライ」
「ブタ。10クミ、クライ」
「ア、アト、ケムクジャラ、チョット」
ゴブリン達はたどたどしく記憶を辿る。
信憑性はかなり怪しいが、ウルはそれをひとまず真実と仮定して話を進める。どうやら支配種族は多岐に渡るようであり、数もそこそこいるようだと。
「……ゴブリンが約150匹にコボルトが約200匹ほど、ブタ……豚鬼か? オークと仮定して、それが約70匹、それに親玉のオーガ1体といったところか。毛むくじゃらというのはよくわからんが……こいつらが把握してない部分があると仮定して、1.2倍ほどは見ておいた方がいいだろうな」
ウルは確認するように口にしつつ、内心で『他にこいつらが知らない戦力があることも考えておかねばな』と心のメモ帳に書き足す。
どうやら一地方の魔物の群れとしてはかなりの戦力を有しており、今のままでは戦闘になれば勝ち目はないと。
そこまで考えたところで、ウサギを大体ばらし終えたコルトが会話に入ってくるのだった。
「ところでさ」
「……なんだ?」
「どうしてそんなことを気にするの?」
コルトは不思議だった。何故支配下に入ったゴブリン達の群れのことなど気にするのかと。
ウルはその疑問に、馬鹿を見る目で答えるのだった。
「あのな、少し考えればわかるだろう? 自分の配下が突然連絡を寄越さなくなったらどうする?」
「どうって……死んだと思うんじゃない?」
「確かに、こいつら如きでは不慮の事故や外敵との不運な遭遇で死亡することは十分にあり得るだろうな。だが、それで済ませては組織の長は務まらん」
コルトの言うとおり、ウルに喧嘩を売ったゴブリン達は殺されていてもおかしくはなかった。今こうして生きているのは、ほとんどウルの気まぐれによるものだ。
だが、ウルがオーガの立場ならばそうは考えない。配下が死んだことで自分の支配下から消えたというならば仕方が無いが、支配者とは常にもう一つの可能性を考えねばならないのだから。
「……力で支配した相手が突然消えたとなれば、当然考えるだろう。裏切りを」
「裏切り……」
「実際裏切っていることだしな。力による支配を行うものがそれを許してはカリスマの失墜に繋がる。それを避けるためにも、最低限やらねばならん。配下が……こやつらが死んだだけなのか、逃げ出したのかの確認はな」
「じゃあ、このまま行くと……」
「本人が来るかはわからんが、こいつらの活動区域を調査するくらいはするだろう。そしてこいつらが生きていることが知られれば、見せしめに殺そうとするだろうな。手駒を奪ったことになる俺を含めて。身の程知らずなことに」
そこまで聞いて、コルトはぴしりと固まった。ウルのいう脅威が理解できたのだ。
今コルトが生きているのは、ウルの力だ。幼いコボルトでしかないコルトなど、一人で生きていくことなど到底できない。それこそ自ら奴隷としてゴブリンや他の種族の庇護下に入るしかないだろう。
そんな綱渡りの状況で、森の一帯を支配するオーガの軍勢に襲われる。それを知って恐怖しないほどコルトも馬鹿ではない。
「な、なら逃げないと……」
「却下だ」
「なんで!」
「理由は二つ。一つは、本当にこの辺りに秩序も何もないのならば、どこへ行っても危険に変わりは無いためだ。ここを離れたとしても、今度は情報も碌に無いその地の支配者に侵入者として狙われるだけだな」
「うぅ……じゃあ、二つ目は?」
「それこそ愚問。……何故王である俺が逃げねばならん? 挑んでくるような身の程知らずには、その身に魔王の恐怖を刻む……それが俺の流儀だ」
ウルは、傲慢を具現化したような不遜な態度でコルトの恐怖を鼻で笑う。
それだけならコルトは必死で説得しようとするだろうが、なまじ最初に納得できる理由を出されているだけに反論しづらい。群れとして移動していたときも、極力他の生物の生存圏に入らないように動いていたのは間違いないのだから。
その戸惑っている隙を突くように、これを決定事項としてウルはゴブリンとコルトに向かい、強い意志と共に命令を下すのだった。
「貴様らに命ずる。そう遠くない未来に、取るに足らん雑魚共と一戦交えることとなるだろう。だがそれ以上に雑魚である貴様らでは到底役に立たん。よって――これより、貴様らが最低限の戦力となれるよう、この俺直々に教えを授けてやる」
ウルは指先を立てて腕を前に突き出す。そして、その指の先から小さな炎を出すのだった。
「貴様らには、これを――魔道を習得してもらうとしよう」
ゴブリンとコボルトに魔道を習得させる――もし人間達が聞けば、その正気を疑うことしかできないような言葉と共に。